回送電車に乗って
初めまして。秋本そらです。
初めて作品を投稿します。
趣味で書いているので拙い作品ではあるかと思いますが、最後まで読んでいただけますと幸いです。
僕は電車に乗っていた。車内には誰もいない。しんと静まり返った車内。がたんごとんと電車が揺れる音しか聞こえない。車内アナウンスさえ流れてこない。乗り慣れた電車。電光掲示さえない、天井に扇風機が付いている、僕の知る中で多分一番古いやつだ。
ふと、遠くから、コツコツと靴の音がするのが聞こえた。そしてその音はだんだんと近づいてきて、止まった。……僕のすぐ近くで。
「えっ……」
誰かが独り言を呟いた。しかし、それは電車の音でかき消されていく。
「嘘……でしょう?」
人がいることを確信し、振り向くと、女性の車掌さんがいた。女性の車掌さん、初めて見たなぁ……。
「こんばんは。涼しい夜ですね。……あなたは一人ですか?寂しくないのですか?」
急に話しかけてきたので少々驚いたが、僕は答えた。
「こんばんは。ええ、一人です。少し寂しいですけど、一人きりもなかなかいいですよ」
すると、車掌さんは少し考え込んだ後、言った。
「一緒に話しませんか?ちょうど話し相手が欲しくて。私、実は今、暇なんです」
「いいですよ」
窓の外の暗闇の中で一つだけ、星が輝いていた。
「自己紹介から始めましょうか。私からしますね。私は花籠ちりかです。ご覧の通り、この電車の車掌です。よろしくお願いします」
花籠さんは笑った。
その笑顔には見覚えがあった。思い出そうとするが、昔の記憶に濃い霧がかかったかのようで、思い出せない。ということは、気のせいか。どうしても思い出せなくて、結局諦めた。
そうだ。今度は僕が自己紹介をする番だ。
「僕は高橋 優太です。僕は高校の吹奏楽部に所属しています。部長を務めているんです。担当の楽器は……。」
僕は思わず話すのをやめてしまった。花籠さんの悲しそうな目は、何かを語っていた。
でも、何を語っているかは分からなかった。
僕は色々な事を話した。幸せだったことも、辛かったこともなぜか全て打ち明けられた。彼女は聞き上手なのだ。
「僕が二年生の時に、三年生の先輩がドッキリを仕掛けたんです。暑い夏の日に、アイスを差し入れるためのドッキリです」
「そして、どうなったのですか?」
「ドッキリは大成功でした。最終的には、みんなで笑いながらアイスを食べました」
「……素敵ですね」
花籠さんはそう言って、遠くを見つめた。懐かしそうな目をしていた。
「僕は半年前に、つまり高校2年の秋に、部長に指名されました。驚きでしたよ」
「きっとあなたが優しいせ……、優しい方だから指名したのでしょうね。でも、不安だったのでしょう?」
「はい。とても不安でした……。でも、やるしか無い、と思って今までやってきました」
「……クラリネットの練習と、後輩に教えるのと、部長の仕事。三つを全て両立させるのは大変ですよね」
「はい……え⁉︎」
なんでクラリネットをやっている事を知っているんだろう?そんなこと話してないのに。
「あ……」
しばらくの間。
「……クラのリードケースが鞄からはみ出てますよ」
あ、そういう事か。
「ありがとうございます」
リードケースを鞄の中にもどし、ついでに話も戻す。
「この間、定期演奏会だったんです。今日はその打ち上げでした。今はその帰りです。でも、不思議ですね。人はあなたしかいないし、車内アナウンスも無いのですから」
「……当たり前ですよ。だって……、」
花籠さんは、そこで言うのを止めた。
沈黙を破ったのは、花籠さん自身だった。
「私の昔の話を聞きたいですか?なぜ、私がここで、車掌をしているのかを」
僕はうなづいた。
「昔、私も吹奏楽部員だったのです。ある日のことでした……。私が高校1年の時でした。私は部活帰りに、電車に乗ろうと、電車を待っていました。譜面を見ていたら、強風が吹いてきて、譜面が線路に飛んでしまいました。私は慌てて線路におりて拾い始めました。何故そんな事をしたのか、私も分かりません。でも、その時は譜面を拾うことしか頭になかったのです。その時、電車の音が耳元で響き、身体に激痛が走ったのです」
「えっ⁉︎」
……花籠、さん?
まさか……。
「そして私はいつの間にか、回送電車に乗っていました」
花籠さんはため息をついた。
「回送電車……それは時たま人の寿命を示すものになるのです」
ん……?どういうことだろう。
「実は、電車に轢かれてしまった時、私はまだ死んではいなかったのです。もっと早く人身事故に遭ったことを思い出していれば、私はまだ生きられたのです」
がたんごとん、と音は響く。
予想通りだった。
彼女は、人身事故にあっていたのだ。
「しかし私は終点まで乗ってしまいました。『回送電車で終点まで乗る=死』だと知らなかったのです。誰も教えてくれませんし、私は部活帰りの電車だと思っていましたから」
遠くを見つめる花籠さん。目には、涙が。
「私は終点に着いた時に初めてそう知り、『私のような人をもう増やしたくない』という思いで、車掌になったのです。回送電車に乗って来た人に、『あなたはここにいてはいけない。早くこの電車を降りなければならない。』と伝えるために……」
そうだったのか……。
……えっ⁉︎
僕はぎょっとした。この電車に花籠さんが乗っている、ということは……。必死に考えるが、頭がぼんやりする。だめだ。全然何も考えられない。思考が働かない。
「え……、つまり……」
「あなたは人身事故にあったのです。思い出せませんか?」
人身事故……
ぼんやりする頭で必死に思い出そうとする。
……あっ!
思い出した。
僕は……、人身事故にあったのだ。
少し前の事だった。一つ下の後輩たちがホームで笑っていた。軽いふざけあいだ。その時、1人が線路に落ちそうになった。電車がもう直ぐ滑り込んでくるのに。
「危ない!」
僕は叫んで、彼女をかばっていた。勝手に身体が動いていた。
彼女は無事だった。
その代わりに、僕が線路に落ちた。
「優太先輩!」
次の瞬間、激しい痛みが僕を襲った。
(きゃぁ……)
彼女のかすかに泣き叫ぶ声が最期に聞こえて、僕は気を失っていた。
その事を花籠さんに言うと、彼女はほっとした顔をしていった。
「よかったです……。間に合いました。あなたがなぜこの電車に乗ることになったのかを思い出せれば、この電車を降りられるのです。本当に、よかった……」
彼女がそう言った、次の瞬間。
「次は、川上、川上です」
初めて聞いた、車内アナウンス。
ん?川上って、僕のいたホームじゃないか。
「だから、元の場所に戻るのですよ。そうですね、30分ぐらいですかね」
彼女はそう言った。
「あなたにお守りを差し上げましょう。いつもここに来た人が元の世界に戻るとき、渡しているのですよ。……何色が好きですか?」
「水色と、黄緑が好きです」
「水色と黄緑ですね」
あとは白を組み合わせればいいかな、と彼女は呟き、その三色の糸を取り出し、かぎ針でその細い糸を器用に編み始めた。
「これは鎖編みっていうんです。かぎ針編みではすごく基本的な編み方です」
しばらくの間、お互い無言が続いた。
僕は気まづくなって、その沈黙を破った。
「そう言えば、花籠さんは何をふ……」
「ちりかって呼んでください。私は、私は……」
少し震えた彼女の声を聞いて、僕は思わず、花籠さんを見た。
「私は、永遠に高校1年生のままなんですから」
花籠さんの服装はいつの間にか変わっていた。
もう、花籠さんは車掌ではなかった。
そこにいたのは、僕の通う高校の女子高生だった。僕の一個下の学年の色の校章をつけている。
ちなみに、僕の学校では学年ごとに校章の色が少し異なっている。
そっと何かが僕の腕に触れた。ミサンガだった。三本の鎖編みの紐を三つ編みして作られた、美しいミサンガ。花籠さんがそれを僕の腕に結ぶ。
「優太先輩が、2度とここに来ることがありませんように」
彼女は笑った。
その笑顔は、そう。
僕の大好きだった笑顔。
いつも部員を笑顔にしてくれた、笑顔。
やっと……。
やっと思い出せた。
花籠ちりか。
僕の一個下の、ファゴットの後輩。
僕が部長になった一ヶ月後に、電車の人身事故で亡くなった、後輩。
僕の記憶は、あの日へ飛んだ。
とある秋の日。僕が部長になってから一カ月ぐらいの時だった。突然の訃報を部員につたえなければならない辛さに、僕は耐え切れなかった。
「突然の訃報ですが……、花籠ちりかさんが、人身事故により、亡くなりました」
声が震えたのは、緊張しているせいではなかった。
オーボエ・ファゴットパートの新パートリーダーが、大声で泣き出した。他の人も、悲しげだった。泣いている人がほとんどだった。気づいた時には、僕も泣いていた。
「ちりか、久しぶりだね」
僕はそう言って、笑った。
「まさか、先輩がここに来るとは思いませんでした。……もう二度と、ここにきてはダメですよ?」
「わかってるって。このミサンガがあるんだもん。きっと大丈夫」
「そうですね」
2人で笑った。そして、お互い思い出を語り合った。
『まもなく、川上、川上。降り口は、左側です』
プシューッっという音とともに、扉が開いた。僕はホームへ降りた。
「約束ですよ。みんなには内緒にしてくださいね」
ちりかは言った。
「うん、もちろん」
最後に2人で微笑みを交わした。
「優太先輩を止める事ができて、よかったです。もう会う事はないでしょう。あと半年、引退まで頑張ってくださいね」
「ちりか、元気でね!」
扉がプシューッと音を立てて、閉まった。回送電車は、がたんごとんと音を立てて出て行った。そのあとに待っていたのは、何の音もしない、静けさだけだった。
僕は誰もいない、暗い夜のホームで立ち尽くしていた。
(ねぇ、聞こえる⁉︎ ねぇ、優太!)
ふと、遠くから同級生の吹奏楽部員の声が聞こえた気がした。
(優太先輩!)
後輩が泣き崩れる声も聞こえる。
空耳じゃない。みんなの声が聞こえる。
(優太先輩、早く戻らないと)
どこかでちりかが、くすっと笑った。
(みんなに会いたいと強く願えばいいだけですよ)
声も続いて聞こえてきた。
「ちりか、ありがとう」
僕は呟いてから、強く願った。
(みんなに会わせてください。もうみんなに心配をかけたくないです。お願いですから……)
次の瞬間、僕は気を失った。
ふと気がつくと、そこは病院だった。僕は起き上がろうとしたが、身体が痛くて、思わずうめき声をあげた。その時。
「……優太、先輩?」
パートの後輩、中野優菜ちゃんが寝ぼけながら呟いた。僕がかばった後輩は彼女だった。
「夢かなぁ……きっと、夢だよね……こんなに眠いんだもん、先輩の事考えていたから、きっと……ふわぁ……眠いなぁ……」
近くの時計を見ると、朝の8時だった。彼女はもう一度ふわぁ、とあくびをして、もう一度寝ようとした。睡眠不足らしい。
彼女はもしかしたら、つきっきりでここにいてくれたのかもしれない。そう思った僕は、嬉し涙をこらえながら、出来る限りの笑顔で、彼女に言った。
「優菜ちゃん、おはよう」
その瞬間、彼女の目は大きく見開かれた。目も覚めてしまったらしい。
「嘘じゃ、無いですよね?」
「嘘じゃ、無いよ」
「夢でも、無いですよね?」
「夢でも、無いよ」
「……」
「おはよう、優菜ちゃん」
その途端、彼女の目から涙が溢れ出した。
「優太先輩、ごめんなさい!無事でよかったです……!」
「もう大丈夫だよ。心配かけてごめんね」
彼女はしばらく、なきじゃくり続けた。
しばらくすると、 部員がやってきた。1人部屋だったので、来た人全員が部屋に入れたのだ。
「みんな!」
僕が思わずそう声を上げた瞬間、
「あーっ‼︎」
「優太!無事でよかった!」
部員が一気に叫んだ。泣き出す人もいた。
「心配かけてごめん。……ただいま」
「もうっ!全く、部長がみんなに心配かけてどうすんのよ!」
と副部長に怒られてしまったが、
でも、戻ってくることができてよかった……。
どこかでほっとしている自分がいた。
ふと、そこに何人の部員がいるのかが気になって数えてみた。そして、あることに気がついた。
……まさか……部員全員が来てくれたなんて!
いつの間にか、涙が流れていた。
「みんなそろって、部員全員で来てくれて、ありがとう。早く部活に戻れるように、頑張るよ」
「うん!」
「待ってるよ!」
「またいろんなこと教えてください!」
……みんな、ありがとう……。
その日の夜、ふと思い出した。
そういえば。
いつだったか、ファゴットパートの友達が教えてくれた。
「ねえ優太、ファゴットの音は『死者を蘇らせる音色』だと言われているんだって!」
ファゴットの音は死者を蘇らせる音色……。
死者って……ちりかの事?
それとも。それとも……。
ふと、あれは夢だったのではないかと思った。回送電車に乗って、亡くなったはずのちりかと話したなんて、夢だったのではないか?
でも、すぐに夢でない事を悟った。腕にちりかが作ったミサンガが付いていたからだ。
不思議な事に、そのミサンガは月の光に反射し、光り輝いていた。
ファゴットの音は死者を蘇らせる音色……。
もしかしたらその『死者』は、
僕だったのかもしれない。