一体の幼い魔物と一人の女の子の昔話
「これからお話するのは……、私が、いや、お父様でさえもまだこの世に生まれていなかったような、遥か昔のことです」
デューラーは静かにそう語り出した。
*
その時代の様子は、現在のように私達魔物が人間と激しく争っているような過酷なものとは大きく違って、昔の彼らは互いに笑いあい、そして共に協力しあって生活をしていました。
それは、ある村では一緒に農作業を行ったり、また別の村では皆で集まって読書会を開催するなどをするほどであり、世界ははどこもかしこも活気に満ち溢れたものでありました。
あるところに、一体の幼い魔物と一人の小さな女の子いました。彼らは、晴れの日には川へ石を投げて遊んだり、雨の日には軒の下で空から落ちてくる水滴を眺めたりするなどして、毎日ひと時も離れずにいました。
しかし、ある大雨の降った翌日のことです。
彼らはいつものように、龍なんかが泳いでいそうな河川へ出かけました。その流れは穏やかな普段よりも勢いが強く、大きな音を轟かせて河水を縁に打ちつけていました。
そこですぐに若い魔物は近づかない方がいいと気付き、そのことを人間の女の子に伝えました。川の水流は膝まで浸かってしまえば押し流されてしまいかねないほどの激流だったのです。
ですが女の子はそれを危険だと認識しませんでした。少しくらい流れが強くても大丈夫だろうと甘く見ていたのです。たとえ流されてしまったとしても、傍にいる魔物がきっと助けてくれるだろうと。
そして女の子は奔流の中へ躊躇なく足を踏み入れました。
しかし魔物の予期した通り、彼女は一瞬にして川の流れに飲み込まれてしまいました。彼が「あ」と短く叫んだときには、既に彼女は数メートルも遠くまで流れ去ってしまっていました。
小さな魔物はすぐさま今までにないほどの全速力で走り出しました。なんとしても彼女を助けなければ! 彼はそう強く思って走りますが、なかなか彼女に追いつくことができません。
そこで彼は川の中へ飛び込みます。走っていては、彼女を救出することなど到底不可能だと踏んだのです。
彼は必死に泳ぎました。腕は大きく回し、足は水を蹴るように力強く動かす。
それから彼はやっと彼女に手を触れることができ、そのまましっかりと彼女の体を抱き、透かさず川辺へ上がりました。
彼女は気を失っている様子でした。心臓は動いているようですが、呼吸を上手く行うことができていないようです。もしかしたら肺に水が入り込んでいるかもしれない。そう心配したびしょ濡れの魔物は大きな声で周りに助けを求めました。
幸いにも、周辺には散歩や体操をしていた人間が数人いたので、彼らはすぐに二人の元へ駆け寄り、そのまま彼女を医者へ連れて行ってくれました。
翌日、少し疲れた様子の魔物は、いつも遊んでいる女の子が医者の元で体を休めているという話を聞き、そこへ向かうことにしました。
ところが、医者へ行く道中で、彼は誰かに石を当てられました。
彼が石の飛んできた方を振り向くと、そこには大きな人間が眉間に皺を寄せて立っていました。
彼はどうして自分に石を投げるのかとその人間に尋ねました。すると、石を投げた人間はこう答えました。
「お前があの女の子を溺れさせたからだ」
魔物は首を軽く傾げました。人間が何を言っているのか彼には理解できなかったのです。
「僕はあの子を溺れさせてなんかいない!」
すると、またその人間が彼に石をぶつけてきました。
「嘘をつくな! お前があの女の子を無理やり川に連れ出したんだ。だから彼女は溺れてしまったんだ」
またしても人間は投石してくる。
「嘘なんかついていない!」
そこで魔物は駆け出しました。
彼は走っている間も別の人間達に石を投げつけられました。それは大人から子どもまで、そして男も女も、皆が彼に石をぶつけました。
そうして彼は医者の家へ辿り着きました。
彼は家の戸を叩いて医者の名前を呼びます。すると戸が開いて縁のない眼鏡をかけた若い男性が現れました。
「君は?」
男性は背の低い魔物に問いかけました。
彼は自分の名前を言いました。それと自分が昨日溺れていた女の子と一緒にいたということも伝えました。
すると男性の表情がむっと曇りました。
「幼い子どもを危険に晒すような魔物に話すことは何もない。帰りたまえ」
彼は「え」と小さく声を上げました。あまりの愛想のなさにぎょっとしてしまったのである。
「あの子に会わせてくれないの?」
「無理だ」
男性は冷徹な顔でそう言うと、戸をピシャリと閉めてしまいました。
それからも彼に対する冷たい視線は一向に止みませんでした。また、その対象は彼のみにあらず、全ての魔物に向けられるようになっていました。
そして数日後、彼は驚くべきことを耳にしてしまいまうのです。
なんと、例の女の子が亡くなってしまったのだそうです。
それを聞いて彼は非常に失望しました。彼女が元気になったら、自分達に向けられている非難も絶たれ、また以前のように二人で遊ぶことができると信じていたのです。
しかし彼女はもう既に死んでしまった。彼はそれを実感しようとすると深い悲しみに襲われてしまいました。
そして同時に、彼に人間に対する憎しみの感情が芽生えてきました。
どうして医者を訪ねたときに会わせてくれなかったんだ。なんで僕を信じてくれないんだ、と。
憎しみに覆われた彼はその村を出ました。もはやそこに自分の居場所などなかったからです。
そうして彼は村から遠く離れた場所に城を建築しました。大きな大きな孤城、それがこのノーフォフ城というわけです。
それから村に残っていた魔物達もまもなくノーフォフ城に移転してきました。また、近くに住んでいた他の者達も……。
*
「これが、我々と人間が争うようになった始まりです」
デューラーは始終落ち着いた調子で話した。