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青果  作者: カプサイシン彦
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青果4


「今度は天井からぶら下げてやろうと思ってます」

 ジョージは息巻いて言う。事務所にしんとした空気が流れる。店長のトムは黙り込んでいる。額にシワがよっている。彼の言いたいことが伝わってくる。

 天井からぶら下げるって、野菜や果物を一つ一つ、釣り糸とかロープとかで、天井から手の届く範囲にぶら下げるってことか? 

 なんやそれ。

 本当にそんなことでこの異常な売上が止まると思ってるのか? 天井にすべての野菜をぶら下げてしまったら、そんなん、今までの傾向から考えて、逆に客に楽しまれてしまうだろう。

 客たちの心をウキウキさせるだけにしかならないんじゃないかと、どうして想像できない?

 お前は今までのこの店で一体何を見てきたんだ!

 ジョージははっとする。

 怒鳴られてはいないが、怒鳴られている気分だ。

 ジョージはすぐにまた別のアイデアを出さなければと思う。

 でもすぐには思いつかない。思いつくわけがない。今まですでに何十ものアイデアを出してきたのだ。突然、頭の中に、店内を走り回っている大根の絵が浮かぶ。どうして大根が店内を走り回っているのだ? よく見てみると、大根の下にミニ四駆がくくりつけてある。つまりこの大根は、ミニ四駆にくくりつけられていて、そのミニ四駆が走り回るから、大根も走り回っているように見えるのだ。

「大根を、店中に走り回せます」

「何を言ってんねや、君は」

「とりあえずミニ四駆を十台くらい買いましょう」

 トムからため息がもれる。また彼の言いたいことが伝わってくる。ダメだ。そんなことは自分でもわかっている。やはり何をやっても野菜たちは売れていく。もうこの青果売り場は終わりだ。閉鎖するしかないのだ。

 そしてジョージはこうも思う。それか担当を変えてくれ。もう僕には無理だ。この店の青果コーナーにはもう一秒たりとも立っていたくない。あの意気揚々とした、うれしそうに野菜や果物たちを自分のカゴに入れていく客を見たくない。何で彼らにあんなに野菜や果物が必要なのか、僕にはわからない。

「ジョージ君」

 ジョージはトムの呼びかけにすぐには答えられない。再び名前を呼ばれる。

「ジョージ君?」

「はい」

「売り場を拡充しようと思ってる」

 きた。地獄だ。

「拡充ですか」

「そうだ。結局なぜここまで青果が売り上げを伸ばしているのかはわからないが、しかしこのような結果が出ている以上、店としてはその売り場を拡充しないわけにはいかない」

「僕一人では無理ですよ」ジョージは言う。「売り場がこれ以上広くなったら、僕一人では無理です」

「好きなだけパートを雇ったらいい」

 好きなだけパートを雇ったらいい?

 ジョージがトムの言葉を理解できないでいると、トムが続ける。

「そうだ、もうこうなったら君の好きなだけ青果コーナーのパートを雇っていいから、君がすべて仕切ってみるんだ。大変なのはわかっている。でもこれは奇跡みたいなことなんだよ。この波を見逃すなんてもったいない。とことんやってくれないか」

「だったらこういうのはどうでしょう」ジョージは思いついたアイデアをすぐに口に出してみる。

「ゾンビを店内にたむろわせるんです」

「ゾンビをたむろわせる?」

「そうです。いま店長は、好きなだけ人を雇ってもいいとおっしゃいましたね。それなら僕は、ゾンビ役の人たちを雇いたいと思いますよ。そういう人たちをたくさん雇って、そしてそのみんなにゾンビの格好をしてもらって、店内を歩き回ってもらうんです。そしたらどうなると思います? きっと近所中に変な噂が立って、あそこの店はゾンビが徘徊していて、もう買い物ができない、こんなことになるんじゃないですかね!」

「テーマパークなんだって!」トムがはっきりとした口調で言う。「君のそのアイデアはまるでテーマパークなんだって。本当にそれで売上を落とそうとしている? 絶対にそんなことでは売上は落ちないよ。むしろ上がる気がしてならない。近所中の評判になって、朝から晩まで客が殺到するような、今までよりももっと悪い状況になるんじゃないのかな」

 ジョージは納得できずに首を傾げたくなる。

 ゾンビだぞ?

 ゾンビの徘徊しているような店がどうして楽しいんだ。冷静に考えたら絶望的な状況だろ。ゾンビ映画とか見たことないのか? ゾンビが街に現れて、住人たちが近所のスーパーに籠城することがある。ゾンビからの攻撃を避けるためだ。

 なのにこのスーパーには、すでにゾンビがたむろしているんだぞ。店内をウロウロしてたまに売れ残っているマグロの刺身とかを見ているんだぞ。絶対にそんなスーパーには行きたくないだろ。そんなスーパーに行って、ちっとも自分が生き残れると思わないだろ。

 みんな頭がおかしいんじゃないのか? どうかしている。いや、どうかしているからこそ、いま野菜たちはこんなにも売上が立ってしまっているんだっけ。

「ごはんをおかわり無料にしましょう」

「それはどういうことか意味がわからないよ」トムが言う。

「わかります!」ジョージは強い口調で反論する。「まず来店時に入口のところで茶椀一杯分の白ご飯とお箸を提供するんです。すると、客は店内に入るときには、もうすでに茶椀一杯分のご飯とお箸を両手に持っている状態ですよね? すぐにご飯のお供を探したくなるんじゃないですかね? 青果コーナーをすっ飛ばして、鮮魚とか惣菜コーナーに行きたくなってしまうのでは? こうなれば青果の売上も落ちるでしょう」

「採算が取れないだろ。それに客だって、食べたくないときの白米は拒否してくるに決まってる」

「それはやってみないとわからないですよ」

「入店時にご飯を渡す人員はどうするんだ」

「さきほど、パートならいくら増やしてもいいとおっしゃったじゃないですか」

「ダメだ、近所の貧乏な、そもそも買い物をする気のないような奴らがたむろするだけの店になるぞ」

「いいんですそれでも」

「何だと?」

「とにかく今は、青果コーナーの売上を落とすことだけを考えるべきなんです。それじゃあ僕は、さっそくほかの売り場の担当者に掛け合ってきますね。鮮魚には明太子をたくさん仕入れてもらって、精肉には焼肉の試食か何かできないか相談してみます。もちろん米もたくさん発注してもらわないと」

「炊飯器はどうするんだ?」

「大丈夫です。惣菜の担当者にも掛け合って、何台か店の入口に回してもらうように手配しますよ」

「ちょっと待つんだ、ジョージ君」

「何です?」

「もう少しゆっくりと時間をかけて考えてみるのはどうかな? そのあいだは、もう野菜たちがどれだけ売れてしまっても仕方がない。売上を落とすよりも、本部を説得して売場を拡充してもらおう」

「いえ、待ちませんよ」ジョージは言う。「思いついたら即行動すべきです。勝機を逃しちゃいけません。絶対に次のアイデアで青果コーナーの売上を元の状態に戻しましょう」

 ジョージは自分のセリフを言い切ると、彼と話していた事務所をあとにする。トムは不満げな顔だった。

 しかしジョージも、自分でも本当に次に何をすればいいのかわかっているわけではない。

 何をしてもしなくても、野菜たちが売れていくという結果は変わらないのかも知れなかった。だが、何もしないわけにはいかない。何もせずにぼうっと黙って、ただ商品が入荷されれば、それを棚に並べる毎日を送るのはごめんだ。

 どうしてそう思うのか。それも自分ではよくわからないが。


 ジョージは青果コーナーのバックヤードに戻り、店内との出入り口になっているドアのところに陣取る。そこを通ろうとするほかの従業員たちには迷惑な話だが、ジョージとしても譲りたくはない。そこのドアの隙間から、じっくりと青果コーナーの売り場の様子を観察するのだ。

 ジョージは考える。

 一体なぜ野菜たちがこれほどまでに売れるようになってしまったのか。そしてなぜそれがここのところずっと続いているのか。

 それは謎だった。

 しかしいつまでも謎だと言っていても何も始まらない。最初の頃は、直接客に尋ねに行っていた。

 どうしてうちでこんなにも野菜を買ってくれるんですか。 

 よそと何か違うんですか。

 ところが返ってくる言葉は当たり障りのないものばかり。

 おいしいからよ、とか、お家で必要になったから買ってるだけ。

 嘘をつけ、と思う。言っては悪いが、こんな普通のどこにでもあるようなスーパーで売られている野菜が特別おいしいわけがない。家で必要と言っても、一人で何十本もの大根は必要ないはずだし、仮に親戚一同が介するような催し物が家であったとして、それが毎日続くわけがない。

 これはただ適当なことを言われているだけなんだな、と思った。

 誰も本当のことを言おうとしない。

 あるいは、この現象に対して本当のことなどそもそも必要なのか? と言われているような気にさえなってくる。

 あんたはただ私たちのために野菜を用意すればいいんだ、何をどうしたって目の前にあるぶんは全部買ってやるんだから、四の五の言わずにさっさと入荷してものを売り場に並べなさい。

 だからそのうち客に尋ねに行くのはやめた。本当のことを誰も言おうとしないし、また、本当のことを言う気のない人たちと話すのは、ひどく不快なものだと知ったからだ。

 売り場では、パートの人たちが商品を並べている。バックヤードから持っていった巨大なカゴの中にある野菜を、せっせと決められた棚に移動させる。それが彼や彼女たちの、最近の主な仕事になっている。エリックは、大学生のような若いパートがいれば、そいつに仕事をたくさん任せられるのにな、みたいなことを言っていた。

 確かにエリックと、アルバイトで大学生のアレックスは、そういう関係性なのだろう。アレックスはエリックから仕事の面で信頼されていて、あれやこれやといろいろ頼まれごとをする。またアレックスも、エリックのことを信頼している。彼からの仕事をこなすことが、自分自身にとってポジティブなものであると、心から理解しているような気がする。

 ジョージはさらに売場を凝視する。でも主婦や、大学生と比べると年齢の高いパートの人たちが、アレックスに劣っているとは思わない。彼女たちにだって、仕事を任せればちゃんとこなしてくれるし、ときにはこちらが想定していた以上のことをやり遂げてくれることだってある。たとえば売場の清掃や、バックヤードの清掃などは、こちらが指示しなくてもやってくれるし、そのクオリティは信頼できる。きっと自分が細かく指示するよりも、彼女たちの視点から行うことだからこそ、よりよくなることだってあるはずだ。

 そのときだった。売り場から悲鳴に似た声が聞こえてくる。視線がそちらを向く。ある従業員と、客が何やら揉めているようだった。ジョージはとっさにバックヤードをあとにする。現場に直行する。揉めている従業員と客のあいだに割って入る。

「割って入らせてもらえませんかね。割って入らせてもらいますよ。私があなたたちのあいだに割って入らせてもらいます」

 ジョージはそう言うと、本当に従業員と客のあいだに割って入り、事態の収集を図ろうとする。

 客が言う。「あんたは何なんだ」

「ここの売場の責任者ですよ。青果コーナーの担当者です」

「あんたがここの担当者か」

「そうです」

 客は、七十歳前後だと思われる男性だった。よくわからない謎のメーカーのキャップと、ポケットがたくさんついている薄いベストを身に着けている。あとは長袖のポロシャツと、チャコールのスラックスも着用している。

「何かあったんですか」

 ジョージが二人に尋ねると、女性従業員のルーシーが答える。

「いきなりこの人が、私のカゴから商品を抜き取ったんです」

 ルーシーは四十代前半の主婦だ。彼女もこの売場でいつもテキパキと働いてくれる従業員の内の一人。

 男性客が言う。「抜き取ってないよ。ただ私は、棚に並べられる前の商品を自分のカゴに入れただけじゃないか。結果は同じだろ? どうせその商品を棚に並べたところで、私はその商品を自分のカゴの中に入れるんだ。だったらはじめから、商品が棚に並べられる前から、それを私のカゴに入れたって何も問題はないはずだ」

「でも怖かったです。これから棚に並べようと思っていた野菜が、急になくなっていたんですから」

 二人の言い分が何となくわかった。男性客としては、自分の欲しかった野菜がちょうど目の前で陳列されかけていたところだったので、だったら陳列される前にそっとその野菜をルーシーの台車から抜き取ってやろうという魂胆。

 しかしそれは、ルーシー側からすると、予測できていなかった出来事だった。急に台車から商品がなくなった、かつ、男性客が自分の台車から野菜を抜き取っているところを目の当たりにしてしまったから、何事か! と驚いてしまったというわけ。

 何なんだよ、こいつら。

 男性客が言う。「別に俺は悪くないだろ。窃盗するわけじゃないんだぞ。ただこれを今からレジに持っていって、ちゃんと購入するんだから」

「だとしてもちゃんと棚に陳列されているものを手にとってくださいよ」ルーシーが言う。「後ろから手が伸びてきてすごく怖かったんです。急に台車から野菜もなくなってるし」

「だから結果は変わらんと言っているだろうが」男性客はさらに続ける。「そもそもあんたらがノロノロと商品を陳列しているからこうなる」

 彼はよくこの店舗を利用するのだろうか。陳列がノロノロ。これは、あきらかにこの青果コーナーへの普段からの不満のように聞こえる。

 男性客は言う。「陳列なんてもうとっくの昔に不必要になっているのに、まだそれに気づかんのか」

「どういうことですか?」

 ジョージは思わず男性客に問いかける。陳列が不必要になっているとはどういうことなのか。

 確かに前にダンボールのまま商品を売場に出したことがあった。この人は、売場をあのときの状態に戻せというのか。

 男性客が言う。「あんたまだ気付いてないんだな? あんたらのやっていることは、我々もよくわかっているんだよ」

 ここでジョージはピンとくる。

 もしかしたらこのじいさんは違うかも知れない。このじいさんは、ほかの適当なことばかりを言う人たちとは、根本から何かが違うかも知れない。

「私たちのやっていることとは?」

 ジョージはあらためて男性客にたずねる。

 男性客は答える。

「わかっているんだよ。あんたらは何とか我々に野菜を買ってほしくないと思っているんだろう」

「いえ、そんなつもりは」

「隠したってわかるさ」男性は続けて「今まで散々この売場でいろんなことを試してきたじゃないか」

 この売場で試してきたこと。商品をすべて大根に統一してみたり、棚の隙間に人形を置いてみたり。今となっては思い出すのも嫌なものばかりだ。

「あんたたちのやろうとしていることは、我々としてはわかっていた」

「何とかして売上を落としたいと?」

「そうだ」

 男性客の力強い返事。だったらなぜ買い物を辞めてくれない? ほかのスーパーや八百屋で買い物をしてくれない? 

「だがな」男性客は続ける。「物事はすべて裏目に出てしまうものだ」

 どういうこと? 

「我々は、あんたらがこの売場でまた何か新しいことをするたびに、謎の購入意欲に掻き立てられちまう」

「購入意欲を掻き立てられる?」

「そうだとも」

 男性客の二度目の力強い返事。一体どういうことなのかわからない。こちらの意図がわかっているのに、どうして買い物をやめてくれないんだ。

「購入意欲を掻き立てられるってどういうことなんですか?」

 ジョージが言葉に詰まっていると、ルーシーが助け舟を出してくれる。さすが人生経験の長い女性だ。ルーシーもこの売り場の構成員として、今この男性客の語ることが気になるのだ。

「たとえば商品をすべて大根に変えられたとき」

「ええ、ありましたね、そんなこと」ルーシーが男の発言に相槌をうつ。

「逆に大根料理を極め尽くしてやろうと腕がなったね。カレーとかにも大根を入れてみたりしてた」

 汁っぽくなりそう。

「ほかにも、売場に謎の人形たちが配置されたとき」

「ええ」

「その人形たちに語りかけられているような気がしていたよ。僕を買ってくれ、僕の隣りにある野菜を、ほかの野菜よりひとつでも多く買ってくれってな」

 幻聴? 

 精神は大丈夫か?

 男性客は続ける。「もちろんなぜ購買意欲が掻き立てられるのか。そのすべてを言葉にできる自信はない。だかこれだけははっきりしておいてやろう」

 ルーシーが言う。「何です?」

「あんたらがこの売場を再構築するたびに、私たちの購入意欲は何らかの形でそそられる。だからこの売場に出てくる商品は売れ続けるだろう。それはもはや今後、永久に裏付けるのではないかと思うほどだよ」

「帰ってください。もうあなたのような人の顔は見たくない」

 ルーシーはそう言うと、自分の口に手を当てる。そしてその男性客のことを、まるで気持ちの悪いものを見ているかのように睨みつける。

 男性客は言う。

「どうして?」

「どうしてもこうしても」

「客だぞ? 私はお前たちの商品を買ってやろうという客なのだ。私たちを否定したとき、それはお前たち自身をも否定することになる」

「もうやめて! そんなに毎回買ってくれだなんて頼んでない!」

「売っているのはそっちだろう。そっちが売っているから、我々はそれを購入しているだけだ。我々のどこが悪いんだ」

 買いすぎなんだよ。

 売っているのはこっちだし、それはあんたたちに買ってほしいからそうしている。

 でも度ってものがあるんだよ。

 何事にも適正な程度ってものがある。やり過ぎているんだ。

 行き過ぎている。だから嫌悪感が出てくるんだ。バカにされている気さえする。

 普通はそんなことできない。

 経済活動だから。

 経済活動にギャグはないだろう。だってそれは本当にお金がいることで、お金はフィクションだけどギャグじゃないからだ。

 でもあんたたちの存在はまるでギャグだ。遊んでいるみたいだ。どこからその資金を調達している? 大量に買った野菜や果物たちを、そのあとどうしている? 

 話してみろよ。

 あんたたちの存在がギャグじゃないなら、そのあとにもリアルなストーリーが当然あるんだろ?

「お客様の購買意欲をそそられて何よりです」

 ショージは男性客に対して言う。ルーシーは隣で目を丸くしている。

「でも、もう我々も限界なんです」

「限界とは?」

「何もかも間に合いません。商品も人手も、何もかも足りないんです」

「増やせばいいだろう。客である私に対して、もう限界だと言うだなんて、あんたどうかしてるんじゃないか?」

「次は売場にゾンビを放とうと思っています」

「ゾンビ?」

 ジョージは続ける。「もちろん本物のゾンビではありませんよ。仮装です。仮装ですが、それなりのクオリティーと人員をかけて、この売場を徘徊させてやろうと思っているんです」

「ゾンビにいつ襲われるかわからない状態で、野菜を購入するってわけか」

「実際に危害は加えませんが、でも見た目はものすごく怖くするつもりです。青果コーナーだけ、照明を落としてやろうとさえ思っているんです」

「今から想像しても興奮してくるな」男性客が言う。「さすがにゾンビたちに徘徊されながらも、買い物をしたことなんてないよ。でも今度それが経験できるんだろ? まったく最高じゃないか。早くそれを経験したいよ。ゾンビたちに自分の買う商品を覗き込まれながら、私も店内をウロウロできるってわけだ。私のカゴの中を覗き込んできたゾンビにこうささやかれたらどうしようかな。あるいは商品を選んでいる最中のゾンビにこう話しかけられたらどうしよう。これで何作るん? 今晩の献立は何にするん? ってね」

「ゾンビは喋らない予定です」


 ルーシーと一緒にバックヤードに戻ってくる。ルーシーはドアの窓から、先程の男性客が本当に売場から立ち去ったのかどうか至極気にしている。

「大丈夫ですか? ルーシーさん」

「ええ、大丈夫です」ルーシーは言う。「だけど、忘れられない体験でした」

「嘘みたいな人でしたね」

「でも嘘じゃないんですよ」

 嘘じゃない。

 確かにそうだ。

 ジョージは同調する。「恐ろしい体験でしたね。まさかあんなことを言う人が現れるだなんて」

「でも私たちも、どこかで思っていましたよね。きっと最近のこの青果コーナーで買い物をしていく人たちは、まともな人じゃないって」

「それは」

「ジョージさんまで嘘をつかないでください? ジョージさんだって、みんなまともじゃないって思っていたでしょう」

「僕としてはただ……」

 大量に買った野菜を、みんなどうしているんだろうと思っていただけだ。青果コーナーの担当者として、売場を離れたあとの野菜たちは無事に消費されてほしい。

「イタズラなんですかね?」ルーシーが言う。「彼らのやっていることは、私たちに対するイタズラなんでしょうか?」

「そういう話は今までさんざんしたじゃないですか」ジョージは言う。「イタズラかどうかはわからないけれど、商品が売れ続ける限りは、私たちも商品を売り続けようって」

「それが間違いだったんじゃないかと思うんです」

 間違いだったとは?

 ルーシーが言う。「家に帰って主人ともこの店のことを話したことがあるんです。主人は初め、何だかこの話を聞いているような聞いていないような感じでしたが、でも途中でこうポツリと呟いたんです。なんかそれってお互いが間違ってる感じがするな。客も変だけど、でもお前たちのやっていることも十分変だぞって」

 客も変だが、自分たちも変。

 それはわかっているつもりだった。というか、客たち以上に変なことをやって、彼らを売場から遠ざける、というのが、これまでのコンセプトだったはずだ。

 だからそのルーシーのご主人の指摘は間違っていない。

「でも、だったら僕たちは何をすれば良かったんでしょう」

「さあ、それは私にも。でももしかしたら、何もしないのが正解だったかもしれませんね。何もせずに、商品が売れたら売れたで、本部の指示に従っていれば良かったのかも。きっと本部も、売れている原因が不明だから、何もしなかったかもしれませんけどね」

 結局、今回の現象に関しては、どういう対応をしていれば良かったのかわからない。

 ため息が出てくる。

 もう何も考えたくない。どうしてこうなった?

 僕はただ田舎の青果コーナーの担当者としてここに赴任してきただけなのに。

 休みたい。

 タバコは吸わないが、タバコでも吸って、外の空気に当たりたい。

 すると、また売場から悲鳴のような声が聞こえてくる。今度は誰だ? 何ごとだ?

「この声はバーバラ?」

 ルーシーはそう言うと、売場に駆け出していく。ジョージもあとを追う。まさかさっきの男性客が、大人しく帰ったと思ったらまた暴走し始めたのか?

 売場に着くと、十代後半から二十代前半? だと思われる、見たことのない男性が売場に立っていた。そして、彼は陳列作業をしていたバーバラにその姿を目撃されて、彼女から悲鳴を引き出したらしかった。

 当然だ。彼はなぜか顔に血糊のようなものをぬりたくり、服はボロボロで、その破けた服の下からまた血糊をぬり、傷のあることを表現していたからだ。つまりゾンビのコスプレだ。

「お客様、どうされたんです?」

 ジョージはその青年に近づいてたずねる。

 青年はポケットからある紙を取り出し、ジョージにペコリと頭を下げる。紙は履歴書だった。

「さっきそこですれ違ったおじいさんに教えてもらったんです。ここでもうすぐゾンビ祭りが開催されるから、暇だったら応募してみれば? って」

 ジョージは言葉が出てこない。

「いや、まだゾンビ祭りをするって決まったわけでは」

「そうなんですか?」

 そもそもゾンビ祭りって何なんだ。話が急激に大きくなりすぎている。

「そうですね、そういった催し物をすることは、まだ決定というわけでは」

「友達ももういっぱい誘ったんです」

「え?」

 友達を誘った、だと?

 一体何を考えているんだ、こいつ。

「ゾンビ祭りの参加者を集めておいたんですよ。参加条件がわからないから、とりあえず履歴書だけ持ってきたんですが」

 意味がわからない。

 ゾンビ祭りなどしない。それなのにこいつの中では、なぜかゾンビ祭りがこの田舎のスーパーの青果コーナーで開催されることになっている。

 加えて、なぜか履歴書を持ってきている。ここで雇ってくれというわけではないのだ。

 あくまでも彼の言うゾンビ祭りに参加するため。ゾンビの格好で、このスーパーを徘徊するため。

「すみません、先程も言いましたように、ゾンビ祭りが開催されるかどうか、まだ決まったわけではないんです。それに、もしそのようなものが開催されるとしても、それは祭りのようなものではないんです」

「じゃあ一体何なんですか?」

 素直に疑問をぶつけてくる青年。何なのかと言われれば、何なのだろうか。

「それはちょっと」

「答えられないんですね?」

「そうですね」

「とにかくゾンビ祭りなんてものは開催されないと?」

「いえ、開催します!」

 ジョージが言ったのではない。では誰が言ったのか? 後ろから青年とジョージのあいだに急に割って入ってきた、店長のトムだった。

 トムは続ける。「ゾンビ祭りは開催しますよ。盛大にやろうと思っています」

 盛大に? 

 何のために?

 トムはさらに続ける。「ですから、ぜひたくさんのお友達をお誘いください。コスプレもゾンビだけでなくて結構。セクシーポリスやちょっとエッチなサキュバスみたいなのもオッケーです」

 それただのハロウィンじゃないか。ハロウィンのときにするコスプレだろ?

 しかもエロいのもオッケーときている。何を企んでいるんだ、この店長は。

「なんだ、やっぱり開催されるんですね。じゃあ開催日が決まったら教えてください。これでもかというほどの友達を集めてきますよ」

「最高ですね」トムが言う。「ぜひ当日はたくさんのお友達をお誘いください。ご来店お待ちしております」

 青年が帰ったあと、売場でだが、ジョージはすぐにトムに話しかける。

「店長、いまの対応は?」

「これでいいんだ」

 やけに強気なトム。

「これでいいとは?」

「いいんだ、近々、ここでゾンビ祭りを開催するから、君たちはそれに向けての準備をするんだ」

「嫌ですよ」ジョージは言う。「ゾンビ祭りだなんて開催しません」

「なんで?」

「なんでって言われましても……」

 逆になんでゾンビ祭りなんてものを開催しないといけないんだ。私はあくまでも青果コーナーの売上を落とすためにゾンビの恐怖感を利用したいのだ。

 そんなお祭りみたいな話にしてしまったら、人が今よりもこの店に集まってしまうじゃないか。

 ジョージは言う。

「店長はどういうおつもりでゾンビ祭りなんてことをおっしゃってるんですか?」

「もう私も嫌なんだ。こうなったら楽しく仕事をやってやろうかと思ってね」

 どういうことなんだよ。

「つまり、今までは売上を減らそうと思ってあらゆる施策を試みてきたが、今度は売上を伸ばすつもりでゾンビ祭りを開催してやろうかなって」

「そんなことして大丈夫なんですか」

 それでここにあらゆる伊賀市民が殺到したらどうするつもりなんだ。

 駐車場からしてパンクするに決まっているし、ヤフーとかのトップ記事にもなってしまうんじゃないか?

「反対ですよ」ジョージは言う。「ゾンビ祭りなんて想像できません」

「ゾンビは君のアイデアだろう?」

「そうですが、でも私はあくまでも」

「逆のことをやってみようじゃないか。売上を落とそうとしたら伸びてしまうんだ。伸ばそうとしたら、落ちるかもしれない」

 そんな簡単な話なのだろうか。

 絶対に違う。

 私たちは何もしていない。何もしていないのに、勝手に売上は伸びたんだ。それでパニックになって、いろいろなことを試し始めたが、それらもすべてうまくいかなかった。

 ジョージは店長から顔を背けると、ふらふらとその場から離れ始める。

「おい、ジョージ君、どこに行くんだ?」

「すみません、ちょっと外の空気を吸いに」

 

 缶コーヒーを片手に、いつもの搬入口にある物置の前に行く。灰皿に灰が適度にたまっている。曇り空から冷たい風が吹いてくる。

 急に誰かからのメッセージのようなセリフを思いつく。

 我々のやることは、すべて間違ってる。成功など一つもない。やることなすことすべて間違っているから、我々は、間違うためにしか行動できない。

 ため息が出る。

 自分でも意味がわからない。極端すぎる意見だ。子供がすねているだけのようにも思える。

 だが一理あるかもしれない。

 どんな失敗も、成功への道筋から考えると、一つの必要な工程であるように、どんな成功も、いずれ何かの失敗と結びついてしまう。

 直感にも反している。

 人として、間違うことになるとわかっていながら、それを推し進めることなんてできない。

 やるからには、どんなに些細な出来事であったとしても、明るい未来とともにそれを推し進めたい。

 だんだん腹が立ってくる。何もうまくいかないと思えば思うほど、もうこの場にはいたくなくなってくる。

 伊賀市にアパートを借りたけど、もう出ていきたい。最近は家に帰っても冷凍食品ばかり食べていて、もう飽き飽きしてるんだ。

「でも……きっとこの俺の間違ってるって意見も間違ってるんだろうな」

 ジョージはじっと灰皿を見つめた。誰かに自分の思いを受け止めてほしいと思った。

 自分は、今回のこの出来事で、この世の中で、やることなすことすべて間違いにしかならないと思った。もしそれが本当ならならば、きっとその思いも、ほかの誰かからすれば間違っているはずだ。

 自分一人ではダメだ。

 自分一人だと、永遠にその思考の連鎖から抜け出せない。

 誰かにこのメッセージを受け取ってもらって、初めて、自分の思いは完結するのだ。

 そのときとびきり冷たい強風が吹いた。それによってかよらずか、灰皿が傾いて、地面に音を立てて倒れた。 

 灰皿の中に溜まっていた、濁った色の水がゆっくりと外に向かって流れ始めた。

 犬の遠吠えがする。

 頭上の木の葉が擦れて、その内の何枚かが枯れ葉になる。

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