爺さんとの会話。ナナシとの契約。ジガノへの到着。
ダムシュ爺さんと並んで歩きながらオレは、これまであの影にまとわりつかれてから今までのことをざっと説明した。
ベッデルが壊滅してから以降はオレの周囲に誰かしら他の人間がいることがほとんどだったし、オレは自分一人の時にしかあの影と会話を交わすことがない。
そのため、かなり詳細に説明しても実際にはたいした時間がかからなかった。
オレがやつとやり取りをしたことといえば、やつがオレになにかいってくるたびに、オレがそれを即座に拒絶するといったことの繰り返しでしかない。
「怪しげな存在を警戒するのはわかるがの」
一通り、オレの説明を聞いた後で、ダムシュ爺さんはそういった。
「わしらの周囲が全般に、もうかなりおかしなことになっておる。
この上、なにを恐れるというのか」
失う物は、もうなにもない。
この爺さんにしてみれば、そうなのだろうな。
と、オレは思う。
しかし、オレにとしては、必ずしも同意はできなかった。
「命」
オレは爺さんにそう答える。
「オレ自身の、命。
オレはまだ、爺さんほど長く生きていないから」
あの影のような妙な存在を警戒するのは、オレにしてみれば当然だった。
迂闊にやつを受け入れたことで、その先どんな災厄に巻き込まれるのかわかったものではない。
オレの返答を聞いた後、爺さんはしばらく笑い声をあげた。
「そうかも知れんの」
笑い終わった後、爺さんはそういう。
「なんといっても、お主はまだ若い。
それだけに、失う物も多いか」
そういう爺さんの口調はどこか優しげで、同時に寂しげでもあった。
「その意見ももっともだとは思うが」
爺さんは、そう続ける。
「慎重なのはよしとして、しかしすでに慎重なだけでは凌ぎきれない状況になっていきているのではないかな。
なにしろ、ベッデルの連中が頼みしていたユウシャの連中が、今でのこんな様子だ」
そういって爺さんは、両手を広げた。
今、かろうじて生き残っているユウシャは、居留地を発った時の人数から数分の一にまで減っていた。
その生き残ったユウシャも、ほとんどは戦闘要員ではなく、これまでは町中で生産活動にいそしんでいたような連中がほとんどだ。
つまり、戦力として考えると、この集団はもはや壊滅に近い打撃を受けているわけで。
この先、少し規模が大きい魔群にでも出くわしたら、それこそ本格的に危ない状況なのだった。
そんな中、ダムシュ爺さんは、多少胡散臭い存在に頼ることになっても、生き延びる努力をすることを優先するべきなのではないかと、そう促している形になる。
「危険はないのか?」
「今のところは」
オレが短く確認をすると、ダムシュ爺さんは即答をした。
「わしに憑いているのとお主についているのとが、同質の存在なのかどうかもわからんわけだが。
それでも、わしのところに憑いているのは、よく慣れて特に悪さもせん。
ただ、しばらく魔群と出くわさんと、不機嫌にはなるがな」
「不機嫌に?」
オレは反射的に訊き返していた。
「それはまた、なんで?」
「わしに憑いているやつは、魔群を食らう」
ダムシュ爺さんはそういった。
「腹が減れば機嫌が悪くなるのは、当然じゃろ」
ダムシュ爺さんから遠ざかり、オレはしばらく一人で歩きながら考えてみる。
魔群を食らう。
ということは、爺さんに取り憑いているやつは、魔群の仲間なのではないか。
オレたちや、元からこの大地に住んでいた生物は、魔群の肉を食うことができない。
無理をすれば噛み砕き、飲み込むことはできるのだが、大抵はその直後に吐き出してしまう。
どうもオレたちの体は、魔群の肉体を消化できるようにはなっていないらしい。
そんな魔群の体を好んで食いたがるやつがいるとすれば、そいつはやはり魔群の一種なのではないか。
その魔群の仲間が、なぜダムシュ爺さんやオレに取り憑き、それどころかなんらかの協力を申し出てくるのか、その動機までオレには想像することができなかったが。
オレや爺さんにまとわりついているやつらが魔群の一種であると考えると、そもそも魔群の考えることを推測するという行為自体がかなり無理なような気もする。
ダムシュ爺さんに憑いているやつのことはよく知らないが、オレにつきまとっているやつについていえば、あいつはすでに人語を操っていた。
しかし、言葉を理解し会話が可能だからといって、オレたちに人間の基準や価値観をそのまま理解できる存在だと仮定するのは間違いだろう。
いや、そうではない、理解不能な存在だと認識した上で、うまくつき合うしかない。
そこまで考えてオレは、自分があの爺さんがいっていた通り、あの影をどうにかして利用をしようとそう考えていたことに気づいた。
ユシャをはじめとして、同行している連中が揃ってあてにならないこんな状況では、オレ自身の力量でどうにかやっていくしかない。
多少の危険があるとしても、あの影のような得体の知れない存在だってうまく利用していかなければ、この先、生き残ることもおぼつかないだろう。
「いるのか?」
歩きながらオレは、小さな声で呟いた。
「影」
「ずっとともにいた」
地面の方から、やけにはっきりとした声が聞こえる。
オレは焦って素早く周囲を見渡したが、他の人間は少し離れた場所にいたので、どうやらその声が聞こえなかったようだ。
「ずっとだって?」
オレは、地面を見ないように気をつけながら、小声で呟く。
「なんでまた、そんなことを」
「お前は、興味深い」
声が答えた。
「人間、いろいろと見てきたが、どの人間とも違った行動を選ぶ」
得体の知れない化け物に興味を持たれ、自分でも知らないうちにずっと観察していたと告げられた時の気持ちをどう表現するべきか。
端的に、短く説明するのならば、「ただひたすら薄気味がわるかった」。
「お前は」
オレは、さらに問いかけた。
「魔群なのか?」
「わからん」
声が即答する。
「そうである可能性は高い。
そう、推察はするが。
そも、自分が何者かと問いかけられ、そのまま詳細に説明をできる者がどれほどいよう」
なんだか小難しいことをしゃべりはじめた。
「オレは、ユウシャでもなんでもない、普通の人間だぞ」
オレは反駁する。
「普通の人間とはなんだ?」
声は即座にそう返す。
「明確に定義し、人間ではないおれにも理解できるよう、この場で説明をすることが可能か?」
うむ。
と、オレは思う。
今度は、少しだけ、やつがいいたいことがわかった気がする。
この影が「自分は魔群である」と認めるためには、前提として「魔群とはなにか?」といった定義とオレと共有していなければならない。
そうでないと、ある存在がその魔群であるかどうか、判断をする基準がなくなるからだ。
「魔群とはなにか、それがわからないから、自分が魔群かどうかも断言できない」
オレは、そういう。
「そういうことなんだな」
「そうだ」
声はいった。
「その理解は、正しい」
まあいいか。
と、オレは思う。
ここで肝心なのは、こいつの正体よりも、こいつが今後オレの役に立つかどうかだ。
「お前は、魔群を倒すことができるか?」
「可能だ」
「魔群を倒すことに、抵抗を感じないか?」
「いかなる抵抗も感じない」
「オレのために、オレが命じた時のみ、魔群を倒してくれるか」
「可能だ。
だが、条件がある」
「なんだ?」
「おれに名をくれ。
そうすれば、おれはお前のために働こう」
「お前なんか」
オレはいった。
「名無しで十分だ」
「ナナシか」
声は答えた。
「いい名だ。
今後、おれの力を必要とする時は、その名を口にして助けを呼ぶがいい」
こうしてオレは、魔群かも知れない、得体の知れない存在であるナナシと契約を結んだ。
ダムシュ爺さんに案内される形で、ジガノとかいう港町への旅はその後の続く。
実際には、全員で羊たちといっしょに延々と歩き続けているだけなのだが。
それでも、食糧の心配をする必要がほとんどなくなったのは、正直かなりありがたかった。
爺さんの羊から取れる乳だけで全員の空腹が収まるわけではないのだが、それでも余裕はできる。
餓死する心配がほぼなくなれば、それだけ誰もが多少は余裕を持つことができた。
多少の余裕ができたからか、それまでふらふらで狩りも失敗続きだった連中も、多少はなんらかの獲物を持って帰るようになった。
何度か魔群や野生動物にも襲われたが、それも今までのように大規模な集団ではなく、今のオレたちでも問題なく対処することができた。
爺さんと合流してからこっち、なにもかもがうまくいきすぎて、かえって怖くなるほどだ。
それでも、なんの問題もない旅程は自然とオレたちの気持ちをほぐし、全員の表情が心なしか柔らかくなったような気がした。
最低の状況からは、どうにか脱することができた。
オレをはじめとするほとんど全員が、そう思っていた。
「あれが、ジガノだな」
ある日、ダムシュ爺さんは遠い地平線を指さして、そういった。
「まだまだ遠いが、どうにか見えてきた」
とはいっても、そのジガノらしき場所はまだ点にしか見えない。
それも、目をこらして、ようやく確認できるほどの小さな点だ。
しかし、ついに目的地が見えてきたことで、オレたちは沸き立った。
羊たちも連れているので走り出すことこそしなかったが、全員の足取りが軽くなった気がする。
何ヶ月も目的地を持たなかったオレたちが、ついに足を止められる場所へ近づいたのだから、気分が軽くなるのも仕方がないだろう。
オレたちは休むことなく歩き続け、ジガノの町は次第に大きく、建物の形なども見分けることができるようになった。
そしてそのジガノの町は、ある瞬間、オレたちが見ている前で、唐突に半分ほど消し飛ぶ。
ジガノの建物よりも巨大な魔群が何体も発生し、オレたちが見守る中、破壊の限りを尽くしていた。




