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青果3
「それでそんなお皿とかもらったきたんか」
「そやねん」
ダイニングテーブルの上に今日の戦果? 戦果ではないかもしれないけれども、デビーから譲り受けてきた数枚のお皿やカップなどを並べる。テーブルの上には、ポテトチップスなどのお菓子も置かれてある。
「じゃあホンマに大皿料理に移行するんや」
「するみたいやね」
「なんかよくわからんねんけど」
「嘘やん、わかるやん」
「わからんて。まあ、そんなん好きにしたらええ話やと思うけど」
夫のエリックに今日の出来事を話してみる。友人のデビーちゃんと久しぶりに会ってきたよ、彼女妊娠したってさ、あと普段の料理を個別に盛り付ける感じから、テーブルの中央に大皿をドカンと置くスタイルに変更するってさ。だから私、今日は主にそのスタイル変更のための事前作業を手伝ってきたよ。
「え、うちも大皿に移行?」
エリックが言う。コップについだコーラを飲んでいる。この人も甘いものが大好きだ。私も好きだが。
「いや、うちは移行しないよ。てかもともとあんまり料理作らんやん」
「そやっけ? たまに鍋とか作るやん」
「あれはもう小皿とか大皿とか言ってる場合の料理じゃないやん」
「そっか」
仕事が終わって家に帰ってきて、二人でテレビを見ながらお菓子を食べている。正直いまが生活していて一番ほっとする時間だ。もう晩ごはんも食べたし、お風呂も入ったし、あとは寝るだけ。たまにドキッと胸が縮こまることがあるけど、そういえば宿題とかはもう大人だからないんだった。いまでもたまに、学校の宿題なかったっけ? と思うことがある。もう三十歳なのに。学校になんて全然行っていないのに。あと、別に宿題で嫌な思い出があるというわけでもないはずなのに。
「そういえば俺んとこも今日結構変なことあったわ」
「なに?」
「え、なんて言ったらいいんやろ」
珍しくエリックが困惑している。でもやばい感じではなさそう。自分の身に降り掛かった出来事ではないのか。お店で何かあったという話なのか。
「青果コーナーの話やねんけどさ」
「青果コーナー?」
野菜や果物を売っているところだ。だいたいのスーパーで、入口にあるコーナー。
「そこの担当の子がめっちゃ悩んでる感じで。てか見るからに暗いねん」
「相談に乗ってあげたの?」
「いやあげてへん。直接本人からは話聞いてないねんけどな」
「うん」
「なんか売上がすごいらしいねん」
「売上がすごい?」
どういうことだろう。売上がすごいってことは、つまり青果コーナーの野菜や果物たちが、バカスカ売れているということだろうか。
いいことなのでは? それって普通にいいことなのでは?
「いいことなんじゃないの?」アンは言う。「だって売れてるんでしょ? 儲かってるんでしょ?」
するとエリックは得意げな顔になって「と、思うやろ?」
「違うの?」
「それがどうやらそういうことだけではないらしいねん」
じゃあどういうことなのか。
エリックは続ける。「なんかな、何をやっても売れてしまうらしいねん」
「何をやっても売れてしまう?」
エリックからの話はこうだった。最初は、広告に出した商品がよく売れるようになったので、青果コーナーの担当者も、店長も、パートさんたちもよろこんでいたらしい。いや、正確にはよろこんでいたというか、まあ、青果コーナーとして、当たり前のことやって、当たり前の成果が出たので、ほっとする感じか。
しかしいつからか、広告に出した商品以外もガンガン売れるようになってくる。今までほとんど動きのなかった、大葉やみょうがなんかもガンガン売れていく。そしてそれは、やがて売り場の欠品を引き起こす。またそれにともない、そのことへの客からのクレームも出てくる。売り場の担当者は焦る。何が起こっているのかわからない。前年比が参考にならない。
店長からの許可を得て、売り場のボリュームを格段に増やすことに成功する。この地域では、最強の青果コーナーの完成だ。だが、それでも商品は売れていく。売り場の維持がままならなくなる。閉店前の売り場は、スカスカでみすぼらしく、まるで活気のない店の象徴みたいだ。毎日の仕事量も半端ないことになる。パートさんたちの働き方もキツくなる。売り場の担当者も、売れているにも関わらず、徐々に疲弊してくる。
「とにかく商品を店に並べれば、それだけ全部売れていくって感じなん?」
「まあそういうことかな。俺も直接は関係ないねんけど、でも最近の青果コーナーは、確かにいつも閑散としてるな」
売れてて閑散はすごいな。
「客が増えたわけじゃないんや?」
「客はいつも通りやねん。増えてない。だから他の部門も、そこまで売上が増えてるわけじゃない。逆に減っている部門もあるくらいや」
「売り場に商品が常にあり続けるように、人も商品も限界まで増やし続けたらいいんちゃうん?」
売れている限りは、店側もそれに対応し続けなければならないのでは?
「それな。でもそれをもう今やって、これやねん」
一度店長の許可を得て増やしたって言ってたっけ。
「まだ足りてないんでしょ? だったらもっともっと増やすのよ」
「でもやっぱり限度はあるで。言ってみたら田舎のスーパーやで? そりゃ市場くらいのボリュームにしたら、今の悩みは解決できるかも知らんけど、実際にそうするのは難しいで」
「難しいんかな?」
「難しいよ。てかわからんのがな、なんでこんなによう売れるんかってことな」
確かに。売れる理由さえわかっていれば、増資にも踏み切れる。だが売れる理由がわかっていないのに増資をしたら、いつかやってくるであろうブームの終わり? みたいなものにまったく対応できなくなる。
「だから、今の対応でもまあまあギリギリやねん」
「お客さんに直接きけば? なんでそんなにうちで買ってくれるんですか、って。もうそんなん聞かなわからんやろ」
「それももう聞いてみたんや」
「なんて?」
「特別変わった意見はなかったってさ。必要な分を買ってるだけです、みたいな感じやったらしい」
必要な分を買っているだけ――つまりお客さんにとっては、普段の買い物と変わらないってこと?
「世の中が、全体的に野菜ブームとかなんかな?」
「なんやそれ」
アンは、特に深い考えはないが続ける。「いや、なんかそんな理由もあんのかな、と思って。昔も、テレビでしいたけが体にいいって流れたらしいたけめっちゃ売れて、納豆がいいってなったら、納豆がめっちゃ流行ったこととかなかった?」
「あったな」エリックが同調する。「でもあれは単品やし、すぐにもとに戻ったやん。今回は売り場全体やし、それに人が増えてるわけじゃない」
「じゃあ、世の中、青果コーナー自体がブームとか?」
「どういうことやねん、それ」
どういうことだろう。自分でもよくわからない。
でも、どうしても、この話は悪いことではないような気がする。ものを売る商売で、ものがたくさん売れているのだからそれはものすごくいい話じゃないか。
それなのにエリックは、どちらかというとネガティブなポジションでこの話を語ろうとする。
店の雰囲気がそうなのだろうか。現場はそれだけ混乱していて、どうすればいいのか誰もわかっていない、みたいな?
「腐った野菜でも置けば?」
「どういうこと?」
アンは言う。
「手に取った野菜が腐ってたら、さすがにお客さんも買い物やめるでしょ。てかもっといったら、二度とその前に来なくなるかも」
一旦黙り込むエリック。しかしすぐに鼻をふんと鳴らして言い返してくる。「でもな、それももうやってん」
「やったの?」
さすがにそれはあかんやろ。
「いや、厳密にはあえて腐ったものを販売したわけじゃない。大量に野菜や果物を仕入れるなかで、たまたまそういう商品の混じってしまったことがあってん」
「まさかそれも売れたの?」
「売れたよ」
売れたんかい。
「なんかお客さんによっては、たまには腐った野菜もいいな、ほかの野菜が引き立つし、最悪畑とかの肥料にするから逆にほしい、みたいな」
「頭狂ってるやん」
恐ろしすぎる。エリックの勤務しているスーパーは、隣の伊賀市にあるから、私が普段行くことはない。だからそこが実際にどんなスーパーで、かつどんな人たちが買い物によく来ているのかわからないが、それにしても恐ろしっ。もはやちょっとしたホラーやん。
「ほかに何やったん」
「商品の品出しがエグいぐらいにしんどいからさ」
「うん」
「もうトラックからおろした荷物、そのまま売り場に並べてみてん」
それは……なんか想像できるな。ダンボールとかカートがそのまま売り場に並んでる感じよね? それこそ市場みたいな感じで。
「で、それももちろん?」
「完売やな」
完売。マジで伊賀市民どうした。
「だから今はもう売り場に並べるのもやめよか、みたいな話になってて」
「売り場に並べなくてどうすんの」
「直接トラックの荷台で売ったろかなって」
「やばっ。トラックの後ろにお客さんが並ぶ感じ?」
「そうそう。もうそんなんでええんちゃうかな、みたいな。言ったらそれってただの移動販売のでかい版、みたいな感じやけど、売れるんやったらそれでもええんちゃうんか、みたいな」
「さすがに営業時間の問題とかあって無理でしょ」
「うん、でもなんか今はそんな雰囲気もあるわ」
どんな雰囲気やねん、と思いながらアンは眼の前のお菓子に手を伸ばす。たぶんこの話はほとんどすべて嘘なのだと思うが、嘘にしてはなんとなく派手ではないというか、何を狙っているのかよくわからないというか、とにかく釈然としないところがある。
「青果コーナーの担当の奴も、ちょっと変わってるんかなって思うところもあって」
「なによ」
「人形置き出してんなー」
「人形?」
少し想像力を働かせてみる。売れてしまった野菜のスペースに、自前の人形を並べ始める従業員。
「どこにどういう風に人形置くんよ?」
「本来なら商品の置いてある棚とかスペースやな。たとえばカボチャ売り場のスカスカなところに人形置いて、あとその人形に吹き出しのポップつけんねん。そんでその人形に喋らすねん。ここはカボチャ売場です、みたいに」
「なにそれ、逆にわかりにく」
「わかりにくいっていうか、別にそんなことせんでもええよって感じやな。ここはカボチャ売場です、みたいなことは、絶対に言わんでいい」
「二度手間やもんな」
「うん、二度手間やし、てかなんかちょっと怖いねん」
そう、怖いねん。何となくこの話は怖さみたいなものを感じる。エリック、もうそろそろこの話は嘘だと言って。待って。この話が嘘だった場合、じゃあそのときのエリックの動機ってなんなわけ?
アンは再びお菓子をつまみながら言う。
「え、てかこの話嘘やんな?」
「嘘って?」
「いや、だからこの話って全部嘘なんでしょ? 冗談って言うか、ただエリックが今日の帰り道に思いついただけの話っていうか」
すると、エリックは真剣な眼差しでこちらを見つめてくる。そして首を微かに横にふる。違うのだ。
「嘘じゃないの?」
「違うよ、嘘じゃない」
「でもさすがに全部ホントってわけでもないでしょ。ただ青果コーナーの売り上げが異常にいいから、そこにちょっと話を付け足してるだけじゃないの」
「違うねん。全部ホンマやねん」エリックは言う。「俺の勤めてるスーパーの青果売場は、今年はもう何をやっても売れまくんねん。野菜を全部真っ二つに折ってから売り場に置いても売れるし、わざわざ地面に所狭しと並べて置いても、嘘みたいに全部売れる」
「えげつないことしてんな」
「それでも全部売れんねん」
「じゃあマジでそれどういうことなんよ」
アンの発言に対して、エリックの言葉が止まる。きっと彼もわけがわかっていないのだ。なぜそのような現象が起きているのか。また、どうすればそれを止めることができるのか。再び起きないようにすることができるのか。
「このポテチあんまりやなあ」
アンはそう言うと、食べていたポテトチップスの袋を手に取り、裏側の栄養素などの表示してある部分を眺める。
「トリュフ味って書いてあったから、期待してたのに」
「そもそもトリュフとかあんま知らんし」
「やからかなぁ? 私があんまりやなって感じるの。もし普段からトリュフを食べていて、トリュフのことが好きやったら、このポテチも満点やったかも知れへん」
「どやろな。でも、こうやって商品になるくらいやから、これが好きって人もおったんやろな」
エリックはこの商品の企画開発の部分を言っているのだろうか。まさか誰もが微妙だと感じながらも、一つの商品が完成にまで至ることはない、と。
「それもどやろな。だって今のポテチはいろんな味があってのポテチやと思うわ。だから次々にいろんな味を出して、消費者を飽きさせない、みたいなこともやっていかなあかんのちゃう? そう考えると、必ずしもすべての商品で満点を取りに行っているわけじゃないかも知れへんで」
「それはそうかもな」
「売り場の野菜、一種類にしたったらええやん」
アンが言う。そうだ、何をしても売れるなら、いっそのこと売る野菜を一種類に絞ってしまって、品出しやら仕入れやらをめちゃめちゃ簡単にしてしまえばいい。仕事も楽になるし、お客さんも買う商品を選ばなくてよくなるから楽じゃないか。
「実は今日はそれをやってみてん」
「え、もうやったん?」
「完売やで」
「完売……」
決まりだろう。これはもう変な話だ。雲どころの騒ぎではない。曇天だ。空を見上げれば、分厚くて黒い雲がどこまでも視界を占拠する。雷が鳴り、もうすぐ頭上に土砂降りの雨が降る。いや、もう雨は降っているのか。雨が降っているから、空を見上げることすらできない。現状を変えることができない。
「でもな」エリックが何かを言おうとする。アンは胸に痛みを感じている。少なくとも軽く締め付けられる心地がして、苦しさみたいなものを感じている。
「なに?」
「いや、何でもない。まあそういう話があったってことや。今日なんかおもしろいテレビあったっけ?」
露骨に話題を変えようとしてくる。逃げたいのか。まあいいか。
アンは深呼吸して答える。
「ないよ。ドラマ見るかティーバーでバラエティ見よ」
「ドラマいま溜まってんのないなあ。ティーバーでなんか探すか」
「うん、探そ」
しかしベットに入り、もう寝ようかというころだった。エリックが話を蒸し返してくる。
「今日喋った話やけどさ」
「なに?」
「あの青果コーナーの話」
「うん」
「あれな、どう思った?」
「え、どう思ったって?」
どういうことだろう。彼は何が言いたい? いま彼の気がかりなこととは一体何なのか。
「どう思ったって言われてもなー」
自分からは、どう思ったのか先に言わない。彼の言いたいことを、私が言うわけにはいかない。
「シンプルに嘘やと思った?」
「うん」
それは誰でも思うだろう。確かに話の初めは信じないでもなかった。エリックの喋るトーンも高くもなく、低くもなく、いつもの彼の感じといえば感じで、まるで他人事のように話している雰囲気。
でも内容がまずい。
何をやっても売り場の野菜や果物が売れ続ける? そんなこと、さすがに現実的に考えて起こるわけがない。
「やっぱり信じられなかったよね」エリックが言う。「実際どんな感じだったんだろうと思って」
「そうやね」アンは言う。「話の内容の全部をそのまま信じるのは無理かな。でも私がホンマに疑問に思うんは、さっきの話が嘘やったとして、じゃあなんでそんな嘘をエリックがついたのかってことかな」
「俺がなんでそんな話をしたのか、か」
エリックが黙り込む。私としては、もう眠たい。ベッドに仰向けになっているのだ。このまま目をつむれば、二三分後には眠りについてしまうことだろう。それにしても、やはり彼にとってこの話は重要なのだろうか。自分の店の話だ。いまは違う売り場のことだったとしても、いつか自分の売り場にその現象? が降り掛かってこないとも限らない。そう考えると、黙っていられない部分もあるのかもしれない。
「嘘なの?」アンはたずねる。「もし嘘だったら、なんでエリックがそんな嘘を私についたのかはわからないけど、でも私を傷つけるような嘘ではなかったし、てか全体的にあれって不思議な話で、だからどういう目的のあるものなのかもよくわからなかったから、うーん、何が言いたいのか自分でもよくわからないけど」
「嘘だって言ってほしい感じ?」
「そうやね。嘘だって言ってもらった方が、すっきりするかも」
「わかった」しかしエリックはそう言って少し間をあけると「信じてもらえるかどうかはわからないけど」
「うん」
「あれは本当の話だよ」
「そうなんだ」
そうなのか。あれは本当の話。隣の伊賀市で、全然予想していなかった、そして、誰が望んでいたのかわからないような話が、現実のものとして展開されている。今日も青果コーナーから普通の野菜たちが買われていく。特別何か変わったところがあるわけではない、いや、むしろそこへいくと、どれだけ変な感じを出しても、それが誰にも伝わらない野菜たちが。
「でもよく考えてほしいねん」
エリックが言う。
「何を?」
「アンとしては、これは俺から聞いた話やろ? 俺がどれだけこの話がホンマやって言っても、それをアンが直接確認したわけじゃない。だから俺がホンマやでって言っても、信じなくてもいい。それに信じるって言ったとしても、アンが直接その現場を確認したことにはならない」
それはそうだろう。私の目が直接その現場を確認するためには、私がその話を信じていようがいまいが、実際にその店舗まで赴かなければならない。そんなことは誰にでもわかりきったことだ。ダメだ。本格的に眠たくなってきた。自分でもさっきから何を言っているのかわからないし、何を考えているのかもわからない。エリックとは話の途中かもしれないが、このまますっと寝落ちしてしまう可能性は常にある。
「でも嘘じゃないんだよね?」
アンはエリックに問いかける。「エリックがさっきから何を言いたいのかよくわからないけど、とにかくこの話は本当なんでしょ? 実際のエリックの勤めている店舗で連日起こっていることなんよね?」
「そうやで」
「エリックは信じられるの? 信じられるか信じられないかの話じゃないか。だってもうその現場を嫌というほど目撃してるんやし」
するとエリックは一呼吸置いてから「俺も、この話はギリギリやと思ってる。確かに青果コーナーは空前絶後の売上を記録してる。でもそれは本当か嘘かでいったら嘘やと思ってる。何か落ちのある話なんじゃないかって。だってそうじゃないと気持ち悪い。釈然としないよ。だから誰か黒幕みたいな人がいて、今回の流れは、その人がすべて仕掛けてきたことだってなれば、いま店で起きている現象にもある程度の納得がいく。この世界のあらゆる変な話には、どうしても犯人が必要になる」
アンはエリックの話を聞きながらも、少しだけ目を閉じてみることにする。暖かい布団に包まれて、もう今日は何も考えたくない。
犯人が出てきたとして、そこから話はどうなるのだろう。変わったやつもいたもんだ、で話は済むのか。それともその人を教訓にして、何か新しいルールでも策定されるのか。
もし本当に犯人のいない話だったら?
誰も今回のことを説明できる人が現れなければ?
気持ち悪さだけが残って、でも普段の日常が戻ってきたら、今度はまたそれを何も言わずに受け止めていく感じなのか。
「もう何だか何の話をしているのかわからなくなっちゃった。今日は久しぶりに大阪まで遠出したから疲れたな」
「そっか、そうだよな」
「楽しかったな」
「それだったら良かったよ。ごめんね、おやすみ」
「うん、おやすみ」
アンは仰向けになる。気分としてはまだいい感じだった。友達の役に立てた一日だったと思う。このままいけば、まだ満足感を保ったまま眠りにつくことができそうだ。
エリックは、あともう少しのあいだは寝ないかもしれない。重要なことは最後まで言わないか、最後になっても言わない人だ。また私には話していない事実もあるかもしれない。でもそれは彼の中の出来事だ。私には関係ない。それは寂しいことかもしれないけれども、でも、お互いが別々な気持ちでいることが大事な場面もあるはず。二人一緒に倒れてしまったら、一家はそれで全滅だ。それはできるだけ避けなければならないことだとすると、お互いがバラバラの方向を気にしていることを尊重すべきときも、きっとあるはず。
それが今なのかどうかは全然わからないけれど。
朝になる。起きるともうエリックの姿はどこにもなかった。彼の出勤時間の方が早い。でも普段なら、彼が出かけるときには私もその音で薄っすらとベッドの中から目を開ける。今日は彼が出かけるのに気が付かなかった。よっぽど豊中市まで出かけたのが疲れていたのだと思える。薄っすらと、彼が出かけるときに、私の頬にキスをしていってくれたような記憶がある。でもそれが今日の出来事だったのか、それともまた別の日の出来事だったのか。
ベッドルームからリビングに移動する。ベランダ側のカーテンのそばに立ち、カーテンを開ける。カーテンレールからシャッという音が聞こえる。今日も晴れている。気持ちのいいくらいに、また雲が一つもなく、突き抜けるような青が確認できる。一瞬、これがどこまでも続いているものだと思う。が、それは違う。またどこの地点では、分厚い雲が上空を覆い、雨を降らせようとするか、もしくはもうすでに降らせている。
アンはテレビを付ける。ふいにこんなことを思う。なんか昨日くらいから私、いろいろなことを天気とか雲にたとえながら話してきたけど、それをエリックに話すのは一生やめよう。
だってなんかそんなこと彼に話したらバカにされそう。
ホントにバカにされるわけじゃないんだろうけど、でもどこかで絶対「うわこいつしょーもな」みたいなこと思われそう。
いろんな話をいまさら天気とか雲に例えてくるかね、みたいな。
それは嫌や。
アンはそのままソファに座り、あくびをしながら伸びをする。さて今日は何をしよう。テレビでは、東京のスイーツ店の紹介がされている。そんな話をされても、行く機会なんか絶対ないって。