17話:スタンピードⅢ
俺はため息をひとつつき、剣の柄を握り直す。
……ああ、逃げられないか。まったく、どうしてこうなるんだ。俺はまだ少尉だぞ。普通なら後方で「はい了解です!」って返事してりゃいい立場のはずだろ?
師団長が出て戦線は安定したが、それでも陣形が崩れ始めているな。
「前衛部隊は左へ回り込んで、魔物の進行を分断! 魔法部隊は高台に陣取って、広域魔法を準備! 弓兵は援護射撃で味方をカバーしつつ、飛行型を優先で落とせ!」
口が勝手に指示を出していく。いや、自分で言うのもなんだけど、なんでこんなに滑らかに出てくるんだよ俺。
兵たちは、一瞬戸惑ったような顔を見せたが、次の瞬間には、全員が動き出した。
従った。全員が、俺の言葉に。
おいおい、マジかよ……。
俺はちょっと引き気味に周囲を見る。前衛部隊が左右に分かれて、見事に魔物の突進を逸らしていく。高台に登った魔法兵たちは、俺の言葉通り、着々と詠唱を始めている。
弓兵たちは冷静に飛行型の魔物へと矢を放ち、命中率も悪くない。
「……あれ? なんか、すごい整ってない?」
正直、驚きしかなかった。今の俺の指示って、そんなに的確だったか?
前世で戦争シミュレーションゲームをやり込んだせいか、これ以外にもいくつもの作戦が思いつく。
けどさ、実際にやらせてみたら、もっと混乱が起きてもおかしくないだろ?
その時だった。
「見ろ、あの展開……信じられん。わずか数十秒で全体の陣形を再構築しているぞ」
「各部隊の連携も精密だ。まるで長年連携してきた精鋭部隊のようだな」
「指示の速さも的確だ……この状況で即座に最善手を打てるとは」
「まさに怪物。参謀本部での噂は本当だったか」
どんな噂だよ⁉
「リゼロット少佐が言っていた。アルクスは、戦いの天才。いずれ軍を統括する存在になると」
だから広報しすぎだって!
後ろで、師団の将官たちがそんなことを言っているのが聞こえてきた。
……リゼロット教官はともかく、そんな驚くことか?
思わず、心の中でツッコミを入れる。いや、ちょっと待ってくれ。この程度の指揮って、わりと普通じゃないか? 戦場ではこれくらいの柔軟さ、必要不可欠だろ?
つーか俺、むしろまだ手加減している方なんだけどな。これで褒められるって、今までどれだけレベル低かったんだよ、軍の現場。
やべぇな……目立ちたくなさすぎて、逆に目立ってる……!
俺は顔を顰めながらも、指揮を続ける。
「第二陣、右から回って敵の横腹を突け! 爆裂魔法、発動準備! 詠唱完了と同時に連続発動で敵の後列を潰せ!」
隊の動きが連鎖する。爆裂魔法が発動し、爆発音とともに魔物の群れが崩れる。隙を突いて第二陣が突撃し、戦局が一気にこちらのペースに引き込まれていく。
「おお……」
「あの若造、噂どころじゃないぞ」
「……まさか、軍学校ではここまで仕込むのか?」
聞こえるんだよ、全部! なんだよ、「若造」って! こっちだって好きでやってんじゃないっての!
「……頼むから、もっとハードル下げてくれ……!」
俺はそんな愚痴を胸の奥でぼやきながら、必死で平静を装って指揮を続ける。
でも、ふと、ちらりとミナの顔が視界に入った。体力が回復彼女は安堵したように小さく微笑んで、また弓を引いている。
他の面々も同様だ。
……ああ、そうか。
俺がやらなきゃ、誰かが死ぬかもしれないんだ。だったら、やるしかないか。
渋々だったはずの指揮が、いつの間にか少しだけ力強くなっていた。
俺の指示に従って、部隊は淀みなく動いていた。
前衛は左右から挟み込む形で敵の突進をそらし、高台に移動した魔法部隊が広域魔法を準備、弓兵は飛行型の魔物を片っ端から撃ち落としている。
連携が取れている。奇跡みたいに。
息の合った隊の動きに、敵の進行が明らかに鈍ってきていた。
兵たちの動きは、明らかに変わっていた。
俺の指示にただ従っているだけじゃない。目の色が違う。恐怖に縛られていた足が、意志を持って動き出している。誰かに言われたからじゃない、自分の意思で前に進んでるんだ。
声を張り上げる必要もなくなった。
簡潔な指示だけで、部隊は流れるように動く。まるで、ひとつの生き物みたいに。
「――突破口、開け!」
弓兵の集中射撃で飛行型を落とし、高台の魔法部隊が爆裂魔法で敵陣に穴を開けた瞬間だった。
冷たい風が、戦場を切り裂いた。
氷柱の雨が天から降り注ぎ、突撃していた魔物たちの動きを封じる。次の瞬間、その氷柱を足場にして、ひときわ煌めく白銀の影が宙を舞った。
「師団長……!」
ラティア=ヴァルグレイス大将。第三師団を率いる団長にして――【白銀の戦姫】と呼ばれる女傑。
その銀髪が氷の粒を纏い、白銀の鎧が陽光を反射するたび、まるで戦場に舞い降りた神話の騎士のようだった。
「はッ!」
氷の刃が閃き、魔物の首を一閃。続けざまに踏み込み、巧みに剣を旋回させて氷魔法と剣技を融合させながら三体、四体と魔物を斬り伏せていく。
動きに一切の無駄がない。重力すら無視しているような跳躍、息を呑む速さでの斬撃――あれが、ラティア師団長の戦い方。冷静で、冷酷で、完璧だ。
……俺も、剣の訓練で何度か手合わせしたことがあるけど、あれはもう反則ってやつだった。氷魔法で足元凍らせてからの斬撃とか、二割の力では、全く勝てる気しない。
そんな彼女が、魔物の群れを蹴散らしながら、こちらに戻ってきた。
「……やれやれ、スタンピードの初動でここまで持ち直すとはな」
師団長は、返り血ひとつつけずに俺のそばへと歩み寄ると、剣を軽く振って血を払った。
「やはり、リゼロットは見る目があるな。彼女がベタ褒めする理由も、わからなくもない」
「……えっ? どうしてリゼロット教官が?」
「彼女とは士官学校から友人だ。まあ、家ぐるみでも付き合いもあるが。ともかく、リゼロットが色々なところで君を広報しているよ」
「誉めてもらえるのは嬉しいですけど、広報は遠慮してほしいですね」
今でも十分に目立っているのに。
「謙遜してる場合じゃない。君の的確な指揮で、この隊は陣形を再編し、持ちこたえた。認めざるを得ないな。アルクス少尉、いい采配だ。これからも期待だな」
……ちょっと待て。師団長が、俺を褒めた? 冗談抜きで、初めてじゃないか?
「いやいやいや、まだ終わってないですよ⁉ 今は持ちこたえてるだけで……!」
「ふん、そんなことは百も承知だよ。だけど、兵たちの目を見るといい」
俺は周囲に目をやった。
疲労で膝をつきそうになりながらも、兵たちは立っていた。必死に武器を構え、前を向いていた。
――誰も、逃げようとしていない。
「……ちょっと、少尉なのに責任重すぎじゃないですか?」
冗談交じりにぼやいた俺に、ラティア師団長は薄く笑った。
「背負えるものだけが、選ばれるのさ。……それが軍というものだよ」
言い終わらぬうちに、再び彼女は戦場へと飛び込んでいく。氷の翼を広げるように魔力を拡散させ、戦線を支えるために。
――本当に、絵になる女傑だよな、あれ。
だが、戦いはまだ終わっていなかった。
――不意に、空気が変わった。
「……おい、なんだ、今の魔力……?」
遠く、森の奥から。尋常じゃない圧が、風とともに押し寄せてきた。
ざわり、と兵士たちの背筋が凍る。
木々をなぎ倒し、地を割りながら、何かが――いや、複数の何かが、こちらへと姿を現した。
魔物とは一線を画す、禍々しい瘴気を纏った魔物。
その姿を目にした瞬間、俺の中で警鐘が鳴り響く。
「……マジかよ、あれがこのスタンピードの原因ってわけか」
俺は内心で叫んだ。
――もう帰りてぇぇぇぇぇえ!