陽気なゴースト
「お父様、着きましたよ」とデューラーは扉の前でダリスにささやいた。
ノーフォフ城最上階の長い廊下の奥にそれはあった。それは魔王自室のもののはずなのに、どこの部屋とも同じ平凡な暗い色のオークで作られている。
デューラーはドアノブに手を触れ、ガチャガチャと音を立てた。しかし扉は開かない。どうやら鍵がかかっているようだ。握りの上に小さな鍵穴がある。彼は肩をすくめてアピールをした。
「おお、そういえば鍵をかけていたのだった!」とダリスはハッとし、胸の袂を探ってみる。
「確かここにしまっておいたはずだが……」
しかしいつまで経っても彼は鍵を見つけられない。
静かな廊下にダリスの慌てふためく雑音が広がる。
「もしかして……」
デューラーは口を開いた。
「落としてしまったのですか?」
淡々とした口調で言った。
ダリスは黙って鍵を探し続けた。しかしその動きはやがてゆっくりとなっていき、最後にはピタリと静止した。
「そうかもしれん……」
彼はやや冷や汗をかきながらささやいた。
デューラーは頭が重くなった。片手で頭を抑え、深いため息をつく。この魔王様はどこまで世話をやかすんだ……。魔王様寝室の鍵だからどうにかして見つけ出さないとまずい。ありえないと思うが、悪意のある者がそれを拾ってしまったら大変だ。通った道をわざわざ探し歩いてみようか。面倒だがそうする他仕方がない。
ダリスは苦笑いをして、首の後ろを手で軽くさする。
「いやあ、こんなときに限って鍵をなくしてしまうとはなあ。なんちって」
ぶち殺すぞ! 言ってる場合か! デューラーは奥歯を強く噛み締めた。そして額に微かに血管を浮かばせる。
すると、突然に陽気で大きな声がデューラーの背後から聞こえてきた。
「ははは! 実に面白いダジャレだね!」
「なんだっ!」
いつから後ろに? 何者だ! デューラーは素早く良い質感の床を蹴り、ダリス方面に身を移動させる。そして突如耳に入ってきた声の持ち主を確認した。
その正体は黒のシルクハットを被り、汚れたタキシードを着た、頭部がハロウィンカボチャで出来ている人型の幽霊だった。デューラーが彼の姿をよく観察すると、彼には足が存在しないことが分かった。彼には表情の変化というものがないが、彫られたところから覗かれる闇の中からヘラヘラ笑っている様子が窺え、腕を横に大きく広げている。
「誰だお前は!」とデューラーは強ばった調子で尋ねる。気配などは微塵も感じ取れなかった。只者ではないはずだ。彼の鼓動が早くなる。彼は謎の幽霊をじっと睨めつけた。
「へへ、僕の名前を聞いたのかい? ならば答えなくちゃいけねえな」と謎の幽霊は嘲笑うかのように反応する。
「僕の名前はフォス=サング、大昔にからこの城に住み続けている超絶ハンサムなゴーストさ!」フォスは得意げに決めポーズをとった。
フォス=サング? 聞いたことないぞ。とデューラーは不服そうな顔をして唇を噛む。一応この城に住む者達については把握していたつもりだが、こいつの名前は一度も耳にしたことがない!
「おお、フォス君! 久しぶりじゃないか!」
するとダリスが満面の笑みでフォスに語りかけ、ゆっくりと歩み寄った。心なしか瞳も輝いているように見える。
「やあ、久しぶりだね! とは言っても僕は一方的にダリス君達を観察していたんだけどね。何も話しかけなくてごめんよ!」
フォスは両手を合わせて姿勢を低くする。それでも心の中では軽く笑っているようだった。
「お父様! お父様はこの方を存じ上げるのですか?」とデューラーは興奮気味にダリスに問いかけた。
「それにお前! 魔王様に向かって『やあ』とか『ごめんよ』だとか無礼だぞ! 謹め!」
フォスにも鋭い視線を送る。
「まあ落ち着け、デューラーよ。彼はそのような立場のものではない」
ダリスはほほえみながらデューラーを両手で宥める。
「彼も言っていただろう。大昔からここに住んでいると。つまり我々の先輩ということであるぞ」
「しかし今の城主は魔王であるお父様、あなたです。その事実がある限りこの城の者達は魔王様に仕えなければなりません。それは先輩後輩関係なく、でございます」とデューラーは冷静にダリスを諭す。
「彼はそのような規則には従わない男なのだよ」
ダリスはそう笑って受け答えた。一滴の不満も感じていない様子である。
「その通り。僕は自由気ままに過ごすんだ。もう既に命はないし、何をしても僕を裁ける人はいないからね!」とフォスも愉快げに言った。少しも悪びれる様子もない。
「し、しかし――」
「ノンノンノン!」
デューラーが反論しようとすると、フォスが無理やり言葉を遮った。人差し指を立ててチッチッチッと横に振っている。
「これ以上の議論は時間の無駄だ。僕は僕のやり方があるし、かの魔王様もそれに納得してくれている。ならば何の問題もないだろう?」
「うぐぅ……」
「ところでダリス君、何かお困りのようだが、どうかしたのかい?」とフォスはダリスを振り返って尋ねる。
「ああ、実はここの扉の鍵をなくしてしまってなあ……」とダリスは自室のドアの全容に視線を這わせて応じた。肩を落とし、さっきまで上がっていた口角も下げてしまっている。
「ほう、鍵かあ」
フォスもダリスの視線の方向と同じ方を向いて、顎をさする。
「もしかして、これのことだったりしないかな?」
そう言って汚いタキシードの胸ポケットに手を突っ込んで何かを手探る。
いや、おかしい! その様子を見ていたデューラーは気付いた。――フォスが着ているタキシードの胸ポケットの中には、何も入っていないということに! 優れた観察眼を持つ彼には分かったのだ。あそこは明らかに空だ。僅かな膨らみが一切感じられない。
「あ、あった」
しかしフォスはこう小さくつぶやいた。そして胸ポケットからゆっくり手を取り出す。その手には確かに何かの鍵が握られていた。
「えっ?」
ついデューラーは声を出してしまった。彼は目を見張る。予測していたことと相反する出来事が起きてしまったのだ。こんなことありえるはずもない。彼は首を激しく横に振った。
「あーこれこれ」とダリスは満足げに手を差し出し、フォスから鍵を受け取る。彼はフォスの胸ポケットの異変には気付いていないようだ。
「ん、デューラー、そんなに首を振ってどうした? 虫でもいたか?」
そしてデューラーの仕草を認識した彼は尋ねる。
「あ、いや、なんでもありません……」
デューラーは茫然と生成された鍵を凝視した。フォスが影で嘲笑しているような気がした。
「役に立てて良かったよ」
とフォスは満面の笑みを浮かべているかのようなウキウキした声で言った。落ち着きのない挙動で喜びを表現している。
「ああ、本当に」
とダリスもほほえむ。
「それじゃあ僕はこれで失礼するよ。また会える日まで!」
ウインクしたかのように頭をクイッと傾ける。そして彼はゆっくりと壁の中へ平行移動していき、姿形跡形なく消えてしまった。
「まあ、呼んでくれればすぐに出ていくんだけどね!」
最後に声だけがここの長い廊下に響いた。
あの幽霊、フォス=サングとは一体……? とデューラーは懐疑した。
フォス=サングの名は、「愉快なゴースト」を意味する〈Fun Ghost〉のアナグラム――〈Foth Sung〉に由来します。




