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灰艶ノ京~平安蒸気幻想奇譚~  作者: 鉢棲金魚
第三章 おそろしきもの
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墜下

 秋の日は短い。

 先ほどまで明るかった空は、今はすっかりと夜に染まっている。

 京には、星月の明かりは届かない。

 ゆえに闇を恐れる者には、燈明(とうみょう)の灯火が頼りだ。

 その頼り――ゆらゆらと揺れる明かりを受けて、壁に火影が伸びていた。


「……ぉお……ぉおお……」


 影は、泣いていた。

 屋敷の主たるその声は、言い尽くせぬ悲嘆に濡れている。

 しかし、それを慰める家人の姿はない。皆、恐れるように、ひっそりとその様子を窺っていた。

 嘆く影の名を、藤原登任(ふじわらのなりとう)といった。

 彼は、はばかること無く声を上げる。


「なぜじゃ……」


 何故、どうして、と繰り返す。


「――っ、――、――……」


 ひび割れた声が呼ぶのは、家人の名前だ。

 共に陸奥国に下向した三人。(みやこ)に戻った後も変わらぬ忠誠を示してくれた者たち。

 それが。


「なぜ、あんな死に方をせねばならん!?」


 西市(にしのいち)に使いにやった三人が、変わり果てた姿で帰ってきたのは、三日前のこと。

 その姿を目にした時の衝撃は、生涯忘れることはないだろう。

 布のように絞られて、半分ほどの細さとなった胴体。

 恐怖と苦悶に引き攣って、必死に助けを求める割れた顔。


「――――っ! ぅぐ、オぇッ…ぁぐ…ぅうう」


 思い出した惨状に、登任(なりとう)は咄嗟に口を塞いだ。

 何度も嘔吐(えず)きながら背を震わせ、襲ってきた波をやり過ごす。


「…………っ」


 三人を殺したものを、彼は知っている。

 蝦夷の怨嗟と京人(みやこびと)の嘲笑が産み落とした化け蛇。


「許せぬ」


 荒い息の隙間から、呪詛がこぼれ落ちた。

 怪物を討ったのは、三名の武士と陰陽師。うちの一人は、あの八幡太郎らしい。

 彼が、もっと早くに怪物を何とかしていれば、三人は死なずに済んだ。


「許せぬ」


 無能めと呪い、同時にその父親を思う。

 一滴の血も流すことなく、蝦夷を屈服させた。武威凄まじき源氏の棟梁。

 そんな風に称えられ、得意満面に胸を張る番犬。


「許せぬ」


 称える者たちは、何も分かっていない。

 源頼義は、機巧軍を伴って陸奥に赴いただけだ。武威などない。

 投入された機巧兵器は、“鋼蜘蛛”と“大鉄牛”を各一〇機。それをズラリと並べれば、誰でも同じ結果を出せるというものだ。

 自分とて、機巧軍の動員を許されていれば同じ結果となっていたはず。


「許せぬ」


 番犬風情に機巧軍の指揮権を預けた参議ども。

 そもそも今回の戦は、あの者たちの指示を受けてのことだった。

 陸奥で採れる良質な鉄は、蒸気機関によって支えられる(みやこ)の発展に必要不可欠なものだ。

 その安定供給を維持するため、近年、増長の色が見える俘囚どもを叩き、今一度、両者の力関係を知らしめねばならない。

 その必要性を理解したからこそ、自分は――


「許せぬ」


 (みやこ)に戻った自分たちを、いの一番に糾弾した参議ども。


「許せぬ」


 その参議たちが撒いた話を信じ、自分たちを嘲笑する蒙昧ども。


「許せぬ」


 機巧兵器の力で成したことを、己の手柄と誇る番犬風情。


「許せぬ」


 自分の大切な家人を守れなかった番犬の小倅。

 そして。


 ――何よりも、己に楯突いた身の程知らずな俘囚どもが許せない。


「……ぉお、おおお……おお」


 登任(なりとう)は啼いた。

 涙は涸れず、千々に裂かれた心が流血とともに腐っていく。

 彼は、ただひたすらに嘆き、憤り、その果てに生まれる呪いを吐き出す。

 そして、呪詛はぐるぐると巡り、濃度を増して純度を高めていく。

 そこに。


「さて、いかがなさいますか?」


 するりと、まるで夜風のように声が滑り込んだ。

 顔を上げた登任(なりとう)の目が、真っ暗な庭に老爺の姿を捉える。


「ああ。和殿(そなた)か」

「はい」


 闇の中に浮かぶのは、笑顔を貼り付けた翁の顔だ。

 笑っているのに生気を感じられない。物の怪の如き気配をまとう何者か。

 登任(なりとう)は気にしない。

 彼は恩人だ。三人の最期を伝えてくれた。

 ならば、その素性が何であろうとどうでも良い。


「お心は決まりましたか?」

「うむ。決まった」


 登任(なりとう)は、昏い声で肯いた。


「儂が無能であったわけではない。蝦夷の平定など、機巧兵器があれば誰にでも出来る。それを示して、あの三人への手向けとしよう」


 これから為そうとしていることは、支離滅裂で全く意味がない。

 手向けどころか、泥を塗る行為となるだろう。

 しかし。


「頼んだぞ、翁」

「はは。お任せ下され」


 昏い目で告げる彼に、翁は静かに頭を垂れた。

 伏せたその顔が浮かべる笑みには、先ほどまでと異なり生気が宿っている。

 それは、救い難い愚か者に向けた嘲笑だった。


 そのことに、登任(なりとう)は気がつかなかった。





 気がついた時には、どうしようもなかった。

 洛西――桂川の上空。

 鳥と衝突し、大きく体勢を崩した羽ばたき飛行艇“太郎坊”を見て、道世は顔を引き攣らせた。

 矢のような速度で“太郎坊”の側面に突っ込んだ鳶が、稼働する羽と接触、川面に叩き落とされて水音を立てる。

 鳶の接近に気がついてから、わずか一呼吸。注意を喚起する暇もなかった。

 もっとも、警告が間に合ったとして、衝突を回避できたとも思えないが。


「……拙いですね」

「え?」

「“太郎坊”の羽は、あまり頑丈ではありません。いえ、はっきりと脆いと言うべきでしょうか」


 五夜(さや)の傍らで“太郎坊”を見上げる道世の顔は、渋い。

 飛行機械にとって重量は敵だ。

 重さが増せば、その分だけ飛行に要する出力は大きくなる。そして、その実現のためにさらに重量が増す……といった具合に悪循環が始まる。

 そのため、機体の重量はできる限り減らさなければならない。


「“太郎坊”は、火呪によって薪を高温かつ長時間燃焼させるという力業で、燃石(もえいし)の積載を不要とし、軽量化を図っています。ですが、高出力を維持する必要がある以上、水缶の小型化には限界がありました」


 蒸気を発生させるためには、どうしても水が必要だ。術で給水を行うとしても、限度がある。

 また、高温高圧の蒸気を扱う以上、蒸気機関の主要部品は頑丈な鉄鋼で作らざるを得ず、こちらの軽量化は難しい。

 そうした重量物を載せる以上、船体をあまり脆い物にしてしまえば船底が抜けるといった事態になりかねない、等々――


「色々と制約がある中、可能な限り機体重量を減らすよう工夫を行った結果――」

「羽の強度は切り捨てている、と?」

「そういうことです」


 “太郎坊”の羽は、竹の骨組みに布を張ったものだ。

 軽量かつ柔軟で強靱――素材として非常に優秀な竹材だが、それでも鉄を上回る強度を持っているわけではない。

 加えて言えば、羽に使われている竹はかなり細めのものだ。

 それが、“太郎坊”の重量を支えて高速稼働している時に、鳥と接触したらどうなるか。


「もしかして、羽が折れる?」

「最悪の場合、あり得ますね」


 五夜(さや)の言葉に道世は肯く。

 見上げる先で飛翔する“太郎坊”は、すでに体勢を立て直していた。

 鳥との衝突に対して、慌てず騒がず速やかに対応した結果だ。


(さすがですね)


 “板子一枚下は死の世界”という点では、“太郎坊”も船も大差ないということだろうか。

 初めての操縦とは思えない肝の据わりように、道世は感心する。

 しかし。


「聞こえていましたね。すぐに着水してください、セツ殿」

『はい。わかりまし……あ』


 式神を通じて、セツが間の抜けた声を上げるのが聞こえた。

 その意味を問う必要などない。


「――ぁ」


 傍らで、五夜(さや)が似たような声を漏らした。

 その視線の先で、“太郎坊”から板状の影が千切れ飛んだのだ。

 影は、クルクルと回りながら宙を舞う。


「――ああ!?」


 悲鳴のような声は、果たして誰のものだっただろう。

 二対四枚の羽のうち、左の前羽を失った機体が、ガクンと大きく左傾し――


「セツ殿!! 右羽を停止して下さい!!」


 道世は、咄嗟に声を上げた。

 左右の羽が産む揚力の均衡が崩れると、機体は傾きを生じることになるが、これが一定以上になると、揚力を維持できずに墜落することになる。

 その声が届いたか、それとも自力で対応を始めていたか、“太郎坊”の右羽が羽ばたきを停めた。

 急激に高度を下げながら、機体が水平に戻る。

 即座に右羽の一つが再稼働。しかし――


「駄目。落ちる!!」


 落下が止まらない。

 若干の減速は見られるものの、川面に墜落する“太郎坊”を見て、五夜(さや)が声を上げた。

 そして。


「――――!!」


 巨大な水しぶき。

 一瞬の後、それを突き破って“太郎坊”が姿を現す。

 翼の如く左右に水の壁を広げながら、二度、三度と川面を跳ねる。その様は、まるで水切りの石のようだった。

 川岸で見守る道世と五夜(さや)の前を通り過ぎ、川の流れに沿ってすっ飛んでいく。

 道世は、慌てて後を追うため駆け出した。


「――――!!」


 目の前を走る五夜(さや)の背で、髪を括った白い飾り布が揺れる。

 先んじて動き始めた彼女との距離が、あっという間に開くのに道世は目を瞠った。


(速い)


 道世が遅いわけではない。

 先の大市廊での一件の後遺症はあれど、彼の速度は馬の全力疾走に匹敵する。

 それでも追いつくどころか引き離される。五夜(さや)は、一歩で数間を渡り、文字通り飛ぶような速度で川岸を駆けていく。

 と、唐突にその速度が緩まった。


「!? どうしました?」


 何事かと、彼女に合わせて速度を緩める。

 肩を並べると同時、道世の目が川岸に停泊した“太郎坊”を捉えた。

 その傍らには、セツの姿。特に怪我をしている様子は見られない。


(……ああ。なるほど)


 心配したと思われたくないということか。

 澄まし顔を繕った少女を横目に捉え、道世は速度と同様、その頬を緩めた。



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