2話 変わらない地図は不要?
「今日はだいぶ涼しいなあ」
佐藤さんは、色あせた作業服の胸ポケットから煙草の箱を取り出した。
「園内禁煙ですよ。っていうか、勤務中にタバコ吸わないでください。今度こそクビになりますよ」
「サクラちゃん、先の短いジジイの至福の時を奪わんでもいいじゃないか。誰も来やしないだろう」
ここは、都心の片隅にある小さな植物園。
四季折々の植物が手入れされた庭園と、都の重要文化財の日本家屋がある。ウサギやニワトリに触れ合えるミニ動物園もあり、園内はクジャクが放し飼いにされている。
ぐるっと見てもの1時間程度という小さな施設。
『都会のオアシス、一息つくなら緑のなかで』がキャッチコピー。
とはいえ、まだ暑さが残る9月下旬の平日13時。園内は閑散としている。
「そこ、防犯カメラありますけど」
園内に一つしかない受付が私の持ち場。来場者が来たら、入場料の大人300円、子供50円を受け取る。チケットと園内マップを渡す。園内へと送り出し、帰るときには笑顔で見送る。
迷子のお知らせを放送したり、外国人観光客がくればカタコトの英語で対象する。
暇なときは、隣接する売店のお手伝い。陳列されたお菓子の賞味期限が、切れていないかをチェックするは大事な仕事。閑散期は注意しないと時々あるのだ。売店担当の鈴木さんは「あらいやだ、老眼で見えなかったわ」と、豪快に笑うばかりだけど。
「入社したばかりの頃は、もっと可愛かったのになぁ。3年も経つと変わるんだな。女性は怖いよ。うちのばあさんだって、昔は大人しくて可愛かったんだがな」
これは、話が長くなるパターンだ。そう思った矢先、
『ご来場の皆様へお知らせいたします。四景園より週末のイベントについてお知らせいたします……』
園内放送がタイミングよく流れた。
「ほらほら、休憩終わりですよ。仕事に戻ってください。木々が佐藤さんを待ってます!」
私の声掛けに渋々立ち上がると、園内に消えていった。
しばらくすると、
「大人ひとりで」
男性の声が真上から聞こえる。
「あ、はい。300円です」
そうか、今日は火曜日だ。
ここ半年くらいだろうか、毎週火曜日、ほぼ同じ時間に来るから覚えてしまった。
おそらく180㎝は越えている。すらっとしてスタイルがいい。あまり見かけないタイプのお客さん。
真夏でも帽子とマスク。そしてメガネ。これだけ聞くと、怪しい雰囲気があるが、帽子も、メガネも季節や服に合わせて選んでいるらしい。
流行りには疎い私だけど、かなりのお洒落さんだと分かる。
今日のメガネは、秋らしいべっ甲のフレームだった。
車で来ているのか、バッグは持たず手ぶらでいる。その代わりに、ニコンの一眼レフカメラを肩から掛けている。これも、いつも通りだった。
デニムのポケットから100円玉3枚を取り出し、トレーに置いた。私はそれを受け取ると、代わりに入園チケットと園内マップを差し出す。
「マップはいいや」
いつもの『大人ひとり』以外の声を聴くのは初めてだった。
「いつもと同じで、変わってないでしょ?」
受け取ってもらえず、かわいそうな園内マップを手に視線を落とす。
散策順路(のんびりコース、じっくりコース)、トイレの位置、1か所しかない飲食店の場所などが書かれてる。裏には見どころと、園内の動植物についての案内。
「まぁ、確かにずっと同じマップですけど。園内も変わらないですし」
「そうかな?」
「え?」
「庭師の腕がいいんだろうな、いつも違って見える。チケットはもらうよ、こっちは毎回ちゃんと違うからね」
それだけ言うと、さっさと園内入っていった。
噴水のある池の手前、芝生で昼寝をしているクジャクにカメラを向けている。それから、池の向こうにある日本家屋に向かい、楓と紅葉の写真を撮ると、やがてその背中は入り口からは見えなくなった。
「チケットは同じ?」
なんのことかと、チケットを見てみる。来場日付のスタンプは、確かに毎朝私が押しているけれど、そのこと?
頭にハテナをたくさん付けていると、
「サクラちゃーん。遅くなってごめんなさいね、休憩代わりましょう」
鈴木さんがやって来た。平日の昼は2人で受付と売店を交代するのが通常営業。
「はーーい」
レジのカギを渡し、事務所へと向かう。
あの彼はいつも1時間以上は滞在しない。
不思議な雰囲気の彼に会える日は、少しだけワクワクしていたから、お見送りができないのは残念、かな。