人<ヒト>
言葉では伝わらない。
文字では語りすぎる。
音や形で表される色とりどりの意味たち。
快楽では足りない。
苦痛では在りすぎる。
人が人として進化してきたものの中で最たるは共感という感情。
他者を通して存在を感じる器官。
それが人を進化させ、より膨大な情報を処理する為の箱としての役割を果たす。
誰しもが共感を必要としており、また、共感によって論理的に思考し始める。
私が孤独であると感じることが、すでに誰かへの共感なのだ。
私が私を感じることは、他者の存在によってしか為りえないこと。
だが、私が私である必要はどこにもない。
もし、この世に必要とされた賢者達にしても、それは媒介にすぎない。
「人は水のようであれ」と、人の標と愚かさを説いた賢者ですら、私には理を伝える為の存在でしかないように思える。
私が私で在る必要はなく、ただそこに在るだけのことだということに帰すことが初まりであり終わりでもある。
細胞が他の細胞と繋がり、離れ、それを繰り返すことで生として動き出す。
こうして動きだした生は他者との繋がりを標し、それにより生まれるのが孤独と死。
共感と孤独こそがヒトなのだ。
ヒトに多く語り継がれる愛など、本当は貧相なことでしかない。
どれほどまでに深く愛を語ろうとも、どれほどまでに清く愛を紡ごうとも。
愛の根拠はいつも耳障りの良いものばかり。
痛み、苦しむ先の対価ばかりに目を向け、あたかもあって然るべきと言わんばかり。
愚かさから目を背き始めれば、それは死の始まり。
賢者が痛みや愚かさから目を背けないのはだからこそと云える。
不平等に不満を抱く愚かな者が、世界を動かす動力のひとつでさえあることにも目を凝らす。
『平等でなければならない』という考えこそ、不平等を生むということに気づかず踊り続ける様をまっすぐに見つめているのだ。
「世界は平等で、人々は支え合い、自然と関わり合いながら生きていく。」
これこそ正に自然から逸脱した言葉。
ヒトの作りし言葉。
平等や、善悪などヒトの望みでしかない。
自然はただそこに在るのみ。
強い願いを理とする行為がどれだけ愚かな行為なのか考えもせず、目を背けることしかしないのだ。
まるで囁かれる愛のよう。
神や他人に自分を委ねる必要などない。
悲しみ、喜び、失望、絶望、希望の類、それらは全て虚飾でしかない。
知らぬ間に描きはじめた人生という名のフィクションだ。
個である必要も、個でない必要もない。
誰かである必要も、誰かでない必要もない。
耳障りの良い言葉に耳を傾けるな。
耳障りの悪い言葉に耳を傾けるな。
すべてはただそこに在るだけなのだ。
最初に得て、最期に残るものは共感と孤独だけ。