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(この屋敷は連中の本拠地ってわけじゃないな。朝になったらまたどこかに運ばれるんだろう)
王侯貴族の通う学園に潜入できるぐらいだ。ただのゴロツキの仕業ではない。大規模な犯罪組織が裏にいるに違いない。
(たぶん、逃げるチャンスは今だけだ。でも、どうやって……)
ルクリュスが逃げ出す方法を考えて眉間にしわを刻んだその時、カリカリと小さな音が耳に届いた。
体をひねって見ると、一匹のネズミがルクリュスの手を縛る縄をかじっている。
「お前……っ」
ルクリュスは目を丸くした。
それはルクリュスの使役するネズミ軍団の中の一匹だった。
ネズミ軍団はいつルクリュスに呼ばれてもいいように、必ず一匹はルクリュスの近くに待機している。その一匹が、ルクリュスがさらわれるのを見て馬車に飛び乗って一緒に運ばれてきたのだ。
ネズミは懸命に縄をかじり、やがて噛み切られた縄がはらりと解けた。
自由になったルクリュスに向かって一声「チュー!」と鳴くと、ネズミは壁を登って天井裏に姿を消した。
「まあー。ネズミさんとお友達なんですねー」
「まあね」
忠義のネズミに助けられたルクリュスは、馬車での移動で固まった関節をほぐして立ち上がった。
「君の縄も解くから後ろを向け」
「あら? この縄って外していいんですかー。だったら、自分で外せますからお気遣いなくー」
そう言うと、フロルは「ふっ」と短く息を吐いた。次の瞬間、手首を縛る縄がブチブチィッと音を立てて引きちぎられた。
「あー、しまったー縄がボロボロになっちゃいましたー。あとで弁償しないとー」
フロルも立ち上がってルクリュスの隣に並ぶ。
「……あの、もしかして君ってすごく強かったりする?」
フロルは小柄なルクリュスよりさらに小さい。どう見てもか細い少女なのだが、見た目通りの人物ではないようだ。
腹黒ではないが、セシリアと似た何かを感じる。油断できない。
「私ー、六歳の時に騎士団長の息子さんと喧嘩しちゃって……お父様に「二度と人と闘ってはいけない」と説教されたんですー」
「ふうん……」
「やっぱり、十歳も年上の方を絞め落として気絶させたのははしたなかったなーっと反省してますー」
「六歳の時に十六歳の騎士団長の息子を絞め落として気絶させた!?」
ルクリュスは思わず大声で突っ込んだ。
「おい、うるせーぞ! 大人しくしてろ!」
扉の外から怒鳴られて、ルクリュスは我に返って床に落ちた縄を拾って隠した。
「とりあえず、君は縛られているふりをして座っておいて」
いつ扉を開けられるかわからない。逃げ道を見つけるまでは連中を油断させておきたい。
ルクリュスは足音を立てないようにそろそろと窓辺に近寄った。月明かりも入らないから薄々予想していたが、やはり窓には板が打ち付けられて完全に塞がれていた。脱出口は扉しかない。
(よし。フロルに見張りを倒させよう)
ルクリュスは使えるものはなんでも使う主義である。
「ねえ、フロル。僕が扉を開けるから、外にいる人を絞め落としてくれる? 騎士団長の息子みたいに」
「えー? ダメですー。私は二度と闘わないと決めたんですー」
フロルはふるふると首を横に振った。
「そこをなんとか……」
口八丁で操ろうとルクリュスがフロルの横にしゃがみ込んだと同時に、扉が開けられた。
ルクリュスははっとして咄嗟に手を後ろに回した。
「よぉ。仲良くしているみたいだな」
ニヤリと笑って入ってきたのは、神父の皮を脱ぎ捨てた偽ハンネスだった。