真相
秋の夜気が、仄かな甘い香りを運んでくる。
花と燃える油の匂いが混じる中、セツは静かに頭を垂れた。
「挨拶が遅くなって申し訳ありません」
「構わん。どうせ昨日来られても、オレは留守にしていたからな」
そう言って笑うのは、京において渡辺党の若者たちを束ねる男だ。
彼――渡辺徹は、瓶子から杯に酒を注ぎ、一息に飲み干した。
次いで、もう一つの杯をセツへと突き出す。
「堅苦しいのはいらん。お前も飲め」
「……は、戴きます」
先達と同じように、一息で飲み干す。
それを見て、“いけるじゃないか”と徹が笑った。
「さて、せっかくの酒の席だ。少し与太話に付き合ってもらうぞ?」
「……?」
「概ねのところは、道世から聞いている」
その言葉に、セツは目を瞠る。
それを見て、徹は呵々と笑い声を上げた。さらにもう一杯、酒を飲んで膝を叩く。
「言っただろう? 与太話だと。酒の肴代わりだ、付き合え」
「はい」
最初からそのつもりだったのだろう。
周囲には、二人以外の姿はない。
燈台の灯りがゆらりと揺れる中、徹が口の端を吊り上げた。
「全く、蒸気船沈めたって話にも笑ったが、まさか“鋼蜘蛛”を叩き斬るとはな」
「いえ、あの。色々と助けを借りてのことですから」
「当然だ。そんな出鱈目、独力でやられてたまるか」
助けがあろうと無かろうと、“鋼蜘蛛”相手に太刀振りかざして突っ込むなど、馬鹿のやることだと徹は笑う。
「い、いや。あの場合は――」
「良い良い。別に怒っちゃいない。そのお陰で、オレも早く家に帰れたしな」
「? どういうことですか?」
「あの“鋼蜘蛛”な。三日、もう四日前か……兵庫寮から盗まれたものでな。その捜索に、“滝口”まで駆り出されていたのよ」
どこかウンザリした顔で、徹は酒を呷る。
前代未聞の事態に、宿直以外の者は、日夜問わずに洛中を走り回っていたのだそうだ。
今も、他の盗難品を探して、捜索に明け暮れているのだと彼は続けた。
「ったく、何でオレ達が尻拭いに奔走せんとならんかね」
「はぁ」
「で、陰陽寮の術士なんかも総掛かりで色々捜索してるのに、手掛かり一つ見つからない。さて、困ったと思っていたところに、鳥辺野の一件よ」
式神を通じて“鋼蜘蛛”を確認した道世は、セツたちの支援を行いながら、状況を陰陽寮の者たちに伝えていたらしい。
そこから、他の部署に報告が飛び、内裏は大騒ぎになっていたそうだ。
「いや。笑った笑った。大失態を挽回するのに必死な連中と、この機会に手柄を上げようする奴らが、競馬かというような勢いで飛び出していってな」
当然の職務として、検非違使たちも動き、何やら合戦じみた様相を呈していたと、徹は口の端を歪めた。
「とはいえ、“鋼蜘蛛”相手に生身じゃ、何騎集めても蹴散らされるだけだ。仕方ないから、“機巧甲冑”持ってるオレ達も後を追ってな。着いてみたら、何か倒れてやがる。見てみたら、片方の脚全部無くなってんのな!」
「……はぁ」
さすがに度肝を抜かれたと、膝を叩いて大笑する。
どう反応すれば良いか分からず、セツは頬を掻いて目を逸らした。
“鋼蜘蛛”を倒し、随伴していた者達を一蹴した後、セツたちはその場をすぐに離れている。
道世から、検非違使たちが向かっていると言われたためだ。
見つかれば、拘束されて面倒なことになる。
そんな彼の警告に従い、渋る少女を引っ張りながら慌てて退散したのだ。
そのため、後の経過がいまいち分からない。
「“鋼蜘蛛”を使っていた者達の素性は、聞いても大丈夫ですか?」
「ん。オレもお前に聞いておきたかった。お前、連中を皆殺しにした?」
「はぁ?」
思わず変な声を上げたセツを、徹が真顔で見つめる。
彼はため息をつきながら、烏帽子をずらして頭を掻いた。
「……連中な、全員首が無くなっていたよ」
「――ッ!?」
ボソリと告げられた言葉に、セツは息を飲む。
無論、セツたちはそんなことをしていない。
つまり――
「俺達があの場を離れて、徹様たちが到着するまでの間に口封じをされた?」
「そういうことになるな。素性を示すものは何も身につけちゃいなかった。それで首がないから、これ以上は追い掛けようがない」
フン、と徹が鼻を鳴らす。
彼は鬱憤を晴らすように酒を呷り、セツの杯へとおかわりを注いだ。
セツもまた、言い知れぬ渇きを覚え、一息に飲み干す。
「そういえば」
暗くなった気分を打ち払うように、徹が話題を変える。
彼はセツの姿を眺め、得物はどうしたのかと首を傾げた。
「はい。“鋼蜘蛛”との戦いで――」
「あ~。折れたか」
「いえ。粉々になりました」
その言葉を聞いて、徹が目を丸くする。
セツは、再び頭を垂れた。
「せっかく戴いたものなのに、申し訳ありま……いえ」
途中で言葉を切る。
徹は、何も言わない。伏したまま、セツは言葉を改めた。
「本当に良い一振りを、ありがとうございました。あれが無ければ死んでいたところです」
「……そうか」
うなずいて、徹は空の杯に酒を注ぐ。
少年が顔を上げるまで、彼は黙ったまま杯を重ねたのだった。
◆
賀茂道世の屋敷が、いつになく賑やかだ。
普段より人の気配が多いというだけで、ずいぶんと空気が変わる。
具体的な数は四人。なんと倍である。
「ふふ」
十花の実家は、九男十六女の大家族だ。
ゆえに人が多いのは、苦にならない。
数日前の夜、夫が若い娘を連れて帰ってきた時には、すわ合戦かと考えた彼女だが、話を聞けば父を探して京を訪れたという身の上。
さらに昼間出会った少年も一緒となれば、嫉妬の炎はまたたく間に鎮火され――今は勝手ながら娘が出来たようだと、少女の逗留に喜んでいる。
「――――!?」
「―――っ、――――!!」
「あら」
何やら言い争う声が聞こえて、十花の表情が綻んだ。
少年と少女は、共に礼儀正しく落ち着いた性格だ。それなのに、お互いに対しては、どういうワケか年相応、いや幼い言動であたることが多い。
「こんな、星も見えない灰色の空のどこが良いと?」
「そこは難だと認めるが、しかしそれ以外は魅力的だろう? 蒸気機関なんて、ここでしか見られないし」
「あんな物のどこが良いのか理解できないわ」
「格好良いじゃないか。“鋼蜘蛛”の姿を見ただろう!?」
「は。あれだけ酷い目に遭ったのに、あなた馬鹿なの? いえ、馬鹿だったわね」
「良いものは良いと認めるべきだろう」
様子を窺えば、なぜか“鋼蜘蛛”の格好良さを力説する少年と、それに引いた様子で首を振る少女の姿。
傍らでは、我関せずと道世が文机に向かっている。
「二人とも、喧嘩をしてはいけませんよ」
「いや。サヤが――」
「いいえ。セツが――」
摂津国渡辺津から上ってきた少年――渡辺切。
播磨国佐用郡から訪れた少女――五夜。
互いを指さす二人に、十花はあらあらと楽しげに微笑んだ。




