第三話 金ヶ崎城落城し、朝倉軍動く
織田軍は緒戦で手筒山城を破るとすぐに金ヶ崎城の攻撃に移った。
金ヶ崎城は義景の従兄弟で敦賀郡司の朝倉景恒が籠もっていた。景紀の次男で、兄の景ミツは加賀の一向一揆との戦いの陣中で景鏡との口論に敗れ自害している。
それもあってか景鏡とは郡司筆頭の座を争っている。
金ヶ崎城は敦賀湾に突出した小高い丘の上にあり、敦賀支配の拠点である。
織田軍は今度はすぐに力攻めすることなく降伏勧告をした。
翌日、景恒はこれを受け入れ開城、南方にある疋田城も自落した。
景恒は後に永平寺に遁世し、この年の九月弐拾八日に病死している。
信長の思惑通り朝倉軍は緒戦の敗北によって動揺し、意気消沈させられたのである。
【一乗谷館】
「手筒山城が落ちた、金ヶ崎城も包囲されておる。」
義景が不機嫌そうに言う。
「後詰めの軍を…」
「当然じゃ。」
富田弥六郎(後の長繁)の言葉を遮るように義景が続けた。
「景鏡、景健、越前は安全と申したな。織田軍が攻めてくれば討ち果たすとも申したな。景鏡に大将を任せる、尾張のうつけを討ち取って参れ。」
「はっ、早々に準備をします。」
朝倉軍はようやく腰を上げたのだった。
【近江小谷城】
「織田殿が我らとの約束を反故にし、越前へ攻め込んだ。」
浅井長政が口を開く。
久政の長男で妻は信長の妹・市である。
「すぐに越前へ兵を出すべきです。朝倉氏と浅井は切っても切れぬ仲、朝倉軍と浅井軍とで挟撃すれば信長とて兵を退かざるをえません。」
海北綱親という。
知勇兼備の将で赤尾清綱、雨森清貞(弥兵衛)とともに浅井三将と言われた。
羽柴秀吉も恐れ、
「我が兵法の師」と言った。
この綱親の言葉に久政が頷いている。
長政の父で今は隠居の身ではあるが発言力は絶大である。
その久政が口を開く。
「長政よ、綱親の言った通り朝倉氏と浅井は密接な関係にある。そちの妻は織田家の者だが、朝倉氏には先代からの恩がある。朝倉氏無くして浅井は無いのじゃ。」
大袈裟な表現ではない。
浅井氏が北近江での勢力を確立するにあたって朝倉氏には幾度となく助けられている。
それに朝倉氏と浅井氏は主従に近い関係だったと思われる。
盟友と言われることもあるが、長政により発給された禁制や義景の感状などを見ると浅井長政は朝倉景健よりも下位の戦奉行とも考えられる。
しかし、完全に従属していたわけではないだろう。
長政が織田家から市を娶っているし、それ以前にも六角氏の家臣の娘を娶っている。
完全に朝倉氏の配下にあるならば、独自にこの様な外交を行うとは考えにくい。
軍議は朝倉氏と共に戦うという方針に決まりかけていた。
しかし、赤尾清綱はそれが正しいのか迷っていた。
確かに朝倉氏との関係は深い。
今挟撃すれば織田軍を討つのは容易かもしれない。
だが…
清綱は信長と面識がある。
浅井氏と織田氏が同盟を結ぶにあたって尽力したのは清綱である。
そこで会った織田信長はうつけとは程遠い聡明な、そして野心に満ち溢れた若者であった。
同時に義景を思い浮かべる。
優れた文化人かもしれない、優秀な配下や大きな動員力は持っているかもしれない。
しかし、保守的な義景が外征をして信長と戦えるのか…。
清綱は吹っ切れなかったが久政と重臣達の意見によって方針は決まった。
ならば自分も浅井家の為に戦おう、清綱は決断した。