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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

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朱の記憶

白い花

作者: ユナ

「朱の記憶」の進藤サイドです。

R15表現ありです。お気をつけください。




「進藤様いらっしゃいませ」


 何度通ったかわからない部屋に通されると、中にいた女が俺を迎え入れた。

 少し垂れた黒曜石のような瞳は真っ直ぐと俺を見ており、淡く色付いた唇は緩やかな弧を描いている。いつものように緩く纏められた黒髪には、今日は大きな白い花が咲いていた。


 自分が贈ったものを椿が身に付けているのを見るのは、初めてだった。彼女の本当の名にかけて選んだそれは、とても似合っていた。


 綺麗だと思った。

 初めてここに来た日を思い出した。


 自分が贈ったものを身に付けた椿の姿に、心が浮わついた。嬉しい、そんな感情が浮き出てきていた。

 そんな感情を抱く資格などないのに。




 世の中には、二種類の人間がいる。

 奪う者と、奪われる者。この世の誰もが、大なり小なり、誰かから奪い、誰かから奪われ生きている。

 そして、俺の両親は、奪われる側の人間だった。


 俺の家は、俺が生まれる前から商売をしていた。父親が一代で築き上げた店で、割りと繁盛していたと思う。

 あまり贅沢を好む両親ではなかったから華美な生活ではなかったけれど、衣食住に困ることは一度もなかったし、家を継ぐことが決まっていたのに学を積むことも許されていた。

 この時代に、他人に妬まれるほどには人並み以上の生活をさせてもらっていたのだから、父親にはそれなりに商才があったのだろう。

 だけど、それ以上にどうしようもなくお人好しだった。


 金を無心する親戚に、今回だけだと何度も金を渡し、潰れかけの取引相手を見限ることが出来ず、一緒に被害をこうむったりしたことも一度や二度じゃなかった。 

 そんなことをしていても、生活基準が変わることもなければ店が傾くこともなかったから、やっぱり商才はあったのかもしれない。


 商売人の癖に損得勘定で動けない父親に対して、母親はいつもうるさく言っていたけど、なんだかんだでそんなところが好きだったんだと思う。結局いつも「こんな人だからしょうがない」で済ませていたから。

 俺自身も、そんな父親を誇らしく思っていた。

 そして、いつまでもこんな日々が続くことを信じて疑わなかった。



 ある時から、店に一人の男が出入りするようになった。

 高そうな洋服を身にまとい異国人が被るようなきざったらしい帽子を被った、父親と同じ年くらいの男だった。


 帝都からやって来たというその男は、父親の古い友人だったらしい。まだ子供だった俺に両親は詳しく教えてくれなかったけど、その男は両親に商売の拡大を勧めているらしかった。

 父親だけでなく母親もその男を気に入っていたようだったけど、口調が一々きざったらしく、紳士然としたその男が俺はいけ好かなかった。


 その男が出入りするようになって一月くらい経った頃、何があっても動じなかった店が、あっけなく潰れた。

 両親は俺には何も話さなかったけど、その男が原因だったのは明らかだった。

 ある程度金を持っている、馬鹿がつくほどのお人好し。奪う側の人間からしたら、格好の獲物だったのだろう。

 両親が長年かけて築き上げたものは、跡形もなくなくなった。たった一人の男に、一瞬で奪われた。



 店がなくなり、生き甲斐も気力もなにもかも失った父親は、次の年を迎える前に流行り病でこの世から去った。看病疲れからか母親もそのあとすぐに体調を崩し、後を追うように亡くなった。

 その時俺は十四で、まだ一人立ち出来る年齢ではなかったけれど、誰も俺を引き取ることはしなかった。

 あれほどすり寄って来ていた親戚たちは、店が潰れた途端に、蜘蛛の子を散らしたようにいなくなっていた。



 両親も家も何もかも失った俺は、生きていくため、同じように何も持たない同じ年頃の連中とつるむようになった。

 父親に似て背が高くがたいが良かったからか、仲間に入れてもらうのは簡単だった。

 そいつらは、ごみを漁り、物を盗み、人を騙し、生きていた。

 身寄りがなく学もない、年端もいかない子供がまともに働ける訳がなかった。善悪の概念を持ったままで、生きていけるはずがなかった。



 店先からその日の食べる物を、おこづかい程度の金を盗んでいた俺たちは、いつからか高価なもの、大金を盗むようになっていた。

 あこぎな商売をしている家や、自分達は何もしていないくせに金と権力を持っている華族様とか、そんな家を狙い、夜闇に紛れ押し入るようになっていた。


 どうしてそうし始めたのか、誰がそうしようと言い出したのかは覚えていない。

 でも、仲間のうちの誰もその行為を悪いとは思っていなかった。そうするのが自然だった。

 俺たちだってそうだった。金も両親も家も、何もかも奪われた。

 持っている奴から奪い返して、何が悪い。



 ただ、そんな俺たちにも決め事があった。

 狙うのは裕福な家だけで、家人に危害は加えない。

 そうしようと誰かが言った訳ではなかったけれど、それを全員が自然と守っていた。

 押し入る家の下調べを入念にし、家人のいない日、寝静まった夜中を狙った。危ないと思えば、何を盗っていなくても引き返した。

 暴力をふるう、ましてや人を殺めるなんて俺には出来ないし、他の奴らもそうだと思っていた。


 だけど、突然降ってきた大金は、俺らを狂わすには十分だったのだろう。徐々に考え方に相違が生じるようになった。意見が食い違うようになった。

 そして、ある夜をきっかけに、俺たちの関係は修復不可能になった。



 強盗するようになって一年くらい経った頃、一度家人に見付かったことがあった。回数を重ね、下調べがおざなりになっていたからだった。

 仲間のうちの一人がその家人を殴り、すぐにそいつを連れ逃げ出した。そいつは俺が何も盗らずに逃げ出したことに、不満を漏らした。


 その夜から、言い争う頻度が増えた。

 今までは気付かないふりをしていた考え方の違いに、触れないわけにはいかなくなった。このまま続けられなくなった。

 そんな時だった。探偵を名乗る男が、俺の前に現れたのは。


 俺を探していたのは、父方の叔父だった。

 叔父は造船業を営んでいて、こいつもうちによく金を無心してきていたうちの一人だった。体の弱かった息子が病死し、跡継ぎになれと養子迎え入れの話だった。

 俺に対して肉親としての情の欠片もないけれど、全くの他人に渡すよりは、一応血を分けた甥の俺の方が良かったのだろう。

 両親が亡くなって、もう五年が経っていた。


 五年ぶりに会った叔父は、当時と身なりが変わっていた。商売が上手くいっているのか、随分金回りが良さそうに見えた。

 俺を見て機嫌を取るような笑みを浮かべ、元気そうで良かった、心配していた、おまえを引き取りたかったけどあの時はどうしようもなかったんだ、そう心にもないことをべらべらと並べ立てた。

 その態度に、断るつもりだったけれど、気が変わった。

 あいつらとはもう続けられないと思っていてちょうど良かったし、今度はこいつから全部奪ってやろう思った。


 その日のうちに、叔父に了承の返事をした。仲間たちにも、もう抜けることを伝えた。

 そう言った俺に、仲間たちは最後にもう一件だけ手伝うことを条件に出した。

 それが、椿の生家だった。


 長く続く老舗の店で、質の悪いものを金持ちどもに高く売り、暴利を得ているとのことだった。

 確かにその呉服屋は立派な店構えだった。

 だけど、立派なのは外観だけで、店には金はほとんどなく、商品である着物さえあまりなかった。どう見ても、裕福どころか破綻しかけだった。


 金になりそうなものもほとんどなかったから、このままでは帰れないと、寝室にはあるはずだと、仲間たちは住居部分へ足を伸ばした。

 仲間の情報によれば、今日は誰もいないはずだったから放っておいた。

 だけど、そのあとすぐに劈くような女の叫び声が響き渡った。

 廊下の奥、照明が灯され明るくなった寝室は、血の海だった。その夫婦には子供はいないと聞いていたのに、押し入れには子供までいた。



 こいつらは何も調べていなかった。ただ金がありそうだったから、ここを選んだだけだった。

 こいつらがもうまともに下調べをしてないことなんかわかっていたくせに、自分で調べようともしなかった。


 俺たちは、二人の命を奪った。それだけでなく、その子供からも全てを奪った。


 呉服屋を出たあと、最後まで残っていた俺を待っていた仲間が言った。

――お前も同罪だ。お前だけ真っ当に生きられると思うな。

 そう嗤いながら。



 叔父の養子になりしばらく経ってから、探偵にあの子供のことを調べさせた。調べてどうしたかったのかはわからない。

 だけど、調べずにはいられなかった。


 あの呉服屋は借金だらけだったらしく、その子供は借金のかたに娼館に売られていた。

 桔梗館という娼館で、桔梗館はここら一帯では高級娼館だった。

 雪という少女は、椿という名で働いていた。探偵に渡された写真には、幼いながらも美しい顔立ちの少女が写っていた。


 さらに数年ほど経ちある程度金が貯まった頃、初めて桔梗館の門をくぐった。身請けする前に通うのが通説だろうと思ったからだった。

 成長した椿は、写真よりもさらに美しくなっていた。

 黒曜石のような濡れた瞳に、豊かな黒髪。手足が長く、今にも折れそうなほどに華奢な身体で、何より肌が雪のように白かった。

 名の通りだと思った。


 身請けは、自分が犯した罪の贖罪のつもりだった。

 だから、抱くつもりなんかなかった。ただ、通うだけのつもりだった。

 酒を飲むだけで何もしない俺を、椿の方が急かしてきた。椿に触れられ、理性もここに来た理由も簡単に吹き飛んだ。

 娼館こんなところに来て抱かない方がおかしい。何もしない方がおかしい。

 しっかり欲情していたくせに、そう自分に言い訳した。



 その日から、俺は出来るだけ桔梗館に通うようになった。

 女将から身請けの話はもっと通ってからだ、と言われたのもあるけれど、それだけではなかった。俺自身が、椿に会いたかったからだった。


 椿は愛想がなく、いつも気だるげだった。

 あまり喋らず、滅多に笑わない。怒りもしなければ、泣きもしない。欲がないのか、こちらから言っても、何も求めず何も願わない。

 そして、俺の背中の古傷をいたく気に入っていた。


 それは幼い椿が付けた傷で、それを自分が付けたものだと、俺があの強盗だと椿がわかっているのかどうか、俺にはわからなかった。

 こんなものを気に入っているのだから、気付いているのかもしれないと思った。

 だけど、椿ほど人気があれば俺を拒否することも可能だろうから、そのまま俺に通わせているということは、気付いていないのかもしれないとも思った。


 もし何も気付いていないのならば、一生このまま気付かなければいい。それで、このままずっと俺の側にいればいい。

 そう願ってしまった。


 だけど、俺がそんな夢を見ていいはずがなかった。

 椿は俺があの時の強盗だと気付いていて、それでいて、俺をそのまま通わせていた。

 両親の仇の俺に何度も抱かれてまで、椿が叶えたかったこと。何も望まない椿が、望んでやまなかったこと。

 それは、俺を殺すことだった。



 今日の椿はいつもと少し違っていた。

 普段はあまり喋らないのに、よく喋っていた。滅多に笑わないくせに、俺に向かって綺麗な顔で笑った。

 視線は定まらずちらちらと泳ぎ、何度も袖を触っていた。


 椿が俺の目を盗むように猪口に何かの薬を入れるところを見た時、手足が冷たくなった。心臓が握り潰されたように感じた。

 だけど、それと同時に、納得の気持ちもあった。


 こんな俺が幸せになりたいなど、そんな大それた夢を見ることが、許されるはずがなかったのだから。


 椿から、その猪口を受け取った。椿は俺から視線を反らし、横目で俺がその酒を飲むのを伺っていた。

 毒薬か眠り薬かわからなかったけど、雨を拭うため渡されていた手拭いを袖に忍ばせ、飲む振りをしてそれに染み込ませた。


 椿が望むのなら、椿が望む通り殺されよう。

 これは、俺の犯した罪の代償。人から奪い続けた、椿から全てを奪った俺への罰。



 窓の外で、雪が降っていた。

 月も星もない暗い夜空、はらりはらりと真っ白な雪が舞う。


「進藤、様……」


 熱に浮かされた椿が、うわ言のように俺を呼んだ。 伸ばされた手を自分の指と絡め、そっと口づけた。


「……椿、好きだ」


 視界の隅で、絹糸のような黒髪を飾る白い花が、ゆらゆらと揺れた。


 最後の時間は、あまりに幸福だった。






                  ―END―

お読みいただきありがとうございました。

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