霧中の先行き(中)
五夜と一緒に洛中を歩むこと半時、五条大路と西洞院大路が交わる辻で、セツは奇妙なものを見た。
「何だアレ?」
「何、かしらね?」
真っ白な煙が噴き上がる様に、五夜と顔を見合わせる。
最初は火事を疑ったが、そうではないらしい。
火の手は特に見られない。道の端っこの辺り、何もない地面から煙が噴き出す様は――
「何だか出で湯のようね」
「噴き出ているのは、蒸気みたいだな」
もうもうと辺りを煙らせるものの正体に気がついて、セツは軽く手を振った。
近くまで漂ってきた蒸気が、ゆらりと揺れる。
「でも、どうして蒸気?」
「……何でだろうな」
五夜の言葉にセツも首を傾げる。
京というのは、道端から蒸気が湧き出すのだろうか。そんなわけはない。
二人して首を傾げていると、どやどやと数名の男たちが目の前を横切った。
「またかよ!」
「全く、この前取り替えたばかりなのに」
彼らは、棒や木箱を持って蒸気の噴き出す場所へと駆け寄っていく。
悪態を吐きながら、しかし手慣れた様子で男の一人が地面に棒を突き立てた。
瞬間。
「おお?」
「わ!?」
噴き出す蒸気の量が跳ね上がった。
あっという間に辺りに立ちこめる白霧に、セツと五夜は思わず後退する。
下がりながら様子を窺っていると、道の端にしゃがみ込んだ男たちは「熱っ!?」とか「気を付けろ」などと声を掛け合いながら、何やらゴソゴソとし――
「あ、蒸気が……」
「止まった、みたい……?」
「はえーな! もう管の交換終えたのかよ。良い仕事するなぁ!!」
蒸気の噴出が止まる。
その様子を見ていたのは、セツたちだけではなかったらしい。
背後で上がった声に振り返ると。
「なあ、お前もそう思うだろ?」
「……徹さま?」
見知った顔がそこにはあった。
紅の衣――闕腋袍が目に鮮やかな武官束帯。
頭には、烏帽子ではなく巻纓冠を被り、両耳の前に半月状の装飾――緌を着用している。
右手に弓を、腰に太刀を佩き、その背からは扇状に並ぶ矢羽が覗いていた。
正装姿の渡辺徹に、セツは目を丸くする。
彼は、セツに向けてニカリと笑った。
「おう。今度は大市廊で大火を焚いたって? 派手にやってるようで何よりだ!」
「ご、ご迷惑をおかけしております」
「別に嫌みじゃ無いぞ。褒めてんだ。お前が来てから、退屈し……っと――」
恐縮するセツに呵々と笑った彼が、ふと表情を改める。
その目が己の隣に向いているのに気がついて、セツは一つうなずいた。
「こちらは、五夜……」
「賀茂道世さまのお屋敷に、共に逗留させていただいております」
どう紹介するべきか、と一瞬詰まった隙。そこに五夜がスッと言葉を差し込んだ。
彼女の言葉に、徹が目を細める。
なるほど、と渡辺党の若衆まとめ役はうなずいた。
「私は、渡辺徹と申す者。京にいる渡辺の郎党たちの世話役をやっております。どうやら、セツが色々と世話になっているようですね。かたじけない」
「――――!?」
セツの知るものとは大違いな柔らかい口調に笑顔。
初対面の相手に、いつもの調子で話をするワケがないというのは分かるが、それにしても別人過ぎる。
目を丸くしたセツに視線を向けて、徹はニヤリと口の端を吊り上げた。
「で、逢い引きか?」
「いや――」
「違います」
「そうかそうか、違うか!」
徹のからかうような言葉を、霜の降りた声がバッサリと両断する。
それに怯む様子もなく、快活に笑い声をあげる徹。
やはり、いつもの彼だった。
「いや残念。セツに関しては、面倒を見る必要はないかと思ったんだがな!」
「…………」
徹の言う“面倒を見る”とは、何も衣食住や仕事の確保だけではない。
賑やかな渡辺津の出身であるためだろう。「己は田舎者ではない」と変な自負を持ち、そのくせ京の世事に疎い渡辺の若者たちは、わりと簡単に騙される。
こと色に関しては、からきしな連中が多い。妙なことに巻き込まれないよう、信頼のおける宿に連れて行ったり、しっかりとした相手を見繕うのも、世話役の仕事なのだ。
そんな説明をされて、五夜の視線が一段と冷却された。いや燃焼したのだろうか。
セツは、彼女の瞳に稲妻が走るのを幻視した。
無言でこちらに向けられる視線を感じながら、咳払いを一つ。
話題を逸らす――いや、戻す。
「それで、良い仕事というのは?」
「うん? ああ。あの連中だよ。あっという間に蒸気管を交換しただろ」
「蒸気管……」
その言葉に、セツは先ほどまで蒸気が噴き出ていた方に視線を戻した。
すでに撤収作業に入っているよう男たちの手には、何やら太い竹筒が抱えられている。
それが木箱の中にしまい込まれるのを眺め、なるほどとセツは納得した。
蒸気機関の力は、平安京の繁栄を支える柱石の一つだ。
何百という機械が稼働する右京の紡績・機織工場、多くの人々の足として機能している汽車、あるいは貴族たちが自家用として用いる鉄牛などの各種蒸気機械たち。
京の都市機能を担うそれらを十全に稼働させるためには、莫大な蒸気が必要となる。
それを生成しているのが、化野及び鳥辺野に建てられた“炎摩塔”と、洛中の各“坊”に設置された炉ということになるのだが。
「蒸気を作ったなら、今度は京中に行き渡らせる必要があるだろ。そのために、各通りの両端に蒸気を流す管を通しているわけだ。で、その管に穴が空いたりすると、さっきみたいな感じで蒸気が噴き出す」
「あの人たちは、壊れた管を交換しに来たということですか」
そういうことだと、徹はうなずいた。
男の一人が持っている棒は、蒸気管を敷設している溝――蒸気溝の蓋を開けるためのものだと彼は告げる。
「蒸気溝」
「こっちにもあるぞ」
そう言って、セツたちからほど近い場所を徹が指し示した。
穴の空いた木板が、道の端に並んで据えられている。
「え? あれは雨水を流すための溝なのでは?」
「それもある」
どうやら、雨水を流すための側溝と並行するように蒸気管が据えられているらしい。
ちなみに大雨の日は、流れ込んだ雨水が蒸気管を冷やしてしまい、蒸気供給に滞りが生じることがあるとか。
「……それは、欠陥なのでは?」
「ま、そのとおりではあるんだがな」
工事に要する時間と労力、費用を考えれば、早々再敷設などできない。少々の不具合には目をつぶっておけと徹は笑う。
「蒸気管が濡れないよう色々と工夫はしているらしいが、何もかも上手くはいかないってことだな」
「まあ、そうでしょうね」
そもそも、洛中全域に及ぶような仕掛けが成立していること自体がおかしいのだ。徹の言うとおり、ある程度の妥協は必要なのだろう。
「それにしても、今日はやたらと多いな。蒸気漏れ」
「そうなのですか?」
「ああ。オレが今日見たのは、これで三件目だぞ」
宿直明けで家路につく途中での話だと、徹は顔をしかめる。
その言葉を聞いて、五夜が眉をひそめた。
「私、これまで色々と歩き回ってきたけど、蒸気漏れの光景を見たのは今日が初めてよ」
「つまり、今日は特別多い?」
毎日出歩いていた五夜が出くわさない程度の頻度と考えるなら、家路の途中で三回も目にしたという徹の状況は異常といえよう。
何となく腑に落ちないものを感じ、セツも首を傾げる。
「まあ、考えても仕方ないな。ただ、あの連中の仕事ぶりは、今度左京職の連中にでも伝えておいてやるか」
「あ。あの人たちは、左京職の役人だったんですね」
「そういうこと。頑張ってる連中は、ちゃんと評価されないとな」
昇進は早々ないだろうが、評価が上がれば禄などに影響は出るのだ。
「ああ。昇進と言えば」
そこで言葉を切って、徹がセツに目を向けた。
何だろうと見返すセツに、彼はニヤリと笑う。
「お前に、官位を授けようって話が出てるぞ」
「はぁ?」
「具体的には――」
思わず変な声を上げたセツに対し、徹はわざとらしく厳めしい声を作って続けた。
――右衛門少尉従六位下。
告げられた内容に、セツは目を丸くした。




