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3.

「料理長。ちょっといいかしら」

 自分が担当している騎士達の部屋を整え終えたエルナは、厨房を覗いた。

「……何だ?」

 包丁片手に、強面で体格のいい料理長が顔を上げて身構える。

 嫌だわ、そんなに警戒しなくてもいいじゃないの。

 エルナは少し肩を竦めてみせたが、そんな仕草さえ気味悪く思われるのか、料理長の眉間の皺はますます深くなった。

 数年前、この料理長の右腕だった料理人が、出入りの業者とつるんでこっそり仕入れる肉のランクを落とし、浮いた金を懐に入れていた。それを偶然に偶然が重なってエルナが突き止めてしまい、件の料理人は解雇され、業者と共に罪に問われた。その事件に際して、管理体制やら部下の教育やらについてエルナにチクチク言われたことを、料理長はいまだに根に持っているらしい。

 非友好的な眼光を浴びながらも、エルナは全く意に介していない振りをしてごく自然に話しかけた。

「最近、味付けが薄くなってないかしら?」

 その問いに、ふた呼吸分くらい沈黙した料理長は、渋々といった態で頷く。

「……確かに、塩の使用量を減らしている」

「私でも分かるくらいだから、訓練で汗を大量に掻く騎士様は更に薄く感じるのではないかしら。塩分は採り過ぎも良くないけれど、不足するのも良くないと聞いた事があるわ」

「そんなこたぁ、分かっているんだよっ。が、仕方ねぇじゃねぇか。塩の値段が異様に上がってるってのに、食材の予算は限られているんだからよ!」

 ダン! と料理長が握っている包丁が振り下ろされ、真っ二つになった。まな板の上の鶏肉が、である。

 少し離れた所で夕食の仕込みをしている他の料理人達が恐怖で身を竦ませているというのに、エルナは眉一つ動かさない。

「あら、そうなの。どうして値上がりしているのかしら」

「サムが言うには、フルルカの辺りで山賊が横行して、塩の入荷が滞っているらしいぜ。今じゃ街でも軒並み値上がりしているんだってさ」

 サムとは、現在トレヴァス城塞に食材や調味料などを卸している業者の名だ。以前の業者が罪に問われた後に代わりに出入りするようになり、料理長とは馬が合うのか親しくしているのをエルナもよく知っている。彼が言うには、塩の産地である南部の海沿いとトレヴァスの間にあるフルルカという山間部で、山賊がいいように暴れているらしい。

「でも、そんなに塩加減を控えなきゃいけないほど、高くなっているの?」

 苛立ったように鶏肉を切り刻む料理長に、エルナはなおも問いを投げかける。それに対し、血走った眼で顔を上げた料理長が吐き捨てるように告げた値に、さすがのエルナも目を剥いた。



「……という訳で、さすがにトレヴァスでもその値で塩が取引されているとしたら、住民は暴動を起こしているだろうと思いましたの。ですので、ちょっと街に出て店を回ってみましたら、確かに塩の値段は上がっていましたけれど、大体どの店もこのくらいの値で売っておりました」

 エルナが差し出したメモには、五件ほどの小売店の名と塩の値段が書かれていた。その値はどれも大して変わりがなく、料理長がエルナに告げたトレヴァス城塞が仕入れている塩の値の概ね半額以下だった。

 執務机の上に置かれたそのメモを見つめたまま、オルトヴァーンは眉間に皺を寄せて腕を組んでいる。

「悪質だな」

 滅多に城塞から出ることのない料理長が市場の相場に疎いと踏んだサムが、今はどこもこれくらいの値がするのだと吹っ掛けたのだ。料理長も、まさか親しくしている業者が自分を騙しているとは思わない。料理の腕は確かだが、料理長は人が好過ぎるのか、数年前に加えて騙されるのはこれが二度目だ。

「分かった。この件は、私が責任を持って対処する」

 きっぱりと言い切る、オルトヴァーンの強い口調。それは、お前はもうこの件に口を出すな、というエルナへの意思表示だった。

「よろしくお願いいたします」

 頭を下げるエルナの上から、オルトヴァーンの笑いを含んだ声が落ちてきた。

「それにしても、よく塩味が薄くなっていることに気付いたな。ここ最近の料理は香辛料が効いていたせいか、それほど味が薄いとは思わなかったが」

「この歳になると、食べることくらいしか生き甲斐がないものですから、味には煩いのです」

 しれっとそうエルナが答えると、オルトヴァーンは相好を崩した。

「そうか。まあ、そう寂しい事を言うな」

 普段は、整った顔に威厳を浮かべているオルトヴァーンだが、こうやって笑うとまるで少年のようだ。

 ふと、エルナは二十年前を思い出し、騒ぎだす心を抑えつける。

 歳を重ねても、騎士隊長という立派な立場になっても、オルトヴァーンの根本にある優しさは変わらない。その優しさが、干からびていたエルナの心に潤いを与えてくれる。

 好きになって、何が悪い。

 エルナはそう開き直った後で、必ず自分に言い聞かせる。

 この気持ちを伝えることさえしなければ。心の中で想い続けているだけならば、それでいいではないか。

 けれど、その思いをそこから先へ進ませることは決してない。何故なら、オルトヴァーンには王都に妻と娘がいるのだから。



 サムは城塞への出入り禁止を言い渡され、代わりに別の業者が街と同じ値で塩を納入することになった。

 同じ事が繰り返されないよう、時々料理人が交代で街の市場に出掛けて行き、品物の値を調査する。と同時に、目新しい食材があれば購入して新しいメニューの考案をすることになった。今回の件で料理長は落ち込んでいたが、新たなやりがいを見出して奮起している。

 そして、この件が早期に解決できた功労者であるはずのエルナは、周囲から賞賛されるどころかかえって更に恐れられるようになってしまった。夜の城塞を調べ尽くして侍女を辞めさせ、塩加減から業者を追い出したエルナの次の犠牲者は誰か、と。

 またか、とため息を吐くだけのエルナに代わって怒ってくれたのはオルトヴァーンだった。それだけで、エルナは彼の為にまた頑張ろうと思えるのだった。



 サムの一件が落ち着くと、オルトヴァーンはフルルカの山賊討伐に乗り出した。

 フルルカは南部にあるシシル城塞との中間地点にあり、これまではシシルに駐屯している騎士隊が治安維持を担っていた。ところが、最近海賊が横行し、その対処に追われてフルルカの方が手薄になっていたらしい。今回、シシル城塞の第六騎士隊と合同で、山賊の掃討作戦が行われることになった。

 オルトヴァーン率いる第五騎士隊にとっては、慣れない土地での危険な任務になる。しかも、そろそろ長雨の季節になる。フルルカ周辺では、毎年長雨の時期に土砂崩れが発生しているという話はエルナも耳にしていた。

 山賊の横行はシシル城塞側の責任だと尻を叩いてやればいいだけの話なのに、なぜわざわざこちらまで出撃しなければいけないのかしら。

 オルトヴァーンの身に危険が及ぶのではと心配で、エルナはそんな不満を抱く。彼の性格上、諸々の事情を勘案したうえでフルルカの山賊を放置できないだろうことは、エルナも分かっているのだ。分かっていても、心配で心配でつい不機嫌になってしまう。

 執務室でお茶を淹れるついでに、エルナがふと不満を漏らせば、オルトヴァーンは目を細めた。

「心配してくれるとは、嬉しいものだな」

「そっ、……そういう意味ではございません! 山賊ごときにオルトヴァーン隊長が手古摺るはずもござません。ただ、地の利がないことと雨の事が心配なのです。本来、フルルカはトレヴァス城塞の守備範囲ではございませんのに」

「第六騎士隊から情報も得られる。それに、本格的に長雨の季節になる前に片は着く。大丈夫だ」

 不安を払拭するようにそう言い切ったオルトヴァーンに、エルナはますます不安を募らせる。

 物語では、そう言った男ほど無事に戻って来ないものなのですよ。

 けれど、さすがにエルナもそこまでは口に出すことはできなかった。


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