ep07.反面教師のHR!!
「今からHRを始めるから、とっとと席につけ。バカガキども」
紛れもなく、それはうちのクラスの担任教師のお言葉だった。
九十九神籤。
中肉中背。
目の下には、オンラインゲームを深夜までやった対価なのか、クマのスティグマが刻まれていた。
その先生は、教室内というのに、タバコを吹かしている中年オヤジだ。
学校生徒を分け隔てなく平等に嫌っていて、そしてそれを臆面もなく態度に現す。どうしてこんな人が学校の先生になれたのか不思議でならない。
最初の学級挨拶の際に、先生は教師になった理由を話してくれた。
それは、『特にやりたいこともなかったから教員免許を取得した。そして、特にしたいこともなかったから、なんとなく先生になっていた。公務員は安定しているから、別に俺の人生はこれでいい』……と前置きを置くと、
『ということだから、俺に将来の夢を語るのは止めろ。相談するな。俺はリアリストだ。どうせ、理想を追えるのは親の庇護下にある今だけだ、バーカ。とっとと夢から覚めたら、手遅れになる前に中小企業に勤めろ。そしてお前らは、精々汗水垂らして稼いだ小銭で、小さな幸福とやらを噛み締めて生きろ。アハッ、アハハハ!!』
……と九十九先生は、壇上で悪の化身である魔王のように哄笑したのだった。
クラスの誰もが自らの耳を疑ったが、腐敗した教師の心に嘘偽りなどなかったことを身をもって知るのに、そう時間はかからなかった。
それからというもの、先生は徹底的に生徒を無視し、放置した。
他の教師と違い、口うるさい指示がないのは助かるが、生徒の誰かが少しでも反逆したり、先生の指導力が校長に疑われるかのような羽目の外し方を俺たちがすれば、容赦なく通知表の成績を引き下げてくるといった始末。
生徒に対する愛情なんて、およそあるわけがなかった。
そんな先生だから生徒からの好感度はないに等しい。せめてもの抵抗とばかりに、先生の命令に反抗して、だらだらと席に着く生徒がクラスの大半を占めていた。
「ほらー。早くしろー。じゃないと連帯責任として、今からグラウンド走らせるぞー。何周走るかどうかは俺の胸先三寸だ。そうだな。お前らの苦痛に歪む表情を眺め、俺の心が潤うまで走り回ってもらおうかー」
決して脅しではない先生の言葉に、今度はみんな一糸乱れぬ動きで着席する。
……たった一人を除いて。
「先生。心の準備なしに、いきなりそんなこと言われても……。いくら生徒の着席が遅れた罰だといっても、こんなの……こんなの……あまりに理不尽だと思います」
凛とした態度。
それから、透明感のある声。
クラス中の視線が大挙として注がれたのは、蛇沼さんだった。
彼女は生真面目な性格(だったと最近までは思い込んでいた)なので、先生の横暴が許せなかっただろう。
茶道部と掛け持ちしながら、生徒会書記を務めているだけのことはある。
異議あり、とばかりに机を叩き上げ、そして椅子をガタン、と鳴らしながら立ち上がる姿は、まるで弁護士のようだった。
そして守護するものは、法廷の秩序ではなく、クラスの秩序。
振りかざすのは、正論。
持ちうる武器は、正義の心。
堂に入ったその立ち振る舞いに、誰もが胸中で蛇沼さんを応援していた。圧政を強いる王を玉座から引き下ろすことはできずとも、一矢報いることができるのではないのか。
そんな淡い光明すら、その時の蛇沼さんの姿から垣間見た。
傍観者たる俺達は、手出しすることができず、火の粉が飛ばないようにじっと身をひそめることしかできなかった。だが、それでも心はひとつだった。
蛇沼さん、頑張れ。
ただ、それだけのことをクラスの人間が一丸となって願っていた。
「そうか……。蛇沼、だったらお前一人で今からグラウンド走ってこい」
「そうですね! やっぱり、先生の仰ることは尤もです。さあさあ皆さん、早く席についてください」
あ、あっさり敵側に翻ってるよ。
そんなんでいいのかな。
生徒会という、学校全体の代表者として選出された人間が、立場が悪くなったら即座に長いものには巻かれる精神を持っている人で。
学校の先生方という上の意見を聴いているだけで、内申書の向上狙いに過ぎない傀儡生徒会のようなものを平気でやっていそうだ。
というか、さっきの休み時間といい、蛇沼さんコロコロ態度変えすぎだろ。
絶対あの人、気分屋だ。
その場のテンションに乗っているだけで、何も考えていないん人だ、きっと。
「よし、お前ら全員席に着いたなー。いいかー、一番前の席に置いてある冊子を今から後ろに配れー」
意欲の欠片もなさそうな声で、指示を飛ばす。
前席から回ってきた冊子は、途中まで蛇沼さんが、最終的には全部俺が教室まで運んできた冊子だった。結構重かったが、蛇沼さんは手伝う素振りも見せなかったやつだ。びっくりするぐらい薄情だったな。
その冊子に記載されていた表紙タイトルは『修学旅行のしおり』だった。
小学生の遠足のタイトルかなにかと問いたかった。
「いいかー。お前らが修学旅行中に行動する班をどうするか、俺は一切の指図は出さん。というか、お前らがどれだけ不毛な思い出作りをしようが、俺は興味なんぞない。修学旅行の班は、めんどくさいから今日中に作れ。……以上!」
刹那の停滞の後――。
ワッ、とクラスがひっくり返ったかのように沸き上がる。
融通の効かないという、かなり不名誉なことで他校にも知れ渡っているこの学校。
去年の先輩たちの話によると、浮ついた心で修学旅行などしないようにと、出席番号順で自動的に班が作られるのが通例だった――その筈。
だが、倦怠感が服を着て歩いているような九十九先生。フリーダムな生き方をするこの先生が担任で良かったと、初めて思った。
まず、出席番号で決める際の、出席簿を紛失したのが原因だとも思えたが……。
そういえば、朝の出席確認をまともにした記憶が、この学級になってからない。バカはいないのかー、クソは休みかー、と、生徒を散々扱き下ろしていた。
――そして、どうする? どのメンバーで組む? とか、囁き声が所々で交わされていく。注意しようとしない九十九先生に、気をよくしたみんなは声のボリュームを引き上げていく。
そしてついには、席を立ち始めた。
先生はというと、スマホをいじり始めていた。……この人の図太い神経が、時折羨ましいと思う時がある。
そして、あまりに熱を帯びた会話は、隣のクラスどころか、廊下にまで響き渡ることになった。
まだまだ先のことである修学旅行だが、退屈でルーティンな学校生活と乖離しているイベントに興奮し、熱中し過ぎたのだ。
イヤホンをしながら、知らんぷりを決め込んでいた九十九先生だったが、隣の先生が様子見に来た段階でようやく真面目に仕切り始めた。
だが、修学旅行の説明というか、お決まりの心得みたいなものを呪詛のように永遠に聞かされただけで、HRは終わってしまった。




