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あしゅら

作者: 齋藤理助

「はぁ」


 澄み渡る青空の下で僕は辛さや疲れが混ざった重く大きなため息をついた。 家へと向かう足はとてつもなく重い。心がバラバラになりそうだ。


「なぜこんなにも人生が辛いのだろうか」


 そんなことを言いながら彼は最近の出来事を思い返した。 確か今月の就業時間が二百五十時間を超えていた。 連日の徹夜でとてつもない眠気が僕を襲っている。 このあいだの健康診断もあまり良いとは言えない結果だった。 体に限界を感じ早退しなければ倒れていただろう。


「徹夜は良くないな。納期には間に合ったもののこのままの生活が続くのが不安になってくる」


 僕はそう呟きもう一度大きなため息をつく。 下ばかり向いては気分が落ち込むばかりだと顔をあげた。 駅前は様々な店が並んでいる。近くの小さな公園ではランチ休憩をしている や老人が犬を散歩させている。 そんな穏やかな日常を呆然と見て少し心が安らいだ。


ビーッ!


 急に近くで頭の痛くなるような音が鳴り響いた。その音が車のクラクションだと気づくのに少し時間がかかった。 僕は頭が一気に覚醒して急いで身を背後に引いた。 クラクションを鳴らしただろう軽自動車は目の前をものすごい勢いで通り過ぎていった。 どうやら赤信号の道路を渡ろうとしていたらしい。もう少し進んでいたら事故に遭っていたかもしれない。 僕の心臓がこの上なく激しく動悸していた。 だが、このまま歩けば車に轢かれることができる。この苦しい現実から抜け出せる。足を前に踏み出せば。 何台も過ぎていく車を眺めながら僕はそんなことを考えていた。





 俺は苛立っている。 明確は理由はない。しいて言うのであれば理不尽な現実にだろうか。 そして、それをどうしようもできない弱い自分に腹わたが煮えくりかえるのだ。 目の前にいる六人の若者にも腹が立つ。見た目は全員二十代くらいだろうか。 服装は細身で今時な格好をしている。 平日の昼に出歩けるのだからおそらく大学生だろう。彼女も作らず男六人とは寂しい奴らだ。片手に本を持って談 笑しながらこちらへ向かって歩いてきている。カバーをつけないのは珍しいな。自分には気づいていないようだ。


 彼らの現実から自分が理不尽に締め出されたような感覚がさらに俺を苛立たせる。 お前は気づくに値しないちっぽけな存在なのだと。 道は数メートルはあるが彼らは六人全員が横に広がって歩いているため避けるのは少し面倒だ。そもそもなぜ俺 が避けなければならない。道を開ける気遣いもできないのか。もういっそ力づくで押し通るか。彼らも少しは人の 気持ちがわかるだろう。 彼らはまだ自分に気づかない。どんどん近づいてくる。「カッ、カッ」と甲高い音も聞こえてきた。 よし決めた。もう我慢はできない。若者と俺が手を伸ばせば届くくらい近づいた瞬間、目の前にいた男の顔面に拳 をたたき込んだ。


「ブへッ 」


漫画のような声を出してそいつは道の端に吹き飛んだ。


「え?」


一緒にいた周りの人間は何が起こったのか分からず呆然としている。 今のうちに逃げよう。俺は全力で走り出した。


「待てコラァ 」


誰が言ったかはわからないがその声をきっかけに数人の足音が後ろから聞こえる。おそらく俺を追ってきている のだろう。捕まったらおしまいだ。流石に何人も相手にできるほど喧嘩は強くない。 後ろも振り向かず必死に走った。道を塞ぐ看板も自転車も全て蹴り飛ばす。 とにかく隠れる場所を探すんだ。周りを見渡すと大型ショッピングモールの看板を見つけた。 人がたくさんいればその分紛れ込める。 俺は人生で初めて全力疾走でショッピングモールへ向かった。





 私は服が好き。ジャンルは全然問わないわ。どんなものもそれぞれ良さがあるもの。ただ、私にはちょっとした悩みが ある。身長が平均よりも随分と高いの。体型は細身だから一応は着れても丈が足りないってことがよくあるわ。日本人の ために作られた服はなかなか私に合わない。悲しいことだけど仕方ないわ。だから今日は期待に胸を膨らませて来たの。 近くにできた大型ショッピングモール。ここにはいろんなブランドの店もあるって知ってずっと気になってたの。どこか には私に合う服がある可能性が高いじゃない? でもなかなか難しいようね。目の前にいる女性の店員さんも変な顔をして いるわ。


「え......と、お客様に合う丈の服でしょうか?」


 あきらかに困惑している顔だ。その気持ちわからなくはないわ。いや、それとも身長差のせいで怯えているのかしら。 店員さんとは頭ひとつ分くらいは差があるものね。


「えぇそうよ。あったりするかしら?」


 この店は海外ブランドだからサイズは大きいものがあると思っていたのだけれど。これでダメなら他へ行けばいいわ。 「ちょっと確認しますのでお待ちください。」 あら、あるのかしら。一分ほど待つと先ほどの店員さんが戻ってきた。


「こちらへどうぞ」


 やった。やっと当たりを引いたわ。この店の前に二軒も回って若干諦めかけてたわ。


「こちらの サイズであればお客様でもご試着できると思います」


 壁面の一部分が全て大きめのサイズの服のようだ。ラインナップは想像したよりはるかにあった。これは嬉しい 誤算ね。さっそく私はいくつか気に入ったデザインの服を手に取った。


「試着しても良いかしら」


「あ、はいこちらへどうぞ」


 私は案内された試着室のカーテンを開けた。鏡に映った自分の格好が少しだけ気になる。そういえば、今日は仕事帰 りに買い物へ来たから仕事着のままだったわね。スーツはクリーニングに出した方が良さそう。ワイシャツは若干くた びれてジャケットにはシワがついている。気持ちを切り替えて試着しましょう。今日はそのために来たんだもの。先ほ ど選んだ服を順に着てサイズ感や雰囲気を確認していく。自分が普段着ないようなものも選んだつもりだったが存外似 合っていてテンションが上がった。購入するものを決めて試着室から出ようとした時に外が騒がしいことに気づいた。


「何でしょう。クレーマーでも来店したのかしら」


  カーテンを開くと先ほど私を接客していた店員さんがちょっと地味な男と言い争っていた。





 ショッピングモールに入ると平日にもかかわらず沢山の人でにぎわっている。 とにかく目立たないところへ。そう考えてながら施設内を見てまわった。 側から見たら俺はどんな人に見えるだろう。 ものすごい催しているとか思われるんだろうか。そうだトイレに隠れようか。 いや個室で見つかったらもう逃げることができなくなる。 いい隠れ場所を探して走っていると目の前にまた道を塞いでいる奴がいた。 今度は手を繋いだカップルだ。なんて不運な日なんだ。 女性に暴力をふるうことは流石にできない。仕方ないので彼氏の方をブッ飛ばそう。うんそうしよう。 気分が乗ってきた俺は全力で彼氏の背中に思い切り蹴りを入れた。


「ぽぇ!」


 間抜けな声を出して彼氏が吹き飛んだ。 走っていた勢いあるせいか先ほどの若者よりも吹き飛んでいた気がする。 彼女に目を向けると一瞬の出来事で動揺したのか泣いていた。 すまないね。ちょっと邪魔だったんだ。 あとなんかムカつくからさ。地味な顔なのに彼女がいるところとか。 吹き飛んだ彼氏の少し先の方に隠れるのにちょうどいい店を見つけた。 あそこへ逃げ込もう。


 俺は彼氏を踏み越えて店へと駆け込んだ。 遠くのほうでドタドタと走っている音がする。まだ俺を追っているんだろうか。 気づけば耳までバクバクと脈打っている。こんなに走ったのは久しぶりだ。 とにかく息を整えてこれからのことを考えよう。 少し安心したせいか疲れが全身に吹き出してきた。


身体が急に重くなり意識が遠くなっていく。 必死に抗うがどうしようもなかった。





 あの男、背中にめちゃくちゃ靴跡ついているじゃない。 セール品の取り合いでもしてきたのかしら。 面倒に巻き込まれるのもいやだからちょっと静観していましょう。 だが、数分経っても男が帰る様子がない。 仕方ないわね。 これ以上待っても時間の無駄だわ。 私は店員に絡んでいる男に後ろから近づき声をかけた。


「ちょっとアナタ。あまり人に迷惑をかけちゃダメよ」


 男は振り返って私の顔を見ると大げさなくらいに目を見開き驚いた。 そしてトラウマでも思い出したかのように顔を真っ青にすると何も言わずにそそくさと逃げてしまった。 あら随分屁っ放り腰ね。まぁ大事にならなくて良かったわ。 私は振り返って店員さんに先ほど試着した服を渡した。


「これとこれ......あとこれも買うわ」


 店員さんは気の抜けた表情をしていたが私が話しかけるとすぐに我に返った。


「あ、はい、レジの方でお会計します」


 会計を終わらせると店員さんが私に向かって言った。


「先ほどのことも含めて色々とありがとうございます!」


 まぁ大したことはしていないけれど悪い気分じゃないわね。 今日は人助けしちゃったわ。 さらにたくさん服も買えて幸せね。 そうだせっかくだからみすぼらしいスーツよりも新しい服をきましょう。


「すみません。この服着て返ってもいいかしら?」





「えっと僕何かしましたっけ」


 今、僕は数人の男性に囲まれている。彼らは物凄い剣幕で顔を近づけて僕の目を見てくる。彼らの年齢は二十代 といったところだろうか。恨みを買うどころか普段僕が関わることすらないであろう年齢層だ。鼻頭を青くした青 年が大声で叫んだ。


「とぼけるんじゃねぇ! 服装を変えて変装しようとしても無駄だ! 俺は殴られて覚えてないが他の奴らはちゃんと 面覚えているんだよ!」


「はい?」


 僕は多分マヌケな顔をしているだろう。人なんか殴ったことはないし殴りたいとも思わない。


「じゃあその手は何なんだ」


 僕の仕事はパソコンでの作業がメインだし家事もやらないから手なんかタコくらいしかないぞ。 そう思って拳を見ると血が出ている。あれ、なんで怪我をしているんだ。 まさか、そんなはずはない。だがいつの間にか服がくたびれたスーツからまるでモデルが着るようなオシャレな ものに変わっていた。


 これは何かの間違いだ。そう言おうと顔を上げたが目の前の彼らはそんなこと聞いてはくれなさそうだ。今にも 襲い掛かりそうな空気を醸し出している。


 よし、逃げよう。 僕は後ろを振り向き全力で走り始めた。なぜだろう。少し走っただけなのにもうすでに疲れ切っている。 働き詰めだったからなぁ。最近、似たようなことがあったような気がする。


「ああああああっ!」


 正面から狂気を帯びた叫び声が聞こえた。金属バットを持った青年がまっすぐこちらへ向かって走ってきている。 心なしかその目は僕に向けられている気がする。まさかね。


「二度も邪魔しやがったな! クソ野郎!」


 うん、あの人も僕を狙っている。僕は急いで右へ曲がった。あちらは人数がいるから曲がり角を利用すれば手こずって 巻けるかもしれない。コーナーで差をつけろ。だが僕は思った以上に体力が限界に来ていたようだ。さらに角を曲がった ところで膝が限界を迎えて震えだした。もう走れない。無理無理。やばいこのままじゃ捕まる。そう思った時だった。


「こっちへ来なさい」


  声をかけられると同時に僕は腕を思い切り引っ張られた。





 僕を追っていた若者たちは角を曲がったところで老人にぶつかった。目が悪いようで白い杖を持ちサングラスをかけて いた。若者たちは横を走り抜けていった。今、僕は関係者以外立ち入り禁止の扉の中にいた。僕の手を引いたのはさっき 店にいた女性の店員だ。


「あの、助けていただきありがとうございます」

 すると彼女は笑顔で答えた。

「いえ、二度も助けてもらったので」


 僕が彼女には先ほど初めて会ったばかりのはずだ。もしかしたら他の人と勘違いしているのかもしれない。


「あの、助けていただいてなんですが、おそらく人違いだと思いますよ」


  すると彼女は首を傾げて考える素振りを見せた。

「いえ、口調は先ほどとはちょっと違いますけど間違いないと思います。ウチのブランドの服着てますし。しかも新品で」


  確かに今着ている服は先ほどの店にもあった気がする。僕の混乱した顔を見て彼女は言った。


「それでも信用できないなら、もう一人目撃者というか証言してくれる人がいますよ」


 僕自身には記憶がないのに他にも見た人がいるのか。


「私も助けてもらったんですよ」


 その声を聞いて僕は後ろを振り返った。そこにいたのは先ほどの僕を追っていた若者とぶつかった盲目の老人だった。


「アナタが若者を退けたり自転車を移動させてくれたおかげで私は道を無地に通ることができたんだ。まぁやり方 はあまり褒められたものではないがね」


 記憶を遡っても助けたことを全く覚えていない。だが初めての気がしない。僕はこの二人を助けたことはおそらく事 実なのだろう。女性店員さんは他のスタッフと少し離れたところで話していた。しばらくするとこちらへ戻ってきた。


「警察が到着したらしいのであなたを追っていた人たちは逮捕されると思います。念のため、あなたは裏口から出し ますね。こちらへどうぞ。」


 僕は盲目の老人にお礼を言ってから店員さんに連れられデパートの裏口から外へ出た。天気は眩しいくらいの青空 だった。服をヨレヨレのスーツから一新した。久々に全力疾走をした。気分は爽やかでスッキリしたものだった。 いろいろな嫌なことがたくさんあったはずなのに。僕の代わりに誰かががストレスを発散してくれたのだろうか。


 なんとなく明日も頑張れるような気がした。



はじめまして、齋藤理助です。

楽しく読んでいただけたら幸いです。

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