第11話「ケイアンの常識」
ケイアン王国の領内は血統色身分制度が敷かれている。そのすみわけはとりわけ厳格で、伝統でもある。
現在の王、ルクセント・ケイアン王はこの制度に消極的で、何度か改革を進めようとはしたものの保守派による圧倒的反対意見が強くその全てが挫折している。
それはもちろん保守派の大半が貴族であることにも関係はしているが、それ以上にこの制度で以てケイアン王国は実に良好な政治体制が敷かれ、実に平和な日々が存在していることが主な理由でもある。
それは貴族だけでなく、平民も、そして不遇な扱いをうけているはずの貧民ですら現在のこの国の在り方による恩恵を受けていることに他ならない。もちろん、貧民の生活は貴族や平民に較べれば最低辺のものだろう。犯罪だってまだまだ多発するし、餓死する人間だって少なくはない。だが、ルクセント王が王に即位してからは随分と生活がしやすくなったのも事実だ。
王の政治能力が仇となって改革の失敗に繋がっているというのは実に皮肉なことであるが、それはとにかく。
王族と貴族の区画、平民の区画、貧民の区画、それと全身分区画。
身分によって住み分けも出来ているし下の身分の人間が上の身分の区画に行くにはそれ相応の理由が必要で、それを監査する警備員もいる。上の身分の人間が下の身分の区画に行くのに別に理由はいらないが、それでも上の身分からすれば下の身分の人間などそれこそゴミにも等しいという扱いなのでわざわざそんなところで出向くはずもない。
住み分けに関しては厳密に身分を守らなければならないわけでもなく、どの区画に住んでもいいとされているのだが、これも王国に申請する必要があるし、それこそ本当に変わった人間しかそんなことをしないので滅多にいない。
一応冒険者ギルドが存在する区画に関しては全身分用に開放されている全身分区画だが、ギルドを利用しているのは一部の人間で大多数にとってみれば関係がない。
いずれにせよ、ほとんどの人間にとっては身分差による被害を被っているという実感は少なく、魔物に襲われても屈強な警備隊が都市の安全を守り、日々の仕事に事欠かないこの都市の現在が心地良い。
「ここなら、大丈夫かな?」
全身分区画にある都市外れの公園。周囲を見回して誰もないことを確認したシルクが呟いた。
「どうでもいいけどこの辺に飯を食べるところなんかなかっただろ?」
「あら、詳しいのね」
「職業上、どうしてもな」
「へー」
意味深に微笑むライに、シルクが興味なさげに相槌を打った。
「聞いといてその態度はひどいからな!」
最初、シルクに会ったときからは考えられない態度でハイテンションに突っ込むライの姿がシルクには嬉しくもあり斬新でもあり。
心から微笑んでしまう。
「っ……そ、そういえばさっきの競走は俺が勝ったんだけど、本当に朝飯おごってくれるのか?」
ライが少しどもり気味になって尋ねる。シルクは両手を背中に隠し、顔を赤くさせて黙りこんだ。
「……?」
シルクの挙動がどこかおかしいということに気付いたライがシルクの顔を覗きこんで尋ねる。
「どうした? 調子でも悪くなったのか?」
心配そうな声色と共にグッと近づく距離だが、それが余計にシルクを追い込むということにライは気付かない。
慌てて距離を取ったシルクが「ちょ、ちょっと待って!」と手で制した。
「? ……ああ」
意味がわかるわけもなく、ただ不思議そうに頷いくライ。シルクは何度か大きく深呼吸を繰り返し、やがて「よし」と呟いて背中に隠していた両手をライの前に突き出した。
「……これって」
「そ、その……任務の時にお世話になったし、お礼だけで済ますのもアレかなって思って……お、お弁当を作ってきたんだけど」
「……」
「……ら、ライ君?」
ライからの反応がない。そのことに気付いたシルクがライを呼ぶもやはり反応がない。
「おーい」
目の前で手をぶんぶんと振って意識があるかを確認。
「……はっ!」
急に体を震わせてどこからか還ってきた。
「えっと……お、お弁当をその……一緒にどうかなって」
「い、いいのか?」
お互い顔が真っ赤である。もうリンゴも驚くぐらい赤い。肌が元々赤い色です、といわれても驚かないぐらいに赤い。
幸か不幸か、お互いにお互いの顔を直視できないためお互いにその事実に気付くことはなかったのだが、照れの極致にいることに変わりはない。
「その……嬉しいよ、ありがとう」
「ぁ……うん!」
遠慮がちに呟かれたライの言葉がシルクにはとても嬉しかったようで、赤かった顔を一気に明るくさせた。
「じゃ、ほら、そこのベンチに座ろう?」
「ああ」
急に子供のように走り出すシルクの爛漫さにライも笑顔になって足を進める。一応まわりに誰かいないかを確認するが、誰もいない。それどころか誰かが通る気配すらない。
――さすがに全身分区画か……人通りが増えるのは昼ぐらいからか?
全身分区画は人が少ない。
それはそれぞれの身分の人間が別の身分の人間と触れ合うことを嫌がっているからであり、他の身分との違いを気にしないような変り種の人間や冒険者ぐらいしかこの区画にいないからだ。
変り種が多いだけあって朝から仕事があるような真っ当な人間も多いとはいえない。
――これならあまり気張る必要もないか。
金髪と黒髪が一緒に朝食を食べている。ケイアン王国に住む人間からすれば異常事態にも程がある。下手をすれば警備隊が出張ってきてもおかしくないくらいだ。
「ライ君、はやくはやく」
子供のように手をふっている彼女の姿は異様なほどに純粋で可愛らしい。可愛らしいのだが、そこでフと疑問が浮かんだ。
シルクと同じベンチへ腰掛けて二人分の弁当箱を取り出したシルクへとその疑問をぶつける。
「わざわざ作ってくれたんだよな?」
「そうだよ?」
「じゃあご飯をかけて競走をする意味ってあったのか?」
「うっ」
動きを止めた。
「……」
「……」
もはや定番となってきた彼らの沈黙の中、今回ははやめにシルクが答える。
「……から」
顔を俯かせて、人差し指同士を突かせあって、ぼそりと呟いた。
「え?」
声が小さすぎて聞こえなかった。聞き返したライに、また小さな声での返事。
「……てた」
「えっと、シルクの声小さすぎるんだけど」
ライが全神経を注ぎ込むかのように耳をそばだてるが、シルクも決意したらしい。立ち上がって全力で答えた。
「ライ君のことだからどうせ私なんか簡単に追い抜いちゃうだろうなって思ってたの!」
「いや、それならわざわざ競走なんかしなくても――」
「――だから、その……ライ君の走ってる後姿をみてみたかったから……なんて……アハハハ」
最後の笑いは照れ隠しかなにかだろうか。とにかく、か細い声ではあったがライの耳にはしっかり届いていた。
「そ、そっか」
なんと答えればいいか分からずに顔を俯かせた。
またお互いに顔を真っ赤にさせて黙り込む、
もしもここにロイドがいたら確実に言っていただろう『バカップルか何かですか?』と。だが残念なことにここにはロイドはいない。
そう、彼らを邪魔する人間、もとい空気をよんでくれる人間がいないのだ。
「その……初めてお弁当作ったから、まずかったらごめんね?」
「……い、いや美味しそうだ」
弁当箱の蓋をとり、顔を真っ赤にさせながら男殺しな言葉を言うシルクにライは嬉し恥ずかしそうにぽつりと言葉を返す。
もう有毒レベルだろって言いたいくなるぐらいのこの甘ったるい空気だが、二人にとっては残念なことに、そしてそれ以外の人間にとってはきっと嬉しいことに。
「シルク! こんなところで何をやってるんだ?」
その空気は一気にぶち壊された。
それがロイドならきっと悪いことにはならなかっただろう。ライのことを知っている貧民の誰かでも大して悪いことにはならなかった。だがその空気をぶち壊したのは残念なことに貴族の男だった。
名前はガラハム・ヴィクタス。シルクと同じエリート学校のトウハ学園に通う3年で同学年の同じクラスの人間。赤の髪と赤の瞳。赤が濃いことからもわかるが、貴族の中でもトップクラスの大貴族。
いくら大貴族のガラハムとて本来ならば王女のシルクに敬語を使わないなど許されない。許されることではないが、シルクは王女という身分を隠して学園に通っている。余談だが学園でのシルクの名前はシルク・ブレイズ。ロイドと同い年の姉弟として周囲には通してある。
金髪金瞳であることから王族の血縁者であることはもちろん周知の事実となっているものの、それだけだ。
王族血縁者の形式上はともかく、実質的な身分の地位は貴族と同じ位置に置かれているし、なによりも学年もクラスも同じであることもあってわざわざ敬語を使う必要はない。それは当然のことなのでシルクもそこに抵抗を覚えたりはしない。
が、シルクは露骨に嫌そうな表情を浮かべた。
別に同じ学年の人間で敬語が必要と考えたことのないシルクがここまで露骨に嫌そうな表情を見せたのはもしかしたらライとの空気をぶち壊されたせいなのかもしれない。
だが、ガラハムはそこまで空気の読める男でもなかった。そもそもシルクが嫌そうな表情を浮かべていることすらわかっていないのかもしれない。まさか自分に向けられたのがその嫌そうな表情とは思わずにシルクへと近づく。
慌ててベンチから離れて地面の芝生に跪くライの姿になど目もくれずにライがそもそも座っていた位置に座ろうとして「――おい」
後ろで控えていた男に声をかけた。
「はっ」
一汚物を見る目で一瞬だけライに視線を送り「拭け」と命令した。これはライに言ったわけではない。
「はっ」
すぐさまガラハムの後ろに控えていた男は青髪で青の瞳。それが返事をしてベンチを拭く。おそらくはガラハム家に雇われた男なのだろう、とライは分析をした。そしてガラハムに一瞬だけ視線を送る。
――ヴィクタス家か……よりにもよってエライやつに捕まったな。
四神隊として頭に入っている情報を引っ張り出す。
正直なことをいえばいい評判のほうが多い。
美丈夫であり、学園での成績は素晴らしい。
貴族の中でも同年代の中でもその優秀さが飛びぬけているのも事実だし、それに驕っている節はあるものの毎日一定時間の鍛錬は欠かしていない。
偉そうな態度は自身が大貴族であり17歳にしてエリート部隊の第一神隊に所属している自信と自負からくるものだろう。
貧民をいびり倒しているという噂は絶えないが、貴族であることを考えれば別段珍しいことでもない。
あえて悪いところを挙げるのなら器が大きいとはいえないことかもしれない。
目の上のたんこぶにいる人間、例えばロイドに関してはいつも悪口を言っているし、自分よりも身分や成績の悪い人間に関しては完全に見下した態度を見せる。
ただし、自分にすり寄ってくる人間に関してはその類ではないらしく、学園ではいつも数人の人間をはべらせている。
一言で言うならお山の大将でいたい、ガラハム・ヴィクタスはそんな人間だ。それが正確にガラハムという人間をとらえているとはライは考えてはいない。だが、そういう一面があることは確かだろう。ライはそう考えていた。
――それにしても、まずった。
跪き、顔を地面に向けつつも顔を顰める。
正直にいえば完全に油断していた。普段ならば気付けていたであろう人の気配に全く気付けなかった。別にガラハムも雇われの男も気配を消していたわけでもないのに。
理由はまぁ挙げるまでもないが、あえて言うなら『色ボケ』という言葉が正しいのだろうか。
――久しぶりの大ポカだな、これは。
今更反省しても時既に遅し。反省しているライの側、ベンチに座るシルクの隣にガラハムも腰掛けた。
「ガラハム君、こんな時間にどうしたの?」
さっきまで糞甘い空気を醸していた人間とは思えないほどに平坦な声色。だがガラハムにとってはいつものシルクで別段おかしいと感じるところはない。
「なに、若干17歳にして第一神隊に所属している俺の優秀さは知っているだろ?」
「……ええ」
「優秀な僕は腕を落とさないためにも第一神隊として強力な魔物の討伐に出かけることになった、しかも他の隊員の手を借りることもなく、ね」
ライが内心で首を傾げる。
ガラハムは確かに優秀だが、それはあくまでも学園や同年代の中での話。ケイアン王国エリート部隊たる第一神隊の中だとむしろ下っ端レベルといっても過言ではない。
その彼がたった一人で強力な魔物の討伐に向かわされることがあるのか。
――見栄でも張ってるのか?
「へー、すごいのね」
棒読みすぎるでしょそれ、と言いたくなったのをライはグッと堪えた。明らかに感情が篭っていないのだがガラハムは「だろ?」と自慢げの様子。
「それより、お前はこんなところで何をやってるんだ?」
「朝食をとろうと思って」
肩をすくめて言うシルクの手元を見て「ん?」と気付いた。
「弁当箱が二つあるけど、まさかこれと一緒に食べる気だったのか?」
未だに跪いて動かないライを目の端にとらえてすぐさま視線をシルクへと戻す。視界に入れるのも汚いといわんばかりだ。
「そうだけど?」
「いつも俺がどれだけ誘ってもご飯に一緒してくれない君が?」
平然と答えたシルクの言葉にガラハムの瞳に暗い色が浮かんだ。なにかを感じたライはすぐさま立ち上がりたくなった衝動を必死に抑える。
そんな二人の様子に気付かず、シルクが「何か問題でも?」そう言い返したときだった。ガラハムの足が動いていた。
「っ」
ライの呻き声が僅かに漏れた。
「こ・ん・な・ク・ズ・と? 朝食だって? お前ほどの高貴な人間が?」
ぐりぐりとライの頭を踏みつけて、不愉快そうに言う。
「……ちょ! ちょっと!?」
余りの異様な光景に固まってしまってすぐには反応できなかったシルクだったが流石に復活した。足をどかそうとするシルクを手で遮り、ガラハムは微笑む。
「そういえばお前が座っていたベンチでこいつも座っていたな、貧民の分・際・で!」
「……」
ライの頭を踏む足の力がさらに篭る。正直ライでなければ悲鳴を上げていても可笑しくないようレベルの力だ。
「っ!?」
シルクの目に怒りの色が浮かんだ。
シルクにとって学園内以外での身分差別の現場をみたのは初めてだ。学園では貴族が我が物顔で威張っており、身分の低い人間は完全に蔑視されていたが、あくまでも学園内という敷地にあったせいか、ここまでひどい差別はなかった。それともトウハ学園には貧民、要するに黒髪黒瞳が一人しかいなかったせいで遭遇したことがなかっただけなのか。
――こんなに酷いんだ。
ガラハムに頭を踏まれ、それでも反撃する素振りすらみせない。いや、口すら開かない。これがケイアン王国の身分主義の縮図なのだ。
ライが耐えているのに当事者でもない自分がしゃしゃり出てもいいものだろうかとシルクは考えてしまい、今一歩が踏み出せない。そのため、シルクの口から出た言葉は冷静なもの。
「彼は私の従者よ、勝手に踏むとか最低じゃないの?」
もちろんそんな事実はないが、少しでもライの立場を良くしたかったシルクの言葉だ。
「シルク、この弁当は俺が貰ってもいいか? お前の従者か奴隷かは知らんがこんなやつに食わせる朝食がもったいない」
全く話がかみ合っていない。まるで無視でもされているかのような態度にさらにシルクの苛立ちが増す。
「足をどけてと言ってるんだけど」
どんどんと剣呑になるシルクの顔にすらガラハムは悠然と微笑む。
「シルクは美人なくせに俺に対する愛想がよくないんだよな、もったいねー。まぁそれもお前のいいところと俺は思ってるけどな?」
「ガラハム君? 足をどかせなさい」
断固として譲らないシルクに、ガラハムは息を吐いて肩をすくめた。
「じゃあ弁当くれよ、お前の弁当くいたいんだ」
ギュッと拳を握る。
――あー、魔法撃ちたい。
この弁当はシルクがライのために持ってきた弁当だ。決してガラハムに食べさせるためのものではない。
だがここで断ればまた怒りの矛先はライに向かってしまうかもしれない。
――すっごく早起きしたんだけどな。
任務帰りで疲れていた。父親とハルという人物から友達になってもいいという許可を貰った。それからライのことを考えて弁当を作った。初めて作って色々と手際が悪かったせいか時間がかかってほとんど寝ていない。
――その初めての弁当がコンナヤツニ?
嫌だ。絶対嫌だ。
内心とは裏腹に、頭は冷静に働く。
魔法を撃ってでもガラハムを吹き飛ばしたい。でもそれでは大事になってしまう。大事になってしまうのはシルクも何よりライ自身が望んでいない。
でも弁当をあげるのは嫌だ。
じゃあ断ればいい。だがそうなると怒りの矛先がきっとライに向かう。何よりガラハムがしつこい性格をしていることはシルクが誰よりも知っている。きっと食いさがってくる。頭だってずっと踏み続けているだろう。
シルクはそれがもっと嫌だった。
早くガラハムと離れたい、そんな気持ち。
結局。
「い……いよ、討伐がんばって」
その引きつった笑顔にガラハムは気付かない。雇われの男はそもそも興味がなかったので別の方向を見ている。ただ、一人。シルクの悲痛な笑顔に気付いてしまった人間がいた。
――涙?
もちろんシルクは涙を流していない。泣いてなどいない、少なくとも表面上は綺麗な笑顔だ。だが、違う。
いつものシルクじゃない。
――泣いてるのか、シルク?
「おぉ、いいのか!? サンキュー! お前のことを想って弁当食うからな」
ライが食べるはずだった弁当箱を拾い上げて意気揚々と足に力を抜く。頭にかかっていた重さがなくなり、頭が軽くなる。
「……っ」
僅かにライの頭がぶれたが、それだけ。まるで歯を食いしばるかのような声が漏れる。
「じゃあ今日は仕事があるから俺はこれで行くわ」
「いってらっしゃい」
「おう、また俺のために弁当でも作ってくれよ?」
大声で笑いながら背を向けるガラハムとその従者。すぐに見えなくなった彼らを見届けて、ライはゆっくりと立ち上がった。
「その、ごめんね」
本当に申し訳なさそうに言うシルクに、ライも同じように謝罪の言葉を。
「こちらこそ、ごめん」
「なんでライ君が謝るの?」
ライに謝られる意味がわからなくて首を傾げるシルクに、ライは言いづらそうな表情てゆっくりと言う。
「ほんの一瞬だけ迷ったんだ」
「迷った?」
「周囲には人がいなかったし、従者もこっちを見てなかった。俺ならガラハムを、多分ガラハムが何をされたかもわからないぐらいに一瞬で吹き飛ばせた、ついでに従者も」
「……」
ライが淡々と言葉を紡いでいく。シルクはそれらに反応を見せず、目を閉じて静かに耳を傾ける。
「でも、やらなかった……後で色々と問題が起こるだろうって考えて動けなかったんだ。だから弁当守れたのに、折角作ってくれたのに……ごめん」
素直に頭を下げる。
――やっぱ怒るかな。
「……フフ」
怒られると思って内心でびびっていたライの耳に響いたシルクの笑い声。顔をあげるとそこには笑顔のシルク。口を開こうとするライを手で遮ってシルクが「私も」と呟いた。
「え?」
ライが不思議そうな顔を見せるが、シルクは構わずに言葉を紡いでいく。
「私も魔法を撃ってしまおうかって考えたんだ」
「は?」
「結局色々と考えちゃって私も撃たなかったの。だから『おあいこ』だね!」
「……そう、だな」
シルクの笑みに感化されたのか、ライも笑みを浮かべる。
「まだ弁当箱一つだけあるし、量はあんまり入ってないけど一緒に食べよ?」
「ああ、じゃあお言葉に甘えてもらおうかな」
「はい、あーん」
「できるか!」
楽しそうな笑い声が他には誰もいない公園に響く。
「あ、そういえばずっと頭を踏まれてたけど」
「ん?」
「頭、大丈夫?」
「ああ……って、その言い方は一歩間違えたら相当ひどい意味だな」
「え、そっちの意味で心配したんだよ?」
「ひどっ!?」
それは誰かが来るまで、いつまでも。
「この黒いのは?」
「えっと……卵焼き?」
「なぜ疑問系だ」
「フフフ」
「笑って誤魔化した!?」
たまに微妙な空気になりながらも。
それでも楽しそうに。
いつまでも響いていた。
貧民区画の一角に、病院がある。
それはもちろん平民区画のそれや王族・貴族区画のそれに比べて小さく、設備も悪いかもしれないが、それでもれっきとした病院があった。
従業員の数はたったの6人。その6人はその病院を根城として暮らしているものの、その内の5人が働く日は原則的にバラバラで完全に不定期。常駐しているのはたった一人だ。
そして、今日。その家の一員であるライが帰宅しようとしていた。シルクと遊び、王への報告を済ませたライだったが気付けば夜になっていた。
「ただいま」
もう夜になっているため、この日の診療時間は終わっているが家としても使っているため明かりはついている。
「?」
普段ならすぐに出てきてくれる人が出てこない。不思議に思いつつもウトウトでもしているのかもしれないと考え、そのまま部屋に戻ろうと居間を通り抜けようとすると、聞き覚えのある笑い声が彼の耳に飛び込んできた。
「ハルさん起きてるんじゃないか、フィリアとまた盛り上がってるのか?」
疑問に思いながら居間に入って挨拶を。
「ただい……ま?」
おかしな人間がいた。
「あら、おかえりなさい。ライ」
まず、最初に返事をしたのはハル・ケイアン。この病院での医者を務めている女性だが、裏では四神隊と王国の任務をつなぐ窓口も彼女が仕切っている。
年のころは50近いがそうとは思えないほどに若々しく、腰までのびた赤い髪と優しい赤の瞳は見ているだけでも癒される。同じく医者である夫と手伝いの息子がいるのだが今は二人して所用で出かけている。
別にハルがおかしいわけじゃない。
「ほら、ライもこっちに来なさいよ」
そう言って手招きしたのもまた女性、フィリア・バハート。ライよりはもちろん年上だが、それでもまだ20を過ぎた程度の年齢なのは見ればわかる。ハルと同じく赤の髪と赤の瞳。ポニーテールで髪をまとめ、ハルとは対照的な鋭い目つきをしている。
ちなみにだがフィリアはこの病院では看護師だが、セクハラをしてきた男性患者の怪我を容赦なく悪化させたことのある人間だったりする。
そして、女性ながらにして四神隊隊員でもある。強力無比な魔法と常軌を逸した怪力を武器に日々を任務に追われている。
別にフィリアもおかしいわけじゃない。
ライがおかしいと感じたのは最後の一人。
「やぁ、ライ。お世話になってるよ」
短い金髪で金瞳、柔和な笑みを浮かべ、パッと見ても整った顔立ち。ライもちろん知っているその男。いかにも爽やかそうな笑顔を浮かべたロイドの姿があった。
「こんなところで何やってるんだ?」
「いやぁ、僕もライと仲良くなりたくてね。いてもたってもいられずに遊びにきたのさ」
「いや、だからって……お前明日は学園だろ? もう結構遅いけど大丈夫か?」
戸惑うライにロイドはチッチッチと指を振る。
「学園には行くし、今晩はここで泊めて貰うことになってる。父上にも許可は頂いたし、ハルさんにもフィリアさんにも許可は貰っている。問題ないよ」
爽やかな笑顔だ。ここに見知らぬ一般女性がいたらきっと頬を赤らめるであろうと思われるぐらいにナイスな笑顔。完全に外堀を埋め終わっているロイドに感心して、ライも居間の椅子に座る。ライ以外の3人が既に寝巻き姿なのはいつでも寝る準備ができているということだろう。
「今日は遅かったわね」
不思議そうに言うハルに、ライは微妙に顔を俯かせて「い、いや少し王への報告に時間がかかって」と呟いた。
本当はただ単にシルクと過ごす時間が楽しくて気付けば遅くなってしまっただけなのだが、正直に言うのも憚られる気がして適当な嘘をつく。
「時間がかかった? 報告はしっかりしたと思っていたんだが、僕とシルクの報告に落ち度でもあったのかい?」
だが、変なところでロイドにひっかかった。
「い、いや……そういうわけでもないんだが」
まさか突っ込まれるとは思っていなかったため言いづらそうにするライにロイドが「ならば他に何か問題でも?」と詰め寄るが、ハルが「あ」と声を漏らした。
「「「?」」」
急に声をあげたハルに3人が首を傾げて視線を送る。ハルはライを見つめ、にやりと嫌味な笑みを浮かべた。
嫌な予感を覚えたライが口を挟もうとして「シルクちゃんと遊びすぎて時間遅れたとか?」
「!?」
ビクリと背を震わせて慌てて「ち、ちがう!」と声をあげた。
「……」
「……」
「……なるほどねー」
ロイドとフィリアの生暖かい視線がライをなで上げて、すさまじい寒気を感じさせる。うんうん頷いているハルの言葉にもいつもとは違う感覚。
「あ、俺疲れてるから寝――」
立ち上がろうとして、もちろんそんなことが許されるわけもない。
「――逃がすと思う?」
フィリアがライの肩を掴んでいた。
「げ」
「ふっふっふ、聞かせてもらいましょうかねー?」
3人に囲まれたライは観念してうなだれるのだった。




