訪れる嵐(四)
天高く打ち上がった屋根の破片。
それを見て、セツは呆然とする五夜の手を引いて後ろに下がった。
少し遅れて、目の前に残骸が落ちてくる。
「……何が」
どうやら、梁の一部らしい。
柱のように地面に突き立った折れ木を見て、セツは呻き声を上げた。
視線を戻せば、屋根を失った母屋の姿。
元々、半壊の様相を呈していた建物だったが、もはや修復するより建て直した方が早いだろう。
そして、破壊の中心には“大鉄牛”が佇んでいた。
「ああ……そういうことか」
その姿を見て、セツは爆発の原因を悟る。
鋼の牛は、背中が無くなっていた。
割り開かれたかのように装甲が吹き飛んで、代わりに針山のように無数の鉄管が飛び出している。
それは、以前目にした蒸気船の残骸によく似ていた。
もっとも、牛の形を模しているせいか、“臓腑をぶち撒けられたような”という印象は、こちらの方がずっと強い。
「蒸気機関が爆発したのか」
武士たちが、“大鉄牛”の背にある蒸気の噴射口を潰していたことを思い出す。
安全弁の類も全て潰した結果、圧力を逃がすことが出来ず、限界を超えて爆発したのだろう。
それだけで、あれほどの威力になるのかとも思うが――
「どうして」
「五夜?」
そんな彼の思考は、五夜の震える声に中断された。
そこに込められた響きに、尋常でない何かを感じ、セツは思わず彼女の顔を窺う。
五夜は、目を見開いて“大鉄牛”を見つめていた。
(……いや、違う)
彼女の瞳が捉えているのは、別のものだ。
セツに視えない何かを見つめ、彼女は真っ青な顔で首を横に振る。
「うそ……どうし、て」
「どうした?」
こちらの声が聞こえていない。
動揺に瞳を揺らし、掠れた声で彼女は何事かを呟いた。
直後。
「――――ッ!?」
突如、視界が真っ白に染まり、同時に爆音が耳をつんざく。
それは、雷鳴だった。ならば、目を灼いたのは、稲妻の閃きか。
視界が戻ってくる。
そして、それを目にした。
漆黒の龍。
墨で染まったような闇色の鱗を逆立たせ、狂ったように暴れる巨体。
それが、“大鉄牛”の裡から生えていた。
「何だあれは……」
天に向かってのたうつ龍蛇。
その姿を見て、セツは呻き声を上げた。
いや、正体は分かっている。五夜の囁くような悲鳴を耳にしていたからだ。
――おとうさま。
彼女はそう口にした。
信じられない思いで、セツは狂乱する龍を見つめる。
(あれが、五夜の父親?)
そこに理性の色は無い。
辺りを押し潰すのは、昏く淀んだ気配――鬼気などよりも余程にセツの精神を削るソレは、もはや瘴気とでもいうべきものだった。
半ば実態化している瘴気が、触手のように蠢く。
その様は、大市廊に現れた化け蛇などより遙かにおぞましい。
祟り神。
そんな言葉がセツの脳裏を過る。
「――――ッ!!」
轟音が鳴り響いた。同時に閃光が走る。
その光に灼かれ、周囲にあった鉄管が尽く溶け落ちた。
身に触れるソレを、黒龍が邪魔だとばかりに払い除ける。
そして、そのまま天に向かって飛び立とうとし――突然、“大鉄牛”の内側から伸びてきた赤い鎖に囚われた。
炎で編み上げられた戒めが、龍身を灼きながら締め上げる。
「お父さま!?」
「……何なんだ、一体」
黒龍が身をよじり、再び閃光が爆裂した。
“大鉄牛”を中心に、暴風が吹き荒れる。咄嗟に五夜を庇い、セツは吹き飛ばされないよう身を低くする。
雷光に灼かれた視界が戻り、顔を上げると――
「飛んで……」
黒龍は、すでに戒めを振りほどいていた。
天へと飛び立ったその姿を見つめ、五夜がふらりと身を揺らす。
「五夜!」
慌ててその身体を支える。
すがりつくように、セツの衣を少女の細指が掴んだ。
泣きそうな顔を隠しもせず、五夜が口を開く。
「私……追わないと、でも」
崩れ落ちそうな声。
無理もない。セツは、彼女を支える腕に力を込める。
たった一人で京に乗り込んで、見つからない手掛かりを探して何日も過ごして来たのだ。
それが、こんなカタチで再会すれば混乱もするだろう。
しかも、ようやく見えた父親は、彼女に気づきもせずに目の前から立ち去った。
その絶望は、どれほどだろうか。
(それでも、ようやく見つけたんだ。後は追いかければ――)
そこまで考えて、セツは息を止めた。
まさか、と思う。そして、彼女ならそうだろうとも。
五夜が、今、こうして心折れそうになっているのは――
「…………」
ふと、少女の指が目に入った。
赤く腫れて、水疱の出来た――真新しい火傷の痕。
「大丈夫だ」
「……え?」
そっと、セツは彼女から身を離す。震えるその手を、壊れ物を扱うように両手で包み込んだ。
手当をしてやりたいが、その時間はない。
「大丈夫」
「セツ……?」
間近で少女の瞳を見つめる。
言い聞かせるように、努めて穏やかに、セツは続けた。
「義家殿は、あんなことで死ぬような人じゃない。あの鬼を倒す算段はすでに付いている。だから、大丈夫」
――自分たちを放り出して、龍を追いかけて良いのだと、彼は彼女に告げる。
物言いはキツいくせに、いつだって己を後回しにする優しい少女。
損な性分。致命的なまでに争い事に向いていない。
そんな彼女の額に、セツは己の額を触れさせた。
「こっちのことは気にするな。すぐに片して追いかける」
間近で揺れる少女の瞳を見つめ、セツは力強く言葉を口にした。
「行け。そのために、京に来たのだろう」
「――はい」
五夜の瞳に力が戻る。
それを見て、セツは彼女から離れた。
――伝えるべきは伝えた。もう話すことはない。
だから、彼は首のない鬼へと向き直る。
軽い足音が遠ざかっていくのを聞きながら、太刀を構えた。
「アアアアアア――――!!」
「うるさい」
吹き荒れる風が、煤煙を吹き飛ばしたせいだろうか。
ずいぶんと離れているのにもかかわらず、赤鬼がこちらを捕捉した。
大太刀を振りかざし、一気に間合いを詰めてくる。
その姿を冷たく見据えながら、セツは吐き捨てるように悪態を吐いた。
「いい加減、しつこい。こっちは急いでいるんだから――」
――疾く去ね。
口にすると同時、胸の裡に炎が灯る。
それは、怒りであった。そして、焦りでもある。
際限なく膨れ上がっていく圧力に押されて、セツは咆吼した。
「アアアアアアアア――――ッ!!」
鬼の咆吼をも掻き消す大音声。
振り下ろされる大太刀の前に踏み込んで、迎え撃つように刃を斬り上げる。
感情を大量に抱え、爆裂するように膨れ上がった意志が剣気を形作る。
手にした太刀が、蒼い輝きを放った。
「――――――!?」
斜めに斬線が走る。
半ばで断たれ、虚空を舞う大太刀。
鬼が、慌てた様子で下がろうとするが、セツの踏み込みの方が疾い。
手首を返し、振り上げた刃を袈裟斬りに叩き付ける。
神速の二連撃。
その二撃目が、鬼の肩口に吸い込まれた。
斬鉄の太刀は、背に負った箱ごと鬼の身体を斜めに断割する。
そして。
「――――ぁ?」
刃が箱の中にあった蒸気筒を傷付けたのか。
セツは、間近で生まれた爆発に吹き飛ばされていた。
衝撃に、天地が回る。焦りのあまり、致命的にしくじったのだと自覚した時には、もはや意識の大半が白く染まっていた。
踏み止まれない。
(……ま、だ)
遠く、雷鳴が轟いて、暴風が吹き荒れる。
倒れ伏したセツの顔に、ポツリポツリと空から雨が落ちてきて、それはあっという間に土砂降りとなった。
――平安京に、嵐が訪れた。




