(2)
「はて? 何のことでしょう」
内心の動揺を悟られてはまずい。
私は努めて冷静な口調でとぼけてみせた。
せっかく施錠の仕掛けに気付いたんだ、何としてでもこの場を凌がなければ。
「ほら。鼠はノックして入っては来ないでしょう? 壁に開いた穴を通るか、開いた窓から侵入するか。
貴女と同じ」
「ああ、そのことですか。
すみません。失礼とわかってはいたのですが、ドアに鍵が掛かっていたので、窓から入らせていただきました」
自分でも、苦しい言い訳だとわかっていた。
私の返事に、姫様は小首を傾げる。
「まあ、随分と身軽なのね。
……けど、それだとおかしいわね」
「何が、ですか?」
「だって。ドアに鍵なんて、掛かってないんだもの。実はこの間から壊れていてね。鍵の代わりに、部屋の前に見張り役を置いてもらってはいるんだけど」
姫様はそう言って、まっすぐ私を見つめて来た。
しまった。
はめられた。
ノックという単語と厳重な警備の有様から、当然ドアには鍵が掛かっているものと思い込んでいた。
所詮は世間知らずな温室育ちの姫様と、侮っていた。
その油断が、この結果を招いたのか。
「貴女は、ドアの鍵なんて確認していない。部外者ね?」
心臓を鷲掴みにされたような気分だった。
「えーと」
この期に及んでは、もはや言い逃れる術は無い。
何かもう面倒臭くなって来て、私は頭を掻き。
「ああそうよ。その通り」
着ていたメイド服を、一気に脱ぎ捨てた。
その下には怪盗装束を着込んでいる。軟体の魔物の皮膚から作製したもので、非常に柔軟性があり、肌に密着して動き易い。
また、スカートが無いので下着を見られる心配も無い、優れモノである。
「天知る地知る人が知る!
怪盗フローラル・スイーツ、見参!」
それから、とりあえず名乗ってみた。
頑張って決めポーズも取ってみた。
──みたのだが。
私の豹変ぶりに、姫様はポカンと口を開けるばかりだった。
あ。もしかして、ご存じ無い?
「ええと。貴女のお宝、いただくわ!」
びしっと指さしてみるも。
眉間に皺を寄せて、何やら悩んでいらっしゃる様子。
う。これはやりにくい。
「あの、怪盗ってわかる?
ほら、世間を騒がせているあの有名な」
仕方なく助け舟を出す。
すると姫様は、ポンと手を打ち。
ベッドの横にある本棚をゴソゴソと漁り始めた。
良かった。やっとわかってくれたようだ。
心の中で私は安堵した。
「怪盗って、物語に登場する伝説の泥棒さんのことでしょ? ほら、この本に載ってる」
そう言って、姫様が取り出したのは一冊の絵本だった。
あ、『怪盗ブラック・ネオン』だ。なつかしー。
私、全巻持ってるよ。
「そう、そうなの。
今日はね、姫様のお宝を盗みに参上したって訳」
「え、何それ凄い!
怪盗って、実在してたんだ!」
途端に目を輝かせる姫様。
おお、食いついて来た。いいぞいいぞ。
「その中でもトップクラスの実力を持つのがこの私、フローラル・スイーツ様よ!」
「本当に? 見た所私と同い年くらいだけど」
うん、同い年だと思うわ。
「本当よ。例えばこの箱の開け方、もうわかってるんだもんね」
胸を張って、私は箱を手に取った。
「……開けてみていい?」
一応、許可を得てからにするか。
私の言葉に、姫様は「うーん」と少し悩んだ後で。
「恥ずかしいけど、怪盗さんなら良いよ」
何故か顔を赤らめて、頷いた。
その反応にやや引っ掛かるものを感じたが、とりあえず許可は得たので良し。
「この箱には施錠の魔法が掛かっている。魔法を解除する仕掛けがこの部屋の中に在るはず。で、ヒントは箱自体に隠されている」
五大貴族と姫の宝石。
貴族達に取り囲まれての生活は、さぞや窮屈なものだったろうと推測する。
箱とはつまり、窮屈な彼女の人生そのものだ。
閉じ込められて、自由を奪われ、好きな異性と結ばれることも無く。
ただ、生きているだけ。
そんな彼女の元に現れたのが、トイフェルという青年だった。青年は美しい姫に恋をした。彼は魔法使いに頼み込み、姫を貴族達から解放する術を得る。
まあ、結果としては失敗に終わったが。
箱には、青年を表す宝石は埋め込まれていなかった。
彼が描かれていたのは、壁に飾られた絵画のみ。
それが意味するところは、一つだ。
「トイフェルは姫にとって、自由の象徴だった。
つまり、箱を開ける鍵は」
言いながら、私は箱を手に絵の所まで歩いて行く。
姫様の期待に満ちた眼差しを、背後に感じながら。
絵の表面を人差し指で撫でていく。
色鮮やかな小鳥達、美しい姫君。
そして、薄汚い恰好をした悪魔。
誰かにとっては醜くても、別の誰かには美しく見えることもあるだろう。
悪魔が手にしているのは、赤い木の実。
それを、姫君に渡そうとしている。
その実を食べれば、姫は悪魔の手に落ちる。
恋に落ちる。
指で触れると、赤い木の実がわずかに絵の表面から盛り上がっているのがわかった。
親指と人差し指でその出っ張りを摘み、慎重に引き抜く。
ポロっと、木の実が取れた。
窪みができた絵。その奥には、小さな宝石が収められていた。
宝石は無色透明。素人には何の価値も無い硝子に見えることだろう。
だけど、私にはその価値がわかっていた。限り無く純度の高い、ダイヤモンドだ。
箱の裏には、絵にできたものと同じ大きさの窪みがあった。
そこに、絵から取り出した宝石を差し込んだ。
その瞬間。
私の身体を、雷に打たれたような衝撃が駆け巡った。
ああ、これが恋か。
箱がばちばちっと火花を散らす。
今まで頑なに開こうとしなかった蓋が、自ら開いていく。
この中に、私が探し求めていたお宝があるのか。
王国の秘宝、『輝竜の魂』が。
◇◆◇◆◇
物心ついた時から、盗みのスキルを教え込まれて来た。
師匠は父であり、時として母でもあった。
先祖代々受け継がれてきた怪盗の血は、今でも私の体内で燃え上がるように熱く、脈打っている。
ある時、父は言った。
我々はただの泥棒ではなく、怪盗なのだと。
盗みを生業としながらも、その本質は全く異なる。
泥棒は私利私欲のために盗みを働く。
対する怪盗は、民衆に夢を与えるのが仕事なのだ、と。
お宝はありがたく頂戴するが、そこに至るまでの過程は、美しく優雅でなければならない。
多くの人々に支持されなければ、それは怪盗とは呼べないのだ。
私はそんな父の背中を見て育った。
怪盗は、私の夢だった。
私が独立すると宣言した時、父はいつになく真剣な顔で、
「覚悟はあるのか?」
と訊いてきた。
あの時の言葉の意味を、怪盗になった今なら理解できる。
覚悟。
大衆の前で怪盗という役を演じ続ける覚悟。
他人のものを盗む罪悪感を捨て去る覚悟。
それから勿論、捕縛される覚悟も。
私は、頷いた。
それからしばらく経って、父と母は居なくなった。
『斬首機関』による強襲を受けたのだ。
私は何とか逃げ延びたが、二人の行方は不明。
あの二人のこと、捕まってはいないと思うが。元気にやっているだろうか?
あれ以来、何の連絡も無い。
独りになった私は、怪盗フローラル・スイーツとして本格的に活動を開始した。
最初は私腹を肥やす金持ちの家を狙った。
金銭には興味が無く、盗むのは高級絵画や宝石類、骨董品の類等。
盗んだ証を残すのも忘れない。
夜なべして作った『怪盗フローラル・スイーツ参上』カードを、できるだけ目立つ場所に置いて回った。
そうしている内に、少しずつ世間での知名度が上がって来た。
しかし、どうしても父を超えることはできなかった。
偉大なる怪盗『ブラック・ネオン』は、絵本にも描かれるレベルで庶民に知れ渡っていたのだ。
ちまちまやってても仕方がない。
もっと大きな仕事を探さなければ。
あの夜空に浮かぶ双子月を片方盗むくらいの。
そんな時、王家の財宝についての噂を耳にした。
それが輝竜の魂。
今や私の手の中に在るものだ。
【昔語り】
昔々、ある国にトイフェルという悪い男が住んでおりました。
彼はその国のお姫様に恋をしていました。しかし、お姫様は隣の国の王子様と結婚することになっておりましたので、トイフェルの想いが届くことはありませんでした。
それでもお姫様のことを諦めきれないトイフェルは、何とかして彼女を手に入れたいと、魔法使いに相談しました。
彼の話を聞いた魔法使いは言いました。
「この実を姫に差し上げると良い。種にはお主の想いを詰め込んである。姫がこの実を召し上がった時、姫の体内で種が芽を出し、お主の願いは叶えられるであろう」
魔法使いがくれたのは、赤い木の実でした。その実を手に、トイフェルはお城に忍び込みました。中庭からお姫様の声が聞こえて来ます。
「とっても綺麗な銀色千鳥、恥ずかしがりやの緑色千鳥、自信家の赤色千鳥、暴れん坊の青色千鳥。それから寝ぼすけの真っ黒千鳥。おいで、私と一緒に歌を唄いましょう」
ちちち。お姫様の声に応えて、色取り取りの小鳥達が彼女の周りを飛び回り始めます。それはまるでお姫様を護る騎士のように、トイフェルには思えました。
「俺の邪魔をするな、小鳥達。立ち去れ。さもなくば叩き殺し、その羽を全てむしり取ってくれようぞ。焦げ目が付くまで焼いてから、胃袋に収めてくれようぞ」
彼が叫ぶと、小鳥達は散り散りに逃げて行きました。一人取り残されたお姫様に、トイフェルはうやうやしく礼をして言いました。
「お姫様。本日は貴女の為に、この実を持って参りました。どうか召し上がって下さい」
何も知らないお姫様は、トイフェルの渡した実を食べてしまいました。これで姫は俺のものになる。トイフェルはそう確信しました。
しかし、その時です。遠巻きに見ていた小鳥達が、一斉に襲い掛かって来ました。最初は五羽だったものが、どんどん増えていきます。十羽、二十羽、三十羽。やがて百羽にも達した小鳥達につつかれて、痛みのあまりトイフェルは死んでしまいました。
次に小鳥達は、お姫様の可愛らしく開いた小さなお口の中に入り、お腹の中にあった種を全て食べ尽くしました。種の毒で命を落とす者も中には居ましたが、大好きなお姫様の中で死ねて、小鳥達は幸せでした。こうしてお姫様は、小鳥達のおかげで難を逃れることができたのです。功績を称えられ、五色の鳥達はそれぞれ王様からラスブレード、シュレディンガー、ラインハルト、フェルモンド、それからマクスウェルの名を授けられました。
その後お姫様は王子様と結婚し、彼女を見守ってくれる小鳥達に祝福されて、末永く幸せに暮らしましたとさ。
めでたし、めでたし。




