訪れる嵐(二)
唸りを上げて、巨大な刃が薙ぎ払われる。
その斬撃を跪くように低くした身で掻い潜り、セツは小さく鼻を鳴らした。
(確かに威力は凄まじい)
頭上を流れる刃風に背筋が寒くなる。
よくこれを空中で捌いたものだと、彼は義家の技量を賞賛した。
賞賛しながら、呼気を放つ。
「ハッ!」
下方から上方へ。
身を起こす勢いを乗せて、逆袈裟の一閃を打ち放つ。
大太刀を振り抜いた直後だ。赤鬼の反応が一呼吸遅れる。
その身がまとう赤染めの装甲を、神威宿す白刃が捉え――
――火花が散る。
舞い散る橙の粉は、まるで血しぶきのようだった。
焦げたような臭いが辺りを漂う。しかし、セツは舌打ちをした。
(浅かったか)
斬撃は、装甲の表面を削っただけだ。
深手どころか、鎧の内側にさえ届いていない。
そして、二の太刀は間に合わない。
蒸気の噴射によって遠間に逃げた鬼に、セツは小さく息をついた。
「面倒な」
先ほどから、この繰り返しだ。
向こうの攻撃は、下手に受ければそのまま両断されかねず、こちらの刃は装甲と機動力に阻まれて届かない。
「さすがは機巧甲冑といったところか」
「ああ。やはり、あれが機巧甲冑ですか」
そうだろうなとは思っていたものの、確信を持てなかった事柄。
それを近くに寄ってきた義家の言葉で確定されて、セツの声に興味深げな色が宿る。
「うん? 見るのは初めてか?」
「はい。どういうものか、ということは聞いておりましたが、目にする機会はありませんでしたので」
――機巧甲冑。
人間に鬼の如き剛力を与える機巧兵器。
その言葉を胸中で呟きながら、セツは対峙する鋼の人型を見つめる。
全身を覆う装甲の下には、特殊な織り方で気密性と伸縮性を持たせた布袋が何十、何百と据えられているという。
『要は、蒸気の出入りによって伸縮する人工筋肉ですね』
『ははぁ』
以前、そんなやり取りを道世とした記憶がある。
その人工筋肉の働きを、背中の箱から伸びる鋼の肢――汽車や鉄牛などの各種蒸気機関と同様、蒸気圧を利用して駆動する機巧が支援するのだとか。
(蒸気噴射で高速移動するという話は、道世さまも仰らなかったな)
碩学の陰陽師とて、全てを知っているわけではないらしい。
後で教えてあげよう。どんな顔をするだろうかと、セツは内心で笑う。
「まったく、厄介なことだな」
「はい」
もう少し人数がいれば、追い立てることも出来るだろうが、二人では囲みを作っても簡単に破られてしまう。
苦笑交じりにぼやく義家にうなずいて、セツは調息を終えた。
(五夜の稲妻なら捉えられるだろうが……)
必要ないと彼は頭を振る。
先ほどから五夜の視線を感じるが、今回、セツは彼女に頼るつもりはない。
正体が義家に露見した時、彼の反応が分からないというのも理由の一つだが、そもそも必要がないと考えているからだ。
「確かに厄介ですが――」
セツは思う。
あの剛力と機動力は確かに脅威だ。
しかし。
威力は凄まじいが、単純で大振りな太刀筋。
装甲頼りで、ろくに回避をしない防御。
それで危なくなれば、推力に任せて強引に離脱。
そんな鬼の戦い振りに、セツが抱いた印象は――
「動きが雑」
呟いた言葉が、期せず義家のものと重なった。
綺麗に合わさった声に、セツの目が点になる。
思わず鬼から視線を逸らし、傍らを見そうになるのを何とか堪え、代わりにセツは小さく笑った。
「はは! 何だ、セツも同じ印象か!!」
「はい」
愉快に思ったのは、義家も同じだったらしい。
噴き出すような笑い声。緊張で強ばった身体をほぐすように、あるいは高まりすぎた内圧を下げるように、彼は声とともに大きく息を吐き出した。
明るい声で続ける。
「機巧甲冑の性質上ああなのか、それとも着用者が未熟なのか。前者ならば、後で武士相手では役に立たないと申し伝えないとな」
「苦戦するようでは、説得力がありませんが」
「確かに。なら――」
早々に片付けてしまおう。
義家の言葉にうなずいて、セツは太刀を構え直した。
◆
戦っている中で、分かったことがある。
(あの蒸気噴射による移動は、後退が出来ない)
背中の箱に噴射口があるのだから、当然の話ではある。
と言っても、身を引いて、体を縦にした状態で蒸気噴射を行えば、実質的には後退するのと変わらない。
その場合、“身を引く”という動作分だけ初動が遅れてしまうが、一瞬で五間を移動する機動力である。
ひと呼吸分の遅れなど簡単に帳消しにするし、そもそも真横にかっ飛ぶだけで十分に間合いを外せるため、欠点と言える程の問題ではない。
だが。
(何かにつけ後ろに下がる癖があると、話は別だ)
左足を引きながら右方に蒸気噴射――その推力で左後方に飛び退く。
そうして遠間に逃れた赤鬼を見据え、セツは目を細めた。
反応が一拍遅れる。
移動方向が読みやすい。
繰り返し、何度も見せられる隙。
露骨過ぎて罠の可能性を疑うが、躊躇していては状況は変わらない。
(むしろ、悪くなる)
どういう理由かは分からないが、あれだけ何度も蒸気を放出しているのに、機巧甲冑が蒸気切れを起こす気配はない。
そして、機巧甲冑――おそらくはその着用者が放つ鬼気が、セツの集中力をゆっくりではあるが確実に削いでいく。
加えて言えば、体力的な問題もある。
戦いが長引けば長引くほど、不利になっていくのは自分たちだ。
ならば、攻めるしかあるまい。
「さて、何か考えはあるか?」
「下がる相手を追いかけて斬るのは、正直、無理があるでしょう」
弱点が見えていても、一人では速度差に阻まれて届かない。
しかし、今は二人だ。
ならば、その利点を活用するべきだと、セツは義家に答える。
「結局、挟み撃ちにするしかないのでは?」
「まあ、それしかないか」
義家がうなずく。
彼らの強みは、身体が二つあるということ。
二方向から仕掛けられるという利点を捨てる手はない。
問題は、向こうもそれを理解しているだろうという点だが。
「やりようはあるな」
「それは、どう――っ!」
義家に向けた言葉が途中で切れる。
蒸気噴射による突進。その勢いを乗せて叩き付けられた大太刀を、セツと義家は左右に分かれて回避した。
期せず、二人が赤鬼を挟む立ち位置となるが――
「アアアアアア――――ッ!!」
鬼が咆吼とともに義家を追う。
ただし、こちらに背を向けることはしない。
標的の側面に回り込もうとする足運びからは、やはり挟撃に対する警戒が見て取れた。
「義家さま!」
「いらん! 任せろ!」
視線が絡む。
鬼を追い掛けようとしたセツは、義家の声に制される。
彼は、怒鳴りつけるように言葉を続けた。
「手勢が足りん! 動ける者を探してこい!!」
方便だ。
鬼気に当てられて、他の武士たちは動けない。
動けるならば、とうに助勢している。それが分からないほど、義家と家人の信頼は薄くない。
ゆえに、その言葉の意味するところは。
――その場で待て。
足を止めると、こちらをチラリと見た義家が満足げに笑った。
そして、振りかざされた大太刀を前に、彼は足を止める。
「アアアアア――ッ!!」
「はっ」
叩き付けられる剛撃を、体捌きで躱す。
間髪入れぬ横薙ぎの追撃を、義家はスルリと後退してやり過ごした。
それを追って、鬼が踏み込む。
大太刀が閃き、一つ、二つと虚空に斬線を刻む。
しかし、獲物を捉えることが出来ない。
「――――!!」
「はは。そら、俺はここだぞ?」
「アアアアアアアッ!!」
焦れたように吠える赤鬼を、義家が嘲笑うに囃し立てる。
憎悪の声が上がり、刃の速度が上昇する。
しかし。
「やはり雑だな」
義家が嗤う。
単に力任せに振り回されている、というワケではない。
鬼の振るう刃は、きちんと刃筋が通っている。最低限、剣技としての体裁は整えられていると言えよう。
もっとも、それゆえに力量がハッキリと見えるのだが。
(使えないわけではないだろうが、大した技量ではないな)
それは、攻防を見守るセツにとっても、一目瞭然だった。
威力と速度は凄まじいが、剣筋は粗く、攻撃の連携もぎこちない。
足運びもいい加減なせいで、己よりも遅いはずの義家に翻弄されている。
「そら、そんなもの……っと!?」
ずるり、と義家が足を滑らせた。
その身体が傾ぐ。鬼が大太刀を振り下ろす。
「…………っ」
それを強引に飛び退いて躱す義家を、鬼が追撃する。
好機を逃さぬとばかりに畳みかける鬼。逃げる義家。
それを遠間から見守りながら、セツは思う。
(危ない真似をする)
義家が足を滑らせたのは、言うまでも無くわざとだ。
体勢を崩しているようで、しっかり対応出来る力を残している。
とはいえ、背筋の凍る光景ではあった。
お付きの人――景季が見ていたら、悲鳴を上げたかもしれない。
「アアアアア――ッ!!」
鬼が吠える。
一歩引いて眺めれば、義家の動きが誘いであると分かるのだが、鬼の目には必死に逃げているように映るのだろう。
ダメ押しとばかりに、大太刀を大きく振りかぶる。
「――ハ」
それを、義家が嗤って迎え撃った。
鋼と鋼が打ち合う。澄んだ音が辺りに響いた。
そして。
「――――!?」
「踏み込みが甘い」
刃を打ち払われたのは、信じがたいことに鬼の方だった。
剣士としての技量、三人張りの強弓を扱う剛力。
それが、義家に鬼の膂力を凌駕させたのだ。
打ち合いに敗れた鬼が体勢を崩す。
先ほどとは逆しまに――今度は、真に生じた隙を義家が狙う。
銀光が迸り、しかし分厚い装甲がソレを弾いた。
「――――ッ!!」
謀られたことに気がついて、鬼が悔しげに唸りを上げる。
その左足が退がったのを見て、セツは静かに息を吸った。
予想される進路は、彼のすぐ傍らを通り抜けるものだ。
しかし、そのことに気がつかないまま、鬼は義家の間合いから離脱した。
その体躯が、無警戒のままセツのすぐ傍らを通過せんと跳ぶ。
(交錯の瞬間に首を刎ねるのが確実……)
鬼の戦闘能力を考えると、生け捕りなどと言っている状況ではない。
次の機会があると言えない以上、ここで確殺するべきだろう。
しかし。
――大事な手掛かりだ。
脳裏を過った五夜の顔に、セツは太刀を振るうのを躊躇した。
交錯する瞬間、刃を振るう代わりに鬼の足を蹴り飛ばす。
「…………っ!」
足から伝わってくる重さに、セツは歯を食いしばり――強引に蹴り抜いた。
蒸気噴射による大推力は、一瞬で五間を跳ぶ加速を鬼に与えている。
その慣性が、足を払われた鬼を空中で回転させた。
「――――ァガ!?」
「そのまま、寝ていろ!」
何がどうなったのか。
錐揉みしながら縦回転した鬼が、地面に叩き付けられる。
仰向けに――箱を背負っているせいで、海老反り気味になったその胴をセツは思い切り踏みつけた。
左腕を伸ばし、その顔を覆う鬼面の眼窩に指を差し込む。
そのまま力任せに引き剥がし、兜の下に隠されていた貌を露わにした。
「……っ!?」
「アアアアアアアア――――ッ!!」
それを見た瞬間、セツは太刀を振るった。
見られた瞬間、鬼は咆吼とともに蒸気を噴射した。
それは、ほぼ同時のことだった。
凄まじい勢いで起き上がった鬼に、セツの身体が跳ね飛ばされる。
彼は、受け身も取れぬまま地面に叩き付けられ――
「…………っ」
鬼の首級が宙を舞う。
跳ね飛ばされながらも振り抜いた一刀。その一閃は、狙い過たずに“機巧甲冑”の首から上を斬り飛ばしていた。




