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ep08.蛇口の壊れた水道!!

「九王、俺と一緒にならない?」


 ぶぶぅう――――!!

 横合いにいた蛇沼さんは、口に含んでいた牛乳をポンプのように噴射する。ボタボタボタッ、と鼻血のように、鼻腔から垂れてくる牛乳は溢れとどまる事を知らない。

 なんという、凄まじい勢い。

 蛇口の壊れた水道が、その後どうなるかを物語っているようだった。

 ついでとばかりに、二次被害を被ったのは霧夜。

 牛乳が顔面に土砂降りのように降りかかっていた。制服にも飛沫が飛んでしまったようで、ちょっとばかり濡れている。

 笑っちゃいけないが、普段偉そうにしているから水滴まみれはいいざまだった。

「なに、嬉しそうに笑ってるの? 『クズ王』さん……!」

 霧夜は目ざとく、キッと睨んできやがった。

 学校指定の鞄から、苦虫を潰したような顔でタオルを取り出すと、フキフキと汚れてしまった机を台ふき替わりに拭き取っていく。

「いーや、べつに。それよりも、お前のその牛乳塗れの顔をどうにしかした方がいいんじゃないの?」

「言われなくても、今から拭くわよ。――ってか、いきなりどうしたのよ? サッチー」

 ……ぶっ!!

 サ、サッチー!!??

 そうか、蛇沼幸子で、サッチーか。

 あまりに微妙なニックネームのセンスに、今度はこっちがコーラを吹きそうだった。

「ご、ごめんね。ちょっと器官に……。変なところに入っちゃったみたいで」

 こほっ、こほっ、と蛇沼さんは咳き込む。なんだかその挙動に、わざとらしく見えるのは考え過ぎだろうか。

 もっと、邪悪な……他の理由があるようでならない。どこか裏を感じる表情を見ていると寒気すらする。

「ほんとに大丈夫なの、サッチー? 何だか妙に顔が赤いみたいだけど、風邪でも引いたんじゃないの?」

「大……丈夫だから。むしろ私は今まで生きていることができて、幸福なの。リアルの世界であんな言葉を聞けたことに、私は神様に感謝すらしているの」

「サッチー、保健室に行った方がいいんじゃない? 脳の器官が壊れちゃったんじゃない?」

 お前も大概、友達に厳しいな。

 罵るのは俺だけかと思ってたけど……。

 まあ、あの蛇沼さんが相手なら仕方ない気がするが。

 ――昼休み時間。

 いつものように仲がいい奴ら同士が、自由に机をくっつけあって、親が作ってくれたであろう弁当や購買のパンを食べている。

 俺はコーラをぶっかけそうだった磯風に、遅まきながら質問の意図を怖々と訊く。

「一緒にならないって、どういう意味?」

「まーた、しっかり話聞いてなかっただろ? だ・か・ら! 一緒に修学旅行の班にならないかって話だよ。どうせなら、見知った顔で集まった方が面白いだろ? 今のうちに友達同士で固まっておかないと、どんどん班が決まっちゃって、絶対あぶれるって。それで、最終的に一度も喋ったことない人間と一緒の班になるなんて最悪じゃん」

 磯風の言うことにも一理ある。

 例え一人でも班の中で浮いてしまった人間がいると、その人間が気になってせっかくの修学旅行が楽しめない気がする。

 もしくは、自分がぼっちになるパターンはより悲惨だ。磯風とかライカとかだったらならば、知り合いがいない場所でも、得意なトーク力を遺憾なく発揮できて、疎外感を脱却できるだろう。だけど、俺の場合。会話を試みようとするも、みんなの会話に挟み込む余地がなくて、黙り込んでしまうのが関の山だ。

 それだけは避けたい。

 やっぱり、せっかくの旅行だから、最大限楽しめる面子が望ましい。

「別にいいけど、班って五人構成だろ? あとの三人はどうすんの?」

「三人じゃないって。まだ決まってないメンバーは一人だけじゃん」

 磯風が、誰のことを指して言っているのか分からない。もしかして、他の男子メンバーで磯風個人だけが仲いいやつか。俺とはあまり交流がなくて、磯風だけが仲いい男子なら大勢いる。口には出したくないが、面倒なことになりそうだ。

「はあ? 他に誰入れるの?」

「だから、俺と、九王と、それから愛澄ちゃんと幸子ちゃんの四人だよ」

 順々に、当然のように指を刺していくが、俺は首肯するわけもなく、

「おい。何であいつらまで入れるんだよ。せめて男子だろ? 女子入れても、面白くないだろ」

「いいじゃん、べつに。女子を入れちゃだめだって、九十九先生は一言もいってないでしょ? それに、女っ気のない修学旅行なんて、つまらないだけじゃん?」

「そうは言っても……」

 なんでよりによってこの二人なんだ。

 仲が悪い霧夜。

 それから得体が知れない蛇沼さんは、色んな意味でどこか遠い場所で幸せになって欲しいというのに。

「なによ、そんなに不満なの? 私達だって『クズ王』と班になるのはし・ん・そ・こ、嫌だけど、サッチーがどうしても組みたいって言うから……」

「私、そんなこと言ったかな?」

「言・っ・た・わ・よ・ね」

 ドゴォッ、と何やら机の下で音がする。何をしたのか確証はないが、恐らくは蛇沼さんの足を踏んだように思える。結構な物音だったから、視えなくても、何をやったかどうかは分かってしまった。もう少しスマートにやれよ。

「う、うん……。ワタシ、クオウクンタチト、イッショノ、ハンニ、ナリナタイナー」

 なんで、いきなりカタコト?

 というか、霧夜の脅迫じみた迫力に気圧されて、言わされたように見えた。

「だとしてもだ。あと一人はどうするんだよ? この四人と共通の知り合いなんていないだろ」

「いいのよ、こっちで五人目は決めてるから。ナギナギー。ちょっと、こっち来てー」

 ナギナギ? 誰だっけ? 

 と、首を傾げていると、ズズズ、と椅子と床が擦れる音が響く。

 黒板を爪で引っ掻いたような不快な音の発信源には、昼休み真っ最中だというのに机に突っ伏している女子生徒がいた。

 そういえば、あの席の人は、授業中どころか、一日中ああやって眠りこけている気がする。なぜ先生たちが叱責しないのかというと、どれだけ注意しても聞く耳は持たない。それから、ぶっちゃけ滅茶苦茶怖いから、指導できないのかもしれない。

 億劫そうに立ち上がり、霧夜の声に反応したその子は、ゆらりとこちらを振り向く。

 それはまるで、巨○兵。

 俺や、磯風よりも遥かに身長が高くて、なにやら言い知れぬオーラを放っている。決して逆鱗に触れてはいけいないような、そんな感じ。不良ではないのだろうが、どこかそれに似た触れてはいけないような人種だった。

 あまりにも動揺し過ぎて、バ、バ○ス!! と、磯風の手を握りながら、崩壊の呪文を唱えそうだった。

 狐のような細目は、尖っている。睨まれただけで、椅子からずり落ちそうなほどの三白眼。道を歩いていれば、ヤンキーに勧誘されそうだ。

 どこか中性的な顔をしていて、後輩女子に持て囃されそうな顔貌。のそり、のそりと悠長に歩いてくるその姿は、強襲をかけてきそうだった。

 短的に言えば、何だか物凄く怖い。

「……なに?」

 声は、男のような低音。

 体を突き刺すような、鋭さを持っていて、嫌でも緊張させられる。

 や、やられる。

 懐から鉄砲を取り出してきても驚かないぐらいには警戒していたので、背後から霧夜をいきなり抱きすくめたので、なんだか拍子抜けしてしまった。うーん、と口元をむにゃむにゃとしながら、睡眠時間が不足しているかのように、小さく欠伸をする。

「ちょっ、ナギナギ! 息が耳にかかってくすぐったい。そんな寄りかからないで」

「まだ眠かったのに、霧夜が起こしたんだから、ちゃんと責任とって」

「責任って、もうっ。何でそんなに眠そうなの? さっきの授業の時だって居眠りしてたわよね?」

 バッと、ようやく、ナギナギとやらの呪縛を振りほどく。

 特に残念そうな顔もなく、隣の椅子を勝手に拝借して気だるそうに座り込む。むーん、と棒によって引き伸ばされた、切り揃えられる麺みたいに机にへばりつく。そして、膝をガバッと開けて座る。こちらからは視認できないあが、スカートの中身が御開帳になっているだろう。なんとも豪快で男らしい人だ。

 だけど、終始顔が無表情な女の子だ。

 もしかしたら、顔に変化があまりないだけで、本当はもっと抱きついていたかっただけかも。

「深夜バイトやってるから、寝るのは必然」

「バイトって、学校じゃ禁止されてるでしょ? 先生にバレたらどうするの?」

「その時はその時かな。それに、霧夜がこのことを先生に黙秘していれば問題ない。まっ、バレたとしても私に説教できるほどの気概を持った先生なんていないから、大丈夫」

「そういう問題じゃなくて……」

 霧夜がいいように翻弄されている。

 ゆったりと、あくまでマイペースを貫いている。地のまま、気のままにずっと生きている、自由人。

 それが、眼前の女の子に抱いた第一印象だ。

「それで? 私を呼び出した用事って、なに?」

「修学旅行の班の話。五人ひと組だから、ここにいる五人で班にならない?」

「うん、いいよー」

 い、いいんだ。

 あっさりと、霧夜の提案に対して逡巡する素振りもなく、目の細いクラスメイトは、二つ返事で承諾した。てっきり、見た目からしてもっと渋るのかと。思春期真っ盛りの学生らしく、苛立ちに任せて学校のガラスを全部ブチ破るぐらいの抵抗を見せるのかと思ったので、かなり意外だ。

 もうちょっと考えた方がいいのでは、と他人事ながら心配する。

 ……というか、他人事じゃない。

 この人が班になるってことは、このままのメンバーで確定するってことだ。霧夜と同じ班になってずっと一緒にいるなんて、胃に穴が開きそうだ。どうせ、重苦しい空気が流れるに決まってる。

 喧嘩が旅行先で激化したら、目も当てられない。先生に指導されたのが、修学旅行の唯一の思い出だったりしたらと想像すると……。

 俺は咄嗟に反対意見を述べる。

「あのなあ、名前も知らない奴と組めるわけないだろ」

「空馬凪。苗字を読み間違えると、馬を喰うのが好きな人間だと思われがちだけど、そこまで好きじゃない。そうだね。肉の中だと、鶏肉が一番好きかな、食感的に。これから、よろしく」

 いや、そんな人間だとは誰も思わないだろ。

 そう指摘できなかったのは、俺の声が海風によって遮断されたからだった。

「あんまり話したことなかったけど、これからはよろしくね、凪ちゃん」

「…………」

 空馬さんは、ちょっと意外なほどに瞠目する。

 いきなり名前で呼びかけるという距離の詰め方に、動揺したようだった。

 俺がそんなことするようものなら、女子にはドン引きされるだろうけれど、磯風は違う。柔和な笑みをする磯風だと、不遜な態度であろうとなんだか許されてしまう。どれだけ蛮勇なんだと一瞬仰天してしまったが、空馬さんは不快に思ってなさそうなので幸いだった。

 きっと、空気感の違いによるもの。

 清涼な風が吹き、砂浜で波が押しては引いている情景が浮かぶような、磯風の自然体な接し方。男女問わずの決して無理のない語り方は独特だ。

 するりと、心の壁の隙間を縫うように入り込んでくる、まさにグループの中心人物といった奴だ。口数が極端に多いというわけでないのに、自然と周りが耳を傾ける。

 それは、一種の才能のようなものだ。

 勉強や部活とかとは違う、コミュニケーション能力に分類されるものだろうか。

 持っている人間にとっては、どうってことのない。きっと、ただ話しているだけのことだろうけれど、俺には、一生まねできないものだ。

 劣等感に圧倒されることもしばしば。

 だけど、磯風が悪いわけじゃない。ただ単純に俺だけがそのコミュ力を疎ましいと思ってしまうだけで、悪いのは俺だ。

 なんて、矮小でくだらないんだろうって自分でも思う。

 些細なことで悩み過ぎなのだ、俺は。

 だから、大事な時に一歩を踏み出すのを躊躇ってしまう。後悔を重ねては、こんなものだって言い訳を零すことしかできない。

 ……いつだって、そうなんだ。


「それじゃあ、今日親睦会しない? どうせ明日休みなんだから」


 は?

 黄昏ていたところに、青天の霹靂。

 ちょっと待って。どうしてそうなるんだ、と思っているのは俺だけのようだった。みんなまんざらでもない顔をしている。各々に思うところがあるようだ。

 というか俺はまだ、このメンバーで修学旅行の道中周ることを納得したわけじゃないんだが。

「ソウダネー、トッテモ、イイテイアンダネー。ソウダー、ダッタラワタシ、『クオウサンノイエ』二イッテミタイナー」

「うん、そうね! すごいいいアイディアよ、サッチー。そういうことだから、今日は『クズ王』の家にお邪魔するわね」

 まるで、初めから台本を用意していて、それを読み上げているようなふわふわ感。

 絶対に、なにか企んでいる。

 特に蛇沼さんなんかは演技が下手過ぎて、こっちが目眩を起こしそうだ。演技するのならするで、もうちょっと大根役者っぷりを解消して欲しい。

「なんでだよ! だったら、磯風の家とかでもいいだろ?」

「だめよ。『クズ王』の家が一番都合がいいんだから。どうせ、今日もお姉さん家に帰ってこないんでしょ? 五人全員で集まって泊まるんだったら、親のいない『クズ王』の家が最有力候補に挙がるのは当たり前でしょ?」

「……ぐっ。確かにそうだけど……。って、と、泊まるのか!? そんなのいきなり言われても、みんなだって困るだろ?」

 なあ? と助けを乞うように、他の三人を見渡す。

 もう、霧夜を説得することは叶わない。俺の言うことなんて、まともに取り合おうとしないのは昔から一つも変わっていない。

 だったら、他の人間から拒否してもらうしかない。

「私は泊まってもいいよ。どうせ親は私には関心ない」

「空馬さん!」

「アッ! グウゼン、ワタシモキョウハ、ヒマデシター。イキマショー」

 蛇沼……お前はいい加減黙ってろ。

 不愉快だ。

「九王」

「磯風……お前……」

 憂える俺を、慰めるかのような磯風の優しい声音。

 二人の間に、男同士ならではの、言葉を交わさずとも伝わるものが、行き交っているような気がした。それは、感情がシンクロしているかのような、心地の良いものだった。

 流石は、俺の心の友よ! 俺の胸中を全て察してくれた上で、どうかあの分からず屋の霧夜をギャフンと言わせてくれ。きっと、あいつも磯風の言うことだったら聞いてくれる。

 そうして見つめ合っている二人の横でグヘ、グヘヘ。ホモォ、ホモォ、と歓喜する妖怪のようなものが一匹いた。

 ――蛇沼さんだった。

 ムカデの足がわらわらと蠢いている姿を想像させるような、気色の悪い動きをしていた。魔法律が使えたら、魔列車に連れて行ってもらいたいぐらいだ、ほんとに。

 磯風は、蒼白になっている俺の肩にポンと両手を置くと、

「お前の負けだ、九王。諦めろ」

 告げられたのは、そんな情け容赦ない友達の一言だった。

 あーあ。

 どうせこんなことになるとは、途中から予感があったよ、もう。

 なんとかして、今日だけは俺の家に誰かが来るのは避けたかったのに……。

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