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1.熊野と吉見

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 熊野は薬物乱用者だ。ボクだけがそれを知ってる。辰巳女子の二年は荒れている、なんてのが教師の間での共通認識みたいに通っているところがあるのだけれど、でも、なかでも本当にやばいのは熊野だ。あいつは週の五日は確実にキマっている。オーバードーズの快感に酔いしれて、ろくに意識も保てていない。伸びすぎた前髪の隙間から、目だけが爛々と輝いているのを見ると、ボクはいつも怖くなる。抗鬱剤と向精神薬と少量のアルコールのカクテルでぶっとんだ脳はろくな命令も出せていない筈なのだ。そのおかげで、体は明らかに脱力して、常にどこかに寄りかかっていないと姿勢も保てないのに、目だけがはっきりと生きている。気持ち悪いもんだけれど、まあ、やっぱり巳女の二年はやばい女の子で溢れかえっているから、いちいち声をかけて問題を起こそうとする奴なんていないのだ。

「熊野、あんたヤバいよ」

 けど、ボクだけは言う。言ってやらないと、たぶんこいつは、一生誰にも助けてもらえない女の子のひとりになっちゃうから。

 お昼休み。屋上のフェンス越しになまぬるい初夏の風が吹き抜けていく。熊野のお化けみたいな前髪の隙間から、白い眼光がボクに届く。口元は惚けたみたいに歪んでいるから、笑っているように見えなくもない。それがまた、ヤバい。

「薬事法って知ってる? 用法用量を守らない薬物の過剰服用って、それだけで犯罪なんだよ」

「あはははぁ」キマりにキマっているときの特徴で、まどろむみたいに語尾が伸びる。「知ってるよぉ、『ボクくん』は賢いねえ。ボクはボクでボクなボクはボク、ボクくん。うふふー」

 ボクの一人称をからかっているときの言い方。不思議といやな気持ちにならないのは、それが薬物乱用者の取り留めもないことばだからだろうか?

「話に聞けば、向精神薬ってだんだんと効き目は薄くなっていくんでしょ? より強い効き目のあるのを求めてクリニック通いになって、みんなぶっこわれるんだ。今のうちに手を切ったほうがいいって」

 昨日ネットで調べたばかりのことを言うと、なんだかからっぽなことばにしかならなかった。あーあ、言うんじゃなかったな、なんて思う。これじゃあまるで、偉い人たちのことばみたいだ。

 熊野はフェンスによりかかって、それからぐったりと、ボクの肩によりかかってくる。彼女は昼は水しか飲まないので、手元にはミネラルウォーターの500mlペットボトルを握っている(ボクはお弁当に加えてパンを三つ、がっつり食べるのでだいぶ対照的だ)。その冷たさが気持ちいいのか、悪いのか、ボクのスカートから伸びたふとももに押しつけてくる。ボクは学則に反してスカートはミニミニにしているので、だいぶ付け根のあたりにまでその感触は達した。ひぃ、と声が出た。

「ちょっと、やめてよ」

「ボクくんは、なんでそんな制服着てるのぉ?」

「おしゃれ」

「つまんなー」

 熊野の枯れ枝みたいに繊細な指が袖口から伸びて、ボクのブラウスの肩をつまむ。そのブラウスも、他校の薄青い色のものを使っている。聞いて驚くなかれ、男子校のものだ。なので、男子用のネクタイも軽く結んでいる。彼女も身にまとう巳女の制服は、ぶっちゃけだせぇくて着られない。桃色で袖には桜の花びらを模したボタンなんかが付いちゃってて、まるでおしとやかな女の子でいることを強要されているみたい。

「ボク」って言うのだっておんなじ。私は、「私」なんて一人称でいることが耐えられない。女の子でいなさいって言われるのは、まるで私に性の道具でいろというような意味ではないか? それは言い過ぎだとしても(ボクのなかではそんなことないのだけれど)、私をひとつの見方で縛られるということは、とっても不条理で、最悪だ。

 だから私は、隣県の男子校のいちばん小さいサイズのシャツを着る。スカートをミニミニにするのは、ただ単に「男装してる奴」なんてバイアスで見られたくないから。女子っぽい格好だって勿論私は好きなんだ。だけどそこに、「吉見は男子っぽい」「吉見は女子っぽい」と決めつけられることがイヤだから、どちらともとれないスタイルを貫いている。

 そんな、私。

 そんな、ボク。

「でもさぁ、かっくいーよぅ、吉見ちゃん……吉見くん?」

「『ボクくん』でいいよ」

 四月に始業式で知り合ったときからそう呼ばれ慣れている。もう、そのまま通してもらったほうがやりやすい。

「んー。ボクくんはさぁ、悩みなんてなさそうじゃんー」

「んなことないけど」

「いやぁ、謙遜はいらないよぉ、キミは強い人だぁ……だから、ついつい、こう、ねぇ」

 こう、と言いつつボクの胸元に体を寄せてくる。彼女の体からは、わずかな汗のにおい。汗のにおいのなかに、粉っぽい、薬物のにおい。はあ、とため息が出てしまう。

「何かに寄りかからないと生きていけないのは、堕落だよ。依存だ、寄生だ、害悪だ」

 ボクは箸を指揮棒みたいに三拍子。とん、とん、とん、と振って熊野の反応を見る。

「うわぁそれって思想の弾圧だよぉ」

「思想ときたかい」

 話が大きくなってきたな、なんて思いつつ、ボクは止まっていた箸を動かす。

「だってさぁ、弱い人って絶対数いるじゃんー? 力のある人が大多数を占めるなら、その一方で力のない人たちもいるんだよぉ? その人たちにも、おなじように生きろっていうのぉ? みんながみんな、キミみたいな世渡り上手ではないんだよー?」

「うぅん……世渡りではボクは、熊野に負ける自信があるけどね」

 うなってしまう。こんなのは女子高生の会話じゃない。思想だとか、生き方だとか、そんなのはどこかで考えてくれる人がいるのだから、そいつらに任せておけばいいのだ。

「わかんない。でも、あんたが間違ってるってことはわかるよ」

「うんー。私も私がオカシイのはわかってるぅ」

「じゃあやめてよ。そんで、ボクにひっつかないでくれる?」

「えへへへへぇ。えへへ、えへへへへ、へへへ」

「きもちわるっ」

 素直にそう言ってしまったが、気にしない。どうせこうして会話していること自体が、熊野にとってはオーバードーズのハイスピード世界で体験する、過ぎ去っていく景色のようなものなのだ。

「でもさぁ……吉見さん」

 久しぶりに、まともな声で彼女は言った。

 ボクは次の彼女の言葉を思い出すと、悩んだ末にセレクトしたこの制服を、今すぐ脱ぎ捨てたくなるのだ。

「キミはどれだけきもちわるくっても、私を心配してくれるんだよねぇ……それはすっごく、居心地がいいよぉ? キミも、そうじゃないのかなぁ」

 ボクは反射的に熊野をぶん殴ってしまった。彼女の乱れた長髪に包まれた頬に拳を入れてしまったのだ。

 しかし、それはまるで、魚の腹を殴るみたいに、感触のない暴力だった。反発感というものをなにも返さずに、熊野は床に崩れた。それから、えへえ、えへへ、えへへへへえぇ、と例の愚かな笑いを繰り返した。ボクはもういっぱつ殴った。同じ手で、熊野の鼻血を止血した。


 

  2



 おしゃれをしているつもりでなくても、制服をいじっていると、自然と女子のなかでは超越的な位置に立たされる。それも、ひとつの偏差値に振り分けられた結果でしかないような気がして吐き気がしたが、まあ、ボクみたいな異端的なスタイルを受け入れてもらえるのは悪いことではない。クラスの子たちがたまにくすぐったい視線を向けてくるのにはもう慣れた。私服は数着しか持っていない、と現実を暴露してしまえば呆れられてしまうほどの憧憬でしかないのだろうけれど(休日もこの雌雄入り交じった制服で出歩くもので)。

 教師や先輩に対しても、意見ははっきりと述べるほうだ。しかしこれは、ボク本来の素養ではない。事実は逆で、カリスマ視されているから、仕方なくそうするしかなくなってしまったのだ。変な格好をしていてそれを気に負うこともなく堂々としているためか、それとも生まれつきの無神経な気質なせいか、どうもボクは目上の人間に意見のできる奴、と見られるらしい。そして、だからこそこのファッションを認められているとなると、もうその役目はこなさないわけにはいかなかった。誰でもクラスで負うべき、ひとつの役割、立ち位置を持っているはずだ。自然と与えられてしまったタスクをこなせば、変な格好をしていても許さるのだから、考えれば楽な話だ(変な話でもある)。みんなの持つ不満のようなものを、はっきりと言葉にして、伝える。この窮屈さは、自由のための仕方のない代償かもしれない。

 ただし、勿論。

 出る杭は打たれる。

「吉見さんが、明日までに制服を元に戻さない場合、次の三役会で個人名を上げることになります」

 断薬中でぼーーーーっとしている熊野と屋上に出て昼食を取っているときのことだった。午後の体育の準備をする教師の姿がグラウンドに見えた。千切れた薄い雲が真っ青な空に漂っている。穏やかな夏の始まりだった。ボクと熊野が日向ぼっこに勤しんでいたところに、ドアが開いてその子は現れた。それから、ボクらへの挨拶もなしに、先のことを断言したのだった。

 肩までの髪をおさげに無理矢理結わえた、勝ち気な感じの子だった。目がつり上がって、口は一文字。ふんわりした愛らしい丸顔にそんなパーツがついていることが、ちょっと意外な感じだった。

「サンヤク会って、生徒会長の下部組織の〈三役会〉?」

 生徒会副会長一名及び書記長二名。たしか、目の前の子は生徒会副会長だったか。ということは偉いのだ、と思うが、肩書きだけでそう思うことは、ボクにはできないことだった。世の中は肩書や、偏見通りではないのだから。

「えっと、よろしくです」

 と気軽に言うと、彼女の目はよけいにつり上がった。失敗。

「話、聞いてましたか? これはまだ私個人の動きでしかありませんが、明日のあなたの行動次第では、学校全体の問題にすると言っているんです」

「わぁおー」

 と、熊野が陶酔した声を上げるが、すぐに気持ち悪そうにぐったりと肩にもたれかかってくる。定期考査前は留年回避のために断薬するのだが、そうすると離脱症状が出て、しばらくはこうなってしまうらしい。

「あなたは……?」

 副会長は熊野を一瞥した。なにか気にかかるものがあるような視線だったが、やや時間をかけて、視線を私のほうへ戻した。関わるべきじゃねえ、と思ったのかも。正しい。

「じゃあ、わざわざ警告しにきてくれたんだ」

「大上段から不意打ちをするのは、フェアじゃないですから」

「ふうん」

 ボクは熊野からペットボトルをもらって、中の水を飲んだ。

「でもさ、明日っていうのは性急すぎるよ。ボクだって、制服をそうすぐに準備できないしさ」

「クリーニングにでも出すのですか」

「いや、捨てちゃったから、手元にないんだよね」

「捨てた……!」

 呆れたと言わんばかりに、彼女は身を引いた。さすがに、熊野も同じ感想だったらしく、頬に彼女の視線を感じた。

「ボクくん、馬鹿だったの?」

「熊野にだけは言われたくはないね……」

 ヤク中め。

「……とにかく、制服の改造は認められていませんので。スカートも元に戻すか、直せないようであればそちらも新たに購入してください。では」

 結局、名前すら名乗らずに彼女は去っていった。

「参ったな……どうしよう。明日って言われてもなあ……」

「ねーねーよしみー」

「なに、熊野。人の肩をトリップ用の枕にしないでよ」

「私、あの人みたことあるよー」

「そりゃあ当然でしょ……」

 お互いに生徒なんだから、校内ですれ違う機会は多いはずだし、なにかの行事で登壇することもあっただろう。

「ちがうちがう。ここじゃないとこだよぉ?」

「どこ? 熊野の行きつけのドラッグパーティ?」

 そんなのやったことないよーと熊野はからから虚ろに笑う。

「でも似たようなところかな」

 なんだそれ、と聞く前に、彼女はボクの胸元に鼻頭をかゆそうにこすりつけ、落ち着いた声音で言った。

「クリニックの待合室で、みたことあるよぉ。ていうか、話もしたよぉ」

「クリニック……? いやいや、それなら向こうだって、熊野をみて気づくはず……あ」

 ボクは、胸にもたれかかるぼさぼさ髪を撫でつつ、はっとした。

 さっきの、彼女の熊野をみる目の理由を悟ったのだ。

 あれは……見覚えのある恋だった。



  3



 向精神薬や睡眠薬の処方箋を出してくれるクリニックの待合室をドラッグパーティと近似であるとした熊野は置いておいて、翌日のこと。校門前で待ち合わせたボクらは、互いの恰好を見て、微妙な表情を交わしあった。

「完璧」

 とボクは彼女について皮肉たっぷりに言い、

「最悪」

 と熊野は苦い表情で言った。

「お願い聞くんだから、約束守ってよね」

 予鈴が鳴る前に副生徒会長を見つけ出したかったが、果せるかな、彼女は向こうから姿を現した。校門を入ってすぐ、我が校には身だしなみのチェックの為に生徒会役員が並んでいる。彼女らの承認を受けた生徒のみが、巳女の土を踏めるというわけである。ボクは毎日毎日、裏の通用門からこっそり入っているので、ほとんどお目にかからない光景ではあるのだけれど。

「おはようございます、吉見さん」

 丸顔の副生徒会長は、昨日と同じくきりりと澄ました目をボクに向けて近づいてきた。それから、その目を無理やり笑うみたいに、ぎりりと細めた。

「どうして昨日と同じ制服で登校しているのかしら……?」

「捨てちゃったって言ったじゃない。無理だよ、一日で用意するなんてさあ」

 ボクは通学鞄を体の前で振り子みたいに揺らす。正しくは、昨日と同じではない。水色のパーカーフードを指定のだっっさださなカーディガン替わりにひっかけている。シャツは何枚か持っているうちの一つだし、スカートだって二着持ってるうちのひとつ。どちらもアイロンをかけたばかりでぱりっとキレイ。鞄を足元に落とすと、ボクはパーカーのポケットに両手を突っ込んで、胸を反らした。

「さあ、どうぞ煮るなり焼くなり、お好きにどうぞ」

「いいのね? じゃあ、遠慮なく〈三役会〉ひいては生徒会で取り上げさせてもらいます」

「ううん、でもなあ、困るなぁ……これってボクのアイデンティティなところあるし」

「たったひとりの我儘を通して全体に悪影響を及ぼすわけにはいきません」

 我儘。きっぱりとそう言い切られると、まあ、ちょっとは傷つく。そうだとも、ボクのこれはファッションだ。いつでも捨てられるし。でもそれは、ボクを切り捨てることだ。

「頼むよ、見逃してくれないかな」

「ダメです」

「ふうん、それじゃあ、最終手段だね」

 ボクは身を引きつつ、片手をポケットから出して頭の横へ掲げた。ローマ式敬礼みたいなそれを合図に、ボクの脇をひとりの少女が通り過ぎて前に立つ。うちのダサい制服を優雅に着こなした長身のその女子は、たっぷりとした黒髪の一本一本を風に揺らしながら、副生徒会長に目を向けた。ヘアピンで留めた前髪の下の、黒目のくりくりした大きな瞳。長いまつ毛がその周りで柔らかに覆う。背の低めなボクからははっきりと見えないけれど、たぶん、典雅な微笑みを貼り付けていることだろう。

「あ、あなた」

「やあ、久しぶりだね」

「まさか、そんな……」

 突然現れた美少女――熊野に、副生徒会長はたじろぎ、そして、頬を朱く染めた。やはり、とボクは心中で頷く。そして、熊野が断薬を先週から始めてくれていたことの幸運に祝杯をあげたい気分だった。

 熊野が断薬する時期はふたつある。

 ひとつは、定期考査期。しょっちゅう授業中に薬の副作用で眠りまくってるので、テストで良い点を取らなければ確実に留年コースなのである。

 もうひとつが、皮肉にも、月に一度の通院時。まさか処方された一か月分の薬を気持ちよくなるために使われているとは医師も思わないだろう。そんなことが判明すれば、即刻治療中止。熊野の大嫌いなカウンセラーとの対話が週一で組まれてしまう。だから、コミュニケーションも足取りもしっかりさせて、継続的に気持ちよくなれるために、熊野は月初めが近づくと断薬を開始し、徐々に真人間に近づくのである。

 そして、その真人間さは、妖しいほどに魅力的な美少女の形をとる。

「クリニックで会った以来だね。元気にしてた? 不眠は、どう?」

「え、ええ……もう、大丈夫です。ちょっと、気を張りすぎていたみたいで」

「無理しちゃだめだよ。薬に頼るのも、時には必要なことさ」

 必要以上にお薬に頼る奴がよくもそんなことを抜かせるものだ。

「またお会いできてうれしいです。まさか、うちの学校の生徒だったなんて」

「私もだよ、こうして再会できたことは奇跡だね」

 私はちょっと、熊野の腰にとんとんと指を打つ。わかっているだろう、というつもりでやると、彼女はちょっといやそうに、短く息を吐いた。それから、その(お薬が抜けたおかげで)血色のいい細長い手のひらを目の前の女子の頬に這わせた。

「ところで、私の大切な友人に、なにか用かな?」



  4



「大成功!」

「にどとやんないぃー」

 昼休み。屋上でボクたちはお菓子の袋を開き、小さなパーティと洒落込んだ。と言っても、やはり熊野は水しか飲まないので、ぐてえぇとボクの胸の上にしなだれかかっている。もう気を張る必要もないのでヘアピンも外し、前髪でそのきれいな容貌を隠してしまっていた。もったいないとは思うが、以前に一度騙された身としては憎からず思うところもあるので、そうしておいてくれほうが精神的にはよかった。

「まあ、これでボクのファッションも守られたわけだし」

「私はすっごく疲れたよぉ。病院行くわけでもないのに……約束守ってね」

「あ、うん、そのうち」

「今」

「……はい」

 あいまいな返事は許されないようだった。のたりと起き上がると、熊野は鞄のなかからピルケースを取り出した。半透明のプラスチックケースはいくつかに仕切られており、それぞれの仕切りの中から、吟味するみたいに錠剤を取り出す。そして、丸い白い錠剤と、楕円形の肌色の錠剤を私に五粒ずつ(!)渡すと、自分は先に一気に飲み干した。彼女の喉仏がこくっと上下し、そのあとを追いかけるみたいに、ペットボトルのなかの水が続いて滑り落ちる。ボクも同じようにする。アルコールは使わない。さすがにそれは、匂いでばれちゃうから。

「踊ろう」

「うん」

 薬の効き目を良くするために動き回る。ボクと熊野は両手を取ってステップを踏む。なんの音楽もないのは寂しいからと、ボクの携帯プレイヤーからイヤホンを取って、ふたりで分け合った。右耳はボク、左耳は彼女。黒髪を振り乱して、ふたりでクラブミュージックに合わせて踊った。汗をかきすぎて一気に代謝を良くしないように気を付けて、ボクと熊野は気持ちよくなった。ぐるぐるぐるぐる視界が回って、今自分が現在にいるのか過去にいるのか、それともずっと先の未来で熊野とハジケているのか全然わかんない。わかんないのが気持ちイイくて、久しぶりの堕落に溺れていく。

 ボクらはサイダーの泡みたいにじゅわじゅわと内側から溶けていくのを感じて、一気に楽しくなった。始業ベルの音が夏の始まる空に溶けてる。ボクはパーカーのフードを振り回して、熊野はきれいに整えてきてくれた黒髪を振り乱して、げらげら笑い転げながらお互いを抱きしめ合ったり、殴ったり、大人の遊びの真似事までした。体から骨がなくなって、ふたりこんにゃくになっちゃったみたいにぐにゃぐにゃで、やがて立ってもいられなくなるそんなお互いを指さして笑う。地べたにお尻をつけるけれど、それでもなにも変わらない、苦しい、気持ち悪い、さびしい、死にたい。そんな自分をどっか遠くで見つめてボクは私は笑ってほほえんで熊野と出会ったあの日を思い出していた。始業式の日、熊野は通院のために断薬中だった。むしゃくしゃしていたから、ボクでちょっと遊んで、今日と同じだ、ボクに薬を与えて、けらけらけらけら、笑いながら私はボクになって、ボクらはそのときと同じ、はじめましてのキスをした。





 

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