ep11.カレーなる食卓!!
「俺も手伝おうか? 凪ちゃん」
台所に一人で立とうとする空馬さん。
袖をまくり、作ろうとする気合は充分なのだが、磯風の言う通り、誰かが補助をした方がいい。
俺だって、姉ちゃんとの二人暮らし。しかも、姉ちゃんが帰ってくるのは稀なため、家事は一通りこなせる。他人に食べさせるだけの料理を作れるかどうかと聞かれたら、微妙だが。
それに、女性ひとりにやらせて、自分はくつろぐというのもいただけない。
「お前は……だめ。料理を真面目にやるようには見えないからね」
気分を害したように瞳を眇める。
磯風にここまで表立って拒絶反応を起こしたのは、空馬さんが初めてかもしれない。少なくとも、俺が見てきた中では、そんな人間はいなかった。しかも相手は異性というのも目を白黒させる要因。
そっか、だったらいいんだ、とすっかり消沈した磯風は、すごすごと引き下がる。
それを見やった空馬さんは、ピクリと微かに睫毛を動かしたが、それだけだった。動揺したように見えたけど、磯風の背中を見るだけ。
表情というものが不鮮明な彼女は、何を考えているのかさっぱり分からない。
手伝いが不必要だというならしかたない。
俺は、他の奴らが俺の部屋をガサ入れしないように見張ろうかな。
と思っている間にも、ライカが「エロ本ってどこにあるでしょうか?」とか言っている。「やっぱり、本棚の奥とか、タンスの中じゃないの?」と、なんでか霧夜も話に参加している。
なんで俺の弱みを握ろうとしている時は結託しているんだ、お前らは。
「待て、お前は私の手伝いをやってくれないと困る。流石に、この人数の料理を一人で作るのは骨が折れる」
グイッ、と首元を引っ張られ、首が締まる。
うえっ、と舌が飛び出しながら振り返ると、既に包丁やらまな板やらを水洗いしていた。
こちらが手伝うことを、疑い余地なんてないと言いたげに敢えて蛇足となる言葉を継ぎ足す気はないようだった。
……どうやら、他に選択肢がないみたいだ。
後ろから聴こえてくる、賑わっている会話から、他の人間は手助けしようとする気はないようだし。
「とりあえず、玉ねぎ洗って」
「は、はい」
何故か、上司と部下みたいだった。
それだけに肩に力が入る。
漂うオーラは、抜身の刀のような鋭さ。近寄りがたく、冗談の一つでも言おうものなら啖呵を切られるそうだ。
でも、やっぱり話さないといけないよな。今のうち仲良くなっておかないと、修学旅行で気まずいことになる。
……いや、なんだよそれ。
なんで俺はいつもこうなんだろうか。話さないといけないって考え自体、空馬さんに失礼だよな。
なんだかこの人が気になるから。
空馬さんのことをもっと知りたいから、話す。それが自分のやりたいことだからやるんだ。
「空馬さん、何作ろうとしてるの?」
「凪でいいよ」
「え?」
「な・ぎ。……名前で呼んでいいから」
「わ、分かった。――な、な、な、凪」
「……よし」
唇の端が少しだけ釣り上がる。
分かった、だけで堰止めようとしたが、どこか得心いってなさそうだったので、早速名前で読んでみたが、正解だったようだ。
苗字から名前にシフトする時は、相手が誰であっても何だかこそばゆい。
でもまあ、磯風も凪のことを名前で、しかもちゃん付けしてるから、別にいいか。
もしかしたら、今までの呼称の方が不自然だったかも。
「作ろうとしてるのはカレー。これだけの人数だったら、きっとこれがベスト。イレギュラーが一人増えたけど、まだ許容範囲内かな」
脇に置いてあるのは、確かにカレーの材料がたんまりと入っていた。
もしかしたら霧夜が冷凍食品しか購入しないことは想像していたのかも。だとしたら、やっぱり女友達だけある。
だけど、そこまで分かっていたのなら止めて欲しかったりするが。それも、先読みして、霧夜を悲しい顔にしないためだろうか。たまに、あいつには脆いところがあるから、そういうことを危惧したのかも。
それにしても、イレギュラー……か……。
それってもしかしなくても、ライカのことだよな。
「ごめん」
「……何が?」
「だから、それは……。ライカが来ちゃったことで……その、なんだ……」
「べつに、謝らなくていい」
突き放すような物言い。
やっぱり、知らない人間が突然来るのはいい気分じゃないよな。
「なに? その謝りは、一体何のためのもの? 料理の手間が増えたこと? それとも、さっきの喧嘩? だったら気にしてないけど。――少なくとも、私は……ね」
洗っていた玉ねぎを横からかっさらうと、
「――それに、その場しのぎの謝罪はあまり好きじゃない」
手でくるくると玉ねぎを回しながら、皮を剥く。それから、食べられない箇所を包丁で切ると、そのまま細切れにしていく。
ぱっと素人目から見ても、かなり手慣れている。
「そういうんじゃなくて、ただ単純に謝りたかっただけ……かな。やっぱり、俺がちゃんとライカとかみんなに言っておけば、こういうことならなかったわけだし。これって、結局俺のせいだしな」
「……そうかな。私はそうじゃないと思うけど」
食材を切りながら、そしてフライパンに火をかけ、バターを投入しながら、そして俺と会話している。
ずいぶん、器用だな。
「こうなったのは、誰のせいでもない。むしろ、帳のおかげじゃないの? さっきから聞いていると、一人メンバーが増えたのが悪いみたい。人数が多ければ多いほど、この場が盛り上がって楽しくなる。そういう考えだってできるでしょ」
まっ、これも私がそう思っているだけだけど、と凪は付け加える。つまりは、他の人間は不満に感じているかもということだろう。
……って、さりげに名前で。
まあ、こっちだけ一方的に名前で呼ぶのもおかしいからいいのか。だけど、異性にそう呼ばれるのは、姉ちゃんぐらいなものだから、どうにも慣れない。
「他の野菜も洗って」
「あ、ああ。なんか、凪って料理得意だな」
「それは……ね。一応調理部だから、このぐらいは作れないと」
「へぇ、どうりで。……でも、部活に入るぐらい料理が好きなら、もっと凝った料理作っても良かったんじゃないのか? それか、固形のルウじゃなくて、色々スパイスを調合したりとかさ」
野菜を取り出す際に、レトルトがチラリと見えた。
味の違いは素人には分からないだろうけど、どうせならウマイものを食べてみたい。料理番組とかででるような、火力満載のやつとかが思い浮かぶ。なぜか、中華鍋から火が吹き出すやつが一番先に想像が浮上してきたのだが。
「それじゃあ、時間がかかりすぎる。確かに私は腕を振るいたいけど、そんなちっぽけな自分のプライドよりも、食べてくれる人のことを考えてあげるのが、料理だと思うから」
ジュウ、とフライパンに投入した野菜が、歓喜の声を上げるようにして踊り狂う。
蜃気楼のように中空が揺らぐ。
空気は凪の熱意と同調するかのように、熱気を帯びている。
「玉ねぎをじっくりバターで炒め、ルウの裏に書いてある説明書通りに作れば、大抵美味しくなる。じっくりと愛情を込めれば、それだけ食材は答えてくれる。隠し味……というほどのものじゃないけど、にんにくや砂糖を少量入れるぐらいで私はいいと思う。チョコやコーヒーを入れても美味しいけど、入れれば入れるほど、味が複雑になって調整が難しいからね。それこそ、ただの自己満足に過ぎない」
「………………」
思わず、手を止めてしまう。
料理についてそこまで考えたことがなかったから、というものもあるが、なんだか自分とははっきりとした違いを見た気がした。料理に対する姿勢から伝わったのは、凪の強烈な個性。俺には到底身につくことのない自我、自分というものを持っている。
「……なんでかな? 私が、饒舌になるとみんな戸惑うんだよね」
「いや、なんか……凄いなって思って」
「凄い? ……私が?」
「だって、俺が今まで生きてきて一度も考えたことがないことを、当たり前のように話すから。なんだか、俺と同世代なのにしっかりしてるなって思うんだよね」
それは、焦燥感。
俺は置いてけぼりにされるというのが苦手だ。
なるべく大勢の人間が傍らにいて欲しい。それが仲がいいとか悪いとかじゃなくて、ただ異分子にはなりたくないというだけ。グループから爪弾きにされたくない。だから、相手の顔色を窺っては、調子を合わせている。
それなのに、こうやって先んじている、自分よりもよっぽど成熟した思考を見聞きすると、自分の成長スピードの遅さがじれったくてしかたない。なんだか独りぼっちになっているような気がして、危機感を覚える。
もっと、他の人みたいに、例を挙げるなら、凪みたいにどっしりと腰を据えて、芯のある言葉を紡ぎたい。
「凄くないよ。ただ私には料理以外の趣味がないから、このことしか考えていないから、スラスラ出てくるるだけ。逆に、それ以外のことはからっきしなんだ。だから、他の人には変人扱いされる。何を考えているのか分からないなんて言われる」
「そっ……か」
なんだろう。
こんな時になんて言えばいいんだろう。気の利いた一言を投げかけて、ちょっとしんみりとしてしまった凪をなんとかしたかった。
だけど、正解が分からなかった。
ふと、瞬時に過ぎった感情は――憧憬。
料理という趣味があるだけでも、俺にとっては羨ましいことだった。
だって、俺には好きなことなんて何一つない。
敢えて挙げるのなら、漫画やアニメとかといったサブカルチャーだろうけど、正直そこまで情熱を注いでいるわけじゃない。
ただの暇つぶしな娯楽だ。
だからこそ、何か一つのことに懸命になれる人は心の底から尊敬する。
だから、持っていない俺は、持っている人間にかける言葉が見つからない。
頑張ることを、自分の可能性を信じることを諦めきった俺には、ありきたりな慰めをしようにも、口に出したら嘘っぽい。
薄っぺらな心を見透かされてしまうのなら、結論はださない方がいい。
なんだか、凪の心の核。中枢に触れそうな気配がしたから、俺は受け答えを間違えてしまわないように、不細工な顔で笑う。
「まあ、今のままでもいいんじゃないの。凪は凪らしいってことで」
「う、うん……」
予想通り、曖昧に頷ぐだけに終わる。
でも、これでいいんだ。
俺にできることはこのぐらい。深追いしたところで、凪の傷口を広げることになりかねない。そんなことになったら責任なんて誰がとるんだ。そんなことになったらお手上げだ。ポロリと零してしまった悩みから、そこまで被害を拡大させて、いいことなんて一つもない。
凪がどんな言葉を求めているか分からないし、分かる必要も、きっと……ない。
そこまで絆を深めるつもりもない。
頑強に思える歯車も、歯の間に少しの砂礫や小石が詰まっただけで、機能停止になるように。些細なことで瓦解するのが人間関係というものだ。
だから、ここで懐に飛び込んで、間違った答えを打ち出してしまって、それで少しは縮まったように思える今の距離を、またゼロにするのは利口な考えじゃない。
いつだって頭の中は冷静に。
決して転ばない。
危険地帯には自ら飛び込まない。
ちゃんと、線を引いて、相手の心理領域には土足で入らない。そうすることが、互いにとって、きっと一番いいこと。
そうであると、俺は信じている。




