16話:スタンピードⅡ
迎撃の準備を整えた俺たちが待っていると、魔物の群れがついに姿を現した。
百体以上の魔物がこちらに迫ってくる。
そのうち、狼型が先頭で、後ろには猪型や飛行型が続いているのは変わらない。
「全員、位置につけ!」
俺の指示に従って部隊が即座に動き出す。
「ミナ、後ろを頼む!」
声を掛けると、彼女はにっこりと笑いながら「了解!」と返事をする。
その笑顔が、この地獄のような状況で少しだけ安らぎをくれる。正直、もう少し冷静にならないとまずいんだけど、ミナの存在が、何だか少しだけ気を楽にしてくれる。
「さて、やるか……」
俺は剣を構えた。魔物たちの群れがいよいよ接近してきて、俺の目にはその動きが遅く感じる。
本来の俺の力なら、こんな状況でも一瞬で片付けられるだろう。
しかし、今はそれをしない。あくまで規模を最小限に、そして力を隠しながら動く。
「最前線、突撃準備!」
兵士たちがそれぞれに魔法や矢を構える。
「……行け!」
俺の合図と同時に、兵士たちが魔法と弓矢を放ち、戦闘が始まった。
空を切る矢の音、魔法の放たれる音、魔物の咆哮が混ざり合って、まるで戦場の交響曲のようだ。
最初の一撃で何匹かが倒れる。
俺の目には、それが異常に遅く見える。だけど、今回は意図的に力を抑えている。隠しきれるか不安だが、やるしかない。
「よし、集中攻撃だ! 矢を射れ、魔法を放て! 魔物の数を減らすぞ!」
俺の指示の下、部隊は次々と魔物を仕留めていく。
弓兵が一矢一矢確実に命中させ、魔法使いが後方から魔法で魔物を焼き尽くす。だが、魔物たちの数は圧倒的だ。これでは全滅する前に追い詰められる。
――そして、俺は気づく。
「……奥から足音が聞こえる」
次々に現れる魔物を倒していく中で、俺は静かに耳を澄ませた。最初の群れがかなり減ってきたところで、地面が微かに震える。遠くから、大きな足音が次第に近づいてくる。
その時、偵察班の一人が俺の元に駆け込んできた。
その表情は青く、ただ事じゃないことを物語っていた。
「報告! 後方より多数の魔物! 数は百を超えます!」
「まさか……」
その報告に、俺は背筋が凍るのを感じた。
その足音が、確かに数ではなく、質の違いを感じさせる。
「第二波だ……!」
俺は思わず叫んだ。魔物の群れの中に、さらに巨大なものが混じっている。おそらく、彼らはただの小型の魔物ではない。獰猛な大物が、後ろから迫ってきている。
「クソ、スタンピードだったか!」
スタンピード。
この『|Regalia of Fate』では、魔法や呪い、異常気象や地殻変動、群れを率いる魔物、あるいは強力な魔物に住処を追われた場合に発生する、魔物の大移動である。
そこで俺が始まる前のストーリーを思い出す。
勇者が誕生するちょっと前、王都近郊の森でスタンピードが発生。それによる被害は甚大だったと言う話だ。
たしか、裏にはノイアス帝国が絡んでいたとか。
新魔法の実験とか……。
まったく。あんな国、亡命して正解だ。ロクなことを考えない。
俺は意識を引き戻し、すぐに部隊の士気を維持しようと叫ぶ。
「全員、後退! 引き続き支援しながら、第三誘導ポイントへ向かえ! だが、焦るな! 冷静に後退だ!」
ミナが俺の声を聞いて、すぐに動き出した。さすがだ。彼女は冷静に指示通りに後退しつつも、弓矢を放ち続けている。
だが、このままでは全員が追いつかれるかもしれない。
次々に現れる魔物の群れ。特に後ろから迫るスタンピードは、俺の予測を上回るスピードで迫ってくる。
「ジーク! 後ろを頼む!」
俺が叫ぶと、ジーク伍長がすぐに応えた。
「了解、全力で時間を稼ぐ!」
ジークが後方で爆裂魔符を仕掛け、魔物たちが爆風に吹き飛ばされる。しかし、それでも前進してくる魔物の数は減らない。むしろ、迫力を増している。
「来るぞ、みんな! 油断するな!」
俺は一気に前線へと駆ける。立ち止まっている暇などない。まだ、この部隊が全滅するわけにはいかない。
――そして、振り返ると、ミナが笑顔を浮かべていた。
「アルクス、大丈夫だよね? 私、信じてるから!」
俺は一瞬、ミナの笑顔に呆気に取られた。しかし、すぐにその優しさが重くのしかかってきて、俺は気を引き締めた。
「大丈夫だ、必ず生きて帰る。だから、信じてくれ」
そう言って、俺は再び前を向いた。
状況は厳しいが、全員を守らなければならない。今、ここで信じられたら、必ずその期待に応えてみせる。俺には、そんな責任がある。
部隊は後退しながらも、焦ることなく確実に前進する。魔物の群れは迫り来るが、俺たちの足取りもまた確かだった。
そして、ついに本隊が見えた。
あの重い鎧と剣を装備した兵士たちは、まさに本隊の頼もしい力だ。
「アルクス少尉!」
師団長が後退してくる俺たちを見て声を上げた。
俺は声を張り上げながら、状況を説明する。
「師団長、スタンピードです! 数は徐々に増加しています!」
「なんだと⁉」
その報告に、ざわめきが生じる。
そして、程なくして森から魔物の大群が姿を見せた。
「--ッ! 魔法兵、攻撃用意!」
数を見て驚く師団長だったが、素早く指示を出し攻撃準備をさせる。
そして、俺たちが本隊に合流した直後。
「――攻撃開始!」
魔法兵から次々と魔法が放たれ、魔物の群れに降り注ぐ。前方の魔物が一気に数を減らすも、後方から湧くように増え、蹂躙しようと魔物が迫る。
そこからは師団長が指示を飛ばし、各方面は将校たちが指示を飛ばしていた。
俺たち囮部隊はというと、安全な場所で休息していた。連戦と逃走で疲労が限界に達したようで、動けるのは俺くらいだった。
師団長の元に戻ると、俺は水分を補給し、休息をとる暇もなくすぐに再度戦場へと向かう準備をしていた。
その時、師団長が俺に近づいてきた。
「アルクス少尉、よくやった。だが、ここからは私が前にでる。指揮を変わってほしい」
その一言で、俺は思わず硬直した。
内心では「マジかよ!」と思わず叫びたくなる気持ちだった。だって、俺はまだ少尉だ。
指揮を執るには少しばかり経験不足だと感じているし、何よりみんなが俺を納得して指導者として受け入れてくれるのかという不安がある。
「え、ですが……」
俺は少し戸惑いながらも言葉を絞り出した。だが、師団長はそんな俺の気持ちを察してか、軽く微笑みながら言った。
「君が、どこかで指揮を執ることに不安があるのか? 貴族としての立場や少尉という肩書きが、実力を決めるわけではない。ここ一カ月と少しの間で、君の指揮能力には信頼を寄せている」
訓練学校、士官学校でやらかしている部分は大いにある。
「でも、師団長、どうしても前線に出ると言うのであれば、私に何か指示をください!」
俺は強い口調で言ったが、内心では「やりたくねぇぇぇえ!」という気持ちでいっぱいだった。
「最前線に立ち、戦闘を引っ張るのは私の役目だ。だが、君がここで指揮を執ることで、戦局は有利になる。君は訓練学校と士官学校ですでに多くの実績があるのだから」
その言葉に、俺の胸が熱くなるのを感じた。
いや、正確に言うと、胸がひりひりと痛くなる。
責任を背負わされる覚悟ができていないわけではないが、何だか妙なプレッシャーが圧しかかる。
問題は、少尉の自分が前に立って指示し、みんなが納得するのかどうかだ。
「さあ、行くといい」
師団長は軽く背中を押すように俺を前に進ませた。
このまま指揮を執るしかないのか?
「実はもう、幹部には話が通してあり、納得している」
勝手に外堀を埋めてるんじゃねぇよ⁉
「……用意周到ですね」
「天才教官キラーの実力を振るう時だ」
それで呼ぶな!
俺は深いため息をつき、覚悟を決める。
頭の中で、これからどうすべきかを考えながら、とても、とーっても重い足を一歩一歩前に踏み出した。
でも、内心では何度も叫びたかった。
――やりたくねぇぇぇぇぇえ!!