ep04.ここから一方通行!!
「チィース、九王」
「お! おはよ」
靴箱に靴を乱暴に投げ入れていると、真横から飛来してきた男の声。
そいつはクラスメイトで、高校からの友達だった。
ようやくの男友達の登場に、心は平静を取り戻す。
ライカと一緒にいると華やかな気分になり、悪い気がしないわけではない。だけど、浮き足立つというか、落ち着かない気分になることは確かだ。
姓名は、磯風うみ。
女みたいな名前なのがコンプレックスらしい。
それについて弄られると、本気で怒ってくる。
わざとらしく、『海』よりも深い情があるな、とか磯風の前で口走ろうものなら、鉄拳制裁が降りかかってきてもおかしくない。
「朝から中々のモテっぷりだったじゃん。九王って実は俺の見てないところで、ケッコーああいうことしてたりすんの?」
もしかして、さっきのライカと登校してたやつのことか。
こいつ、どこかで俺のこと見ながら面白がってたな。
「そんなわけ無いだろ。というか、見てたなら、話かけてくれてもいいだろ」
「やだよ。俺にはそんな野暮なことできなかったね。どう見積もったって、ライカちゃんはお前と二人きりになりたかったでしょ、あれは」
「……朝から注目される俺の身にもなってくれ」
「なんで、そんなマイナス思考になっちゃうかな。女の子と朝登校。しかも、相手は一つ下の女の子でしょ? それって、最高じゃん? どこに不満があるのかな。そんなリア充九王に、俺もモテ成分分けてもらいたいぐらいだって」
モテ、なんて皮肉にしか聞こえない。
なんたって磯風は、かなり女子慣れしているように見える。
廊下に出ると、交差する同学年の女子達に「おはよー、うみっち」なんて笑顔を振り向けられ、なにやら親しげ。
磯風も「チィース」なんて普通に返してて、それが日常化しているのが見て取れる。
隣にいるこっちとしては堪らない。
女子達からは、ふーん、なになにこの人。うみっちの隣にいつもいるけど、誰なんだろう。邪魔だなー。……的な批難めいた視線をチラチラと頂戴する。
こんなことになっているのも、磯風がイケメンだからだ。
俺が磯風のような髪型にすると、ただの寝癖じゃないのかと指摘されるだろう。だが、無造作な髪は、磯風だからこそだろうか、何やらキマっている。
耳元にはあくまでさりげなく、数個のピアスが光っている。
それから、細身でスラリとした長身。背丈は俺と同じぐらいだろうが、座高は俺の方が勝ってしまうという悲劇。足も長くて羨ましい限りだが、ゴールを決めやすそうなほどに腕が長い。
男子バスケ部に所属しているからか、女子からの人気が高い。古今東西、バスケ部やサッカー部の男というのは、女子に言い寄られる傾向が強い。
磯風がシュートを決めている時は、黄色い声援が上がっている。それほどまでに、部活内でも目立つ存在だ。
スポーツができて、それから女子とも気さくに話せる。
しかも女子だけではなく、男子とも、だ。
裏表のない性格で、どんな性格の奴とも仲良くなれる。
そんなコイツには彼女がいない。俺と絡んでばっかりだ。
彼女のいない俺のために、作るのを遠慮しているのでは? と余計な考えが浮上する時もある。
「磯風ってさ、彼女作らないのか?」
「なに? 藪から棒に? もしかして……ようやくライカちゃんと付き合う決心がついたの? 陥落するまでの道のりは長かったなー」
「そうじゃなくてだな……。作ろうと思えば、彼女作れるはずなのに、どうして作らないのかって話だよ」
「そうだなー。別に作らないわけじゃないよ。俺には彼女が作れないだけ。……なんていうか、安易にコクれない状況なんだよ、今は。うまく説明しづらいんだけど、複雑なんだよ。それに、あっちはきっとこっちの気持ちに気がついてないし、俺がコクったら、きっと困るだけだろうから……やっぱり……そういう時って言えないじゃん?」
「えぇ? 磯風にそんな奴いたのかよ? 誰?」
そんなの初耳だった。
磯風がそこまで惚れ込んでいる女子がいると思うと、それが誰なのか知りたくてしょうがない。ちょっとしたニュースだ。磯風が誰かに好かれているということなら、何度も耳にしていることだが、その逆は珍しい。
「……残念だけど、お前にだけは言えないな」
「あのなあ。そんなに信用ないのかよ? 俺だって他言無用なことに関してなら、口は軽くならないって」
「んー。そういうことじゃあないんだな、これが」
それじゃあ、一体どういういうことだよ、と問い返そうとしたが、
「うげっ、九王……」
階段の最上部から天敵の声が聞こえてきた。
愛澄霧夜。
恐怖の権化である、あの綾城彩華と同じ水泳部に所属。それだけで人格を断定などしたくはないが、霧夜はかなり暴力的なので、水泳部は問題児の集まりなのかと疑ってしまう。
塩素を含んだプールに浸かっている時間が、一般の生徒よりも長いためか、茶髪がかった髪をしているのも、不良っぽく見えてしまう一因。だが、そんな粗暴な性格だというのに、神様は不釣り合いな造形にしたものだ。
街中を歩いていたら、雑誌の記者に「一枚でいいから」と声をかけられ、『これが今時の若者!』という煽り文とともにファッション雑誌に載ってもおかしくない。
そのぐらいに洗練された美貌の持ち主。
制服を着崩して着ているのは、ただ真面目であることが嫌いなだけだろう。肌の露出が多いが、それでビッチだとか思わない。
むしろ、スポーツに打ち込んでいるせいか、健康的な印象を受ける。
だが、その性格は、その辺の野良犬なんかよりも極めて凶暴凶悪で、首輪をつけるだとか、もしくは鎖に繋がれていて欲しい。
「あー、ごめんねぇ、ゆっきー。ちょっとシメないといけない奴発見したから。また本の話しようよ」
「う、うん、いいけど……シメ……る? それじゃあ、またね、霧夜」
何か病気でも患っているかと思うぐらいに、白い肌をした少女。おどおどしている姿は、霧夜からかつあげされているようにも見える大人しい目の子のようだ。
チラッとこちらを一蔑すると、ゆっきーとか呼称されていた少女が視界から消える。
と、俺のことを仇でも見るみたいに、霧夜が睥睨してくる。
「ごきげんよう、『クズ王』さん。……あっ、間違えちゃった。えーと、『ゴミ王』さんでしたっけ? それとも『カス王』さん? こんなところで何してるのよ? 今日は午前中で終わっちゃうから掃除はないけど?」
分かりやすいほどに悪役のセリフだ。
「わざとらしく言い直すな。お前、さっき九王って言ってただろうが」
というか、ごきげんようってなんだ。
リアルで初めて聞いたよ。
お前は一体どこの女子高のお姉様だよ。どこのエルダーだよ。
今度、影で『お姉様www』っていうあだ名を連呼して、ひっそりと男子の間だけでも定着させてやる。
「残念だけど、あんたがここを通過できるのは一生ないわよ。合言葉か通行料を払わないと通れないんだから」
「……その、小学生のバカみたいなルールはなんだ?」
うっ、とよろめく。
子ども扱いされたのが、精神的にダメージを受けたらしい。
そんなに動揺することなのか。
「この私に、そんな揺さぶりをかけても無駄よ。公平な勝負ならいいでしょ? そうーね。ジャンケンでもやって、この私に勝てたらいいわよ」
両腕を横に広げて、通せんぼをしてくる。
なんでわざわざ勝負とやらをやらないといけないのかも甚だ疑問だが、遊びに付き合ってやらないと、また喧嘩に発展しそうだ。
分かった、とこちらが承諾すると、お互いにジャンケンの動作をする。そしてあっちはウキウキしながら、
「最初グー、ジャンケン――『グー』!!」
ゴッ! と何をトチ狂ったのか、霧夜が拳を突き出してきやがった。反動でこけそうだったが、咄嗟に階段の手すりに掴まって事なきを得る。
うぶっ、と頬を殴打された俺は痛みを訴える。
「何してくれてんだ、お前は!!」
「……だって、九王が相手なんだからしょーがないじゃん」
「どういう理屈だ!!」
いがみ合っている俺と霧夜の間に、涼しい顔をした磯風が割り込むに入る。
「まあまあ、その辺で勘弁してあげてくれないかな。九王を殴りたくなる時は、俺にだってあるけどやりすぎだよ。でもいきなり殴るのはよくなかったかもね」
「そうね。磯風クンのいう通り。確かに、最初に一声かけてから殴れば良かったわ」
「……言っておくけど、この俺が一々ツッコムと思うなよ」
俺との犬猿関係とは裏腹に、霧夜と磯風は仲が良かった。
……主に、結託して俺を貶める時にだけどな。
でも、それだけじゃなかった。
「それで、何やってたの? 愛澄ちゃんは。御島さんと何やら話してたみたいだけど、知り合いだったんだ?」
磯風にとっては、女子とこうして話すのは平常運転。
俺は、昔からの仲であるライカや霧夜とは話せるが、それ以外の女子とはほとんど話したことがない。挨拶だとか、日直や委員会とかの必要な時だけとかぐらいだ。
だけど、磯風は軽妙に、それでいて無理もなく話せてしまう。勉強やスポーツとかと違った、ある種の才能のようなものだと俺は思っている。誰にでもできることではない。
「別に大した用があったわけじゃなくて、ちょっと小説のことについて話してだけ。あんまりクラスで小説の話出来る人がいないから、クラスが違うゆっ――じゃなくて、御島さんとはたまには話したりするの」
「あー、分かる、分かる。趣味の違いとかで、話せない奴とかいるもんね。俺もバスケ部ではバスケの話で盛り上がれるけど、それ以外の話題はからっきしなんだよね。クラスの連中と、映画とかお笑い番組とかについて話すのも面白かったりするんだよね」
「でしょ? たまにはあまり絡んでない人と話すのも、新しい発見があって面白いわよね」
「そうそう、自分で気がつけないこととかあるしねー。それにしても、御島さんってやっぱり読書家なんだ。去年、確か学年で一番図書の本を読んだとかで体育館の壇上に上がってたような……」
「そうなのよ。あの子けっこう色々なジャンル読むから、本の貸し借りとかするの」
「えー、スゴイね。俺とか、漫画の貸し借りしかやったことないや。本って文字がずらって並んでて、見ただけでも頭痛がするんだよね」
「そうでもないわよ。名作って呼ばれる本でも、読みやすい作品もちゃんとあるんだから。例えば――」
見交わし、交換し合う視線が、妙に親密さを帯びているような気がした。
ただの日常会話の応酬も、どこか気安さがあった。
特に、俺と話す時と違って、霧夜の声のトーンが違っていた。いつもより高くて、男勝りなこいつが、なんだか女っぽい。
それはきっと、そういうことだった。
どんなに鈍い人間だって、こうやってまざまざと残酷な現実を叩きつけられてしまえば、諸手を上げるしかない。敗北を認めてしまうしかない。
戦う前から、一歩を踏み出す前から、終了していることだってあるんだ。
どれだけ努力しようとしたって、徒労になることが分かりきっていることだってある。
だって、そうだ。
磯風が、霧夜のことをどう思っているのか分からない。
だけど、分かっていることが一つだけ。
いつだって霧夜は柔和な態度で話すのは磯風だけだった。狂犬っぷりを披露せずに、笑顔を振りまいている。
それで、何もかも分かってしまう自分の目敏さが嫌だった。
もっと鈍感になれたのなら良かった。
でも、気がついてしまったから。
だから、こうして階段の隅でただ黙って佇むことしかできなかった。ぎゅっと、ズボンの中で拳を握りしめて何かに耐えるようにしているしかできなかった。
「それじゃあ、磯風クン。またクラスで会いましょう」
「うん。じゃーねー、愛澄ちゃん」
ひとしきり話をし終えたようだ。その間数秒だっただろうが、通りかかった生徒たちの、なんでこいつはぽつんと棒立ちになっているんだろうとでも言いたげな視線が、妙に痛かった。
ペッと、霧夜は唾を吐き出すみたいに、
「それと、ハッ! 『クズ王』さん。またゴミ収集場かどこかで会いましょう」
「……じゃ、クラスでな」
何やら他の言葉を期待していたようだったようで、霧夜はじっと待っていたが、俺が黙視していると、ふん、と機嫌が悪そうにして教室へと引っ込んで行った。
どうせ、くだらない掛け合いを望んでいたのだろうけれど、ヒートアップするのは御免だ。霧夜は引き際というものを熟知していない。だから俺が退くことで、なんとか均衡を保っているみたいなものだ。そのぐらいの駆け引きぐらいはできる。
「いいよなー、九王は……」
「なにが?」
取り残されたようにしている磯風が、ふいにそんなことを言ってくる。
「愛澄ちゃんにあんなに好き放題言われて」
「え゛? お前Мだったの!?」
「そうじゃないから!」
なんだ。
いきなり性癖をカミングアウトされたかと思った。
「そうじゃなくて、愛澄ちゃんとしっかり言葉を投げかわし合っているのが羨ましい……」
「至近距離でな。剛速球で、相手の捕球とか考えずにな」
「それがいいんだよ、愛澄ちゃんは俺には遠慮しているから」
「……そんなに、気に病むことでもないだろ」
むしろ、こっちが羨ましいなんて悔しくて言えなかった。
あんな風に、相手のことを思いやって会話のキャッチボールができたらと思う。
これが、隣の芝生は青いってやつだろうか。
どう客観的に考えたって、霧夜に自然と寄り添えているのは磯風だ。
どんなことでも器用にこなせる磯風は、そうやって俺には持ってないものをいつも持っている。
それを妬む気持ちもあるのかも、だけど。
それでもこいつは友達で、いっぱい長所を知っているから身を引こうと思っている。
馬に蹴られて死にたくはない。
それに、なにより。
俺にはどうにもできない、恋の挑戦権を持っていない確固たる逃げ口上みたいなものがある。
霧散することのない過去の苦い経験がある。
俺は、とっくの昔――愛澄霧夜に――フラれていた。