宗教二世問題とは何なのか。
皆さま、こんにちは。私は、名も無き物書きといいます。
今からお話する事は、宗教に関する内容と、事件に関する内容が含まれています。読む事で、フラッシュバック等の症状が出るおそれのある方は、ここで読むのをやめてください。よろしくお願いします。
さて、私は2022年4月24日よりnoteという情報投稿サイトにて「宮坂 澪」名義で連載を書いています。その連載のテーマは「宗教二世問題・AC」です。
という自己紹介文を見て「あの問題ね」とお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、説明させていただきますと……去る2022年7月8、安倍元総理が銃殺された事件を境に、世の中の”空気”が一変するのを感じたのでした。それは、ずっと見向きもされなかった宗教二世・三世問題が急に注目され始めるきっかけとなった出来事だったのです。
私は普段、小説の宣伝や他作者との交流等に、ツイッターを使っています。事件を境にしてそのツイッターにて、宗教二世問題当事者の声、特に、統一教会の二世信者の投稿が注目されるようになりました。
今まで教団名を明らかにしないで被害を訴えていた人たちが、一気に教団を名指しで告発するようになったのです。それは、宗教二世問題や、統一教会による霊感商法問題に何十年も取り組んできた人たちが今まで、「政治の力」によって黙らされてきた事に対する、結果なのだと思いました。
私は、宗教二世問題の当事者です。
以前所属していた教団は、統一教会です。20年近く前に、脱会しました。
……子供の頃、母が韓国で開催される「修練会」に行く際、高野山に行くと父に嘘をついたのですが……その嘘に同調するよう母に頼まれ、一緒に嘘をついた事もあります。
母が何日か家を留守にしているあいだ私は、「お母さんは、神様の話を聞いているのだ」と思っていました。
もう20年も前の話なのですが、ここまで語るだけで、しんどいのです。しかし、私が今日お話したい事は、ここからなのです。
安倍元首相を殺害した山上氏に関しては、私はどうしても、痛みを感じずにはいられないのです。事件に関する報道で様々な事が明らかになり、山上氏が犯行に至った背景に、統一教会による霊感商法問題があると知ってから。
宗教二世問題というのは、悲しい問題だと私は思います。
親が信仰している教えに対し、大体の子供は「おかしい」と反対する事が出来ないからです。なぜなら、母親が……親が大事にしているものを、子供は大事にしたいものなのだと、思うからです。
信教の自由というのは、そうでしょう。信教の自由は、人権なのですから。
だけど、警視庁によれば霊感商法とは悪徳商法(詐欺)であり、犯罪なのですよ。それを組織的に、大々的に行っている団体というのは、信教の自由以前の問題であり、公共の福祉を著しく軽視していると言えるのではないでしょうか。
そして、信教の自由と言いながら、犯罪を正当化する親を頼るしかない、子供はどうしたらいいのか。
みなさんは、どう思いますか。
「街金とトラブルになりブラックリスト入りしたようです。実家のポストに闇金業者から営業の手紙が届くようになりました。」というタイトルで、統一教会の信者に対する異様な献金の要求の実態を書いています。関心のある方は、お読みください。
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〈宮坂 澪より、宗教二世問題の当事者の方へ〉
宗教二世、三世の方たちの中でも、生きづらさを抱えている方へ。
声を上げて下さい。今の時代は、各自が声を上げ、その声を多くの人に向けて語る事が出来る時代です。あなたの叫びを、キャッチする人がたった一人でもいる可能性があるならば。もしも私に話したい事があるなら、この連載の感想にコメントを寄せて下さい。
そして、憎しみを抱えている、宗教二世問題の当事者の方へ。
あなたはきっと、信仰者として生きてきた人だと思います。あるいは、信仰の価値観のもとで生きてきた人だと思います。そんなあなたが、憎しみでどうしようも無い時は、文章を書いて下さい。
小説や、詩、イラストでもいいです。羊毛フェルトでも、粘土でも、何でもいいです。
どんな文章であれ、表現という枠の中にとどまる範囲であれば、それは表現として、あっていいのです。表現する事で、批判や非難はありますが。
それでも表現する事自体を、否定する事は誰にも出来ないのです。
私たちが生きている世の中は、モザイクです。違う色同士が、それぞれひしめき合って、お互いの色に配慮しながらどうにか暮らしている。それが現実なのです。
相手の色を無理に変えようとしたり、自分の色を無理やり変えられたりする時、お互いに苛立つのです。「変わってくれない」「変えて欲しくない」と。
個々人をある一色に染め上げる事は出来ませんし、してはいけないんだと思います。その事について、宗教二世問題で悩んだり苦しんできた我々は、よく知っているんだと、私は思ってます。いかがでしょうか。
ここに、私は呼びかけたいです。それは、どんな恨みがあるにせよ、法を犯していい理由にはならないと思う、という事です。
人類の歴史が、数々の過ちを犯しながらも築き上げてきた、現代の法律なのだと私は理解しています。その知恵の一つである、殺人を犯してはいけないという法律を守る事は、大事だと思います。
恨みや憎しみは消えないと思います。少なくとも私はそうです。
しかし、どんな事情があるにせよ、法を犯していい理由にはならないと思います。
現実を変えたいならば、あなたの言葉で、語りましょう。
あなたの物語を。たった一人でも、読んでくれる人がいるならば、それは意味がある事なんだと思います。私は、あなたは、微力ですが、無力では無いのです。そうではないでしょうか。