(4)
エピローグ
王宮を出ると、街は静かな闇に包まれていた。
私にとっては、暗がりは心地よい。
結局輝竜の魂を手に入れることはできなかったが、代わりに小さな金色のティアラを貰った。姫様が幼い頃身に付けていたものらしい。
そんな大切なものをと思ったが、姫様は貴女だからあげるのよと、笑って言った。
私は何もしていないし、お宝を盗みに部屋に侵入してきた悪者なのに、そんな施しを受ける訳にはいかない。
一度はそう断ったが、姫様は首を横に振った。
「いいえ、これは施しなどではありません。箱の封印を見事解いてみせたご褒美と、それから。秘密を共有することのできた、私からの感謝の証です」
秘密の共有。
思えば、彼女は孤独だったのかもしれない。
レグスという伴侶は居るが、彼は人にあらざる者。彼女の気持ちの深い部分までは、理解できていないのかもしれない。
その想いの表れが、あのポエムだったのだろう。
同世代の人間種族の女性。
突然現れた私は、彼女にとって格好の話し相手だったのかも。
ティアラにはあの箱と同じく、五色の宝石が円を描くように配置されていた。
一つ異なるのは、中心にあるのが金色ではなく、白い宝石であるという点だ。恐らく製作者は意図的に変えたのだろうと推測する。
白とは穢れ無き者の象徴。そして、輝竜の鱗の色でもある。
姫様はまたいつでも遊びに来てねと言っていた。
機会があるなら、今度は怪盗ではなく、いち町娘として逢いに行きたいと思う。
そんな風に思いながら路地裏を歩いていると、ふと気配を感じた。
鉄錆の匂いが、あちらこちらに漂い始める。
囲まれたと気付いた。
闇に紛れる黒衣の男達。
彼らの胸には、首の無い竜の紋章が 掲げられている。
思い出したくも無いあの日のことが、記憶の底から呼び起こされる。
斬首機関。
それは五大貴族の一角、ラスブレード卿が創設した治安維持組織。
彼らの目的は唯一つ、犯罪を根絶し、恒久の平和を実現すること。
土台無理な話だと思うが、彼らはどうやら、本心から目指しているようだった。
「流石、ラスブレードの猟犬はお利口さんね。ちゃんと待てができるんだ?」
斬首卿の猟犬は鼻が利く。
恐らくは、ずっと尾行されていたのだろう。
王宮では手出しできないから、私が出て来るまで待っていた。
街中でも人目に付かないよう、路地裏に入るまでは仕掛けて来なかったのだ。
本当、訓練された猟犬さながらだ。
飼い主が良しと言うまで、辛抱強く待ち続けていたのだから。
吐き気がする。
「一体何の用だか知らないけど、私は今日は何も盗んでな──」
言い掛けて、ふと思い直す。
鞄からティアラを取り出し、それを天高く掲げてみせた。
「王家の秘宝は怪盗フローラル・スイーツがいただいたわ! 取り返せるものなら、やってみなさい!」
ああ、つくづく怪盗とは難儀な職業だと思う。
己を窮地に陥れてまで、大衆にアピールしなければならないのだから。
たとえその相手が、にっくき斬首機関の奴らでもだ。
彼らは無言だったが、多少ならず動揺したように見えた。
たかがコソ泥風情が、王宮の厳重な警備をくぐり抜け、秘宝の隠し場所を探し出せるとは思っていなかったのだろう。
ふん。認識を改めるが良い。
ティアラをしまい直し、代わりに取り出したのは紫色の結晶片だった。
それを、力一杯地面に叩き付ける。
結晶が粉々に砕け散り、凝縮されていた光子が一気に解放される。
爆発の後に、閃光が放たれた。
あの輝竜の光には到底敵わないが、それでも闇に慣れた刺客達の眼を灼くには、十分過ぎる光量だった。
目を閉じたまま、私は駆ける。
前方に居た刺客の一人の頭を踏みつけ、夜空へと跳躍した。
──さあ。捕まえてご覧なさい。
あの時は、ガタガタ震えているばかりの小娘に過ぎなかった。
だから、わざと見逃されたのだ。当時はまだ、盗みを働いていなかったから。
だけど、今は違う。今度は威風堂々と、見事逃げ切ってみせよう。
見ててね。お父さん、お母さん。
◇◆◇◆◇
慌ただしく怪盗が走り去った後。
王宮は、元の静けさを取り戻していた。
姫はベッドに腰掛け、自作のポエムを朗読していた。
それを聴いているのは、やつれた顔をした白髪の紳士だった。
親子程も年が離れているように見える二人はしかし、結婚していた。
「どうですかレグス様。私の愛の深さ、お分かりになりまして?」
「……正直、さっぱりわからん」
紳士は困り顔だった。
光在る所全て見通す力を持つ輝竜をもってしても、姫の心の中は見えなかったのだ。
「えー? これだけ言ってもわからないんですか?」
「何度言われても今一つピンと来ないんだが。そもそも我々竜族は群れを作らないんだ。
雌の竜なんて怖いぞ? 雄のことなんて、ただの生殖相手としか考えていないんだから。もっとも、そんな時代も終わってしまったが、な」
そう言って、紳士はため息を付いた。
姫は不満げに鼻を鳴らす。
「レグス様には、教育が必要ね」
「教育って。お、おい、まさか」
にじり寄って来る少女に、狼狽の声を上げる紳士。
「き、キスはやめてくれよ……!」
「え? 駄目なんですか?」
「苦手なんだよ、あれ。衛生上宜しくないだろう」
「でも、愛し合う男女はするものだと、本に書いてありましてよ?」
「そう言われてもだな」
レグスには理解できなかった。
互いの口と口を付ける行為は、本来威嚇時に行われるものだ。
好意を寄せている相手に行うべきものではない。
「じゃあ、こういうのはどうですか?」
すると彼女は、唇を近づける代わりに、
「お、おい」
ぽてっと、身体を丸ごと預けて来た。
姫の全体重を感じる。思っていたよりも軽かった。
「えへへ。私の温もり、伝わります?」
確かに、密着していると彼女の体温を感じる。
それはそうだろう、だからどうしたとレグスは思ったが。
「レグス様、温かいですね。これなら、すぐに寝られそうです」
「え? このまま寝るのか?」
彼の問いに応えること無く。少女は寝息を立て始めた。
満ち足りたような笑顔だった。
「好き、か」
ポエムの内容はよくわからなかった。
だが、彼にも理解できるものはあった。
彼女の笑顔が好きだった。
紳士の背中に翼が生える。
白銀の鱗に包まれた、それでいて天使の羽のように繊細な翼が。
少女の身体が冷えないよう、そっと翼に包み込む。
起こさないよう、細心の注意を払って。
夜は更けていく。
そういえば、あの娘は無事逃げおおせただろうか。
自分の姿を見て腰を抜かした自称・怪盗のことを思い出し、レグスは苦笑した。
「運命の鍵、か」
あの娘に、そんな大それた役回りが与えられるとは思えなかった。
しかし、姫は確かに予言したのだ。
彼女こそ、自分達の未来を切り開く、鍵であると。
第一章・完
第一章完、そしてこの物語も一旦終了でございます。
なお、怪盗Fことフローラル・スイーツは別作品にて全く別の姿で登場予定ですので、そちらに期待して頂ければと思います(某新妻将棋小説が完結すれば書けるはず……!)
ここまでお読み下さり、誠にありがとうございましたm(__)m