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「……そういうわけで、僕の小さな悩みを吹き飛ばしてくれた宝物なんです」


 かいつまんだ説明を終えて、ルクリュスはお茶を口に含んだ。

 聖堂に招き入れられて呪われたハンカチの由来を話して聞かせたのだが、改めて思い返すとあの頃の自分は若かったなあと照れくさくなる。

 くよくよ悩んでいたところに堂々とこの刺繍を見せられて、細かいことはどうでもよくなったのだ。


「なるほど。そんなことがあったのですね」


 腹黒が目覚めたことについては説明を省略したので、ハンネスからすると無力感に苛まれていた少年が善良な少女の明るさに救われた感動話にしか聞こえなかった。


「では、この呪われ……不吉っぽく見えるハンカチは、テオジェンナ嬢の努力の証なのですね。失礼しました」

「いえいえ。ぱっと見は凄惨な現場を描いたみたいですからね。呪われていると思うのも無理はないですよ」


 ルクリュスは「ははっ」と笑った。

 テオジェンナ本人は「やればできるということが証明できたから、もうルクリュスに心配かけないで済むな!」と胸を張っていたので、彼女の中ではこの刺繍は立派な完成品なのだ。どうやら、父親の才能は娘には遺伝しなかったらしい。


「僕は思いきり八つ当たりしてしまったのに、テオは素直に受け取って僕を安心させようとしてくれたんです。心の広い人間って、矮小な悪意など吹き飛ばしてしまえるんだと教えられました」

「テオジェンナ嬢は素晴らしい方ですね」


 お茶のおかわりを注ぎながら、ハンネスが微笑む。

 広げていたハンカチを畳んでポケットに仕舞ったルクリュスは、ふと、外が騒がしいのに気づいた。


「何かあったのかな?」

「さあ。たいしたことではないでしょう」


 ハンネスは気にする様子もなく静かに言う。

 ルクリュスは少し腰を浮かせかけた。


「では、僕はそろそろ……っ」


 立ち上がろうとした時、急に体から力が抜けて、ルクリュスは椅子に沈み込んだ。

 腕にも足にも力が入らず、視界がぼやける。


「……な……」


 何が起きたのかわからず、ルクリュスは閉じそうになる瞼を必死に持ち上げた。


「ええ。そろそろこの神父の芝居にも飽き飽きしていたところですよ」


 ハンネスが立ち上がった。ルクリュスの上に影が落ちる。


(何を……芝居だって?)


 強い眠気が襲ってきて意識が途切れそうになるのを、ルクリュスは必死に指に爪を立てて頭を働かせようとする。


「運び出せ。丁重にな」


 ハンネスが誰かに命じている。いつの間にか、知らない男が立っていて、ぐったりとしたルクリュスを抱え上げた。


(こいつら……誘拐……僕を……くそっ)


 ルクリュスは内心でほぞを噛んだ。

 お茶に何か混ぜられていたに違いない。完全に油断していた。


(体が動かない……助けも呼べない。今、僕にできることは……)


 聖堂を出るところで、ルクリュスは動かない体を賢明によじって、ポケットの中のハンカチを地面に落とした。


(テオなら、これで、気づく、は……ず……)


 自分の刺した刺繍を覚えているはずだ。それを持っているのがルクリュスだということも思い出すだろう。

 ルクリュスがいなくなって、ハンカチが聖堂の入り口に落ちていれば、ルクリュスはここでさらわれたのだと気づくはずだ。


 そこまでが限界だった。ルクリュスの意識は急速に闇に引き込まれていき、完全に気を失ってしまった。


 ハンネスはルクリュスを抱えた男を従え、騒がしい学園を横目に庭を横切り、あらかじめ調べておいて人目に付かない場所を通って学園の外に出た。



 後にはただ、地面に落ちたハンカチだけが残されていた。




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