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灰艶ノ京~平安蒸気幻想奇譚~  作者: 鉢棲金魚
序 はばたくもの
2/48

ぬえ(上)

 地面に腕を叩き付けた反動で、化け物――鵺が大きく飛び上がる。

 その高さは、倉の屋根を軽々と超えるほどだ。


(やっぱり、大きいな)


 怪物の上半身は、それだけで六尺(2m弱)にもなる。

 成人した男の胴よりも太い両腕は、八尺(2m半)にも届く。その五指には短刀のような鉤爪。


 そんな怪物が飛び掛かってくる様は、見る者の心胆を寒からしめるものだ。

 そして、その恐怖が思考を鈍らせ、体を強ばらせ、反応に致命的な遅れを生む。

 結果、避けることさえ叶わず組み敷かれ、その後は言うまでも無い。


 ――対峙しているのが、武士(もののふ)でなかったならば。


「まあ、大きいだけか」


 空中にあるということは、体の自由を損なっているに等しい。

 軌道は分かりやすく、着地点は変わらない。見えている落下攻撃は、脅威にはならないのだ。

 セツは、鵺の一撃を鼻で笑った。

 落下と同時に叩き付けられた両腕を避け、するりとその側面に回り込み――


「――――ッ!」

「ふっ!」


 悔しげな声を上げた鵺の脇腹に、呼気とともに太刀を叩き込む。

 だが。


(……っ!? 刃が徹らない)


 浅い、どころではない。

 白刃が毛皮の表面を滑る感触に、セツは瞠目する。

 刃筋がズレたとかそういう話ではない。単純に、毛皮の強度に阻まれたのだ。

 太刀は脅威でないと理解した鵺が、その猿面をニタリと歪ませた。


「――ちッ!」


 横薙ぎに振るわれた右の裏拳を、その場にしゃがみ込んでやり過ごす。

 頭上を抜けていく豪風に、セツの背筋が粟立った。

 即座に立ち上がり、その勢いを斬り上げに乗せて放つが、やはり刃が徹らない。


(隙間がない上に、動きの邪魔にならない鎧を着込んでいるようなものか)


 まとっている鬼気が、鋼をも退ける強度を毛皮に与えているのだという知識を、少年は持ち合わせていない。

 だからといって、「なぜ斬れない!?」と恐慌するような無様を、彼は晒さない。ただ在るがままの状況を捉え、思考を回す。


「さて、どうしたものか」


 わずかに後退して、セツは太刀を構え直した。

 怖じたり、怯むつもりはない。だが、化け物退治というのは想像以上に厄介だ。

 勝手に口の端がつり上げるのを感じる。

 今の自分は、どんな顔をしているのだろう。


(みっともなく引き攣ったりしてなければ良いけど)


 鵺が大きく左腕を振り上げた。

 己の絶対的な優位を確信しているのだろう。反撃を全く気にしていない大振りの構えだ。

 対する少年は、意識を研ぎ澄ませる。

 先ほどの一閃で斬れないのならば。


 ――もっと強く、もっと鋭く斬り付ければ良い。


 冴え渡る思考回路。迷う余地のない解決策。

 つまり、もっと超頑張る。

 渡辺切(わたなべのせつ)は、脳筋だった。無論、それだけではないが。


「――ハッ」


 狙うのは交差法。

 叩き付けるように振るわれた巨腕に刃を合わせる。

 より強く。より鋭く。内で燃えさかる炎に押され、裂帛の呼気を放った。


「今、鬼気を祓ってえぇ……!?」


 陰陽師の声が聞こえた気がした。

 迎え討った一刀が、虚空に斬線を引き――


 ――切断された獣腕が、くるくると宙を舞っていた。





 鵺が悲鳴を上げる。


 賀茂道世は、泡を食って跳び退いた化け物ではなく、剣気で鬼気を打ち破った少年に目を奪われていた。

 案内役として付けられた少年は、己が技を誇ることもなく、静かに調息を行って次に備えている。

 追撃に動く様子がないのは、逃げに徹されると追い切れないことを理解しているからだろう。

 とはいえ、易々と逃がすつもりはないと、剣呑な光を宿したその瞳が物語っていた。


「…………」


 言葉もない。


 道世は、武の力を侮らない。

 生霊や死霊の類であればともかく、鬼などのような実体を持つ強大な怪物は、いつだって武士の扱う直接的な力で平定されてきたのだ。

 もちろん、それらは陰陽師を始めとする術士の助けや、神仏の加護があっての功績だが、だからといって彼らの武威が損なわれるワケではない。


 だが。だからといって――


「武芸ひとつで妖を斬ってみせるとは……」


 これだから武士は、とは思わない。

 そんなことが出来る者が、どれほどいるか。まして、未だ年若き身である。

 どこか薄ら寒いものを感じ、道世は頭を振った。


(いやはや、末恐ろしい)


 そんなことを考えていたせいだろう。

 不利を悟った鵺の動きに対し、彼の反応は致命的に遅れることとなった。

 鵺が、猿の上半身を黒煙に変える。


「――しまっ!?」


 慌てて符を投じるが、距離がある。

 術が届くよりも早く、鵺が化けた黒煙は北の空へと流れていった。

 ドサリと音を立てて、取り残された賊が地面に倒れ伏す。


「……逃げられた」


 賊には目もくれず、セツが黒煙の消えた空を睨んでいる。

 当然の話だが、賊はとうに事切れていた。


(ずいぶんと高くつきましたね)


 うつ伏せとなっている賊の死体。

 その大きく割り開かれた背中が目に入り、道世は小さく息をついた。

 同情する気は微塵もないが、単純に思う。盗みの代償としては、ずいぶん高くついたものだと。


「さて――」


 視線を戻す。

 空を見上げていた少年は、いつの間にかその背後に向き直っていた。

 その瞳に映っているのは、地面にぶちまけられた赤い血溜まりだ。

 かつて人であったもの。


「…………」


 セツが、静かに一礼する。

 その顔が上がるのを待って、道世は口を開いた。


「さて、それでは追いましょうか」

「追いつけるでしょうか?」


 すでに黒煙は見えなくなっている。

 セツの不安そうな表情に対し、道世は左眼を閉じて笑った。


「大丈夫。見失ってはいませんから」

「見失ってない……?」


 セツが怪訝そうな表情を浮かべた直後。

 カァ――、と北の空から(からす)の鳴き声が聞こえた。

 少年が、あっと小さく声を漏らす。


「さっき飛ばしていた式神!」

「察しが良いですね。そういうことです」


 閉じた眼に逃走中の黒煙を映し、道世はすました顔でうなずいた。

 こっそりと、(はかま)の尻で手汗を拭っているのは、彼だけの秘密だ。



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