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私と白羊と聞こえない言葉

作者: 生紺 唯里

この小説は『ことば小説』という企画の下で掲載している作品です。『ことば小説』と検索をすれば他の小説もご覧になれます。

 気がついたら不思議なところにいた。不思議なところといっても、誰もが想像したことのあるような大草原に、私がぽつんと立っているのだ。


 不思議なのは場所ではなく、私が何故こんなところにいるのかだ。


 頭の中は混乱するどころか、むしろすぅっとしている。なにせこの場所には煩わしいものがなさそうだからだ。


 大草原の向こう側から羊の群れがやってきた。なんだかふかふかしていてかわいらしい。


 だけど和んでいる場合じゃない。帰らないといけない。ここは私の場所じゃない。


 困った私のところに一匹の白羊が群れからやってきた。


「やぁ」と白羊が鳴く。


 驚いた。白羊がしゃべるなんて、とても驚いた。


「やぁ」と白羊はまた鳴く。


 白羊は草をもしゃもしゃとはみながらこっちを見ている。


 こんにちは、と私は白羊に答えた。


 白羊は心なしか嬉しそうだ。


「どうしたの。こんなところにいて、何か困ってるの」


 私は白羊はじっと見る。白羊はまるで綿飴のようにもこもこしていて、全体的に丸っこい、そしてとても穏やかで優しい声で鳴く、親しみやすい白羊だ。


「わかった。キミはどうしてここにいるかわからないんだね」


 正にその通りだ。白羊に見惚れていた私は、そうだよと白羊に伝えた。白羊の嬉しそうな感じが伝わってきた。


「突然、自分の知らないところに自分が来てるなんて困るよね」


 ここはどこなんだい、と白羊に尋ねる。白羊はうーんと困ったように頭を左右に振っている。


「どこって言われてもねぇ……」


 お願いだから教えて欲しい、と白羊に頼んだ。白羊はじっと遠くを見る。


「ここは『ここ』としか言えないし、僕たちにはそれを言い表す『言葉』はないよ。それに、仮に具体的に答えられたとしても何か意味があるかい?」


 自分がどこにいるか知るって大事だと思う、と白羊に伝える。


「うん。だからね……」


 白羊は草をもしゃもしゃと食べはじめた。


「まあキミの言う通り自分がどこにいるのかを空間軸で把握するのはいいけど、それって一望俯瞰的に高いところから自分がどこにいるのか相対的に見ないと意味がないわけさ」


 白羊はもしゃもしゃしながら私をじっと見る。


「そして『ここ』はキミの概念にはない場所だし、おそらくキミが考えているような具体的な場所じゃない。だから仮に具体的な答えが聞けても――まあ無駄とは言わないけどあまり生産的じゃないよ」


 そんなこと言われても困る。私にとっては大事な問題だ


「うん。そうだね」


 私は少し怖くなってきた。白羊はずっとめぇめぇと鳴く。


「まずはキミにとって、ここが心地良い場所だと思って慣れることが大事じゃないかい」


 白羊が私の緊張を解そうと笑いかけているように感じた。


「じっさいどうだい、ここは好きかい?」


 好きか嫌いかと言われれば、この場所は好きだ。


「へぇ、そりゃ良かった。それじゃあ、ここのどこが気に入ったんだい?」


 敢えて言うなら人がいないところだ、と白羊に答える。


「ふーん、人がいないと何でいいの?」


 何故なら他人に気を遣う必要もないし、他人から嫌なこともされない。要は人間関係なんてめんどくさくて煩わしいものがないからだ。


 白羊は少し悲しそうだ。


「人間関係が煩わしいのかい。そんなもの無い方がいいって思ってるのかい。そいつは少し理解できないな」


 何でわからないの、と私は白羊に問い掛ける。人間関係なんて疲れるだけじゃないかと思う。


「うん。そうかもね」白羊は答えた。


 私は白羊を責め立てるように言葉を紡ぐ。だったらそんなもの無い方がいい。


「うん。だけどね、確かに疲れるよね、僕たちだって同じだよ。いつも群れているからわかる。他者と一緒にいると遠慮しないといけないし、気を遣わないといけない。そりゃいつもこうだと疲れるよ。だけど僕たちは群れないと生きていけない。だから他者との関係が煩わしいと思っても、それ以上の感謝と大切さを知っているから必要ないとは思わない」


 僕たちの社会は群れだから機能するんだ。と白羊は言う。


 大切なのはわかる。学校や親なんかがいつも言うし、テレビで大人も言っている。だけど私たちはあなたみたいに羊じゃないんだ。人間関係がなくても生きていける。必要なもの、例えばお金があれば一人でも生きていける。


 私たちはお金があれば大丈夫だ、と白羊に伝える。


 本当にそうかなぁ。と白羊は首を傾げる。


「僕たちにはお金なんてものはないから、それがどれだけ大事かは知らない。確かに僕たちは羊でキミは人間、違う社会で生きてるよ。だけどキミたちだってそんなものがなくても生きていけるんじゃないかな」


 そんなことはない。お金がないとご飯も買えないし、家にも住めない。


 キミたちとは違うと私は白羊に言ってやった。私の苦労が白羊にわかるわけがない。


「それじゃあ、そのお金ってやつは他者との関係なしに手に入るのかい」


 白羊の言葉に、少しだけ痛みを感じる。私は言葉に詰まる。


「たぶん無理なんじゃないの、僕たちが何かを手に入れるためには、ひとりじゃなくみんなの助けが必要なんだ。僕たちの社会はひとりだけが飢えることはない、みんなで飢えるかみんなで飢えを凌ぐかなんだ」


 僕たちの社会は助け合いの社会なんだ。と白羊は言う。


 一人でもお金を手に入れることはできる。私たちの社会では株式とかギャンブルというものがある。


 私たちには一人でお金を稼ぐ方法がある、と負けずに答える。


「だけどそれもキミだけじゃ無理でしょ、おそらくキミには見えない向こう側に誰かがいるはずだ」


 白羊の言葉は淡々としている。


「僕にはわからないなぁ、何でキミはそんなにも他者との関係が嫌なんだい」


 何故なら、私はみんなに理解されないし、皆みたいに面白い話しも、特技も何もない。わかる人にはわかるし、わからない人にはわからない。皆と一緒にいて話をしている時、私はいつも孤独を感じている。きっとこの白羊にはわからないのだろう。皆の輪の中にいる孤独とその場にいる自分に対する劣等感と嫌悪感、そして無意識に感じる周囲への嫉妬。


 私は、人と一緒にいると惨めになるだけなんだよと白羊に言う。


 学校やバイトや自分の情けなさや無力感という現実と、なりたい自分や憧れの日常に将来の夢という理想、現実と理想のギャップに私の胸は苦しくて堪らなくなった。そんな私のことを、白羊は優しくて、温かくて、穏やかな目で私を見てくれた。


「キミは気付いていないだけなんだよ」と白羊は言う。


 何に気付いていないの、と私は聞く。


「少し遠回りになるけど、僕たちから見た、キミたち人間の凄いところを話すね」


 白羊は一息つくように草をもしゃもしゃと食べはじめた。


「ねぇ、何でキミたち人間は様々な動物と仲良くなれると思う」


 何でと言われても私にはわからない。私は犬も猫も馬も好きだ。もちろん羊もである。


「それはね、キミたち人間は声にならない言葉を聴くことができるからなんだ」


 声にならない言葉……


「そうだよ。音ではない言葉さ、それをキミたちは聴ける、キミたちはこの特殊な力があるから人間なんだ」


 白羊はおいしそうに草を食べる。


「それはね、精霊という存在との交流だよ」と白羊は言った。


「キミたち人間だけだよ。見えないものや存在しないものと交流できる種族は、これが特殊な力さ」


 何ともピンとしない言葉だ。


 それと私と何か関係あるの、と白羊に尋ねる。


「まあ、慌てないで落ち着いて、ちゃんと関係あるから、キミたちは精霊とかの超自然的存在と交流するときにあることをするんだ」


 何をするのと私は白羊に尋ねる。


「それはね祀りだよ、あるいは儀礼と呼ばれるものさ」と白羊は言う。


「キミたち人間は、儀礼を通して精霊たちと交流するんだ。ほら、記憶の片隅を探ってごらん。覚えがあるだろう、葬式や喪の時に感じるものを、神社仏閣でお参りしたときに感じるものを、その瞬間にキミたちは死者や神仏と交流しているのさ」


 確かに白羊の言う通りだ。私はそれらの瞬間にある種の畏敬の念や、敬慕の情、神聖さを感じている。


「そうキミたち人間だけさ、生物と無生物の間に『死者』という概念をおいたのは、それが僕たちから見たキミたち人間の凄さだよ。僕たちにとって仲間は生きてるうちだけさ、死んだらただの物になる。だけどキミたちは仲間が死んでも物にならない、それは『死者』になり生き続ける。長い時間をかけて『祀る』ことで『死者』はやっと物に還る。成仏とはそういうことさ」


 死者とのコミュニケーション、それが私たちの凄さ、白羊はそう言った。


 それが聞こえない言葉を聴けるということ。


 それが私とどう関係してるの、と白羊に尋ねる。


 白羊はとても楽しそうにしている。


「考えてごらん、キミたちは様々な動物と交流ができる。だってこの世に存在しない『死者』とも交流ができるんだ。生きている動物と交流できるのは必然さ」


 動物と交流できるのは当たり前……


「もちろんさ、さらに言うなら、キミたちと言語体系がまったく違う動物と交流できるなら、まして同じ言語体系の人間とコミュニケーションなんてとれるに決まってる」


 何も怖れる必要はないと白羊は言う。


 しかし、私は他人と上手くコミュニケーションがとれない。私にとってコミュニケーションなどトラウマの象徴でしかない。


 あなたが言うほど簡単にはいかないよ、と白羊に言う。


「それはね、キミが聞こえる言葉に躍らされて、聞こえない言葉を蔑ろにしているからさ」


 白羊は空を見上げる。


「何度も言っただろ、死者も動物も、キミたちは聞こえない言葉だけで交流できる。キミは聞こえる言葉と聞こえない言葉、どっちがコミュニケーションするうえで大事だと思う」


 まあどっちも大事だけどね、と白羊はぼそっと言った。


 聞こえない言葉なんて言われても困るし、人とどう接すればいいかなんてわからない。


 私はただ明確で変わらない、北極星のような答えが聞きたい。


「そんなものはないよ」


 白羊が私の頭を見透かすように言った。


「大事なのは人ではなく、人と人を繋ぐ関係性だよ。点ではなく線が大事なんだ」


 白羊は自分達の群れを見る。


「大切なのは、母親や子供ではなく、母親と子供を繋ぐ『親子』という関係なんだ」


 白羊は穏やかに鳴く。全てのコミュニケーションの源流は母と子の関係であると。


「何も難しく考えることはないよ、聞こえない言葉を理解するのは、母親が赤ちゃんの声を聞くのと同じさ」


 母親と子供のコミュニケーション、それは返礼を意図しない贈り物の関係、正に自己を犠牲にし相手を助ける救いの関係性だ。


「その通りだよ。相手と良好な関係を築くには、返礼を意図しないで『惜しみなく与える』のさ、そして相手の『聞こえない言葉』に気づくことだよ。キミは赤ちゃんの泣き方だけで、赤ちゃんが何を求めているかわかるし、赤ちゃんの何気ない仕草が何を示しているか理解できるだろう。『聞こえない言葉』に気づくとはそういうことさ」


 あぁ、なるほど。母親と子供のコミュニケーションから全てのコミュニケーションは始まる。先祖を祀るのも親類の情だし、動物との会話も親類の情からだ。そして、親類の情は母親との交流で受け取るものだ。


 そして他者とのコミュニケーションも情からだ。それは仲間という親類の情に似たもので繋がるコミュニケーション。


 『惜しみなく与える』ものは、私はあなたを仲間と思い、あなたが困った時に助け、そしてあなたを信頼する人間だという『情』なのだ。これは確かに返礼を意図してはならない。見返りを期待した瞬間に嘘になる。母親が自分の子供に見返りを期待するだろうか。


 『聞こえない言葉』とは相手の何気ない仕草や、声には出せない相手の思いを汲み取ることだ。それは些細なもので、簡単に聞き落とす。ため息、舌打ち、涙、笑顔、言葉に滲むもの、相手の行動の全ては『聞こえない言葉』のサインなのだ。


「気付いたかい、キミはもう受け取るだけじゃない、確かに『受け取る』ことは大事だよ。だけどその後にちゃんと与えなければならない。受け取るだけじゃキャッチボールはできないよ。そしてそこに見返りを期待する気持ちは存在してはならない。たとえ相手がノーコンで変なところにボールを投げても、落ちたボールを拾って惜しみなく与えなくちゃ、キャッチボールは終わってしまう。キリストが慕われるのは、惜しみなく与え、そして相手に近づき相手の聞こえない言葉を聞こうと努力したからだよ」


 本当に大事なのは、面白く話すことでも、素晴らしい特技でもない。例え惜しみなく与えることができなくても、例え相手の聞こえない言葉に気づけなくても、与えられるように気づけるように努力することなんだ。


「その通りさ、ほら、やっぱり人間も僕たちも変わらない。コミュニケーションとは交換じゃないんだ『与えること』と『受け取ること』の繰り返しなんだ。ただお互いに与え合うから交換に見えるだけなんだ」


 それじゃあ僕は行くよ、と白羊は群れに向かって歩き始めた。そして私に振り返りながら言った。


「まあ、いきなり上手くいくことはないから、出来ることからやるんだね、あいさつだって立派な『贈り物』だよ」


 今の私には白羊が言わんとすることは良くわかる。だから私は白羊に対して万感の思いを込めてこう言った。


――ありがとう――


 白羊は嬉しそうに笑い、自分の群れに戻った。


――その信頼と感謝の気持ちを忘れないでね――


 白羊の言葉が聞こえたようだった。


 私は白羊の群れを、涙を流しながら見送ったあと、ふかふかの草地の上に寝転がった。


 もう大丈夫だ。私は帰れる。私は以前よりも私を深く信頼していた。そして私は、自分の殻を破り、一つ人間として大きく成長した。


 私と私を支えてくれた皆への、深い感謝の気持ちと大きな信頼と共に。

最後まで読んで頂きありがとうございました。この小説は、私の周りにいる人間関係について悩んでいるみんなに対してのアンサーソングとして書き上げた作品です。


『ことば』というテーマの下、言葉自体の構造について書いても良いかなと思いましたが、むしろコミュニケーション論の方が私の周りの人たちの心に響くのではないかと思い、このような作品になりました。


私の言葉に関する解釈は、作中の『コミュニケーション』に関する解釈と似たようなものです。


言葉とは『与える』『受け取る』『返礼する』ものとしてしか私たちの前に存在しません(独り言も一緒ですし頭の中の思索も一緒です)。正にこの言葉における3つの義務はコミュニケーションと同じです。


もしコミュニケーションが上手くいかないなと思ったら、自分が相手に贈っている言葉について考えて下さい。不誠実な言葉を相手に贈ってばかりで、人間関係が上手くいくはずがないんです。何故に敬語を使わなければならないのかは、私は相手に不誠実な言葉を贈らないためだと思います。


私にとって『言葉』と『コミュニケーション』は全くの別物ではなく、互いにオーバーラップする物なのです。


話しが長くなるのでこの辺りで終わります。本当にありがとうございました。

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[一言] 羊さんとの対話を読んでいる私達が、まるで主人公の様になり心の中に問いかけ響いてくる会話で、とても良かったです。日頃意識しているけれども見えていない大切なことを導いてくれた気がします。ありがと…
[一言]  素晴らしく説明が上手いです。自分も同じようなことを考えたことがありますが、上手く言葉にまとめる事が出来ず、うやむやのうちに自分の中からこぼれおちていくばかり。今回文章にまとめられているもの…
[一言] ことば小説企画に参加させていただいた愛田です。 作品拝読させていただきました。 白羊と主人公との会話で進んでいくというスタイルが新鮮でした。 このお話にコミュニケーションがうまくいかず悩…
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