ep02.VSコンビニ店員!!
そして、現在。
視点変更。
俺は早朝からコンビニで立ち読みをしていた。
今日は月曜日ということで、今日発売される少年誌が目的だった。毎週の楽しみでもあるが、どうして月曜日でなくてはならないかというと、一日でも日がずれてしまえば、紙がクシャクシャになってしまうからだ。
なるべく新品同様のままで読んでしまいたい。あと、沢山の人間が触ると、手汗やらでぬるっとする時もあるから、放課後ではなく朝でなくてはならない。金を払って手にするにこしたことはないのだが、万年金欠状態の高校生の身としては、毎週こんな高価なものを購入できるはずもない。
同じ考えを持っているであろう学生達や、週の初めだというのに顔のくたびれた会社員達が、キッチリと、漫画コーナーの前で横一列に並んでいた。あまりにも異様なその光景は、まるで統率のとれた軍隊のようだった。
それは、覚悟のあらわれ。
共通の敵を相手取るには、この程度の団結力がなくては話にならない。そう、敵であるのは、床をモップ掛けをしているコンビニ店員。彼が迫ってきているというのに、喧嘩を売っているかのように隊列を乱すことなどしなかった。
確かに俺達は、今日こうしてたまたま偶然顔を合わせただけの関係に過ぎない。
だが、そんなことは、同志達には瑣末なことだ。
ここにいるのは、決してただの暇人などではない。
『週刊少年誌を読む』というたった一つの目的の許に集った戦士達だった。
ただひたすらに、俺達は地獄の責め苦に耐えていた。あー、邪魔だなー、という店員の露骨な小声や、わざととしか思えない靴へのモップ攻撃。それから、絶対に今やる必要ないだろと思われる雑誌棚の整理。最後には、負け犬の遠吠え同然の舌打ちだ。
俺達はしっかりと口を閉ざしていた。
この戦い、先に口出した方が負けることを本能で感じ取っていたかのようだった。
歴戦の勇者の如き、第六感が働いていた。
ぶっちゃけ、ただのドケチ集団だというのに不思議な現象だった。
だが、感じる。何やら高揚してくる。
人間のリミッターとやらを外した気がする。
今の俺達には『気』だとか、『チャクラ』的な何かが体中に迸っていた。ちょっと頭のハードディスクが大破したかのように、はしゃぎきっていた。
やがて、男の店員はレジに引っ込むと、「クソッ、何なんだよッ、あいつらは! 掃除させろよッ!」とぼやいていた。
そんなアルバイト店員の肩を、ポンポンと最早顔なじみとなった店長が宥めすかした。
恐らく、先ほどまで掃除していたのは新人。
見知らぬ顔であるということ。
それから最強たる戦士達に無謀な戦いを挑んできたことからも、そのことは明白だった。俺たちに黒星をつけることなど、滝が逆流するよりもありえないことを知らなかったのだから。
……不意に、視線を感じる。
それは、顔に皺の刻印がされている、バーコードとなりつつなっている頭をしたおっさんだった。レジに通るのか試したくなるぐらいに、立派な髪をお持ちの型だった。フッ、という微笑の残滓を残していくと、彼は足音を一切立てずに去っていった。
『よくやった』……そう称賛を与えられているようだった。
『あんたもな』……と、俺も胸中で添える。
とまあ、そんな馬鹿らしいごっこ遊びに興じていたが、
「……あー、まだ最後まで読んでなかった」
読み飛ばしていた巻頭カラー作品を読もうとすると、コンビニの窓に映りこんだものが目に入った。
それは、俺――九王帳の顔だった。
極限にまで薄目になれば、どことなくイケメンに見えればいいなと思える顔貌(顔の造形がほとんど見えなくなるまで凝視するのがコツ)だった。
クラスに溶け込めるように、髪型を変えたり染めたりすること、それから制服を着崩すなどの一切の冒険はしていない。
センスがないやつがそういった暴挙にでると、待っているのはクラス内での孤立。学校でハブられることは、学生において死刑宣告にも等しい。それを知っているからこそ、目立ったことはしたくない。
そんな、面白みのない高校二年生だ。
好きな言葉は、調和と協調性。
掲げる目標は、非日常の否定。
教師の方々や先輩などの厄介な輩から目を付けられることなく、同級生からは至って普通の人間だと思われるような容姿に仕上げている。
なにせ俺は、波乱めいた学園生活なんて望んでいない。
根性なしだと言われようが、それは紛れもなく事実だ。
誰が好き好んで困難な道に自ら足を進めるだろうか。
どんな奴だって安全圏にいたいに決まっている。
少年バトル漫画の主人公とかで、絶対窮地に立っている時に「オラ、ワクワクすっぞ!」とか宣うのは格好良いが、現実ではそうはいかない。あまりにも平凡な学校生活において、そればかりでは立ち行かないものだ。
俺は確実に二の足を踏むタイプだ。
どんなことだってポジティブに捉える、漫画の主人公なんて、リア充の考えだ。非リアの俺は、主人公とかよりも、むしろ脇役キャラとかが好きだったりする。
臆病な性格で戦いすら拒む。仲間がピンチであろうとも、怖くて逃げてしまう。そういう脇役のキャラの方が、俺的には感情移入できたりするものだ。
そういうキャラみたいに、どんなことがあろうと、俺の平穏をぶち壊す可能性のあるものはシカトしようと思う。
……そんな高尚な想いを密かに心の中で誓いを立てていると、
「せーんーぱーい! おっーはよーございます! なーに、やってるんですか? もしかして、今週も立ち読みですか?」
後ろから、なんとも快活な声をかけられる。
朝からこのハイテンションだと、会話相手から言わせてもらえれば、自重して欲しいぐらいだ。俺は、朝食が牛丼だった時のようなテンションになる。
「朝から元気いっぱいだな……。おはよう、ライカ。……もしかしてお前も?」
「そーですよ。あっ――たり前じゃないですよ。なんたって、今週の新連載って、前に連載してたササリーチ先生の新作じゃないですか。要チェックです」
「ああ、そっか……。どっかで見たことあるような絵柄だと思ったらあの人なのか。だったら結構期待できるかもしれないけど、前に書いてた作品ってバトルものじゃなかったか?」
「読者は、どうしても前作品と比較して粗探しするものですからねー。どれだけ売れても前の作品とは別ジャンルを書かないといけないって、編集もアドバイスしたんじゃないんですか? まあササリーチ先生の作品だったら、そのペンネームだけで、どんなジャンルでもある程度は売れるんじゃないんですかね」
胡桃来鹿。通称ライカ。
金髪碧眼で、ロングヘアなツインテールでハーフ。
年齢は俺より一つ下。
彼女が割り込んでくるだけで、殺伐としていた空気が霧散する。
まるで、バッ、と花畑が一面に咲き誇るかのようだった。
掃き溜めに鶴といったような風情に、立ち読み集団の牙は引っ込んだようだった。何故だかライカが春の台風かのように、周りの人間達は暴風圏外へと退いていく。
そして台風の目にいるのは、俺だけ。
沢山の人間がいる中、ぽっかりとドーナツ化現象みたいなものが起きる。
「ライカも立ち読みしに? 野球部の朝練は、行かなくてもいいのか?」
「野球部の……もう夏の大会は終わっちゃいましたからね。だから、朝練も当分はお休みして自主練するみたいです。まー、野球部といっても私はマネージャーなので、朝練参加してもやることはないんですけどね。今年もうちの学校、甲子園行けなかったですし」
「でも、あれだろ? 新しいエースが凄いって、うちのクラスの誰かから聞いたような気がするけど」
「そーなんですよ! 今は、小梶先輩がエースとしてみんなをまとめていってるって感じです。我が野球部も、そろそろ世代交代って感じですからね。……ちょっと毒舌なのが玉に瑕なんですが、小梶先輩は部長としての威厳はありますね、かなり。あの先輩じゃないと纏められないと思います。――っと、それじゃあ、私も読みますね」
そう言うと、ライカは今日発売の週刊誌を漁りだした。
俺は彼女の黙読の邪魔をしないよう、会話を打ち切り、持っていた週刊誌に目を落とす。
ササリーチ先生の新連載なら、期待はできる。
数ページ目を通すと、どうやらギャグコメディっぽい。
正直そこまで面白いとは思わなかったが、小・中学生にはウケるかも知れないノリだった。天丼してじわじわくるタイプの作品なのかも知れない。
ギャグ一辺倒が飽きられれば、そこからササリーチ先生の伝家の宝刀であるバトル展開に持っていければいい。そうして、打ち切り候補から看板作品にまでのし上がった作品も多い。二段構えで対策しているのも、編集の計算の内だろうか。
……ん?
何やらいい匂いが鼻腔を擽る。
シャンプーなのか、石鹸なのか。
香水の類ではない、自然と香り立ってくる匂い。どうして女の子は、何もしていないのにこんなにもいい匂いを体に纏わせることができるのだろうか。面倒だからと、お姉ちゃんの一緒のシャンプーと石鹸を使っているが、こんな匂いは自分から漂ったことなどついぞない。
そして、どうしてこんな匂いがするかというと、
ライカが背後から週刊誌を覗き込んでいた。
それは、ほとんど密着状態。
澄み切った空みたいな瞳で、「ほうほう、続きは一体……?」と、ページを捲るように促してくる。
日本人離れしているのは、シャープな顔の輪郭だけじゃない。
なんというか、肘のあたりに当たっている胸とかが、明らかに日本の女子高校生の平均を凌駕しているような気がする。
「……何やってんの、お前……」
「無論、覗きです! だって、皆さんが週刊誌読んでるせいで、残っているやつはビニール袋に入っちゃって読めないんですもん。だから一緒に読ませてくださいよ。先輩のお邪魔はしませんから」
「もう既にお邪魔になってるんだが」
「いいですよ、私は気にしませんから!」
「気になるのは俺がだ! ……まあ、邪魔にならない程度になら読んでもいいけどな」
あまり考えもせずに言ってしまってから、どっと後悔が湧いてくる。
じんわりと、時間差で背中の方に滲んでくるのは冷え切った汗。
こんな状況で漫画に集中できるはずもない。
矢で射抜かれているかのような視線の気配。それは、俺に向けられているわけではない。だけど、これで意識するなというのが無理な話。
さりげなく、足先を少しずらしながら、距離を置く。あまりにも近すぎて、このままだと頭が沸騰間近だ。
こうなったら、とライカのことを頭に入れる間もなく速読する。パラパラ~と、一緒に読んでいるだろう相手に全く気を使わずに新連載を読み切ると、
「はい、もうライカだけで読んでいいぞ」
「えっ、でも、まだ先輩まだ全部読み切ってませんよね?」
「いいんだよ。俺はもうこの作品以外は読みきったんだから。だから、ほい」
「あー。だったらもういいです。私、これ買うんで」
ええ? とこちらが訊き返す前に、受け取った週刊誌を本棚に戻すと、あまり人の手に触れていないであろう。一番下に埋まっていたビニールに包まれたやつを取り出す。
「それじゃあ、先輩。私、買い物あるんで、それじゃ」
と、ライカ。
そのまま、今期で人気作品の一つでもあるアニソンの鼻歌を歌いながら、弁当のコーナーへと歩いていく。手には、しっかりと週刊誌を持ったままだ。
最初から買うつもりだったけど、新連載だけは気になっていたから読んだのか。
なーんだ。
ちょっと期待した俺が馬鹿みたいだった。あまりにもあっさりとした別れの言葉に、肩透かしだ。まあ、これでいいか。それじゃあ、そろそろ遅刻しないように登校しようか。……という訳にもいかなかった。
今コンビニから出ようとすれば、確実にライカと鉢合わせになる。
あっ、それじゃあ一緒に登校しましょうか、という流れに落ち着くに決まっている。そこでやんわりと断れる言葉を俺は知らない。中途半端な言葉は、相手に深い傷をつけてしまう。
だったら、まだ読んでなかった月刊誌でも読んでしまおうか。
週刊誌から月刊誌に移った作品も気になるしな。
どうなるかとも思ったが、時間に余裕があるおかげか、完成度の上がった作品もある。
だけど本当は、週刊誌を全部読み切ったというわけではない。ライカには嘘をついていた。早くあの幸せじみた地獄を切り上げるために。続きを読みたいが、それをライカに見られれば言い訳のしようがない。
「先輩、どうせなら一緒に食べませんか?」
ビクッと、つまみ食いをしようとして、母親に見咎められてしまった子どものように動じる。
ライカは、コンビニの袋を脇に携えながら提案してきた。何が入っているのかは、ビニールのせいで分からない。だが、虚言の罪悪感も相まって、アドリブに弱い俺はハハハ、と微苦笑しながら二つ返事で了承した。