23話:勇者誕生Ⅱ
王都の王城は、異様な緊張とざわめきに包まれていた。
重厚な扉の向こう、作戦会議が開かれる王座の間では、各地の報告が相次いでいた。
魔物の活性化。村の壊滅。
そして――勇者の誕生。
「……勇者が、現れた?」
報告を聞いた大臣たちがざわめく。
その名は、神話と共に語られ、いまや一種の伝説とされていた存在。人々を導き、滅びの淵から世界を救った、かつての英雄。
その「再来」の可能性に、城内は混乱していた。
加えて、王都では数日前、突如として発生したスタンピードを第三師団が鎮圧したばかりだった。指揮を執り、中心にいたのは若き士官――アルクスという名の青年。
「聞けば、Sランク魔物を二体、単独で討伐したとか……」
「参謀本部の噂は本当だったか」
彼の名は瞬く間に城内に広まり、「第三師団に英雄現る」と噂されていた。
そしてその直後に舞い込んだ、勇者誕生の報。
二つの奇跡の重なりに、王国上層部は浮足立っていた。
王座の間の中央、王冠を戴いた王が、静かに立ち上がる。
エルヴァーリア王国第二十五代国王、レオディアス・エルヴァーリア。齢四十を超えたその瞳は、今なお鋭く、鋼の意志を宿している。
彼は誰に向けるでもなく、小さく呟いた。
「……一体、何が起きている?」
長い沈黙の後、王はゆっくりと玉座へと腰を下ろすと、静かに命じた。
「勇者を、連れてまいれ」
「はっ!」
臣下が深く頭を下げ、その場を後にする。
数時間後――王座の間に、少女が通された。
まだ年若い少女で、聞けば十六歳だという。借り物の衣服。けれど、その瞳だけは揺らがない光を宿していた。
名はリリア。
彼女の腰には、神聖な輝きを放つ一振りの剣があった。
銀白の刃、蒼く輝く宝石。かつての勇者が携えていたという「聖剣」の特徴に、完全に一致する。
王が剣に視線を向けた、その瞬間だった。
――《名を告げよ。我が主たる者よ》
剣から、澄んだ声が響いた。男でも女でもない、天上の音色のような声。
騎士たちが驚愕し、王も目を見開く。
「聖剣が……喋った……」
リリアは戸惑いながらも、一歩前に出て名を名乗った。
「リリア……です」
その瞬間、剣が光を放ち、声が再び響く。
――《汝こそ、我が主。選ばれし者。勇者リリア》
その言葉が、王座の間に響いた刹那、誰もが膝をついた。
王ですら、深く目を伏せ、重々しく言葉を紡いだ。
「エルヴァーリア王国は、勇者リリアを正式に歓迎し、これより保護と支援を行う。汝の力、国と民のために、貸してはもらえぬか」
ただ、言葉を搾り出すように、想いを口にする。
「……私は、みんなを守りたかっただけです。もう、誰も……失いたくないんです」
その瞳に、決意が宿る。
勇者などという大層な称号に、心が追いついてはいない。
けれど、彼女の中には確かに芽生えていた。
「強くなりたい」という想いが。
王座の間に深い沈黙が落ちていた。
勇者の誕生は、まるで雷鳴のように王国を揺るがせたが、その震えはまだ終わっていなかった。レオディアスは玉座に腰掛けたまま、じっとリリアという少女を見つめていた。
その視線は威圧ではない。
だが、剣士であれ魔法使いであれ、並の者であれば膝が震えるような威容をもっていた。
だが、リリアは一歩も退かなかった。
彼女は恐れていない――わけではない。
ただ、その想いのほうが勝っていた。
――強くなりたい。
そう願ったその心が、リリアを支えていた。
その姿に、王は静かに息を吐いた。
「……よい目だ」
それは、長年戦乱と政争を生き抜いた王が、心からの敬意を持って口にした言葉だった。
臣下たちは言葉を失い、ただ王と少女の間に張りつめた空気を崩すことができずにいた。
そんな中、レオディアスはゆっくりと腰を上げ、玉座の脇に立つ。
「勇者リリア」
「……はい」
「そなたが聖剣に選ばれたこと、王として、そしてこの国の民を代表して誇りに思う」
その言葉に、リリアは思わず目を見張った。
王は続ける。
「だが、同時に理解してほしい。そなたが背負うものは、伝説や信仰といった光だけではない。希望の象徴として、あらゆる闇もまた、そなたに注がれることだろう」
「……覚悟は、しています」
「ならばこそ、急ぐ必要がある。そなたが「真に強くなる」ための道を」
そのとき、王は一歩前へ出ると、会議の記録官に向かって低く言い放った。
「アルクス少尉--いや。大尉に昇格したのだったな。アルクス大尉に、王命を以て至急、謁見を命じよ」
その名が放たれた瞬間、空気が変わった。
会議室の片隅にいた軍部の者たちが、わずかに眉を上げた。
「リリア殿」
王は改めて彼女を見た。
「そなたの導師となるべき者を、我が手で選びたい」
王は、リリアを強くするためにアルクスを選んだのだ。
「それが、この国を守り、民を守るために最善であるならば――勇者であるそなたもまた、受け入れてくれるであろう?」
王はこの場にいる者たちに説明するかのように、言葉を続ける。
候補は沢山存在した。師団長や近衛兵など。
だが、王はそれらを選ばなかった。
彼ら、彼女ら以上に、噂の彼は異才を放っていた。
「リリア殿、先日のスタンピードの件は知っているか?」
王の言葉にリリアは首を縦に振った。
「はい。少しですが……」
王都に到着した時、こんな噂を耳に挟んだ。
スタンピードの際、少尉でありながら全軍の指揮を執り、魔力適正Sランクの師団長【白銀の戦姫】でさえ倒せなかった怪物二体を一人で倒し、この王都を救った英雄。
最初は嘘だと思っていた。自分と三つしか変わらない十九歳の青年が、それを成したのだとは、到底信じられなかった。
「……名前はアルクス。軍部では彼のことを【虚構の怪物】と囁かれている。士官学校を首席で駆け抜け、第三師団に入団後わずか一カ月で、その異彩を放っている。軍の歴戦の将すら舌を巻く指揮能力と、勇者に匹敵する戦闘能力。――あれは天賦の才などではない。誰よりも冷静に、誰よりも速く、正確に状況を読む、まさしく怪物だ。勇者として歩み始めるリリアには、もはや彼しかいない。……私が選んだのではない。時代が、彼を選んだのだ」
リリアは王の言葉を、ひとつひとつ胸に刻むように聞いていた。
――時代が、彼を選んだ。
その響きは重く、けれど、どこか希望に満ちていた。
聖剣に選ばれた自分。
そして、誰よりも異彩を放ち、王すら認めた青年。
「……私に、その方が導いてくださるのなら」
小さく息を吸い、まっすぐに王を見上げる。
「私は、すべてを学び、受け止め、強くなります。もう、誰からも奪われないために」
リリアの瞳は揺らいでいなかった。
今、彼女の中で確かな形となって宿っている。
彼女は膝をつき、両手を胸の前で組んだ。
「どうか、導いてください。――勇者として」
玉座の間に、静かな風が吹いたような錯覚を覚えた。
聖剣が、再び淡く光を放つ。
その光に照らされ、王は深く頷いた。
「よかろう。では準備が整い次第、アルクス大尉をこの場に呼ぶ」
その言葉に、重なるように。
遠く、王城の門をくぐる足音が響き始めていた。
こうして、本編が幕を開けた。
しかし、それはアークが王国に亡命したことで、すでに本来の物語から大きく外れていた。




