颱風(上)
本日2話更新。
屋敷から出れば、十歩も進まない内にずぶ濡れだ。
横殴りに叩き付けられる雨に顔をしかめながら、セツは先導する烏の後を追う。
(俺だけずぶ濡れ……)
何らかの術によるものか、あるいは式神とはそういうものだからか。
全く濡れる様子のない烏に、ズルいと恨めしげな視線を送るが、それで彼に叩き付けられる雨が和らいだりはしない。
仕方なく、水の滴る頭を振って、セツは道世との合流場所を目指して走る。
七条大路から西洞院大路へ。
さらに大路を下っていけば、程なくして八条大路との辻に差し掛かり――
「…………っ!」
「――やあ、来ましたね」
辻の真ん中に鎮座していたソレに、セツは目を丸くした。
傍らから掛けられた声に顔を向ければ、飄々と笑う陰陽師の姿。
この京に少年を誘った彼は、いつもと変わらぬ様子でそこに立っていた。
「なんで濡れてないんですか?」
「…………この状況でそんな問いが出てくるあたり、意外と余裕はあるみたいですね」
セツの第一声に、道世の笑みが微苦笑に切り替わる。
他に言うべきことがあるだろうと、その目が語っているが、セツからすれば最初に思ったことがソレなのだから仕方がない。
川でも泳いできたのかという有様なセツに対し、道世は普段のままだ。
今も横殴りに叩き付けられるはずの雨粒が、彼を避けて通っているを見て取って、セツは思う。
「それ、ズルくないですか?」
「ははは。まあ、そう言わないで――」
肩を竦めて笑った道世が、何事か小さく囁く。
直後、真夏に吹くような熱風を顔に受け、セツはわっと声を上げた。
「――っ、なに……を?」
言葉が尻すぼみになったのは、雨に打たれる感触が唐突に消えたからだ。
同時に、ぐしょぐしょになっていた着物が軽くなる。
その異変に目を瞬かせたセツの反応に、道世が笑った。
「雨避けと乾燥の術です。神気吹き荒れるこの嵐では、あまり長くは保ちませんが」
「ありがとう、ございます」
「さて、それでは本題に入りましょうか」
道世の視線が、辻の真ん中へと向けられる。
そこに鎮座していたのは、一台の汽車だ。
上京初日に目撃して以来、未だに使う機会がない憧れの乗り物。見間違えるものではない。
幅一丈、長さ八丈、屋根までの高さは一丈半。
妙に立派な、瓦葺きの屋根を備えた“自走する家屋”――普段、悠々と洛中を巡っているその雄姿は、この嵐の中にあっても健在だった。
もっとも、今は普段目にする姿と若干異なっていたが。
「屋根の上に、載せているのは――」
「ええ。“太郎坊”です」
台座のようなものが据えられた汽車の屋根。
そこに載せられている物を見上げるセツに、道世がうなずいた。
そこにあるのは、昼間、自身が墜落させた飛行機械の姿だった。
(……折れた羽はすでに修復されている、けど)
舟体の歪みまで直っているワケではない。
そんなセツの気づきを肯定するように、道世がため息混じりに口を開いた
「邪道ではありますが、術で羽や舟体の強度を引上げています。もう少し時間があれば、術に頼らずに何とかしたのですが」
「……ははぁ」
不満そうな口調に、セツは内心で首を傾げた。
術で何とか出来るのなら、わざわざ他の手段を用いる必要もない気がするのだが、何かこだわりがあるのだろう。
下手に触れると長くなりそうなので、セツは話を先に進めることにした。
つまり。
「どうして“太郎坊”を汽車の上に?」
「“太郎坊”が飛行するためには、ある程度の助走――速度を稼ぐ必要があります。普段は水面を滑走することで対応しているわけですが」
「……嵐の中だと、川が使えない?」
「そのとおり。ならばどうするかという話ですが――」
道世は汽車へと足を進める。
その壁面に立てかけられた梯子に手を掛けながら、彼は笑った。
「走る汽車の上に載せれば、必要な速度は稼げる計算ですね」
「……なるほど」
道理だとうなずいて、彼の後を追う。
ふと、セツは首を傾げた。
「洛中を“太郎坊”で飛ぶのは――」
「緊急事態ということで、お許しが出ています。宮城の上は流石に許されませんが……」
特別扱い、ということらしい。
それは、汽車の使用についても同様だ。
当たり前の話だが、嵐吹き荒れる状況で汽車を走らせるということは通常あり得ない。
大雨によって蒸気管が水没し、都市機能が軒並み停止している中、優先的に蒸気を供給された汽車。
それを動かすため、蒸気筒や駆動部、あるいは軌条の点検に勤しんでいる者たちを見て、セツはポツリと呟いた。
「……何だかすごく優遇されているような」
「龍神を鎮めるための要は、我々ですから」
「……そうか。そうですね」
道世の言葉に、薪を掴んだ手が止まった。
気を取り直すように一つ深呼吸。薪を火室に投じる。
道世の火呪を受けて炎が爆ぜる。
その音を背に、セツはもう一度、汽車の周囲で作業をしている男たちを見つめた。
「…………」
龍神を鎮めるためには、五夜の存在が要となる。
その五夜を見つけ、龍神の許へと送り届けるためには、こちらも“太郎坊”で空を飛ぶ必要がある。
だから、“太郎坊”を飛ばすため、今、これだけの支援を受けている。
(徹さまの命を拒否して、俺はどうするつもりだったのか)
一人で何とか出来るつもりだったのか。
視線を動かせば、道世の背中が目に映る。
何も考えずに、勢いだけで動こうとしていた自分。それを止めて、道先を示してくれた陰陽師を見つめ、セツは小さく頭を下げた。
「陰陽師殿! こちらは準備完了です!」
「それでは、発車してください!!」
作業員に、道世が大声で合図を出す。
汽車が動き始めた。
嵐をものともせず、重い車体が前進――加速を始める。
合わせるように、“太郎坊”が二対四枚の羽を駆動。
荒れ狂う風を掴んで、前羽、後羽が交互に羽ばたく。
両者は、急速に速度を増していき――
「――――離陸します」
嵐の空へと、“太郎坊”は力強く飛び立った。




