(3)
やった、遂に手に入れた!
これで父を超えられる。
小躍りしたい気分だったが、姫様の手前、冷静を装う。
箱の中は白い光で包まれていた。
見えないが、間違いなく何かがある。
はやる気持ちを懸命に抑え、私は慎重に、箱の中へと手を差し入れた。
「や、やっぱりダメー!」
その時突然、姫様が血相を変えてすっ飛んで来た。
「わっ!?」
私が咄嗟にかわすと。
姫様はよろけて転倒し、そのままの勢いで大理石の床を滑って行った。
あー。これは痛そう。
可哀想に。
「いたたたた」
「だ、大丈夫?」
恐る恐る私が尋ねると。
破けたピンクのネグリジェを引き摺りながら、姫様は身を起こした。
「やっぱり、見ないで」
「え? いや、そういう訳には」
「ダメったらダメ!」
流れ落ちる鼻血を気にする風もなく、涙目で姫様はこちらを睨み付けて来る。
良いよって言ったじゃん、さっき。
しかし困った。
許可が得られないのであれば、無理矢理にでも開けるしか無いが。
強行手段は怪盗の美学に反する。
蓋が開いたことだし、箱ごと持ち去ってしまうか? 身体能力には自信がある。姫様の追跡を振り切るのは容易だろう。
しかし、中身は確認しなければならない。
箱ごと盗んで、もし万が一中身がお宝でなかった日には、悔やんでも悔やみきれない。
──そうだ。
中身を確認する、一瞬の隙を作れば良いんだ。
今にも飛び掛かって来そうな姫様に向かって。
私は努めて、優しい口調で語りかけた。
「落ち着いて。中身を見るのは諦めるから」
「本当に?」
「ええ。でも私だって、このまま手ぶらでは帰れないわ。何か別のものを戴けないかしら?」
私の提案に、姫様は頷いた。
どうやら箱の中身以外なら良いらしい。
逆を言えば、それだけこの箱の中身が大切だということだ。期待が高まる。
「いいよ。じゃあ選ぶからちょっと待っててね」
しめしめ、今の内だ。
どれにしようか悩んでいるのだろう、きょろきょろと部屋の中を歩き回る彼女は、完全に箱のことを忘れている。
その一瞬の油断が命取りだ。
私はそっと、箱の中のモノを取り出した。
「これは」
それは一見して、一冊の本のように見えた。
一般的な、ヴェルゼ樹のパルプより精製した薄紙を何枚も束ね、魔物(恐らくラビット類)の皮を干したもので挟んでいる。
同様の加工を、以前魔法使いの家に遊びに行った時、見た記憶がある。
魔法の原理・手法について詳細を記した書物、所謂魔術書にはこの手の加工が必要らしい。
庶民には簡単に手に入らない、贅沢品である。
確かに贅沢品ではあるのだが──怪盗が盗む程の価値があるかと言うと、疑問だ。
表紙に綺麗なお花の絵が描かれているものの、然程の付加価値は感じられない。
何故、こんなものが?
探し求めていた秘宝、輝竜の魂ではなかったことに落胆しつつも、私は新たな可能性を感じてもいた。
もしかしたら、この本の中にお宝の在処を示すヒントが書かれているのではないか?
だから姫様はあんなに見られるのを嫌がっていたのでは?
幸いにも、まだ姫様は気づいていない。
よし、早速読んでみよう。
私は表紙を開いてみた。
『運命の針が落ちて来たら、この国は滅びてしまう。
そうなる前に、貴方に想いを伝えられるかな?
貴方は優しいから、私のことを毎日、愛していると言ってくれるけど。
それは本当に、好き、なの?
貴方は全ての生きとし生ける者を愛している。
少し妬けちゃう。
本当は、私だけを、見ていて欲しいのに』
一枚目には、そう書かれていた。
え、何これ?
何かの暗号?
これだけでは、意味がわからない。
私は呆気に取られながらも、次のページをめくろうとして。
『覗き見とは感心せんな』
突然、頭の中に響いて来た声に、止められた。
低い、地鳴りのような、男性の声。
身体が、麻痺したように動かない。
──誰だ?
どこに居る?
内心焦りを感じながら、視線を巡らす。
全く気配を感じない。
ドアが開いた様子は無い。
壁の絵には異常は見られない。
箱の光は、いつの間にか消えている。
姫様は、こちらではなく窓の方を見つめていた。私が本を取り出したことに、まだ気付いては無さそうだった。
つられて、窓の外を見る。
見た瞬間、視界が光に蹂躙された。
閃光魔法を食らったような、眼球をハンマーで思いっきり叩かれたような衝撃。
私は堪らず、目を閉じた。
閉じてもなお、光を感じる。
窓の外が、白光に満ちていた。
アレハ、ナンダ?
光の中心に何かが居る。
とてつもなく大きな、人の形をしていない何かが。
それは、恐らく何もしていない。
かの者は、ただそこに在るというだけで、ヒトを無力化させる。
なのに、未だに気配を感じられない。
そこに在って、無い。
今更ながら、私は後悔していた。
こんなものに挑もうとしていたのか、私は。
「こんばんは。レグス様」
姫様の囁く声が聞こえる。
レグス。
それが、かの存在の名前なのだろうか。
「大丈夫ですよ。こちらの女性は、悪い人ではありません」
姫様の声に応えるかのように、視界を埋め尽くしていた閃光は徐々に弱まっていき。
やがて、元の闇に戻った。
私はへなへなと崩れ落ちる。
全身から、力が抜けていた。
冷や汗が背中を伝い落ち、思わず「ひっ」と悲鳴を上げた。
何だったんだ、今のは?
「大丈夫? 立てる?」
心配そうにそう言って、姫様は手を差し伸べて来た。
一瞬、その手を取るべきかどうか躊躇したが。
「……ごめん、ありがとう」
結局、彼女の力を借りることにした。
情けない。これでは怪盗失格じゃないか。
「さっきの、一体何なの? レグスって」
「あの御方は、守護者よ」
私の問いに、姫様は微笑を浮かべて応える。
わずかに頬を朱に染めて。
「守護者?」
「ええ。この国の真なる守護者。私との契約を条件に、レグス様は皆を護って下さるのよ」
契約? 何の話だろう。
そんなこと、私は知らない。
多分この国の他の誰だって、レグスなんて守護者のことは知らないはずだ。
「守護者って、でもあれ。
ドラゴンに、見えたんだけど」
閃光の先にほんの刹那、垣間見えたシルエットがあった。
それは、物語に出てくるドラゴンに良く似ていた。
「ええ。あの御方は竜よ。竜の中の竜、輝竜レグス様」
「なっ……!?」
私は驚きの声を上げた。
あれが、輝竜?
まさか実在しているとは思わなかった、伝説の竜族だと言うのか?
だとしたら、私が探していた輝竜の魂とは。
人工物ではなく、まさか本物の?
そこまで考えたところで、私は持っていた本のことを思い出した。
「ねえ姫様、この本てもしかして」
「あー! 見たなー!」
絶叫する姫様。
「う。ごめん、つい」
「ついって、酷い! うわああん、私の秘密、見られちゃったー!」
耳まで真っ赤にして泣き叫ぶ姫様に、私は何と言葉を掛けようか迷ったが。
「ごめんね? これ、貴女が書いた日記なんだよね? てっきりお宝の在処を示すものだと思って、読んじゃったの」
結局、正直に謝った。
「日記じゃないもん。ぽえむだもん」
「ぽえ……何それ?」
「知らないの? ありのままに自分の想いを綴って詩にする、高尚な文字遊びだよ。庶民には理解できないだろうけど」
むすっと頬っぺたを膨らませて、姫様は言って来る。
ぽえむだか何だか知らないが、これは彼女が書いたものに間違い無いようだ。
「そんなこと無いよ! とっても感動しちゃったなあ私。姫様、好きな人居るんでしょ? 文章から想いがあふれ出てて、不覚にもきゅんきゅんしちゃった」
「……ホント?」
「本当だよ。見られるの恥ずかしかったかもしれないけど、私は全然恥ずかしいことだなんて思わないよ」
あ。姫様、ちょっと嬉しそう。
照れ臭そうに笑ってる。
心にも無いことを口にするのは少々心苦しいものがあるが。
姫様から真実を聞き出すためだ、仕方ない。
「それで姫様。貴女の好きな人って、もしかして」
「ふふ。レグス様よ」
小声で答える彼女の顔には、悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。
ああ、やはりそうなのか。姫様の想い人は、人間ではなく、輝竜のレグス。
ならば、契約内容とやらは。
私の想像を肯定するかのように。
姫様は、自身のお腹をそっと撫でた。
「レグス様は、私と結婚して下さった。そして私に、あの方の子を授けて下さったのよ。
私はあの方の子を産む。その代わりにレグス様は、あらゆる災厄からこの国を守護する。
それが、あの方と結んだ契約なの」
幸せそうに、彼女は微笑んでみせた。
永劫の時を生きる間に、輝竜を始めとする古代竜族は生殖能力を失った。
彼らには、緩やかな滅亡へと続く未来しか無かった。
そこでレグスは思案した。
人間の雌の胎を借りるのはどうか、と。
契りによって、人間との間に子を作る。
それは純血を失うことを意味していたが、彼は選択した。
始めは本当に、それぞれの利害が一致しただけの関係だった。
人間にとっては、諸外国や魔物の侵攻から守ってもらうための、竜族にとっては、種が生き残るための。
姫様個人としては、あらゆる病気や災難から守護されている。
眠り薬が効かなかったのも、毒と見なされ、体内で無効化されたためだ。
そんな関係だった。
しかし、契約により、寄り添って生活を送る内に。
徐々にではあるものの、二人は互いに、惹かれ合うようになっていった。
やがて。種の垣根を超えて、彼らは深い愛情で結ばれた。
輝竜の魂とは、二人の愛の結晶。
姫様のお腹の中に居る、竜の赤ちゃんのことだったのだ。
『ぽえむ』を読み終え、私は納得して本を閉じた。
息を吐く。長い夜だった。
息を吸う。私のこれまでの努力は何だったのだろう。
いくら怪盗でも、お腹の子は盗めない。
「えっと、ちなみに出産のご予定は?」
放心状態で、そんなことを訊いた。
「ふふ、まだまだ先よ。竜の子は成熟に時間がかかるらしいの。何年かかるか……もしかしたら私、おばあちゃんになっちゃうかも」
確かに、彼女のお腹にはまだ、わずかな膨らみも見られない。
それは、幸せなのだろうか?
私にはちょっと、理解できそうにない。
けど、優しくお腹を撫でる姫様は、本当に幸せそうで。
少しだけ、羨ましかった。