2.兄と私
「リリィ、急ぐんだ。学園に遅刻してしまうよ」
呑気に朝ごはんを堪能している私に、兄のフレデリクは少し焦っている。兄は昔から、リリアーヌを略してリリィと可愛く呼んでくれる。
「お兄様、大丈夫よ。学園まで走れば十五分で着いてしまうわ」
「走るって、馬車で?」
「ふふふ、変なお兄様。自分の足に決まってます!」
笑いながら侍女の入れてくれた紅茶を優雅に飲む。あら、美味しい。また茶葉を変えたわね?これは何という茶葉だろう。
「…変なのはリリィだよ!伯爵令嬢が走るなんて…聞いたことないよ!いつになったら立派な淑女になるのさ!」
「言っておきますが!私は我が家以外ではきちんと淑女らしい行動をしておりますー!誰も見ていないところでしか淑女らしからぬ行動はしておりませんので、ご心配なく!」
「もう…なんておてんばな妹なんだ…これじゃいつになっても婚約者なんて現れないよ…ハァ…」
ついに頭を抱えてしまった兄。
確かにもう十五歳になったので、婚約者候補がいてもおかしくない。周囲の友人達もちらほらと婚約者が決まってきている。
でも私には、なかなか婚約者候補が現れない。
自由奔放、おてんば、我儘…と言った私の昔の悪評が邪魔をするらしい。
別に、それでいいと思った。
実際私は他の貴族令嬢より、趣味が多い。しかもその趣味は領地の領民達から教えてもらったことばかりだ。
普通の貴族がやらないような、料理、裁縫、植物の栽培などである。
常に豪華で煌びやかな伯爵令嬢の生活より、汗や土で汚れながらも日々を真っ直ぐ丁寧に生きる平民の生活の方が、私は好きだった。
そういうところもひっくるめてリリアーヌがいいよ、と言ってくれる人でないと結婚したくない。
…でもさすがに我が家の恥にはならないように、貴族のマナーや常識は徹底的に勉強して身についてはいるけれど。
「リリィ、君はまだレオンが好きなのかい?レオンが好きだから、自分の将来のことなんてどうでもいいと考えているの?」
「お兄様…」
それも一理ある。
だけど目の前で泣きそうなほど顔を歪める兄に、ハッキリと言うことができなかった。
そう、私は兄の親友のレオン様のことが好きすぎて他の男性には全く興味がないのである。私の一方的な片想いではあるけれど…。
「…お兄様、ごめんなさい。自分の将来のこと、きちんと考えているから心配しないで」
このまま私に婚約者が現れなかったら、領地で働きながら領民達を守りたいなと思ってます…なんてことも言えない。
言ったら兄は白目を剥いて倒れるだろう。
兄はそれだけ私を愛し、大事にしてくれている。
両親よりも兄からの小言の方が多いくらいだ。
誰よりも伯爵令嬢として幸せになってほしいと思ってくれている。
そんな兄を、今日も朝から心配させてしまった。
私は目の前の兄に、笑みを向ける。
「さ、今日の朝ごはんも美味しくいただきました。お兄様と一緒に学園へ行ってもいい?もちろん、馬車で」
兄はホッとした顔で笑ってくれた。
私はそんな優しい兄が大好きで、兄も私が大好きで。ブラコンとシスコンというやつである。
…本当は私と兄は血の繋がった兄妹ではないけれど。
私の産みの親は事故で他界し、私が物心つく前にこのバシュレ家に養子としてやってきた…らしい。
産みの親も貴族で、バシュレ家のお父様と親友だったことから、この家に引き取られた…らしい。
でもそんなこと関係なく、我が子同然で大事に育ててくれているバシュレ家が私は大好きだ。
私は自分の人生に悲観したことは一度も無い、むしろ毎日幸せを感じている。