殺し屋だった男
西暦二〇五九年 三月一日。
オーストランド大陸北部。商工都市ウォンドンより西に六十キロ地点の町モルビット。肌寒い曇天の空の下、一人の男が路地に停めた幌付きのトラックの荷台で、銃の修理をしていた。
歳は二十代半ば、目が隠れてしまいそうな髪、口元には無精ひげを生やしている。よれよれの作業着の下、デニム生地のジーンズの膝には大きな穴が空いて、防寒着としての役割をほとんど果たしていない。
外の冷えこみは無視できないほどだったが、そんなことは気にもとめずに男は手だけを黙々と動かす。荷台部分に設けられたスペースには、男が座っている簡素な椅子と作業机、修理に必要な工具と機材が乱雑に詰めこまれている。
その男――フィドは、オーバーホールを終えた銃を慣れた手つきで組み立てていく。
いかつい見た目とは裏腹に銃とはデリケートな道具である。撃ったまま放置しておくと火薬のガスや手の油などの影響ですぐに錆びて、使いものにならなくなる。
作業中、かつて修理技術を教え込んできた男の言葉を思い出す。不愛想な仕事人間だったが、説教をたれるときだけは固く結われた口がよく動いていたものだ。
『商売ってのは客がいて初めて成り立つもんだ。それがどんなろくでなし野郎でも〈金を払ってくれる〉のならそれは客だ。そこだけは感謝しろ。金を払ってくれることへの誠意だけは忘れるな。だから俺らは、商売ができるんだからな』
思い返し、鼻で笑った。銃は撃てなくなったらただの鉄の塊である。いざという時に使えません、じゃあ話にならない代物だ。そうさせないため、使い手はオーバーホールを行うのだ。銃を分解し、機関部内にたまった汚れを掃除する。
ある意味これは、銃撃つために必要不可欠な儀式といっていい。どれほど優れた銃でも、これをやらなければただの鈍器と変わらない。
しかし、どんなことでも〈やる人間〉と〈やらない人間〉がいるのが世の常だ。修理屋というのは、その後者を選んだ者の代わりに面倒な儀式の代行をする仕事なのだ。
故に金は、両者を繋ぐ重要なパイプである。それは分かる。だが、男の言葉がすべて正しいとは、フィドにはどうしても思えなかった。最初のほうは理解できる。金を払う者がいなければ、商売なんて成立しないのだから。
だとしても――だ。だから客を感謝しろ、というのは納得できない。そうだろう? 面倒事を押しつけてくる相手になにを言う。
金はそれに対するただの謝礼であり、やりたくないことを肩代わりしてやった見返りにすぎない。生きるためには金がいる。だから仕方なく、こんなことをやっているのだ。
そんな連中のことを〈感謝しろ〉だなんていう男の考え方を、フィドは楽天的とすら思った。
「おい修理屋、いるか?」
そのとき、トラックの外から低い声がした。おそらく今組み上がった、銃の修理を依頼してきた男だろう。
銃を手に椅子から立ち上がり、荷台から顔を出す。予想通り、外には依頼客である迷彩柄のコンバットシャツを着た、ずんぐりとした体格の男が仁王立ちしていた。
「よう新参。ちゃんと出来てんだろうな?」
小言を聞き流し、荷台から降りる。この手のイヤミには慣れている。下手に言い返せば、相手の機嫌をそこねることは目に見えているので、右から左に聞き流すのが基本である。
こういう輩は相手が反抗的と見るや途端にキレて、料金を負けろだのと騒ぎ出すのだから質が悪いのだ。あくまで心はドライでなければ。故にフィドはこれ以上なにか言われる前に、銃をさっさと男に手渡した。
「全体的にサビが酷いし、フレームも歪んでた。ずいぶんと扱いが手荒いな。銃身が汚れているとスタック(空薬莢が銃身にはまって抜けなくなること)しやすくなるから、もう少し小まめに掃除を――」
そこでしゃべるのを中断した。男がまったく話を聞いていないことに気づいたのだ。迷彩柄の視線は関係のない方向を向き、足がじれったそうに貧乏ゆすりをしている。
(……そうだった)
心の中でため息をつく。メンテナンスをしない連中は〈銃なんて撃てればいい〉と思っている人間がほとんどである。
この手合いに故障理由を聞かせたところで意味はない。先ほどの自分のように、あっさり聞き流されるのがオチである。
この男が気にしているのは銃が直ったかどうかだけで、故障理由なんて知りたいとも思っていないのだ。
「で、代金はいくらだ?」と迷彩柄が訊く。
「……ざっと五千ってとこだ」
計算した代金を告げてやる。妥当な値段だと思った。酷かったのは事実なのだ。これぐらい取ってもバチは当たらないだろう。
そんなことを考えていると突如、衝撃が走った。
「!?」
予想もしなかった衝撃に体が傾き、路地のアスファルトに勢いよく叩きつけられる。すると上から、この程度で五千とか舐めてんのか? と迷彩柄の声。
フィドは頬の鈍痛から、自分が殴られたことをようやく自覚した。食らったのは体重の乗った強烈な右ストレートだ。そんなもの、武術の心得などない彼に避けられるわけがなかった。
痛みに悶えていると、
「新顔の分際でデカくでたもんだ。だが、踏み倒すのは悪いよなあ? ちょうど持ち合わせがこれしかねえから、遠慮はいらねぇぞ」
そういって男は一枚のコインを放り投げる。それはゆっくりと弧を描くと、横たわるフィドの頭に当たってアスファルトに甲高い音を立てて落下した。
(ふざけるな……っ)
痛みを堪えて、なんとか首を持ち上げる。しかし、すでに迷彩柄の姿はなく、聞こえてくるのは大通りの喧騒と車が走り去る音だけだった。
完全にやられた。これじゃあ遠出してまでこの町に来た意味がない。たまらず「ちくしょう」と吐き捨てる。
だが、その怒りもすぐに鳴りを潜め、代わりに訪れたものはどうしようもない焦燥感だった。
「オヤジよぉ。あんな奴でも感謝しろってのか?」
アスファルトに手を突き、起きながら吐き捨てる。そのとき、手がなにか違う感触を捉えた。どけて見ると、それは一枚のコインだった。
精巧な模様の中心には〈100〉という数字が刻まれている。間違いない。これは去りぎわに迷彩柄が置いていったものだろう。
「…………」
いくら慣れたとはいえ、この稼業も楽ではない。限られた材料と、客から指定された時間を計算して、なんとか仕事を続けているのだ。その見返りがたったこれだけ――なんて様だ。
ふと脳裏に逃げた男の、あの人を見下したような顔が通りすぎ、忘れていた怒りが再び舞い戻ってくる。
「……っ!」
勢い右手でコインを掴むと、湧きあがった怒りにまかせて拳を振り上げる。すると、
「あんた、ツイてなかったねえ」
後ろから声がした。
振り返ると、路地の暗がりから一人の男が現れた。猫背ぎみに歩く姿からはじめは老人かと思ったが、距離が近づくとまだそこまで老けていないようだ。
年齢は五、六十代ぐらいか。陰気な雰囲気を漂わせた男は、こちらの反応など気にもかけず口を動かす。
「さっきの男は解体屋だ。新顔の修理屋を見つけると、ああやって代金を踏み倒してすぐに居なくなっちまう。わりと有名な奴なんだが……覚えているかぎり、あんたは四人目の被害者だ」
「……」
男を無視してフィドは立ち上がる。コインはまだ手の中だ。
「俺は情報屋のアキニってんだが。どうだい? あんた気晴らしに俺から買わないか?」
「そんな金はない」
服のホコリを払いながら即答する。そういきり立つなよ、と猫背の男はたしなめるように言う。
「これは情報なんてたいしたものじゃない。俺が売りたいのはただのウワサ話さ」
なんともしつこい男だ。金がないと言っているのに。こりずに話しかけてくるアキニと名乗った男を仕方なく一瞥した。
観察すると、彼は貧相な顔に似合わない小綺麗な羊毛のコートを着ていた。それなりに金回りのいい商売でもしているのか。どうにも読めない男である。
「情報屋がウワサを売るのか?」
興味本位で訊いてみる。
「手広くやらせてもらっているからね。ウワサだろうと貴重な商品の一つさ。それでどうする? 流行りのウワサ……そうだね。コイン一枚、100ボッツでどうだ?」
その言葉に内心で驚いた。男の口ぶりから一部始終を見ていたようだが、迷彩柄が気まぐれに残した金額までわかるものだろうか? それともただの偶然か……。
手中のコインに目を落とす。たいした額ではない。ましてあの男が置いていった金を持ってるだけで、腹わたが煮えくり返る思いなのだ。
さっきだって声を掛けられなければ、地面に叩きつけてやろうとしていたところだ。
訝しむような視線を送ると、自称・情報屋は不敵な笑みを崩さずこちらを見ていた。まるで『もう答えは分かっている』とでも言いたげな顔である。
気に食わないが、どうやら利害は一致している。フィドはもう一度コインを握り直すと、男に向かって投げ渡した。
コインは宙をくるくると回りながら、両手を器のようにしたアキニのもとへと落ちていく。それを待つ彼の口もとは、まるで三日月のようだった。
「まいどあり」
そういって男は、その〈ウワサ〉とやらを語りはじめた。
:::
地球がこの宇宙に誕生して以降、生物の多様性を測定できる化石記録が存在する過去五億年のあいだに、人類は解っているだけでも、およそ五回の大量絶滅とそれと同じ回数、小規模な絶滅が起こっていたことを突き止めることに成功している。
学者たちは、そうした大規模な生物の初期化作業ともいうべき現象を〈大絶滅〉と呼称した。
それらの原因の大半は、大規模な火山活動によるものがほとんどだったが、その他の可能性として、もっとも有力なものの中には〈巨大な隕石の衝突〉があり、それにはかなりの確証が得られていたという。
そして――それはある日、現実のものとなった。
今からおよそ十七年前――西暦2042年。人類が築き上げてきた文明社会は、宇宙の彼方から飛来した隕石によって瓦解した。後に生き残った人々は、その未曽有の大災害を
死に年(42年)。
悪魔が生まれた日(The day the devil was born)。
死が降る夜(Noctem mortem cadit)。
これら様々な言葉で表現したが、どれもその壮絶さを物語るには及ばなかった。
地に足を一歩踏み出す。
それは人が歩くために行う、自然な一動作である。特別な意味などない。しかし、考えて見てほしい。人にとっては気にも留めない動きでも、地を這う昆虫たちにとってはどうか?
まさに大地を揺るがす巨人の行進とも呼べるものに変貌する。そして、この大災害において、人間とはこの昆虫たちに等しかった。
意味などないのだ。そこに偶々地球があったから隕石は落ち、そこに偶然人間という種が繁栄していたけれど、隕石は構わず吹き飛ばした。その莫大な質量にものを言わせて、地上の大半を台無しにしたのだ。
そうやって人間たちの生活は実にあっけなく、無意味な破壊によって破滅を迎えた。
:::
町を出たフィドは、東に向かって車を走らせていた。薄汚れたフロントガラスから見える景色には、目新しい物は見られない。
空には分厚い雲が漂い、それが見下ろす大地には砂まみれのガラクタたちが規則性もなく散らばっている。
点在する植物も葉を茂らせるものは僅かで、華奢な枝だけを伸ばしているのを見た人々は口々にこう呟く。
「空は濁り、大地は死んでしまったのだ」と。
確かにそうだ。間違ったことは言っていない。だが勘違いしないでほしい。これでもマシな方なのだ。彼の隕石が堕ちた場所――北半球の爆心地はもっと酷い。
これは想像でしかないが、北に広がる大陸も、そこで暮らしていた億を超える人々も、もう存在してはないだろう。何故そんなことが言えるのかって? この17年もの歳月で、誰も北から海を越えてきた者がいないからだ。
考えて見て欲しい。仮に爆心地から一番離れた核シェルターに生存者が居たとして、災害によって破壊し尽くされた大地では、食料なんて手に入るわけがない。人的支援も期待できないとなれば、生き延びるなんてまず不可能だ。
そんなこんなで現存している人類は、この残された死に行く大地の上で、衰退の一途を辿っている。いや、漠然とそう思うだけで、実際のところはわからない。が、少なくとも良くなってはいないだろう。本当に最悪だ。
そんなことを考えながら、右手首に巻いた一見すると腕時計にも見える機械に視線を移した。
バイオメータ。
それは〈生物としてエネルギーを持った存在〉のみを対象に、半径4キロメートル以内にいる目標のおおまかな位置を表示する装置だった。
雑踏ひしめく町中で使ってもなんの役には立たない代物だが、今のような誰もいない荒野を行動するときなどには、非常に重宝する装置である。
なんでも数年前に、今やこの大陸の根幹を担っている最大手企業〈バイオノード〉で開発された代物だというが――。
どこの誰が考えたのか知らないが、たいした発明である。これのおかげで何度命を拾ったのかは分からない。
いくらこの道が安全圏とはいえ、遭遇率を完全にゼロにすることは不可能なのだ。これさえがあれば、たとえ視界に映っていなくてとも、いち早く〈あいつら〉の存在を察知できる。
そうあいつらだ。散らばるガラクタの元の主。最悪を最悪たら占める要因の一つである。
「?」
そのとき、左手にそびえる山脈の隙間に塔のような人工物が見えた。それを眺めながらフィドは、聞いたばかりのウワサ話を思い出す。
:::
「荒廃塔を知っているかい?」
その質問から、アキニの語りははじまった。
「モルビットの北にある山脈、それに囲まれた盆地にあるのがそれだ。あんたの住処は……ウォンドンか。なら調度いい。帰るときにでも遠目で見えるだろうさ。
さあ、ここからが本題だ。なんと、その塔の最上階には〈手つかずの高性能のコンピュータ端末が眠っている〉って話しだ。
今じゃあコンピュータなんて過去の産物、なかなかお目にかかれないからね。使っているのは機壊師団の連中か、バイオノード系列か、腕のいい情報屋ぐらいなものさ。
なんせ使えないところの無い技術資源の塊だからね。欲しがる連中はいくらでもいる。スクラッパーに売り込むってのも十分ありだ。
どうだい、夢があるだろう? まあ〈手に入れば〉の話しだけどね。そんな話しが今、町中で実しやかに流れてるんだ。一体どこの誰が流したかは、俺の知るところじゃあないけれどね――」
:::
そういって自称・情報屋は、そそくさとその姿を路地の奥に消し去った。なんとも最初から最後までうさんくさい男である。
肝心のウワサの内容も、生まれていないヒヨコの数を数えているようなもので、それこそ町の連中は『もしも大金を手に入れたら何に使いたいですか?』と聞かれて、叶いもしない妄想に浮かれて、エネルギーを使っているに過ぎなかった。
肩透かしもいいところだ。だがしかし、状態の良いコンピュータ端末。それが手に入れば、いい稼ぎになるのは事実だ。
売りさばけば当面の生活が潤う。ちまちまと〈あいつら〉の残骸を探し回って、部品を使い回す必要もなくなる。もう二度と……殺し屋なんかに手を出す必要もなくなるかもしれない。
今のご時世、殺し屋やヒットマンという職業は、決して映画や小説の中だけの存在ではない。
しかし、そんな世界で生きる上で、自分はどうやら落第生だったらしい。そのことにフィドは、殺し屋を志したあとになって気づかされてしまったのだ。
自分には、人間が撃てないということに。
それは自分の意志では、どうすることもできないことだった。人に銃口を向けて標準を合わせると、引き金にかけた指がその意志に逆らうかのように震えが止まらなくなってしまうのだ。
だったら標的を見なければいいとか昔はバカみたいなことも考えたが、目をつむったまま銃を撃つだなんて、自分には夢のまた夢だった。
結局フィドの殺し屋としての仕事は、そうして終わりを迎えることになった。直接的にひとりの命も奪うこともなく。
それから仕方なくはじめた修理屋家業だったが、現実はやはり甘くはなく今日のように料金を踏み倒されることは珍しくなかった。
毎日のように働いても働いても、まったく苦労が報われない。そんな毎日に苛立つばかりだが、生きていくのに金が必要である以上、フィドはこの仕事を放りだしてしまうことがどうしても出来なかった。
だからだろうか――とても魅力的に見えてしまったのだ。
そのウワサの内容が。どうしようもなく。
ブレーキを踏んで車を停車させ、左に視線を向ける。窓越しに例の建造物の先端を見ることができた。殴られた頬はまだじんじんと熱を持っている。
あのときの痛みを思い出す度に、胸の奥がどうしようもない焦燥感で満たされていく。フィドは拳を固く握りしめると、山間からこちらを見下している塔を睨んだ。
「……」
きっとあそこは危険区域に違いない。バイオメータに反応があったらすぐに引き返そう。大丈夫だ。退路はちゃんとあるじゃないか。大丈夫……大丈夫だ。
そうやって自分にいい聞かせながら、遥か遠くにそびえる打ち捨てられた塔に向かって、彼は車のハンドルを切った。