プロローグ
誰もいない夕方の公園で俯く小さな女の子がいた。
彼女は金髪で、つまり王族。
それを見つけた俺は黒髪で、つまりは親に捨てられた貧民。
話しかけることすら許されないような身分の差。それはこの王国内ではあたりまえの現実で、それでも俺がその子に話しかけたのは、もちろんその子が泣いていたからだったけど、それ以上に当時は身分の差を知らなかったからだと思う。
「どうしたんだ?」
「……かえりみちわかんなくなっちゃったの」
まだ『色』の差というものを知らなかった頃のことだ。金の瞳があまりに魅力的で、零れ落ちる涙すらも美しかった。
「じゃ、おれがおしえてやるよ」
「ほんと?」
「あたりまえだろ、おとこはおんなにやさしいいきものなんだぞ」
「わぁ……ありがとう!」
彼女の笑顔が咲いた。
「……」
わけもわからず見惚れてしまって、つい無言になる。
「……どうしたの?」
そうやって小首を傾げる彼女はその仕草すら似合っていた。
「っ……な、なんでもない! それより、ほら……いくぞ?」
手を差し出す。この時の俺にやましい心があったかどうかは覚えてないが、たしか純粋な善意だったと思う。
なにせ彼女ときたら「わぁ、おててつないでくれるの?」
――ありがとー。
と、こんな調子ですごくどんくさそうだったから。すごい勢いで手を握ってくる彼女にドキッとしてしまったのは子供心ながらも鮮明に残っている。
「で、どんな家だ?」
ぶっきらぼうに言うと、それでも彼女はうれしそうに「えっとね、えっとね?」
まるで自分がどんな家に住んでいるかもわからないような様子で必死に記憶を辿りだす。さすがにこの子は大丈夫だろうか、と思って問いを重ねた。
「どんな家かもわからない?」
「うん」
「……おまえ、ばかなの?」
「そんなことないもん! おとーさまもおかーさまも……おうちのせんせーだって私のことすごいってよくほめてくれるもの!」
怒る仕草すらも可愛らしい。あまりにも可愛らしいその様子に、意地悪したくならない男の子がいるだろうか?
「家のかたちもわからないのに?」
よくある好きな子にとってしまう意地悪な態度というやつだ……会ってまだ少ししかたっていないのに本当に単純だったと思う。
意地になる彼女に、また笑って意地悪を言う。そういう会話も出来たら楽しそうだなぁと思って彼女の反応を待つ。
「……」
だけど、返ってきた反応は少し違っていた。
「?」
言葉を詰まらせて俯いてしまった彼女を不思議に思って顔を覗き込む。
「げ」
それはもう驚いた。
悲しそうに目に涙を溜めていたから。まさか女の子を泣かせてしまうとは思っていなかったから。こういう経験もなく、当然かける言葉もわからない俺があたふたしていたら先に彼女が口を開いた。
「わたし、ばかじゃないもん……ばかだったらおねーさまもわたしにやさしくしてくれるはずだもん! おともだちだってもっとできるはずだったもん! ……わたし、ばかじゃないもん!」
凄い剣幕だった。
目に涙を溜めて、今にも泣きそうな顔で。
本当に反省しないといけないこの瞬間……彼女のその様子すらも俺には美しかった。だから、だろう。
今にして思えば本当にマセガキだったなぁ、と苦笑してしまう。というか今ならそんな思い切った行動はとれない。
俺は――
「……ごめん」
「ふゎ」
彼女の、やっぱり可愛い驚きの声が耳の側で響く。
――彼女を抱きしめていた。
頭に手を置いて、また一言。
「ごめん、なかすつもりはなかった……ちゃんと家みつけるから……その、なかないでくれ」
「……うん」
体を離す。
彼女の顔はさっきまでとはちょっと違って少し赤らんでいた。
いきなりあれだけ大胆なことをされたらそうなるよな、と他人事のように思ってしまうが、子供の俺にそんなことがわかるわけもない。
彼女の顔が悲しそうでもなく、怒っている様子でもない。ただその事実だけにほっとしていた。
「よし、じゃあいくか」
手を引っ張ろうとしてでも、彼女は動かない。
「……でもお家のかたちわかんないよ? それに方向もわかんないし」
不安そうにモジモジと言う彼女だったけど俺は自信満々だった。既に予想できていたからだ。
おとーさまとかおかーさまとか、その辺りの発言でいい家に住んでいるっていうのはわかっている。さらに家の形を思い出せないとなると、その家も相当大きいということになる。
そして、当時の俺に心当たりがある大きい家といえば4つしかないわけで。
「つまり、そのよっつのどれかがおまえのいえだ」
「……」
彼女の反応がない。
喜んでくれると思ったのに、4つも家を回らないといけないことに気分を損ねてしまったのだろうか。
少し不安になって「どうしたんだ?」と尋ねるけどやっぱり無言。
「……す」
彼女が声を漏らした。
「す?」
よく聞こえなくて耳を近づける。
「すごーーーーーーい!」
「うわっ」
「すごいすごいすごい! わたしの家わかるんだ!! わーーほんとにすごい!」
俺を褒めてくれる彼女の言葉が嬉しくて恥ずかしい。だけどそれ以上にこんな俺でも誰かの役に立てたことが誇らしかった。
「じゃ、いくか」
「うん、ありがとう!」
「おう!」
そして俺たちは手をつないで歩き出した。足取りは軽く、今なら空すらも飛べそうな気持ちだった。
ただし、それも彼女の家を見つけるまでの話。
すっかり暗くなってしまった夜の空。満点の星の下で彼女は笑ってくれた。
「ここだよ!」
「そっか」
お互いそっと手を離す。
「きょうはありがとう!」
「あぁ、もうまようなよ?」
「うん!」
彼女は王族で俺は貧民。この身分差はあまりに大きく、決して越えてはいけない壁。知らず、俺たちはその壁を越えてしまった。
「わたしはシルクっていうの。あなたのおなまえは?」
「あぁ、おれは――」
「――シルク様!」
城門から金髪の老人が姿を現した。
その姿に彼女は喜ぶが、俺は逆だった。どこか嫌な予感がする。普段ならこの時点で逃げていただろうに、逃げなかったのは彼女に俺の名前を教えてなかったからだ。
「せんせー!」
老人に駆け寄ろうとするシルクの肩を掴んでもう一度言う。
「俺の名前は――」
だけど、そこまで。
「貴様がシルク様をさらったのか! この不届き者め!! 貧民のくせに――」
弁明する暇も、それどころか彼女に自己紹介することも……口を開くことすら出来なかった。
「せ、せんせー!?」
一瞬のことだ。なにをされたのかもわからなかった。シルクの驚きの声を背に、俺は意識を失った。
ふと目が覚めた。
夜だったはずの世界が、既に明るくなっていた。
体を起こそうとして、体が動かないことに気付いた。
「目覚めたか、ライ?」
「お、おっちゃん?」
俺と同じ黒髪のおっちゃんが困ったように頬をかく。
「だからワシのことは師匠と呼べと何度……まあ今はいい。それよりも体は大丈夫か?」
聞かれてから何のことだろうと思って気付いた。
「なんか……動かないんだけど」
「ま、そうだろうな」
「俺、どうなったの?」
おっちゃんがため息をついて「それよりも、だ。ライ」
「ん?」
「お前はもうこの街にいちゃならんそうだ」
「へ?」
意味がわからない。
「だから、わしと来い」
「は?」
おっちゃんは何をいってるんだ?
「いやでもほら、おれまたシルクといっしょに――あ、シルクっていうのはさ」
俺の言葉を遮っておっちゃんはまた同じ言葉を言う。
「もう、お前はこの街にいちゃならんのだ」
「……なんで?」
「あとで教えてやる……生き方も教えてやる。だから――」
おっちゃんは一度言葉を区切り、そして言った。
「――ワシと来い」
この時、俺はまだ5歳。
俺がここに住めるようになったのはそれから10年後、15歳の時のこと。おっちゃん――師匠の後継者として正式に四神隊に所属することになった時のことだ。
そして、四神隊員になって2年。
今では俺も四神隊員として一人前になれたと思ってる。




