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2.

 エルナは、このトレヴァス城塞では一番古株の侍女だ。しかも、飛び抜けて年長者である。

 侍女とはいっても、王宮や貴族の館に雇われている者とは違い、仕事の内容は騎士達の身の回りの世話から雑用まで多岐に渡る。調理は料理人、洗濯や屋外の掃除は下働きの仕事だが、配膳やお茶汲み、シーツ交換や乾いた洗濯物の扱いは侍女の仕事、といった風に役割分担がなされている。

 侍女として雇われたこの街の娘は、遅くとも二十代も半ばに差し掛かる頃までには、運よく騎士の誰かと恋仲になるか、親の勧める縁談を受けて、結婚退職する。城塞の侍女は若い娘たちの憧れの職業である為、募集がかかれば応募が殺到し、その競争率の高さから、子育てがひと段落した頃の女性が雇われることはない。

 その中年女性と同年齢でありながら、未だに何の縁もなく、ずっと侍女を続けているエルナの存在は、まさに例外中の例外だった。


 食堂を出ようとしたところで、エルナは視界の端に、ぎょっとしたように足を止めた若い騎士の姿を捉えた。見れば、昨夜リリーナと密会していたデリクスという若者だった。

 エルナの報告で、彼は今朝からオルトヴァーンに呼び出され、根掘り葉掘り事情を聞き出され、その後は自室での謹慎を言い渡されていたはずだ。

「これは、デリクス様」

 もうお部屋から出てよろしいのですか、とエルナが目で語ると、デリクスはそれを察したのか若い娘にもてはやされそうな派手な顔を歪めた。

「午後からの訓練には参加するように言われている」

 なるほど。エルナが発破をかけなくとも、オルトヴァーンは文字通り弛んだ若者を叩きのめしてくれるつもりだったらしい。

 これは是非とも訓練場の様子を覗いてみたい。そう思ったが、エルナには午後からも仕事がある。年長者として侍女を管理する立場である彼女が、率先して仕事をさぼり、良くない見本を示す訳にはいかない。

 オルトヴァーンの剣の腕は素晴らしく、これまで二十年の間に見てきた隊長格の騎士の中でも抜きん出ている。優美でありながら力強く、それでいて隙が無い。彼よりずっと若く逞しい若者達が、オルトヴァーンに全く歯が立たずに膝を着く様は、見ていて痺れるほどだ。

 あら、いけない。

 以前見たオルトヴァーンの雄姿を思い出して、いつの間にか薄笑いを浮かべていたエルナを、デリクスが心底気味悪そうに横目で睨んでいた。


 城塞に派遣される騎士隊は、任期はまちまちだが数年で入れ替わる。

 どの隊の隊長も、最初は年増で侍女のくせに色々と口を出してくるエルナを煙たがり、何か理由をつけて解雇しようとするのだが、次第に痒い所に手が届くエルナの存在をそれなりに認めてくれるようになった。だが、打ち解けてきたかな、と思える頃には任期を終えて王都へ帰ってしまうのだった。

 エルナには、この田舎町に赴任してきた若い騎士達が何に不満を抱くのか、長年の経験からよく分かっている。

 城塞という閉鎖的な空間で訓練に明け暮れ、城塞外での活動と言えば何もない国境付近を見回り、たまに山賊や野盗を取り締まるだけの日々。休日、許可を取って街へ繰り出しても、田舎の小さな街では遊ぶところは限られている。

 不満から、怪しげな商人に依存性のある香をすすめられて手を出す者、娼婦に入れ揚げる者、街で威張り散らし暴力を振るう者、弱い立場の同僚に集団で暴行を加える者……。どんな隊が来ても、大体同じような問題が起きる。

 そんな異変をいち早く察知し、大事にならないうちに隊長へと報告する。隊長にとって、自分の目の届かないところで起ころうとしていた問題を事前に知らせてくれるエルナの存在はありがたい。

 その一方で、いつしかエルナは地獄耳のチクリ魔として恐れられるようになっていた。

 エルナは、決して醜女ではない。だが、元々取り立てて見栄えのする容姿ではなく、化粧っけもない。それに加えて、長年若者に舐められないようにと気を張ってきたせいか、普段から厳しい表情に突き放すような口調が通常になってしまっている。

 そんなエルナに、心を寄せてくれる者が現れるはずもなく。今は、どうしてもこの城塞で勤め上げることができなくなったら、どこかで小さな店でも開いて独りで生きて行こうと、給金をコツコツ貯金している日々。

 この年になると、エルナはもう誰かが自分を守ってくれるなどという未来を諦めていた。いや、寧ろまだ希望を捨ててはいないなどと言う方が笑われる。エルナの中で、独りでいきていくことはもう確定事項だった。


 廊下の角の向こうから、何やら騎士を品定めするような若い女達のはしゃぐ声が聞こえてくる。

 またか。

 厳しい表情を作ってエルナが角を曲がると、廊下の隅で立ち話をしていた侍女達が肩を竦めてササッと身を翻し、仕事を再開し始めた。

「あら、まだそんなことをしているの? そんな調子では日が暮れてしまうわ」

 通りすがりにチクリと注意すれば、侍女達は素直に謝って手を早める。だが、通り過ぎたエルナの耳に、「クソ婆僻んでいるのか」などと呟く声が聞こえてきた。

 五年ほど前までは、そんなことに一々目くじらを立て、毎晩ベッドの中で、何で私があんなことを言われながら侍女の管理をしなければならないのか、と理不尽さに枕を濡らしていたものだ。けれど、最近ではもうそんなことは気にならなくなってしまった。

 若い騎士達に、陰で「ああ、怖い怖い」「あんな女、御免だね」「いやいや、もう女じゃないな、あれは」などと陰口を叩かれていると知っていても、こっちこそあんたらみたいな尻の青いガキなぞ御免だと笑っていられる。

 オルトヴァーンと再会してから、エルナは変わった。他人からしてみれば相変わらずなのかも知れないが、確実にエルナの心の持ちようは変わった。生活に張りがでてきたというか、朝起きた時に今日も頑張ろうと思えるようになった。

 ただ、現地採用であるエルナ達使用人とは違い、王都から派遣されてきた騎士隊には任期がある。任期にはばらつきがあり、一~二年の隊もあれば、長くて四年いた隊もあった。

 そして、オルトヴァーンの隊は今年で五年目に突入している。いつ、王都から帰還命令が下されてもおかしくない。

 騎士は、一度トレヴァス城塞での任務に就けば、休暇を与えられない限り基本的に城塞から離れられない。その間、王都や故郷にいる家族や恋人とも会えないのだ。だから、任期が長くなればなるほど不満が溜まる。

 永久にトレヴァス城塞に留まる騎士隊はいない。エルナがどれほど望もうと、オルトヴァーンの隊がこの城塞での任期をもう間もなく終えるのは明らかなことだった。

 それでも、エルナは今日も淡々と己の仕事をこなす。

 例え、オルトヴァーンが王都へ帰還しようと、後任にどんな隊長がやってこようと、これまでと同じようにやっていくまでだ。

 お前はもう必要ないと言われるまでは。


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