モフモフ執事
「お父様、なぜお父様は何かと大怪我を負うのですか」とデューラーは廊下を歩きながら、魔王ダリスに冷たく語りかける。
「それは我の決めたことではない。運命がそうさせたのだ」と生ゴミ臭いダリスは困り顔で答えた。
デューラーはため息をつく。
「もう私はこれ以上お父様を出歩かせたくありません。と言いたいところですが、立場上そんなわけにもいきませんからねえ」
彼は額に手を当て、やれやれと首を横に振る。
「我のことは心配せんでもいい。こう見えても我は丈夫であるからな」
ダリスは胸を張り、ポンとそれを強く叩いた。
「ぶえっほっゴホッ」
彼はあまりに強く叩いたため、むせてしまった。
「何をしているのですか」
デューラーは呆れ顔で言った。
「これからお父様の寝室へ行って、お父様の治療を行おうと思います。なのでそれまではどうか安静にしていてください」
「エセックスから治療を受けるのは駄目なのか?」
「また鼻血を大量出血させてしまうので駄目です!」
デューラーは子どもを叱るように指摘する。
「分かったよお……」
ダリスはすっかり意気消沈してしまった。
それから彼らは長い廊下を進み続け、やっとダリスの寝室へ向かう階段にさし当たった。高級な感じの長い螺旋階段だ。
ダリスとデューラーは階段の一段目に足を乗せる。すると彼らは上の階から一体の魔物が降りてくるのに気付いた。落ち着いた足取りで、限りなく規則正しいリズムで階段の一段一段を降下してくる。
すると降りてくる魔物はダリス達に気付き「おや?」とつぶやいた。
その声に対して二人は「あっ」と声を上げる。
白い羊毛、硬くて立派な二本の角、半目しか開いていない年老いた顔、漆黒の蝶ネクタイ、そして光沢が感ぜられるのではないかと思われるほど綺麗にクリーニングされた燕尾服。
階段を降りてきた彼はこのノーフォフ城の執事を務めるバルト=フォレストだった。
「これはこれは、魔王様にデューラー坊っちゃまではありませんか」とバルトは二人に気付くと若干の早足で二人の元へ駆け降りてきた。
「おっと、魔王様、怪我をしておられますね。いかがしたのですか?」
「おお、爺や。ちょっと実技でヘマをこいてしまってな」
心配するバルトに対してダリスは苦笑いをしながら答える。
「でしたらすぐに医務室へいらした方がいいのでは?」
とバルトはあくまでも落ち着いて二人に問いかける。
それに対してデューラーはほほえんだ。
「バル爺、心配には及びません。むしろ医務室へ行ってしまっては些かの問題が生じるのです。なのでここは私にお任せ下さい」と親しみを込めてバルトに答えてみせる。
バルトは安堵の表情を見せた。
「そうですか、ならばデューラー坊っちゃまを信頼致しましょう。もし何かありましたら、遠慮なく私にお申し付けください」とバルトは頭を下げて言った。
「ああ、それでは行こうか」
ダリスはそうささやいて、再び階段を登り始めた。
――するとダリスは最初の二歩目で段につまずいてしまう! 彼は前方へ思い切り倒れかける。
「あああぁぁぁぁっ!」
「危ない!」
ダリスのすぐそばにいたバルトはすぐさまダリスが足を踏み外したことに気付き、即座に右手でダリスの倒れようとしている段に触れる。
「柔くなれ!」
彼はそう叫んだ。
その光景をダリスはスローモーションの映像を通して倒れながら眺める。このままでは階段の角に頭を強打して死んでしまう。バルトは咄嗟に階段に手をついたようだが、手は差し伸べてくれない。ああ、もう何もかも遅い。我はこのまま死んでしまうのに違いない。この硬い階段の角に頭を強打して――強打しなかった――あれ?
ダリスは確かに思い切り倒れた。その様子をデューラーも見ていた。
しかし、ダリスは痛みを感じなかった。代わりに、クッションのようなものにダイブしたような感覚が伝わってきた。なぜ? ダリスは横になりながらも疑問を抱いた。
そのようなことを考えていると急に硬さが感じられる。あ、この硬さは階段だ。
「まったく……、あれほど子どもの頃に足元には気をつけなさいと言いましたのに」
バルトは深刻な顔をしていた。
ダリスは意外そうな表情を見せながら立ち直った。
「とてつもない勢いで転倒したはずなのに、ほとんどの痛みを感じなかった……。どうしてだ?」とバルトに尋ねる。
バルトは笑みを浮かべて言った。
「私が階段の硬軟を変化させたのです。たった三秒だけですが」
デューラーも驚きの顔を浮かべた。
「バル爺、そんな能力があったのですか?」
「ええ、昔に見せませんでしたっけ? もう忘れているのかもしれませんね」とバルトは言った。
「何はともあれ魔王様、足元にはお気をつけてくださいね」
「あ、ああ……」
ダリスは混乱しながらも応答した。
バルト=フォレストの名は、「柔らかな執事」を意味する〈Soft Butler〉のアナグラム――〈Bult Forest〉に由来します。