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ライ、雷、来!  作者: ごぼてん
19/22

第16話「洒落にならないドラゴンの谷 ①」



 天を仰げば雲ひとつない空が青々とそこにあり、眼下には真っ白な雲が大地のように広がっていた。

 流れる風が短い髪を揺らし、肌を厳しく撫でて流れていく。

 雲の上という上空。時折見える大型の飛行型魔物も、ダークドラゴンの姿を見ては一目散に雲下へと逃げていく。


「いやー、景観かな景観かな」


 ダルクの背中で、ライは上機嫌に微笑んだ。

 今、彼らはドラゴンが棲むといわれているドラゴンの谷へと向かっていた。ドラゴンの谷といえば魔物の巣窟内のどこかにあるといわれる幻の地でもあり、未だに人類がそこへ踏み込んだという話はない。それはもちろん魔物の巣窟と呼ばれる森があまりにも光陵としており、開拓が進んでいないからである。


 余談だが、勇者が治めるコウノ共和国と魔王国に行くにはその魔物の巣窟を通り抜けなければならない。それに関しては一応の道があるのだが、いつどこから魔物が襲ってくるとも限らないためケイアン王国とコウノ共和国では安全に進めるように道の整備化を進めている。


「……さっきから無口じゃないか?」


 どうもダルクの様子がおかしい。まるで他の人間がいる時みたいにダルクの反応が薄く、口が閉ざされている。

 ライの不思議そうな顔に、ダルクは「イヤ」とだけ答えてまただんまりを決め込む。


 ――不機嫌なのか?


 よくわからずに、だが結局はあまり話しかけないでおこうと、一人で決めてライはまた空の旅の観光を決め込んだ。首をキョロキョロと動かして、まるで子供のように喜んでいる。

 そんなライの様子を背中で感じ取りながらも、ダルクは静かに大きな息を吐いた。


 ――大丈夫……ト信ジタイ、ガ。


 まるで自分に言い聞かせるかのようにライの安全に心を配っていた。

 そもそもどうしてこんなことになったか。それを思い出して、ダルクは少しばかり遠い目に。

 ドラゴンの谷にライを連れてこなければいけなくなった原因はもちろん他の誰のせいでもない、ダルク自身のせい。


 竜王は自他共に認める人間嫌い。魔人も亜人もいいが人間だけは駄目。不機嫌な時だとその名を聞いただけで烈火のごとく怒り狂い、ドラゴンの故郷であるドラゴンの谷を滅ぼしかけたという噂もあるほどだ。

 それほどに人間のことを嫌っているのでドラゴンの谷では原則として人間の話はタブーとされている。それ故にドラゴン同士がドラゴンの谷で人間の話をする姿はない。


 もちろんダルクとてそれぐらいのことはわかっている。いや、正確には『わかっていた』。


 ライという人間に子を救ってもらった。あいつは命の恩人だ。黒髪のくせに強いし、話も面白い。主従関係を結んだ……etc。

 仲間にこの話を聞いてもらいたいという高揚感と興奮を抑えきれず、ダルクはついついそれは話してしまったのだ。


 ダルク的には小さな声で、言っていたつもりだったのだがそれが竜王の耳に届いてしまった。というかダルク的に小さい声とはいうものの谷の内部に響くほどの声量だったりしたのだが。


 なぜばれた。そう呟いたダルクに仲間のドラゴンに声が響いていたことを指摘されて、黒いはずの鱗が真っ青になったのはおそらく気のせいではなかっただろう。

 反対して断固として認めようとしない竜王にダルクは何度も何度もライとの主従関係の許しを求めた。

そしてその結果、竜王が言った。


『なら、連れてこい。(わし)が見てやる』


 ――時期ガ悪カッタ。


 ダルクは呻くように小さく呟いた。まるで見計らったかのようなタイミング。そこに人間で黒髪だ。ただでさえ重度の人間嫌いで、しかも頑固でもある竜王が主従関係を結ぶことを認めるはずがない。


 ――……イウベキデハナカッタ。


 今更ながらに全力で後悔しているダルクだったが、背中から飛んできた明るい声の質問にその後悔を中断させた。


「そういえばドラゴンの谷ってどれくらいの数のドラゴンが棲んでるんだ?」


「……我ガ子ヲ含メテ15頭程度トイッタトコロカ」


 現実にかえってきたダルクが、やはり少し迷いを含んだままの口調で答えた。このわかりやすいダルクの態度を、普通はそろそろ気づきそうなものだがライの心は既にドラゴンの谷に飛んでいるのかやはり全く気づく様子がない。それどころか「うーん」と唸って「やっぱりドラゴンは数自体が少ないんだな」と 呟いた。


「アア、我等ハ長寿ダガ卵ヲ産メルノハ生涯デモ一度、多クテ2度ダカラナ。ドラゴンニヨッテハ一生子ヲ持ツ機会ガナイノモイル位ダ」

「へー……ん?」


 ふとライが首を傾げた。


「じゃあドラゴンって全員雌なのか?」

「……フム」


 ライの問いに、ダルクは黙り込んだ。

 そんな難しい質問をしただろうかと首を傾げたライだったが、もしかしたらドラゴンでは人間でいうところの雄や雌とは性別の考え方が違うのかもしれない、そう考えて静かにダルクの返答を待つ。


 そんなライをまるで見計らったかのようなタイミングでダルクが声を発した。


「違ウナ……我等人間デイウトコロノ雄デモ雌デモナイ」

「じゃあやっぱり卵を産むとか言っていたし、雌雄同体ってところか?」

「ウム、ソウダナ。ソノ表現ガ一番近ソウダ」


 ダルクが頷き、ライも上機嫌に「そうか」と頷いた。疑問が解消したことによって一度会話が途切れる。

 別に沈黙を苦痛に感じるような二人ではなかったが、一旦空気が落ち着いたことによってライはまた空を見回し始めた。まるで子供のように無邪気で楽しそうなソレに、今度はダルクが質問を。


「ズット聞コウと思ッテイタンダガ」

「ん?」


 小首を傾げた質問に、ダルクは遂に尋ねた、


「……ドウシテソンナニ楽シソウナンダ?」

「は? 正気か、ダルク?」


 まるでお前なにいってんの? 馬鹿なの? とでも言いたげな、そんな少し乱暴な口調。


「……?」


 そんなライの反応の意味がわからなくて考え込んでしまったダルクに、ライが苦笑して口を開いた。今度はまた先ほどの乱暴な口調とは全くもって違う、どこか楽しそうなまるで子どものソレだ。


「ドラゴンの谷だろ?」

「ア――」


 肯定するダルクを遮って、というかおそらくダルクに返答を求めたわけではなかったのだろう。やはりワクワクとした様子で嬉しそうに、まるで自分の世界に浸るかのような口調で言葉を続ける。


「――ドラゴンの谷なんて人間の中だとほとんど伝説みたいなものだぞ? 人間の中だと御伽噺で語られたりするくらいだ。実在していることはみんな知ってる。けどどこにあるかなんてわからない。行けるはずがないし、行けても喰われるのがオチ。そんな絶対不可侵領域といっても過言じゃない場所に俺が今向かってる。しかも竜王様に呼ばれて……これで興奮しない人間がどこにいるんだ! 否、いないね!!」


 その言葉通り、よっぽど興奮しているのだろう。まるで演説のように言い切ったライに、だがダルクは同意を出来るわけもなく「アー」と気まずそうな声を落とした。


 ――まさか、知らないのか?


 ダルクの胸に一抹の不安がよぎった。

 ありえない、そう思いつつもそうでなければ竜王に呼ばれて喜んでいられる人間がいるとは思えない。


 それから考えるように片目を閉じて、渋い顔をしてやっと決心した。唸るような声で、それは不機嫌なのか、緊張しているのか。傍から見れば判断が出来ないようなそんな態度でライにそれ投下した。


「……竜王様ハ人間ノコトガ大嫌イダ」

「……え?」


 完全に固まった。


「マサカ知ラナカッタノカ?」


 ――人間ノ世界デモ常識ノハズダガ。


 そう、竜王が人間を嫌っているのは人間の世界だと常識の話。絶対に話しかけてはいけない、絶対に触れてはいけない。それは即ち国を滅ぼす。

 そう言い伝えられるほどの人間嫌い。もちろん御伽噺でもそれは語られているが、残念ながらライを育てた人間たちにその竜王の人間嫌いを教えるような常識的な人間はいなかった。


 むしろ『竜王様に会いたい』と子供ながらに目を輝かせて言うライに『ああ、きっととても楽しいおもてなしをしてくれるぞ』とけしかけるような大人たちばかりだった。

 ライは急激に顔を青くさせて、それから慌てたように「そ、それなら――」と、疑問をダルクへとぶつけた。


「――俺はなんで呼ばれたんだ?」

「うっ」


 痛いところをつかれて言葉を詰まらせたダルクだったがこの流れでそれを言わないもの卑怯な話だと考えて、ライが竜王に呼ばれることになったその顛末をライへと語った。

 ダルクがライと主従関係を結んだことをドラゴンの谷でつい漏らしてしまったこと。それが竜王の耳に届いてしまったこと。

 どうしても認めて欲しいといったら、だったら連れて来いと言われたこと。

 かいつまんでそれを伝えたダルクだったが、それからのライの反応が薄い。さすがに怒っているのだろうと考えたダルクがライに顔を向けて謝罪しようとしたとき、ライが呟いた。


「殺されたり、しない……よな?」


 ――ソンナワケガナイ。


 そう言おうとして、だがダルクの脳裏には竜王の姿が浮かんだ。

 人間の名を聞いただけで不機嫌になる竜王。

 連れて来いと言ったときに醸し出していた絶対王者の貫禄。

 誰よりも横暴で、誰よりも最強のドラゴン。

 それらがダルクの思考に浮かび、結局は――


「――タ、タブン?」


 疑問系で、しかも不安そうに答えるしかなかった。そんなダルクに、ライはどんな顔をしているのだろうと視線を送ればそれは予想外の表情。ライは明るい顔で微笑んでいた。


「?」


 どうして微笑んでいられるんだ? ダルクが尋ねようとするが、その前にライが大きく頷いてダルクに笑いかけた。


「……いい空の旅だった、帰ろうか」

「ライ?」


 突然の言葉に、ダルクが心配そうにその名を呼ぶ。


「はは、たまにはこうやって空の旅っていうのも乙なものだろ?」

「……ライ?」


 呼ぶ。


「ん? もうちょっと空を飛んでたいって? まったく、ダルクはお調子者だなー」

「……ラ、ライ?」


 ちょっと焦って呼ぶ。


「お、おい見ろ、ダルク。あそこにお花畑があるぞ! すごいな空の上なのに。しかもなんだか川まで流れてるぞ。お、顔も知らないお父様が俺を呼んでいる! さぁ行くのだダルク」


「待テ待テ待テ! ライ! チョット待テ!!」


 完全に見えてはいけないものが見え始めているし、しかも口調まで崩壊して来ている。流石に大きい声を出してライを呼ぶダルクに、ライは「HAHAHA」と笑っている。


 哀れな事実を知ってしまったライは当分現実世界に帰って来れそうにない。その事実にダルクはため息を一つ落としたのだった。





 ケイアン王国からずっと西に進んだところに広がる広大な森。通称、魔物の巣窟。あまりに広大すぎて未だに人間達の王国ではその全てを把握し切れていない。

 そして、その広すぎる魔物の巣窟の奥深く。魔物の巣窟の入り口付近にいる魔物たちとは凶暴さや強靭さを圧倒的に上回る魔物たちが潜むその場所のさらに奥。もはや秘境と言っても過言ではないであろう場所に、深く大きな崖が存在していた。


 見下げればまだ太陽が出ているにもかかわらず谷底が見えない。横に目をやればどこまで続くかわからない崖の長さ。ならば、と視線を前に送れば今度も同じ。崖は長いだけでなく広い。地平線の彼方まで続いているのではないだろうかと思わせるほどに続く崖の底。


 どんなに屈強な魔物も、空を飛べる魔物も、崖程度ならどんなに断崖絶壁でも躊躇なく降りることの出来るほどに身軽な魔物も、そこに降りていこうとしない。それどころか近づきすらしない。


 ここがそう、ドラゴンの谷。


 そこへ、一頭のダークドラゴンが降り立とうとしていた。まず、ずっと雲の上を飛んでいたのだろう。雲を割って降りてくるサマはさすがに見事としか表現しようがないほどに気品と威圧感に溢れている。

 たまたまそれを視認できる位置にいた飛行系の魔物たちが慌てて進路を変更、ダークドラゴンに背を向けて逃げていくのだが驚くべき度にそれら飛行系魔物のどれもが超がつくほどに有名な魔物だった。


 ダークドラゴンの背に乗ってどことない優越感を味わっていたライもその内の一頭には戦った覚えがあって目を丸くした。


「クラウンドラプター……だよな、あれ」


 空に敵なしとさえ言われる空の支配者、最強の飛行系魔物。強靭な爪や嘴。空を自在に飛びまわる小回りさと圧倒的速度。さらには風の魔法まで使用するという、人里に下りてくれば誰もが震え上がることが間違いなしの魔物。


 サイズにしてみてもダルクから逃げているクラウンドラプターの全長は約10m。サイズだけ見たら今のダルクよりも一回りほど大きい。


「……鳥ガドウカシタノカ?」


 ダルクがなんともなさげにライへと顔を向けた。最強とも呼ばれるクランドラプターを『鳥』扱い。それがダークドラゴンたる彼にとってしてみれば当たり前なんだろう。

 その事実にさすがに苦笑してしまったライが少し言いづらそうに言葉をこぼす。


「……ダルクの魔物としての格を見たというかなんというか」

「?」


 意味がわからなかったダルクは首を傾げるがすぐに笑って「アノ程度ノ魔物、オ前ナラ簡単ダロウ?」と、こともなげに言ってみせる。


 ライは微笑み、首を横に振る。


「いや、相当苦戦すると思う」


 ライとしては事実を言っただけなのだが、ダルクとしてはそれは聞き捨てならないことだ。以前、ライにいとも簡単に敗北した身として、それはダルクのダークドラゴンとしての沽券に関わることだからだ。


「我ヲイトモ簡単ニ倒シテオイテ、アノ程度ノ魔物ニ苦戦スルト?」


 その言葉からダルクが少し不機嫌になったのを察知したライがさっきとは困ったように微笑む。ダルクを刺激しないように言葉を選びつつも正直に答える。


「うーん、なんというかさ……前にダルクと戦ったときに思った。ドラゴンがそうなのか、ダルクだけなのかはわからないけど、とにかく人間のことをなめてただろう?」

「ウム」


 ――当然だ。


 おそらくはそれはドラゴンにとっての当然のことなのだろう。ダルクが翼をはためかせ、ゆっくりと谷底に降りつつも胸を張って答える。

 そのあまりにも堂々として答える様子がおかしくて、ライはまた笑みを浮かべる。先ほどまでの笑みとはまた違い今度のそれには苦みは含まれておらず純粋な、まるで眩しいものをみるかのようなそんなどこか控えめな笑顔。

 だが、表情とは裏腹にライの口から出る言葉はばっさりと、正直なそれだった。


「だからダルクを簡単に倒せたんだ」

「ム?」

「俺を侮り、自分に驕って。俺と対峙した時、口からの大火炎の息一発で終わったと思っただろ? だから俺が火炎の中から飛び出してきたときに反応できなかった。俺の拳一発程度なら受けても問題ないと判断したから攻撃されることを簡単に受け入れた。ダルクなら空を飛んで逃げるとか、魔法を使って俺をそもそも近づけようとしないとか、やり方は色々とあったはずだ……要するに俺がダルクを簡単に倒せたのはダルクが本領を発揮する前にダメージを与えられたから、それだけ。ダルクが最初から全力だったならどうなってたかはわからない」


 あまりにもきっぱりと言われるそのどれもがダルクの身に覚えがあることだった。そのために何もいえないでいるダルクに、ライはまるで教師のようなまるで授業を、それでいてまるで説教を続ける。


「それは全部ダルクの慢心が招いたことだ。ある意味ダルクのドラゴンとしての在り方がそうさせたのかもしれないし、それは自身に敵がいないからそうなってしまったんだろうけど、例えばあいつ、クラウンドラプターは違う」


 ドラゴンには敵はいない。どんな魔物も、魔族も、それこそ種としてドラゴンに叶う存在などいない。だがクラウンドラプターは違う。確かに魔物の中でも最強に近い。だがあくまでも近いだけであって最強ではない。ドラゴンがいる、その他にも地上には難敵と呼べる魔物がいる。数として束になってかかってくる人間に及ばないこともあることを知っている。


「だからあいつらはそれを獲物と判断すれば、弱い敵だろうが強い敵だろうが全力で狩ろうとする。だから全力を出す前に俺に簡単に倒されたダルクとは違って、誰にでも全力を出すクラウンドラプターには苦戦はすると思う、勝てないことはないけど」


 言いたかったことを全て言い終えたようで、ライはほぅと息をついた。これで終わっていたらダルクも素直に認めざるを得ないのだが、ライが「あ」と呟いてそれから申し訳なさそうに言葉を付け加えた。


「今の言い方だと少し大袈裟かもしれないな。単に獲物に全力を出すのがクラウンドラプターの習性なだけかもしれないし。まぁ俺がそう思ってるだけだからあんまり気にせずに、な?」


 ダルクの慢心という弱点。それをはっきりと言われてまた一段とライのことを見直しかけていたのに、最後はなんとも締まらない言葉である。

情けない言葉の付け足しにダルクがガクリとうなだれるように「最後ノハナクテモ良カッタゾ?」


「え、そうか?」


 恥ずかしさと申し訳なさを同居させたようなむず痒い感覚を覚えたライだったが、未だにダルクが下降を続けていることにふと首を傾げた。


「これ、どこまで降りるんだ?」


 周囲に首を巡らせて、まだ陽は昇っていたはずなのに周囲が薄暗くなり始めている。それだけで相当深いところにいることを示している。というにも関わらずまだ地面が見えそうにない。


「ソウダナ、アト半刻ホド降リレバ地ニ着クダロウ」

「結構かかるんだな」

「アア」

「……って半刻!?」


 なんとなしに受け答えをしたライだったが、すぐに意味を理解してつい大声を上げてしまっていた。その声量にダルクが迷惑そうな顔をみせたのでライは「あ、ごめん」と反射的に頭を下げるのだが、やはり疑問が頭から離れない。


「……半刻も降下し続けたら地面につくころには真っ暗になるんじゃないのか?」


 ライの心配も当然といったところだろう。

 半刻とはもちろん1時間程度のことだが、その間をずっと降下し続けるという。降下速度は決して速いとはいえないが遅いともいえないレベル。

 このまま一時間も降下したら太陽の光が届くのかも疑わしいような谷底へと降り立ってしまうのではないだろうかとライが考えるのもある意味では仕方ないのかもしれない。

 だが、そんなライにダルクはとても愉快そうに笑みを浮かべた。


「今ハ立地的ニ偶然、陽光ガ届キニククナッテイルダケダ。モウ少シスレバマタ太陽ノ光ガ広ガッテイル」

「あ、そうなのか」


 ホッと息をついたのだがダルクの笑みがなぜか止まらない。


「どうしたんだ?」


 尋ねるライにダルクが「イヤ」とまた楽しそうに微笑む。


「?」


 ライがやはり首を傾げる。ダルクは自身を落ち着かせるように一度大きく息を落とし、嬉しそうに言う。


「ホントニ気ニスルナ。少シ意外ニ思ッタダケダ」

「……意外に?」

「オ前デモ分カラナイコトガアルンダナト思ッテ、ナ」

「え、いや、それはあるだろ、普通に」


 ダルクの言葉の意味がよくわからずに「何を言っているんだ?」とぼやく。ただダルクはそれ以上に何かを言う気もないのか「ソウダナ」とだけ呟いて黙り込み、それどころか「ソウイエバ」といきなりの話題転換に入った。


 そのことにライは少しだけ不満げな顔を見せるも、あまり気にしても仕方ないかと考えてそれに応じる。


「どうした?」

「サッキノ話ニ戻ルノダガ」

「ん、さっきの?」


 どれの話かわからずに首を傾げるライに、ダルクが自身の言葉に補足を付け加える。


「『我ガ最初カラ全力ダッタナラドウナッテタカワカラナイ』ト、ソウ言ッテイタナ」

「ああ、それね」


 ライが頷く様子を背中越しに確認したダルクは先ほどまでの表情とはまた一層に真剣味を帯びた表情になっていた。


「聞クガ、ソレハ本気カ?」


 ――当たり前だろ?


 そう答えようとして、口が開かなかった。ダルクのあまりに真剣な表情に、冗談めかしたような言葉を吐こうとして気圧されたからだ。

 ライは僅かに逡巡し、考えながらも口を開く。


「本音をいえば多分勝てるとは思うが少し自信はない……そんな感じ、かな?」


 包み隠さず、本当の気持ち。これがライの本音だった。


「……本気デソウ思ッテルノカ?」


 ダルクの表情が硬い。

 もしかしたら不機嫌になっているのかもしれない。竜種はその強さに誇りをもっている。それを『お前には多分勝てる』と小さな人間に言われて不機嫌にならないはずがそもそもない。


 ――冗談さ。


 それを言おうとして、ライはそんな自分の口を慌てて閉じる。黒髪の貧民として生きてきて、平民以上の人間の機嫌を伺う生活が当たり前だったためか、反射的にダルクのご機嫌すらも伺おうとしてしまっていた。


 ――それは駄目、だな。


 ダルクとはあくまでも主従関係を結んだ『友人』のような、そんな関係。どこまでも真っ直ぐな強さをもち、真っ直ぐに己に誇りを持っているダルクに、ご機嫌伺いの嘘をつく。


 そんなことが許されるはずがない。

 それはやってはいけないことだ。


「……本気で思ってる」


 真剣に、冗談は一切なしで。ライは告げた。

 怒るだろうか、ここから振り落とされたりしないだろうか。少しばかりビクビクしながらダルクの返答を待つライに、だが返って来た言葉は予想外のものだった。


「ソウダナ」

「え?」

「我モソウ思ウ」


 むしろ清々しいようにダルクは笑う。


「ソノ言葉ヲ聞イテ安心シタ。オ前ナラキット死ナナイ、我ガ保証シヨウ」


 ――なんでいきなりそういう結論に?


 不思議に思うのだが、ダルクのあまりに満足げな表情に、そんなライの疑問もなぜか吹き飛んでしまう。


「俺も……そう思うようにするよ」

「アア、ソレデイイ」


 お互いに力を抜いた表情で微笑むその優しい空気が漂ったのもほんの束の間。


「全部聞かせてもらったぞ。このドラゴンの谷で偉くご高説をたれてくれたじゃないか? ドラゴンが慢心してる、だ? あぁ? しかもうちのダルクに勝てるだと?」


 まるで不良のように柄の悪い横柄な声が谷に響く。

 どこから聞こえてくるかもわからない声にライが首をめぐらせ、ダルクは降下を続けつつも身を硬直させている。

 横柄な声は散々不機嫌そうな言葉を紡ぎ、そして愉快そうに告げた。


「だったらお前の実力をみせてもらおうか」


 それは唐突に。

 言葉が終わると、まさに同時。


「――っ!?」


 ライの背後に突如として現れた、人に似てはいるものの人ならざる人影。

 それが鋭い爪を振り上げていた。





 ドラゴンの谷と呼ばれる峡谷は別世界だった。

 永遠のように広がる大地。時おり吹く風によって運ばれる清々しい深緑の匂いと耳に優しい葉々のかすれる音。人間たちが住む地表から信じられないほどに地下にあるドラゴンの谷。ここが峡谷とは思えないほどに降り注ぐ太陽の光が眩しく、それを手で直視しないように空を見上げれば青が悠久の穏やかさをさらけ出す。時折思い出したかのようにながれる白の雲が気持ちいい。

 まるで穏やかに流れるこの世界の地面に叩きつけられたライはどうにか受身に成功した。


 ――っつぅ。


 少し油断していた。

 竜王がどんな存在か、ライは全く知らない。ただしドラゴンの王といわれるぐらいなのだから山のように巨大なドラゴンなのだろうと勝手に予想していたのだが、その期待は見事に裏切られた。


「……あの小さいのが、竜王か?」


 背中から急激に襲い掛かられて、ギリギリ反応したのはよかったがさすがに衝撃は殺せずにダルクの背中から叩きだされてしまった。

 赤い鱗と大きな翼。鋭い爪と牙。ドラゴンがそのまま人間のような形になったかのような、全長3m程度の大きさのドラゴン。吹き飛ばされる瞬間にライの目に映ったのはその姿だった。


 ――いや、それにしては反応できないほどじゃなかった。竜王の眷属? どっちにしてもやるしかないってことか。


 ダルクもライも油断していたとして、それでもその隙をかいくぐり一瞬で自身の背中へと迫ってきた。

 それは普段ならありえない。

 油断の有無の問題ではない。

 先ほどの攻撃はそれほどに素早く、強力だったということだ。それはつまり、自身と同等以上の相手ということで。


 ケイアン王国でも既に最強クラスの人間であるライに伯仲できる相手など今までほとんどいなかった。


 ――いつぶり以来だろうか。


 自分よりも圧倒的に強い存在でもなければ圧倒的格下でもない。

 さっきの一撃には殺気があった。だからこそ油断していたライにでも反応することが出来た。全力を出して殺してしまう心配などいらない。むしろ下手に手を抜けば殺される。やるかやられるか、実にわかりやすい。


「気を遣わなくてもいいんだよな」


 ここはドラゴンの谷で、人間はいない。

 それはつまり。


「誰かの目を気にする必要もないし」


 任務中の感情の少ないライでもなければロイド、シルクと手合わせをしていた時の手探り状態のライでもない。魔物と対峙していた時とも違う、当然シルクと二人でいた時とはもっと違う。


 一言で表すなら獰猛な。


 ――全力で、何も気にせずに戦える。


 そんな笑みをライは浮かべた。

 赤きドラゴンがゆっくりと翼をはためかせながらこの地に降り立った。ダルクの姿が見当たらないがどうせ避難でもしているのだろうとライは考える。


 ――血が踊る。


「ほぅ、あの高さから落とされて無事とは……忌々しいな。クズな人間の中でもさらにクズな黒髪よ」


 完全に2足で立つその姿はドラゴンというよりも昔にいたとされる竜人(ドラゴニュート)のようにも見える。その赤きドラゴンはライへとこれ見よがしな挑発を向けるのだが、ライは全くもって聞いていない。


 ――タイプは2足。飛ぶときに魔法を使っていなかったが体系は人間と同系。翼があるせいか重心は少し人間よりも違う位置。


 一々と観察を続けるライの視線に気付いた赤いドラゴンはそこで忌々しげに言葉を吐き捨てる。


「その髪、その目、その態度……ダルクの子を攫った人間を思い出す」

「……なに?」


 あってはならないことを赤のドラゴンは言った。

 だが、それは後回し。

 ライは頭を振り、純粋な、まるで子供のような笑みを浮かべて、そしてもう待ちきれないかのように呟いた。


「殺す気で来いよ、俺はしぶといぞ?」


 これが開戦の合図。


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