ep18.恋路のお邪魔虫!!
ダン、ダン、とバスケ部のドリブル音や、バレー部や卓球部などの、キュキュというシューズ音が耳に入ってくる。
体育館の正面から見えるのは、輝かしいまでの青春を謳歌している部活動生。俺がどうして帰宅部なのかというと、新しい何かに挑戦できるほどの体力も気力もなかったからだ。自分から何かに挑戦しようという気概なんて、もとよりない。
だからこんなところにいるのは、場違い。
帰宅部は帰宅部らしく、家に帰って漫画を読みふけるか、ゲームでもやりこんでいればいい。何度も読んで飽きてしまったというのに、やることがないから、やりたいことが何なのかも探し出すこともできず、ただ色々なものをフイにしてきた。
それでもいいと思っていたのは、変わることを躊躇っていたのは、こんな色のない人生を生きていて、本気で何かに挑みたいことが見つからなかったからだ。
でも、今はきっと違う。
磯風がどれだけ目の前で活躍しようとも、どうでもいいと思っていた。例えば、テレビゲームや学校の徒競走で負けても、何の衝動も込み上げてこなかった。そんな無気力な俺でも、どうしても譲れないものがあったらしい。
「……遅い。すっぽかされたかと思ったじゃん」
「別に、お前とは約束してないだろ」
「だったら、何しに来たの? もうすぐ愛澄ちゃんが来ると思うから、手っ取り早く用件を言って欲しいんだけど」
「――馬に、蹴られに」
体育館裏。
さっきまでとは裏腹に、静寂が林の中を支配している。隣接する木々が、枝と枝を交差させて、太陽光を遮断している。闇が巣食う巣窟に、笑いながら佇んでいたのは磯風。俺がここに来ることを予感していて、それが的中したことに歓喜しているかのようのだった。
「……ようやく、来たな。九王」
「お前がどういうつもりかなんてもうどうでもいい。お前のことだから、聞いてもはぐらかしそうだからな。……頼みたいことがある。あいつのことは諦めてくれ」
「なんで? 九王には九王のことを好きでいてくれる人がいる。なんで、わざわざ望み薄の相手に特攻するんだよ。九王だっていつも言ってただろ。『俺は、無難じゃないといけない』って」
そうだ。
そうやっていつも俺は、妥協してきたんだ。懸命になっている奴らが妬ましいから、そうやって努力する道を封鎖してきた。そうすれば、頑張らなくていいから。事が終わってから、言い訳できるんだ。俺は励んでいない。頑張っていないから、失敗したんだって。
負け犬の遠吠えができるんだよ。
だからいつだって、無難とか、合理的だとか、クールに生きるとか、そういう言葉を使って、逃げてばかりいる自分を誤魔化し続けてきた。
「嫌だからだ」
「……嫌だから?」
「ああ」
俺は両の手を拳を作ると、
「お前があいつと付き合うのなんて納得できない。ただ指を咥えて見続けるなんて拷問だ。気に喰わないんだよ、ムカつくんだ。お前が、スポーツして、恋してさ、そういう青春を送っているのを見ているのが、俺は本当に苦痛なんだ」
「……あのなあ、それはお前のただの我が儘ってもんじゃん。それじゃあ、何? 俺に何もするなって言いたいの?」
「違ぇよ。ただ今だけは引いてくれないか。……俺はもう、これ以上自分の心を欺くことなんてできない」
「欺く? 言っている意味がよく分からないけどさ、最終的に何が言いたいわけ? 俺を引き止めて、愛澄ちゃんへの告白をやめさせて、また引き伸ばすの? さっきから九王の言っていることはめちゃくちゃだよ。嫌だから……じゃなくて、どうして嫌なのかを訊きた――」
「好きだからに、決まってるだろッ!!」
鼓膜が破れたのかと思うほどに、心臓の音だけが妙に大きい。全身の血管が沸騰するかのように熱くて、脳震盪を起こしてその場に卒倒しそうなぐらいに興奮している。
緊張で舌根まで水分が蒸散したかのように、干上がる。カッ、と掠れた声しかでなくて、過呼吸すら起こしそうで、なんともカッコ悪い。
でも、それが俺だった。
不器用すぎて、どんなことにだって手間取って中々うまくいかない。他人も自分も傷だらけにしてしまうことでしか、自己主張ができない。そういうクズだった。
「お前と口喧嘩するの……そこまで嫌いじゃなかった。バカみたいだけど、俺はいつもそうしたかったんだ。自分の言葉を呑み込んで、言いたいことも言えないなんて、それは友達なんかじゃない。ましてや、好きな人なんかじゃない。言いたいことを言い合える奴が、本当に俺の好きな奴だって分かったんだ」
誰もが誰かを欺いている。
社交辞令だとか、しがらみを抱えている以上、他人を欺くことは必要になる。他人との距離を図って、決して傷つかない場所に居座り続ける。
でも、それじゃ恋愛はできない。少なくとも、俺は。
本気にならなきゃだめなんだ。クールぶっているだけじゃ、きっと自分の心が相手に伝わることなんてない。
それでも、すれ違いや誤解は生まれる。どうしても軋轢は生じる。
それが怖くて、みんな偽り続ける。他人を、そして自分の想いを。
だけど、本当にそれでいい訳が無い。みんながそうだからだと、あきらめきれるのか。そういう人間だっているだろうけど、俺には俺の――俺だけの解答がある。たとえ中二病だと揶揄されても、自分は特別だと思い込みたい。
俺は、自身の意志を貫きたい。
どこかの誰かさんのように、胸を張ってそうありたい。
「……そう思ったから、俺はお前にこうして本音で話せることができるんだ」
磯風とだって、正面切って話したいから。
だから、自らの胸の内を晒しておきたかった。そうじゃなきゃ、きっとフェアじゃないと思ったから。中身のない空っぽな人間であっても、そうしなきゃもう二度と前に進めないから。
……そっか、とニヤついた磯風は、何故か視線を俺から少しズラすと、
「――だって、愛澄ちゃん」
え、と俺が振り返ると、そこには霧夜がいた。プールにでも入ったのか、髪が濡れそぼっている。心なしか瞳も潤っている。
聞かれてしまった。俺の思いの丈を。
どこまで聞いていたのか定かではないが、水温のためではない蒼白になっている顔から、こちらの言葉をどの範囲まで盗み聞きしていたのか大体は窺い知れる。凝視したまま、石化している霧夜。ポタリと、流麗な髪先から雫が垂れると、ようやく我に返る。
「その、私は、別に、いいの。そういうのがあるって、サッチーから聞いてて、まさかと思ってたんだけど、そういうのがあるって知らなくて。……でも、そういうのに偏見があるわけじゃないから。誰にも言わないから、そこは安心して。……ね」
「……は、はあ? なんのこと言ってんだ?」
慌てふためく霧夜はショックというよりは、突然立ち聞きした俺の告白に驚いているだけという感じ。それはそれで腑に落ちないのだが、朱に染まっている頬が何だか歪。ジグソーパズルが一つの枠しかないのに、最後のワンピースがはまらないような、そんな齟齬が発生しているような気がする。
「だから、その、あんたが、その、」
「いいからはっきり言ってくれ」
「~~~~~~だから、磯風クンのこと、好きなんでしょ?」
……。
………………。
……………………ええ゛?
つまり、どういうことだってばよ?
もしかして、俺がカミングアウトしていた言葉を、自分じゃなくて、全部磯風に言っているものだと勘違いしたのか。……そんなの、ありえないだろ。どんだけ馬鹿なんだ、こいつ。そのぐらい、ちょっと考えれば分かるだろ。
蛇沼さんは一体どれだけ、俺達の関係を歪曲した見方をして、しかもそれを友人である霧夜に熱弁したんだ。そうでもないと、ここまで変な形で納得しないだろ。
「そうだよ。実は前から仲良しだったんだ。そして、今の俺への愛の告白でようやく決心がついたよ。ごめん、愛澄ちゃん。この前の俺の告白はなしにして」
「お、おい」
磯風が俺の肩を抱いて、そんなことを言う。ベッタリとくっつくその様は、あらぬ方向に思考を持っていくのに、さらに拍車をかけそうだ。
「そ、そうなんだ。……や、やっぱり? そ、その恋愛って人それぞれだと思うから、いいと思うの。でも、あんまり私以外の人には言いふらさない方がいい。うん、絶対やめた方がいい」
ガラスがひび割れそうな笑顔をしながら、
「それじゃあ、お幸せに!」
全速力で駆け去っていく。落ちていた木の葉と枝などものともせず、踏み潰すかのような脚力で、どんどん視界から外れていった。
……どうしよう?
想い人から他の人間と恋するように応援された。しかも相手は同性。どんな星の下に生まれたらこんな最悪の状況に陥ることができるのか。
俺は怒りのまま、諸悪の根源である磯風の胸ぐらを掴むようにして、
「お前、なんであんなこと!?」
「よかったじゃん。これで、ほんとに逃げ場がなくなったんだから」
「だから、なんであんなこと言ったんだよ! 絶対誤解されただろ?」
「追いかけろよ」
「………………っ!」
開き直りに近い磯風の言葉に、カチンとくる。だが、あまりにも清廉としたその目つきに、抗議の声も出せなくなる。
「今、走って追いかけなきゃ、手遅れになるぞ」
「――磯風、覚えとけよ」
主役どころか、安い悪役に満ちた捨て台詞を吐きながら、俺は必死で追いかけた。
なんのため?
そんなの決まっている。
ずっと昔から自分の気持ちが思うように伝わらない、その相手に、今度こそ本当の想いを伝える。ただそのためだけに。




