幕間1.さよならも言えずに
朝目覚めると、そこに居るはずの主人が、いなかった。
授業が無い、週末の朝。
いつもより少し遅い時間に身を起こすと、寮の部屋の様子に違和感を覚える。
いつもそこにいる筈の人の気配がしない。
「シルヴィア様・・・?」
2段ベッドのはしごを降り、下段を確認すると、もぬけの殻だった。
もう一度主人の名前を口に出そうとするが、言葉にならない。
全身から血の気が抜けていくのがわかった。
落ち着いて状況を整理しようとするが思考が定まらない。
まだ起きたばかりで脳が覚醒し切っていないのか。
とりあえず、部屋のクローゼットが目についた。
そうだ、制服。外に出ているのなら着替えたはずだ。
制服があるかどうかを確認する。
「なん、で・・・」
クローゼットのハンガーにはいつも着ている制服が掛かっている。
着飾る際に頭に着けている髪留めも、そこにあった。
もう一度2段ベッドの下段を確認すると、そこにはパジャマが脱ぎ捨ててある。
つまり彼女は、パジャマ姿でもなく制服姿でもない、また別の恰好でどこかへ失踪してしまったということだ。
段々と覚醒している意識の中で、フリーデン校の制服に着替える。
寝癖なんかはついているかもしれないが、身だしなみを整えている余裕なんてない。
部屋の鍵を掛け、部屋から出る。
「シルヴィア様を見ませんでしたか!?」
部屋の外で出会う人に手あたり次第に声をかける。
しかし誰からも手ごたえのある返答は帰ってこない。
今は授業のない、休日の朝。
学校にはほとんど人が見受けられなかった。
校舎を1周してから、もしかしたら入れ違いになっているかもしれないと思い、部屋に戻る。
しかし主人の姿はどこにもない。
力なく部屋の椅子に腰を落とす。
本当に、どこへいってしまわれたのか。
・・・もしかして、来訪中のジェローム様の元へ呼び出されているのかもしれない。
藁にもすがる思いで、ジェローム様の元へと向かう。
モンテブルグ首都にある、貴族御用達の宿。そこにコーラリアの国賓らが下宿している。
向かう途中で考える。
もしジェローム様の元にもシルヴィア様がいなかったら?
シルヴィア様が失踪したという事実を、どう伝える?
朝起きたら、シルヴィア様がいなくなってました・・・、なんて。私は言えるのか。
責められるかもしれない。
護衛の任に就いているのに何をしているんだ、と罵倒されるかもしれない。
しかし、今起こっている出来事をありのまま伝えないことには、事態は進展しない。
気が付けば、目的の建物の前。
到着したは良いものの、中の様子が何やら慌ただしい。
宿の2階から急いで降りてくる老人にでくわす。
ジェローム様の付き人であり私の叔父、エドガーだった。
「おはようございます、叔父上。
・・・何かあったのですか?」
「アイリか。ジェローム様が負傷なされた。
2階の部屋で手当をしている」
それを聞き、宿の2階へ。
一部屋だけドアが開いている部屋があったのでそこに向かう。
「やあ、君はシルヴィアの付き人の・・・アイリと言ったか」
部屋に入ると右手の利き腕にギブスを巻いた、ベッドに横たわる男の姿がそこにはあった。
シルヴィア様の姿はそこにはなかった。
「ちょっとシルヴィアの騎士様と武器を交えたんだが油断してしまってね・・・。
このザマさ」
話によると今朝、シルヴィア様の今後を巡って決闘をしたらしい。
その際に落馬した衝撃で全身を打ち、地面に着いた右腕を骨折した。
「彼の剣術は見事だった。だが私の槍術にもまだ伸びしろはある。
今日受けた雪辱を晴らす機会があれば、また挑むつもりだ」
そう言いながら、窓の外をじっと見つめる。
何を言っているんだ?
私に見栄を張っているのか?この男は。
「腕が使えないんじゃ馬にも乗れないし、治るまでここに世話になることになる」
「そうですか。
・・・それで、シルヴィア様は、どこへ?」
「それが聞いてくれよ!あの男、シルヴィアを馬でどこかに連れ去っていったんだよ!」
窓の外にやっていた視線をこちらに向け、身を乗り出してくる。
今朝の決闘が終わるなり、そのまま決闘相手がシルヴィア様と共にどこかへいってしまったことを告げられる。
それを止めることをこの男たちはしなかった。
怒りが込み上げてきた。
何をしているんだ、と。追いかけることはしなかったのか、と。
だが一方の私も、そんなことが起きているとつゆ知らず部屋で寝ていたのだ。
そうなる前に私に一言でも相談してくれれば。
ヒューガは、例えば魔道具の開発なんかでいつも困ったことがあれば相談してきた。
シルヴィア様も、そんなことが行われるという素振りを一切見せなかった。
今後にかかわる大事なことに関して全く知らされていなかったということに、心が沈んだ。
「学校へ、戻ります。
・・・お大事になさってください」
「うん?ああ」
怒りを抑えながらそれだけを言い残し、宿を後にして寮の部屋に戻った。
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シルヴィア様がいなくなった。
私のもとからいなくなってしまった。
これから、どうすれば良いのだろう。
休日の間、何も口にしていない。
食欲が沸かない。何もする気にならない。
寮の部屋の上段ベッドの隅で、膝を抱えている。
脳裏に浮かぶのは、主人の顔と声。
名前を声にしようとするが、唇だけが動き声が喉でつかえる。
〈この先、何があっても、ずっと側にいて欲しいな〉
・・・ずっと側にいるって、言ったのに。
それからもう一人、思い浮かぶ人物。
〈今のままでいいはずがないだろ〉
シルヴィア様にギフトのことを打ち明けたあの日。
あの言葉をかけてもらえなかったら。
シルヴィア様の側にいられなかったかもしれない。
・・・どうしてお前も、いなくなってしまうのだ。
ふたりがいなくなったら、私は何を目標にすればよいのだ。
明日からまた授業が始まるが、何を学べばいいのだ。
もういっそのこと、コーラリアに帰ってしまおうか。
元々私はシルヴィア様の留学に際し付き添いで通っていただけなのだから。
国に帰れば、また王室遣えの侍女に戻るだけだ。
―コン、コン―
〈アイリさん、いるかね〉
誰かが部屋のドアをノックし、私の名前を呼んでいる。
私は無言で部屋のドアを開ける。そこには、エドワード校長が立っていた。
「男の身でも良ければちと中で話しをしたいんじゃが、良いかな?」
「・・・大丈夫です。どうぞ」
「土産もあるぞ。
ほれ、紅茶と、茶菓子も持ってきた。甘いものは好きかね」
校長は皺だらけの顔でにかぁと笑いながら、笑顔で手土産を差し出してきた。
「・・・ありがとうございます。座ってください」
2つある椅子を部屋の中央に向かい合せにする。
そして以前ヒューガとやったように、膝を突き合わせる形で話し始めた。
「エドガーさんから連絡があっての。大変なことになったのぅ」
「・・・はい」
「して、シルヴィアさんがいなくなった状況じゃが、君はどうする?
現在知識のクラスで有意義な学生生活を送っておる様じゃが。
君さえ良ければ引き続き授業を受けると良い」
「・・・はい」
「まあ、良く考えると良いじゃろう。
ほれ、学校に先程こんなものが届いておった。おそらく君宛じゃ」
校長が服の袖から一通の封筒を取り出す。
おそらく、で私が開封していいものなんだろうか。
「・・・これは?」
封筒には宛先にこの学校が書いてあるだけで、差出人が記されていなかった。
初めて見る印章の封蝋で封がされている。
この印章は・・・山を表現しているのだろうか。
丁寧にペーパーナイフで開封し、中身を確認する。
便箋には手書きでは不可能に近い制度で整列された丁寧な字体で文字が記されている。
ー親愛なるアイリへー
ーさよならも言えずにいなくなって、ごめんなさいー
ーこちらの身体のことは問題ありませんー
ー彼のことも私のことも、心配しなくて大丈夫ですー
ーずっと側にいて欲しいと言ったにも関わらずー
ーその約束を破ることになってしまいましたー
ー1年間、身を隠すための旅をしてきますー
ー私たちを信じて、待っていてくださいー
ーアイリさえよければ、学校で引き続き知識の勉強をしてくださいー
ー今まで面と向かって言えませんでしたがー
ー貴女が持つ知識にはいつも助けられていましたー
ーいつも、ありがとうー
ーそれだけどうしても伝えたかったので手紙を書きましたー
ーフリーデンの皆様にもよろしくお伝えくださいー
ー追伸ー
ー読み終えた後、できるだけ速やかにこの手紙を焼却してくださいー
ー足が付くといけませんし、あと何度も読まれると恥ずかしいというのもありますのでー
「まさか!」
「ほぉ、文字編みで書かれた手紙か。
グロース領の夫人が、そんな能力を授かっておったな」
「でしたら、この学校に残ります。
この手紙の通り、私は待たなければなりません。
引き続きお世話になります、校長」
手紙を読み終えた後タイミングよく、大きな私の腹の虫が鳴った。
ふぉっふぉっと愉快に笑う校長と共に、紅茶と茶菓子に舌鼓を打った。
その後シルヴィア様を連れ去ったヒューガの訃報を聞いたのは、それから3ヶ月後のことだった。




