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王宮の警備は手厚い。
近衛兵の皆さんが、夜も寝ずに見張りに就いている。
加えて、姫様の寝室は何重にも結界が張り巡らされていて、到底辿り着けるものではない。
そう。並の侵入者なら、ね。
中の警備は厳重でも、外はどうか。
幸いにも、窓の鍵は開いていた。
私は音を立てないよう、そうっと忍び込んだ。
暗い室内は、わずかに月明りが差し込む程度で視界が悪い。
緊張する私の耳に、規則正しい寝息が聞こえて来た。
部屋の奥に設置されたベッドで、誰かが眠っているようだった。
ここからは離れていて見えないが。恐らくは、この部屋の主が。
今なら盗み出せるかもしれない。
否。必ず盗み出してみせる。
必ずや──あの『輝竜の魂』を。
怪盗Fと竜の花嫁
第一章「秘めたる想いは純白に染まりて」
初めに噂を聞いたのは、王宮の兵士達がよく来る町外れの居酒屋だった。
私は一流の怪盗だ。情報収集に余念が無い。時折こうして、お店で働くこともあった。お宝の情報が容易に手に入るわ、ついでに賃金ももらえるわで、良いことづくめなのである。ホント、生活費が助かるわー。
「……でよ。竜の神様がよ、姫様に魂をくれたんだとよ」
「何だよ魂って?」
「知らねえよ! 俺ら下っ端に教えてくれる訳ねーだろ。けど、大層なお宝に違いねえって、城内じゃ噂で持ちきりだぜ?」
酔っ払いは口が軽い。シラフでは言わないようなことも、平気で喋ってしまう。
「ねえ、お兄さん達。良かったらその話、詳しく聞かせてくれないかしら?」
兵士達の前に黄金の液体がなみなみ注がれたグラスを置き、私はウィンクしてみせた。
それから間もなく、私はお城のメイドに変装して城内に潜入した。
居酒屋での話がどうやら真実であるらしいことは、聞き込みをしてすぐに判明した。
竜の神様なるものが実際に存在するかどうかは、怪しい所だが。誰もそんなものを見ていないし、ひょっとしたら比喩表現か何かかもしれない。
だが。間違いなく、お宝は姫様が持っている。
輝竜の魂。
伝説の竜族、輝竜にあやかった名前のお宝だ。きっときらきらと七色に輝いて綺麗に違いない。想像するだけで胸がときめく。
ただし。それがこの部屋のどこにあるかまでは、探してみないとわからない。
部屋にあるものはベッドと、その脇にある、人の背丈程もある大きな本棚。
それから、部屋の中央には銀のテーブルがあった。
その上には、色取り取りの装飾が施された四角い物体が一つ、ぽつんと置かれている。どうやらそれは、蓋の付いた箱のようだった。宝箱のように、上にパカンと蓋が開くタイプだ。
いかにも怪しい。
怪しすぎて罠の可能性もあるか。
右太腿に装着した鞘から短剣を抜き、箱に向かって投げてみる。
カツンと音がして、短剣は跳ね返った。よし、特に何も起こらない。
「警戒し過ぎたかしら」
箱に向かって歩き出しながら、私は独り苦笑する。
念のため、先に床に刺さった得物を引抜き、再び鞘に入れ直した。
それから、箱を手に取る。
金属製の箱は硬く、見た目よりも重い。
見たところ、鍵は付いて無さそうだ。私は箱を開こうとした。
だが、口がぴったりと閉じていて、どんなに手に力を込めても、わずかな隙間すら開かない。奇妙だったが、すぐにピンと来た。
魔法で施錠されているのだ。
大方、城に張った結界術の応用か何かだろう。宮廷魔術師の中に腕の立つ奴が居ると見える。小癪な真似を。
となれば、解除するしかない。
一旦箱をテーブルに戻し、私は懐から紫色の結晶片を取り出した。
手のひらに収まる程度の大きさのそれには、近所の魔法使いに頼んで光子を詰めてもらっている。光子とは、文字通り光の子供、赤ちゃんだ。その魔法使い曰く、天空より飛来する、星屑から取り出すことができるのだと言う。
「出てきて良いよ」
欠片に囁き、それを天にかざすと。
ぼうっと、紫色の結晶は、白き光を放ち始めた。
陽光よりは弱く、星の光よりは強い。
「これで良し、と」
箱とは、ずっと蓋を閉めておくものではない。永遠に封印したいのなら、そもそも蓋付きの箱に入れる必要が無い。
あくまで『中身』を長期間保管しておくためのものだ。
であれば、施錠を解除する仕掛けがあるはずだ。恐らくは、この部屋の中に。あるいは、箱そのものに。
そう判断して、灯りを点けてみたのだったが。
「──あら? もう朝かしら」
突然上がった声に、私は震えた。
恐る恐る、ベッドの方へと視線を向けると。
寝惚け眼の部屋の主と、目が合った。どうやら、灯りが眩しくて起きてしまったようだ。まずいことになった。
年の頃は私と同じ位だろうか。
金髪碧眼の少女はベッドから上体を起こし、私の方を不思議そうに見つめている。
あ、着てるネグリジェ可愛い。ピンク色。
対するこちらは、引き攣った笑みを浮かべながら。
この後どうすれば良いか、必死で考えていた。
しかしそれにしても、何で起きた?
万が一にでも起きないよう、わざわざ給仕係に化けて、夕食に眠り薬を盛っておいたのに。
彼女には、薬が効かないとでも言うのだろうか?
「貴女、誰? 何をしているの?」
「お目覚めになられましたか。すみません、できるだけ音を立てずに済ませるつもりだったのですが」
とりあえず、怪しまれてはいけない。
大丈夫。こんなこともあろうかと、メイドの格好をしておいたのだ。
──もとい、フリルが可愛くてつい着て来てしまったのだが、それが功を奏した。
平静を装い、私は姫様の問い掛けに応える。
「実は、お城に鼠が現れましてね。探している最中です」
「鼠? 物音等聞こえてないけど。貴女以外のは。
……まあ良いわ。手早く済ませて頂戴」
「そうします。では、部屋を調べさせて下さいね」
姫様に見られながらではあったが、部屋の中を調査する権利を得た。胸中で安堵しつつ、私は視線を巡らせる。
悠長に物色している暇は無い。一刻も早く仕掛けを見つける。
灯りを点けて気づいたのだが、壁には一枚の絵が飾られていた。
色とりどりの小鳥達が美しい女の子の周囲を飛び回り、女の子は彼らに向かって歌を唄っているようだった。その様子を、いかにも怪しげな黒づくめの男が、物陰からじっと見つめている。
すぐにピンと来た。
これは、この王国に伝わる昔話を表した絵だと。
「その絵、どう思う?」
姫様の言葉に、我に返る。
いけない、見入ってしまった。
「えっと、有名な昔話ですよね。悪魔が姫様を狙って、それを小鳥達がやっつけたっていう」
「ええ。悪魔の名前はトイフェル。そして、小鳥達は今の五大貴族のルーツになったと言われているわ」
銀、緑、赤、青、黒。
鳥達の五色は、貴族達を象徴する色になった。
五大貴族、か。
嫌な奴のことを思い出し、私は苦笑する。
「だけどね、私は思うの。
姫は本当に、貴族に護られなければならない程に弱くて、愚かだったのかと。
トイフェルだって、悪人だったのかどうか。本当は、純粋に姫を想っていただけだったのかもしれない」
同じ姫のことだからか、姫様は饒舌だった。
昔話の真偽はともかく、ヒントになるかも。
視線を今一度、箱へと戻す。
箱の蓋には、円を描くように宝石が配置されていた。
銀、緑、赤、青、黒。
それから、円の中央には金色の宝石が。
──ああ、なるほど。
そういうこと、か。
先程の姫様の言葉を思い出す。
この箱が意味するものは、つまり。
「ところで、鼠を探さなくて良いの?」
そこまで思考を巡らせたところで、不意に尋ねられた。
はっとして顔を上げると、金髪の少女は、こちらをじっと見つめていた。
青い双眼が、私を捉えて離さない。
「あ、はい。すみません興味深いお話だったものでつい。鼠、見つかると良いんですけど」
「それとも。鼠は貴女、なのかしらね」
「っ!」
姫様は薄く笑みを浮かべていた。
まさか、気づかれているのか?