なんてことない一日
宮中を震撼させた大不祥事への対応は、八月の終わりをもって、ひと区切りとなるらしい。
もっとも、解決にはほど遠い状況だ。
失われた機巧兵器のうち、回収出来たのは“鋼蜘蛛”一機のみ。
残る二機の“鋼蜘蛛”及び“大鉄牛”三機、そして“機巧甲冑”三領の所在に関しては、未だ手掛かりすら掴めていない。
「……といっても、いつまでも総出で大捜索ってワケにもいかないからな」
「まあ、そうでしょうね」
言葉とは裏腹に、不満タラタラな様子の賀茂道清に、道世は苦笑してうなずいた。
陰陽寮に限らず、いずれの部署も暇では無い。いつまでも本来の業務を放り出しているワケにはいかないのだ。
九月に入れば、すぐに重陽の節句がある。
残りの日数的に、今頃はどの部署も修羅場となっているはずだ。
「このあたりで、一度仕切り直すのは良いことだと思いますよ」
「長期戦になるだろうからな」
何しろ唯一回収された“鋼蜘蛛”は、鴨川を越えた先――鳥辺野で見つかったのだ。
他の機体も、洛外に持ち出されていると考えるべきだろう。
解決に要する時間は年単位となるかもしれない。
「……聞き込みにも全く引っ掛からないからな。ったく、どんな技量してんだか」
「鳥辺野であれだけ派手にやったのに、誰も気がつかなかったくらいですから」
道世はため息をついて、首を横に振った。
鳥辺野周辺にも人は住んでいる。
だが、その住人達の中に、“鋼蜘蛛”の姿はおろか、砲声さえ認識していた者はいなかった。
何らかの術の効果と思われるが、道世はそうしたものの存在に気がつくことさえ出来ていない。
式神越しだったとはいえ、力量差は明確だ。
(どんな化け物ですかね。本当に)
もはや悔しさを通り越して、教えを請いたくなるほどだ。
そして、その力を考えれば、誰にも知られずに機巧兵器を持ち出すことなど、造作もあるまい。
「そういえば、“鋼蜘蛛”の“真火筒”は――」
「しっかり持ち去られていたよ」
「ですよね」
機巧兵器も蒸気機関を動力とする以上、その稼働には蒸気が必要だ。
とはいえ、大きく揺れることもある戦闘兵器の中で、火室に燃料――燃石を放り込み、火を焚くというのは危険が大きい。
また、燃石を大量に積み込めば、重さが増して動きが鈍くなる。それは、致命的な弱点となりかねない。
かといって、無火蒸気機関では、継戦能力に大きな不安が生まれる。万が一、蒸気の圧力が下がり、戦場で動きが止まったら一大事である。
そうした諸々の問題を解決するのが“真火筒”だ。
長さ一尺、太さ五寸ほどの八角柱。
その内部に、年単位で燃え続ける超高温の炎を封じた呪具である。
様々な術法を駆使して作製されたその筒を用いれば、蒸気機関は水さえあれば無限に動き続けることが可能となる。
蒸気機関の魂とさえ言える代物だが、素材が非常に貴重なため、おいそれと作製することは出来ない。
関白所有の蒸気船といった例外を除けば、機巧兵器にしか搭載されない。
超が付くほどの重要物だ。
「私が回収出来れば良かったのですが」
「先生の式神が居合わせただけでも物凄い幸運だし、それ以上を望むのは欲張り過ぎだろうさ」
烏の身では“真火筒”を回収できず、かといって、セツたちに軍事機密の塊である“鋼蜘蛛”を触らせるワケにもいかない。
あの場では、他に手立てを思いつかなかったのだが――
「参りましたね」
呟いて、天を仰ぐ。
視線の先には、いつものとおり灰色の空が広がっていた。
◆
灰色の空を映し出す刀身が、冷たい輝きを放った。
屋敷の濡れ縁に腰を下ろしたまま、静かに抜いた太刀。
その青褪めた月の如き煌めきを、セツは目を細めて見据える。
(これは、タダで貰ったらマズい奴ではないだろうか)
己の口許が引き攣っているのを感じる。
セツが手にしているのは、失った愛刀の代わりにと渡された一振りだ。
製作者は、金集百成。道世や十花の義兄にあたる人物である。
道世の頼みを受けて百成が鍛えた太刀は、ひと目で分かる業物だった。
刃長二尺三寸。反りは、八分五厘といったところか。身幅は広く、腰反り高く踏張りがあり、小鋒に至る剣形。
鍛えは小板目の肌がよくつんでおり、刃文は直刃調に小乱れが混じっている。
どこか無骨で、決して華やかとは言えない。
しかし、美しい太刀だ。
粉々になったセツの愛刀を材料の一部に用いて鍛えられた刀身は、以前とほぼ同じ長さだ。このため、間合いの変化はない。
一方、手にした時に感じる重みは、以前よりも増している。だが、新調された柄などの拵えによるものか、恐ろしくセツの手に馴染んでいた。
そのおかげで、何の違和感もなく扱うことが出来るのだが――
(……本当に俺が扱って良いのか?)
冴え冴えとした白刃を見ていると、そんな不安に襲われるのだ。
茎に銘は切られていない。
代わりに、“下がり藤”の紋が鎺の下に刻まれたこの太刀は、“剣神”伊波比主命の加護を願い、大原野の社に奉じられたものだ。
その後、一昼夜を経て、下げ渡しとして返されたものが、セツに与えられた形となる。
その来歴ゆえに神刀としての属性を有するこの太刀は、符の助けなくカタチなき妖を斬るという。
拵えこそ無骨な黒漆太刀。
しかし、断じて無位無官の少年が持つ物ではない。
「…………」
「その太刀に見合うだけの力量を示せば良いのよ」
「む」
声に振り返れば、少女が一人。
己の懊悩を見透かした言葉に、セツは小さく唸る。
そんな彼を見て、五夜は薄い笑みを浮かべた。
「無理なら、返せば良いだけよ。“私の技量では釣り合いません”って」
「いくら何でも情けないだろ」
「それなら、精進することね」
言って、彼女は濡れ縁に腰を下ろした。
鬱陶しそうに曇天を見上げながら、ポツリと呟く。
「……私は、見合わないとは思わないけれど」
「…………そっか」
風に紛れて消えそうな声。
それを耳にして、セツは太刀を鞘に納めた。
面はゆいような、気まずいような、何とも言い難い心持ちを抱え、セツは彼女と並んで空を眺める。
「そう言えば――」
チラリと隣に目を向ける。
空を見上げる五夜は、いつもどおりの水干姿だ。
その細身を包む純白の衣には、汚れの一つも見当たらない。
「サヤって、着替えはどうしてるんだ?」
「何、急に?」
「いや。特に意味はないんだが。単純に、どうしてるのかと思っただけ」
平安京の風は、花の香りとともに煤煙を運ぶ。
花びらとともに舞う灰や煤は、目に見えないほどに小さなものだ。
しかし、長時間に渡って外を歩いた後、顔を濡らした布で拭くと真っ黒になるくらいには汚れてしまう。
そのため、セツは数領の直垂を洗いながら着回しているのだが、傍らの少女にそんな様子は見られない。
それゆえの疑問に、彼女は事もなげに答えを返した。
「特に着替えはしていないわ。必要ないもの」
「ということは、ずっと、その水干を着てるのか……」
少女の視線に、すっと霜が降りた。
「不潔とか言ったら引っ叩くわよ」
「むしろ、何でそれで汚れ一つないのかを聞きたい」
外を出歩かないから汚れていない、ということはない。
日の出とともに外出し、日の入りとともに帰宅するのが、ここ数日の彼女の行動だ。日中は、ほぼ外を歩き詰めと言って良いだろう。
にもかかわらず、汚れなき純白を保つその衣は、どういう代物なのか。
「――――」
首を傾げるセツに、五夜がため息をつく。
もっとも、よく見ると頬の辺りが緩んでいるのが見て取れた。
彼女は、仕方が無いといった風体で袖を摘まんでみせる。
「……この衣は、お父さまに戴いた物だから、その辺にある物と一緒にされては困るわ」
「確かに、前に見た関白様のお召し物よりも上等な感じがするな」
「ふ、ふうん。ま、そうでしょうね」
一瞬、満更でもなさそうに表情を緩めた五夜だが、セツの視線に慌てて澄まし顔へと戻す。
自慢の響きを声に滲ませながら、彼女は自身の水干について語った。
「この水干の布地は、鹿庭山の雲海と清流から紡ぎ出した糸で織られているわ」
「雲と、水?」
「ええ。それを月光と星灯の糸で縫い合わせて作ったの」
紅の長袴は、朝焼けの輝きを編んで作ったとか。
何やらとんでもないことを口にする五夜に、セツは然もあらんとうなずいた。
特に問い質してはいないが、彼女は尋常の存在ではない。
出会った時の言動や、稲妻を統べる力を鑑みれば、正体は容易に想像できる。
(龍神の娘)
セツの推測があっているのなら、彼女の衣は龍神が与えた一品だ。
それが、尋常の物であるはずがない。
「お父さまの力が宿っているから、とても丈夫だし、汚れてもすぐに綺麗になるわ。後、少々破れても、少し時間が経てば元通りになるわね」
「それは凄いな」
「言ったでしょう。一緒にしないでと」
「ところで、それを真っ二つにしたら、各々が修復されて二つになったり――」
「しないわよ!」
何てことを言うのかと、柳眉を逆立てる五夜に、セツは冗談だと笑って手を振った。
何はともあれ、疑問は解けた。
「なるほど。手入れ要らずなら、着替えも必要ないか」
「……そういうこと」
納得したセツの言葉に、五夜がため息をついて矛を収める。
これで、この話はおしまい。
何てことのない世間話だ。これ以上の展開はない。
しかし。
「それは、いけません」
「え?」
そのはずは、話を聞いていた十花によって否定される。
振り向く五夜に、彼女は穏やかな笑顔で告げた。
「女の子なのですから、ちゃんとお洒落をしないと」
「いえ。私は」
「まだ西市が開いていますから、お買い物にいきましょう」
「私は、お金を持って――」
「大丈夫。わたくしが出します」
「いえ、それは――」
「道世様が戻られたら、皆で市に行きましょうね?」
妙に力のある笑顔に圧され、五夜が顔を引き攣らせる。
その様子を見て、セツはうなずいた。これは、抵抗するだけ無駄だろう。
早めの降参を勧めると、少女が恨めしげにこちらを睨む。
そんな彼女の顔を、十花が笑顔でのぞき込んだ。
「ね?」
「…………はい」
そういうことになった。
「それと、セツ殿」
穏やかな声に、なぜか背筋が粟立つ。
居住まいを正したセツに、十花は圧のある笑顔を向けた。
「先ほどの“真っ二つ”発言は、冗談としても不粋です。思いやりのない男の子は嫌われますよ?」
嬉しそうに父からの贈り物について話す者に、それを“真っ二つにしたら”などと、配慮に欠けると言わざるを得ない。
そう諭す言葉に、セツはぐうの音も出なかった。
「確かに。すまなかった」
「……別に怒ってないし。気にしてもいません」
五夜が、視線を逸らしながら手を振った。
“嬉しそうに”の下りに反応してか、その頬はわずかに赤らんでいた。




