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甲高いわけでもなく猫撫で声でもない、しっとりとした大人の女性の声。
なのに、甘いとしか言いようのない声。
声を聞いただけで頭がぼんやりして、ふわふわした心地になる。まるで、声に含まれた快楽物質が脳をガンガン揺らしてくるような。
そんな声だった。
細身の白いドレスがゆらめき、そのわずかな動きだけで場の空気が一瞬で染め変えられたような感覚になる。
装飾品は身につけず、飾り気のない白いドレス姿だというのに、結い上げたゴージャスな金の髪だけで十分に華やかだ。
「もぉ、お母様ったら。出てこないでと言ったのに」
「あらぁ。だって、セシリアのお友達ですものぉ。ちゃぁんとお出迎えしないとぉ」
セシリアによく似た女性は「うふふ」と赤い唇で弧を描いた。
妖艶でありながら、どこか可憐な少女の雰囲気も併せ持つ、伯爵夫人。
(親玉の登場ってわけか……)
ルクリュスは油断なくロミオの前に立ち、奴らがロミオに直接手を出せないように目を光らせた。
「妖精の国の女王キター!! ここで審査に通らなければ永遠に妖精の姿が見えなくなる魔法をかけられて山中に捨て置かれるに違いない!! 私の醜い心根が暴かれる前に立ち去るべきか!? やはりジャイアントゴーリランが妖精の国を踏み荒らすなど許されるはずがなかったのだ!!」
可愛い子ちゃんの母登場にテオジェンナが錯乱する。騒ぎ出したテオジェンナをよそに、ルクリュスはセシリアの母への警戒を強めた。
ルクリュスの母であるルリーティアは、いつまでたっても少女の愛らしさを失わぬ可憐な女性だ。男の庇護欲を誘ってやまないタイプである。
対して、セシリアの母は声も仕草も魅惑的に見えるよう完璧に計算されているかのような、色気の吹き溜まりのような蠱惑的な女性だ。
こういうタイプの女性とは関わったことがない。ロミオのみならず、テオジェンナも惑わされる危険性がある。
(やはり危険だ……この先はこの女が支配する女郎蜘蛛の館。油断はできん)
もしも、家の中に入って何らかの薬品かお香の匂いが充満していたら、急に気分が悪くなったふりをして帰るつもりだ。ロミオとテオジェンナに怪しい空気を吸わせるわけにはいかない。
そんな決意を新たにするルクリュスの前で、セシリアの母が艶然と微笑した。
「うふふ。どうぞお上がりになって」
女郎蜘蛛の巣への招待だ。さながら自分達は誘き寄せられた哀れな獲物。だが、やすやすと食われてやるつもりはない。
「わ、私はこれ以上進めないっ……ここに結界がある! 可愛いものしか通れない結界が!!」
存在しない結界に引っかかっているテオジェンナの背中をロミオがどついて前に進ませ、一行はようやくヴェノミン伯爵家の屋敷に足を踏み入れたのだった。