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アロトロピスト  作者: 鑑創太
第一話 荒廃塔
3/32

Act.2 未知との遭遇

 死にもの狂いで走った。とにかくあの野犬たちから離れるため、全力を尽くした。

 そして気づいたとき、フィドは階段が終わった最上階の踊り場で仰向けで大の字に倒れ込んでいた。


「はあ、ちく、しょう」

 下から見上げただけなので正確な階数はわからないが、おそらくこのビルは20階以上あったのだろう。

 そんなところをろくな休憩もはさまずに駆け上がってきたせいで、足の筋肉が悲鳴を上げていた。


 いくら慣れているとはいえ、さすがにキツい。途中の階に野犬がいなかったのは幸いだった。

 考えてみれば、上の階にも奴らがいる可能性は十分にあったのだが――あのときはそこまで頭が回らなかった。


 そのとき、コツンッと頭に何かがぶつかった。

「う、うわぁぁぁぁぁぁ!?」


 先ほどの疲労はどこへやら、情けない絶叫を上げて壁際まで後ずさる。四つん這いで、わらわらと。

 そして、無意識に頭をかばい目を閉じた――しかし、いつまで経っても予想した攻撃は来ない。


「……あ?」

 不思議に思い目を開ける。見ると、円を半分に切ったような小型の物体が、床の上で動き回っていた。物体というより機械か。

 なんだあれ? 困惑する最中も、それはシャカシャカと動き続ける。そのどこか愛嬌のある姿に、フィドは既視感を覚えた。というか子供の頃に、この機械を見たことがある気がした。


「こいつ、イーガか?」

 形こそ違うが、それは幼少期に――まだ世界がこんな有り様になる以前に、ほとんどの一般家庭に普及していた自動清掃ロボットの一つだった。


 というか繰り返されるバージョンアップのせいで多くの類型が製造され、こいつの本当の名前がよく分からないのだ。イーガというのも、とりあえずそう呼んでいたに過ぎない。


 特に〈呼びやすい〉というのは重要である。印象に残りやすいからだ。目の前で動いているこいつも、恐らく数ある内の一体だろう。正確には数あった――だが。


「驚かせやがって」

 立ち上がって尻を払う。が、まったく汚れていない。足元を見回しても、白い塗料が塗られた床には塵一つ落ちていなかった。

 掃除ロボットの面目躍如といったところか。こんな誰もいない廃墟で、未だに己が役割をまっとうしているとは……〈熱心(イーガァ)〉の名は伊達ではないらしい。


 が、そこでフィドはあることに気付く。

「こいつ……なんで動いてんだ?」


 呟きにイーガが答えるはずもない。そこで周囲を見ると、半分だけ降ろされた防火壁が目に留まる。

 目を凝らせば、覗く通路の足もとに淡い光が連続しているのが見えた。それが奥まで続いている。たぶん非常灯の光だろう。


「ここの設備は生きてるのか?」

 それはつまり、機械が生きているということだ。そうくれば当然、例の〈探し物〉も無事である可能性が高い。いや、どころかこの設備を維持するだけのものならば、それ以上を期待できるかもしれない。


 フィドはグッ、と唾を飲み、慎重に防火壁を潜る。そして、非常灯の明かりに誘われるように通路を進んでいく。そうして突き当りに差し掛かり、左に視線を向けたとき、

「こいつは……」

 施された内装を見て驚いた――窓があるのだ。


 ここに来るまでのどの階層にもまともなガラスなど残っておらず、長い時間で割れたのか朽ちたのか、建物の内部は砂をかぶって酷い荒れようだった。


 だが、この最上階は様子が違う。


 緩やかな右曲線を描いた通路には嵌め殺しの分厚いガラスが連なっており、まるで展望回廊のようだった。

 眼下には、ビルの周辺に放置されていた自動車の屋根がミニチュア模型のようなサイズで確認できる。壁や柱などにもヒビはなく、下の階よりも明らかにに丈夫な造りになっていた。


「これは……当たりか」

 フィドの口がおもわず綻ぶ。この堅固なつくりに分厚いガラス。よほど貴重なものでなければこんな構造にしないだろう。


 そうなれば答えは一つ……あるのか?

 命を賭けて上ってくるだけの価値のあるものが!


 羨望のまなざしを回廊の奥に向け、足を進める。しかし、進んだ先は袋小路なっており、これ以上進むことはできなかった。

 だが、右を見ると金属製のいかにもな両開きの扉が待ち構えていた。扉の先は、ちょうど塔の中心部分へと通じているようだ。


 例のお宝はこの先か? 激しい運動と募る期待感も相まって、息づかいがは荒くなる。そしてついに両手を扉の取手にかけると、自分の方に引き寄せた。


 ガチャ……。

 金属が擦れる音が、心地よく鼓膜に響く。

 だが、


「……は?」

 と、すぐにフィドは間の抜けた声を出した。一瞬なにかの間違いかと思い、もう一度取手を引っぱる。


 しかし――開かない。試しに幾度も、全力で取手を引っぱってみるが扉はビクともしなかった。


「おい!どうなってんだ!」

 苛立ちのあまり拳槌を力いっぱい扉に打ちつける。そのとき、脇に埋め込まれたある装置を発見した。

 そこには細長い液晶画面の下に、縦と横三列に規則正しく1から9、そして0の数字が書き込まれたテンキー式のタッチパネルがあった。


 それを見つけた途端、全身から力が抜けてその場にへたり込む。

「……嘘だろ」


 暗証番号のロックセキュリティ。よく考えれば当たり前の話である。アキニがいったウワサの内容はこうだ。


『北の盆地にある荒廃塔の最上階には、手つかずの高性能のコンピュータが眠っている』。


 つまり、だれでも簡単に持ち出せるような仕掛けならば、そもそもウワサにすらならない――というわけだ。でなければ回収されてしまうだろう。そのウワサを流した者の手によって。


 おそらくは以前にも、何人かがここを訪れているのだ。塔の周辺に打ち捨てられていた車がそれを物語っている。

 数える程度だろうが、誰もがこの扉を開けようと試みたが、結局あきらめたか失敗に終わったか、もしくはあの野犬たちに……。


「ここまで来て、そりゃあないだろ」

 フィドが一際大きなため息を吐き出すと、再びあのアラート音が鳴り響いた。


「⁉︎」

 それはさきほど、自分を絶望の淵に叩き落としたものと同じ音だった。無機質な電子音が、狩りの時間が終わってないことを残酷に告げてくる。


 下にいた野犬どもが匂いを辿って来たのか? いや、あれだけ大騒ぎしながら駆けてきたのだ。通り過ぎた階層にいた他の仲間に気づかれてもおかしくない。


 体に汗で湿った服が張りついて気持ちが悪い。だが、気分が悪いのは、汗のせいだけではないことはわかっていた。やっと落ち着きかけていた心臓の鼓動がまた早くなる。


 ここはビルの最上階だ。逃げ場なんてどこにもない……。


 万事休す――か。いや、諦めるにはまだ早い。数で襲われたらどうにもならないが、来る場所がわかっていれば迎撃できるかもしれない。丸腰よりはマシなはずだ。


 だが、このときになって、フィドは自分が猟銃を持っていないことに気が付いた。一体いつ無くしたのか? どちらにしても探している時間はない。残るは――。


 脇のホルスターから9ミリ拳銃を取り出す。装弾数は5発。泣いても笑ってもこれですべて。

 正直心もとない。複数の野犬とやり合って五発で足りるわけがない。確実に迫りくる死の恐怖に、拳銃が小刻みに震え出す。


 この扉さえ開けば……。いても立ってもいられなくなり、半ばヤケクソになって扉の取手を乱暴に引っ張る。

「開け開け開けよ! 頼むから開いてくれ……くそっ!」


 ついには扉の腹に全力で蹴りをいれる。しかし、必死の抵抗も虚しく、扉はその口を閉ざしたまま、ピクリとも動かない。

 やがてフィドは手を放し、袋小路の壁に仕方なく背中を預けた。残された僅かな時間の中で、これまでの人生を振り返ることにしたのだ。


 殺し屋として生きることもできず、修理屋として稼ぐこともままならず、ついには一発逆転のチャンスにまですがった結果がこのざまだ。

 いや、これは罰なのか? 殺し屋に手を出してしまった時点で、俺の人生は取り返しのつかないことになっていたのかもしれない。


 そんなことを考えていると、眼前の通路に二匹。その後ろから、さらに四匹の野犬がゆっくりと迫って来ていた。剥き出した牙の隙間から、生温かい息とともに唾液が床に滴り落ちていく。


 俺一人相手に豪勢だな……下で殺した一匹の敵討ちか、それともせっかくの獲物を独り占めされたくないのか。

 弾を一発ずつ撃ちこんでも一匹余るな。本当に最後の最後まで運がない。それともこの場合は、運が良いのか?


 自分のために神様が気を利かせて、どうしようもない状況を用意してくれたのかもしれない。気のせいか、野犬の口元が吊りあがっているような気がした。

 それに釣られて、フィドも自嘲的な笑みを浮かべる。


「嬉しいのか? そうだよな……おまえたちにして見れば、俺は巣穴に迷いこんできた美味そうな子羊だ」


 それを聞いているのかいないのか、先頭の一匹が身を低くする。相手も殺す気十分なようだ。フィドはそんな野犬を挑発した。

「来いよ」


 その言葉を合図に、一匹が躊躇なく跳躍。同時にフィドも銃口を構えた。瞬間――すさまじい激突音とともに襲いかかった野犬が、荒廃塔の野外に弾き出される。

 前触れもなく襲来した爆音が、その場にいるすべての時間を数秒奪い去り、音の余韻が張りつめた空気を震わせた。


「……は?」

 あまりの出来事に言葉を失って呆然とする。今しがた、自分は死ぬ一歩手前だった。野犬に襲われ、喉笛を噛みちぎられて息絶えるはずだったのに。


 一体なにが起きた?


 どうにか現状を理解しようと視線を動かす。まず目に止まったのは、分厚いガラスで仕切られていた窓にできた巨大な穴だった。

 ついさっきまでこんな穴は空いていなかった。そこで――そうだ、と。あのとき、あの瞬間になにが起きたのかを思い出す。


 死を覚悟し、野犬が飛びかかったのと同時に、なにか板状の物体が左側から……すさまじい速さで野犬ごと窓ガラスを突き破っていったのだ。


 それを確認するために左を向くと、さきほどまで確かにあった〈もの〉が無くなっていた。今まで幾人もの来訪者の侵入を拒みつづけてきた堅牢な両開きの扉の――右側がなくなり、左側の扉がひん曲がっていたのだ。


 あのとき目にした板状の物体は、ここにあった〈扉の片割れ〉に違いない。だが、それを知ったからといって現状を理解したとは言えなかった。

 なぜ扉が吹き飛んだのだろうか? 火薬の爆発、電気系統の漏電? それとも時限爆弾でも仕掛けられていたのだろうか? さっきまで命の危険に晒されていたせいで、頭がおかしくなりそうだった。


 そのとき、視界にゆっくりと動きを見せるものが映る。全身の毛を逆立たせて歯を剥き出し、低い唸り声をあげる獣。それは――残り五匹の野犬だった。


 まだ命の危険は去っていない。仲間をまた一匹殺されたことで、先ほどは感じられなかった怒りの感情が嫌でも伝わってくるようだ。

 もうさっきのような偶然は起こらないだろう。もういい加減覚悟を決めなければ。フィドはもう一度野犬を見据えて、拳銃を力強く握り直す。


 しかし、そこである異変に気がつく。


 野犬は確かに怒っていた。が、毛を逆立たせて唸るだけで、一向に襲いかかってくる気配がない。むしろ体制を低くして怯えているようにも見えた。


「なんだ? 何にビビッて――」

 最後まで言うまえに、視界の端になにかが見えた。なんだ? と野犬が見据えている先、自分のすぐ左側に視線を動かす。

 そして、目を見開いた。そこには、今までいなかったはずの人物が黙然と立っていたのだ。


 彼は野犬を刺激しないよう、目だけでその姿を観察した。頭には灰色に光るフルフェイスのヘルメット、服は張りついた布切れが折り重なったような実に奇妙な素材で身を包み、そこから伸びる両手両足は細くしなやかだった。


 服からは、水滴がポタポタと流れ落ちている。なぜか水で濡れているらしい。右手には、細長い棒状の包みが握られていた。その場から微動だにせず、沈黙を続けている正体不明の人物を凝視する。


 なんだこいつ……どこから出てきた?

 さっきも爆発はこいつの仕業なのか?


 混乱した頭が疑問符ばかりを叩き出し、思考がまったくまとまらない。ヘルメットの人物は、そんな彼にゆっくりと顔を向けた。

 その中は靄がかかったように曇っていて、まったく表情が読めない上に、男か女かすら判らない。


 しばらく沈黙が続くと、怪人はついに言葉を発した。

「助けてあげましょうか?」


「……は?」

 まるでボイスチェンジャーでも使っているような濁った声だった。しかし、その言葉ははっきりと聞き取ることができた。

 が、フィドは困惑を隠せなかった。さっきは混乱してごちゃごちゃだった頭が、今度は逆に真っ白になる。


「もう一度いいます。困っているのなら、助けてあげましょうか?」

 ヘルメット越しに再度、濁った声で告げられた。


「た、助けて……くれる、のか?」


 信じられなかった。嘘だと思った。今、確かに言われた。

 助ける――と。奇跡に二度はない。そう思っていた自分の心の消えかけていた炎が、ほんの少しだけ激しくなった。


 藁にもすがる、とはこの事だ。

 この現状から逃げ出せるのなら、

 会ったばかりの正体不明の人物にフィドは望んだ。


「頼む」

 願った。

「ここから」

 死にたくない、と。

「俺をここから、連れ出してくれっ!」

 心からの叫びを告げたのだった。


「わかりました。目を閉じていなさい」

 その言葉に情けないことに涙が溢れ出し、おもわず目頭を押さえた。自分がここまで涙もろいとは思わなかった。だが、どうでもいい。今は命が助かることを素直に喜ぼう、と心の底からそう思った。


 しかし――次に目を開けたとき、自分の体はその意志とは関係なく、六十メートル以上あるビルの最上階から地面に向かって落下していた。

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