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欲の鏡  作者: 半空白
8/9

 

 ところで、彼はなぜ鏡を見た途端、逃げ出したのでしょうか?


 それはいたって簡単な理由でございました。


 鏡には何も映っていなかったのであります。


 鏡に映ってないだけで、なぜそう逃げ出すのか、と思いの方もおられることでしょう。


 考えてみてください。


 彼は鏡とは姿を映すものだと認識しておりました。そう信じていたのに鏡には自分が映っていなかったのです。今までそのものがそうであると信じていたのに、悉く裏切られるのはどういう気持ちなのでしょうか?


 今では鏡にも映らない鏡とかそういうものもあります。ひょっとすると、その頃にもそういう鏡もあったかもしれません。しかし、殆んどの人はそんな鏡の存在すら知らなかったでしょう。


 ともかく彼は血相を変えて走っておりました。走り続けておりました。


 恐怖が彼を突き動かしておりました。まるで何かに追われているかのように、何かから逃げるように彼は走っていたのであります。


 彼は走っていくうちにどこか見覚えのある洋館を見つけました。


 彼はその洋館の前で「開けてくれ!」と叫びました。


 普通、気の狂っている得体の知れない人物を中に入れるとは到底思えませんが、ともかくその洋館の扉は開きました。


 邦彦はその洋館の中に入って少し息を整えておりました。少し正気を取り戻した彼は目の前に立っていた男を見て驚きました。


 そこにはかつて二十年ほど前に会ったあの男がそのときのまま立っておったのであります。男は笑みを浮かべて彼を出迎えました。


「まさか、また会うとは思いませんでしたね? 何か用でもございますか?」

「いや、特にこれと言った用があったわけではないのですが……」

「おやおや、それはありえないでしょうに。もし、用が無いのなら、この屋敷は見えないはずです。あなたにこの屋敷が見えたということはすなわちあなたがわたしに何かを求めたことです。そうでしょう?」

「──あ、あなたはいったい何者ですか?」

「おや? ここに来たということは私の正体くらいご存じだと思っていましたが知らないのですか……。これは驚きましたね」

「なぜあなたは年を取っていない! なぜあなたはここにいるんですか!」

「それはあなたの方がご存じでしょう。私はあくまであんたの望みに呼ばれ、そしてあなたの出す報酬を受け取りにここまで来たのですよ」

「報酬? いったい何のことですか?」

「それはあなたの方がご存じでしょう。これまであなたの望み通りの人生が歩めたのはなぜでございましょうか?」


 邦彦は途端に固まりました。それは、──神頼みをしたから。邦彦にはそうとしか思えなかったのです。


「おや、まだわからないのですか? それは私があなたの命をもらったためですよ。私はその命に少し細工をして、あなたの未来を歪めただけにございます。──しかし、まさか二回も来るとは。いくらなんでも驚きました」

「私の姿が鏡に無かったんだ! 私の姿を返してくれ!」

「おやおや、言ったでしょう。私はあなたの命をすでにもらっております。それを今更返せとは……。強欲にも程がありますね。──まぁ、いいでしょう。返してあげましょう、その姿を」


 男がそう言うと、光輝く何かが現れました。


 邦彦はそれをまるで、乞食のように手を伸ばして取ろうとしました。


 しかし、その光はゆっくりと消えていきました。


 邦彦は必死にその光を握りしめようとしました。しかし、その光はぷつりと消え去りました。その瞬間、邦彦は命のない人形のようにぱたりと横たわったのであります。邦彦は消えゆく意識の中、彼の耳は男の笑い声が響き渡っておりました。


 数日後、──今太閤が墓場で野垂れ死んでいた、と新聞の三面の小さな記事に載っておりました。高みに上った彼にしては彼の死はそれほど気にされない形で伝えられたのでございます。そうして、次第に彼のことを世間の人々は次第に忘れてゆくのでございました。


 ここで、男の正体について述べましょう。


 男はあの鏡の中に封じ込められた悪魔でございます。


 悪魔とは、人の悪感情を奪うことによって生き永らえておりますが、この悪魔はいつしか人の命まで追い求めるようになったのです。まぁ、人の魂が美味しいのかはたまた、美しいからなのか理由は分かりませんが、とにかく悪魔は人の命をあの手この手で騙した末奪い取っていったというわけであります。


 悪魔のその行いがいつしか、神の怒りにかかり、その悪魔はあの鏡に封じ込まれたわけであります。


 しかし、彼も悪魔とはいえ、人の悪感情なしに生きてはいけません。


 彼は鏡の中に封印されても外への干渉を試み、これまで生き永らえてきたわけであります。そんなとき、偶然喫茶店のマスターに彼が封じ込まれた鏡が買われて海を渡ってこの極東の地に来たのであります。しかし、彼は邦彦の命を奪い取った今でもあの鏡からは離れることはできません。


 その理由を申せと言われても、その悪魔はそう神に運命づけられたからとしか言えません。人の命を喰らったところで神の命に逆らうほどの力は得られません。──というより残っていないというほうが正しいでしょうか?


 邦彦が見たものはいったい何だったのでしょう。彼が死んでしまった以上、それは誰にも分かりません。


 ちなみに、この鏡は青年によってどこかの商人に売られました。別に今太閤の死がその遠因になったわけではなく、ただ彼は祖父から受け継いだ喫茶店を閉めた後に売り払った際に偶然その鏡がその中に入っていただけなのであります。


 それ以降、この鏡がどこに行ったのかは誰にも分かりません。


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