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朝、生徒会室に入ると侯爵令嬢が壁に頭をめり込ませたまま静止していた。
「何があった!?」
「わたくしにも要領を得ないのですが、なんでも昨日のお茶会で、あまりの可愛さに欲望抑えがたく錯乱していたいけな小石ちゃんと妖精を襲ってしまったらしくて……」
レイクリードの質問に、眉を曇らせたユージェニーが答える。
「だから、あれほど普通に茶を飲んで帰ってこいと言っただろう!」
「殿下、人は欲望に振り回される悲しい生き物なんすよ」
生徒会書記で生粋の女好きであるジュリアンがレイクリードの肩を叩いて首を横に振る。
「大丈夫ですか、テオジェンナ嬢。訴えられたりしてませんか? 「法廷で会おう」とか言われませんでしたか?」
会計のニコラスもテオジェンナのことを案じて声をかけるが、テオジェンナは沈黙したまま動かなかった。
「ほら、テオジェンナ。しっかりなさい」
ユージェニーが壁にめり込んでいるテオジェンナを叱咤した。
ようやく壁から頭を抜いたテオジェンナが、ふらふらと力なく立ち上がる。
「……私は、なんてことを……二人を祝福するはずだったのに……我を忘れて愛らしい二人に自分の薄汚い欲望を押しつけてしまうとは……」
「なんかすごいことやらかしたみたいに聞こえるからやめろ」
侯爵令嬢が侯爵令息と伯爵令嬢を襲ったなどという醜聞が広まったら学園の風紀が乱れる。レイクリードは頭を抱えて溜め息を吐いた。
「とにかく、謝罪をしてこい。誠心誠意」
「謝罪……」
テオジェンナはへにゃりと眉を下げた。
(そうだ。二人に謝らなくては……そして、伝えなくては。二人の未来を祝福すると)
欲望を抑えることもできない浅ましい自分を思い知った今、自己嫌悪でいっぱいになったテオジェンナは二人に謝意と祝福を伝えて、それからルクリュスと距離を置こうと決意した。
その日の放課後、テオジェンナは空き教室に二人を呼びだし、頭を下げた。
「昨日は申し訳なかった……」
「そんな、頭をお上げください」
「うん。別に気にすることないよ、テオ」
二人の優しさが胸に沁みる。テオジェンナはぐっと唇を噛んだ。
「いや、私が茶会を台無しにしてしまった。本当にすまない」
「あら。とても楽しいお茶会でしたわ」
セシリアはにこにこして言う。
「ぜひ、またお誘いさせてください」
「セシリア嬢……」
どこまでも優しく愛らしい少女に、テオジェンナは目を潤ませた。それがおもしろくなかったのか、ルクリュスが二人の間に体を割り込ませた。
「気をつけなよ、テオ。彼女はテオを利用するつもりなんだ」
「利用?」
首を傾げるテオジェンナに、ルクリュスはセシリアと睨み合いながら言った。
「彼女は兄さんを好きなんだ。昨日のお茶会だって、兄さんを呼びたくて僕とテオを招いたんだよ」
思いも寄らぬことを言われて、テオジェンナは目を丸くした。
「ロミオを?」
セシリアを見ると、頬を染めて恥ずかしそうにしている。
(ロミオを……そうか、そうだったのか)
テオジェンナは静かに息を吐き出した。ずっと張りつめていた気が緩んでいく。肩の力も抜けた。
「まあ、兄さんは簡単には渡さないけどね」
「もう! ルクリュス様ったらいじわる! テオジェンナ様ぁ、私の恋を応援してください」
セシリアがうるうると目を潤ませて、上目遣いにテオジェンナを見上げてきた。
「わ、私でよければ!」
「ありがとうございます~!」
「し、しかし、ロミオは手強いぞ。何せ鈍感だからな」
テオジェンナはロミオとセシリアが並んでいるのを想像してみた。
岩石と妖精だ。
しかし、セシリアがロミオを好きだという条件がつけば、しっかりと頼りがいのある岩石の上に安心して腰掛けている妖精というイメージが浮かぶ。
あの、鈍感だけど誠実な男に、愛らしい恋人ができるのは幼馴染としては喜ばしい。
テオジェンナに協力をお願いしたセシリアは、恥ずかしがりながら帰って行った。
「ロミオか……案外、お似合いかもしれないな」
「そうだね。でも、兄さんに恋人ができたら、僕ちょっと寂しいな……」
ルクリュスが口を尖らせて、そっとテオジェンナを見上げてきた。
「もし、兄さんに恋人ができても、テオは僕の傍にいてくれる?」
「ふっぐぅんぬっ!!」
きらきらした目とちょっと拗ねたような表情に、油断していたテオジェンナの心臓が的確に撃ち抜かれた。
「テオ、大丈夫?」
「も、問題ないっ!!」
暴れる心臓を押さえつけ、テオジェンナは息も絶え絶えになりながら自分に言い聞かせた。
(セシリア嬢の恋の相手はロミオだったが……ルクリュスの恋人にふさわしいのが世界で二番目に可愛い子だというのは変わらない! ならば、私はルクリュスの幸せのために、世界で二番目に可愛い子を見つけてみせる!)
テオジェンナは自分の未練を断ち切るためにも、ルクリュスに可愛い恋人ができるように協力しようと決意を固めた。
(できるはず。やってみせる! 大丈夫、私は、私は……)
「私はっ、小石ちゃんを守る岩石だーっ!!」
テオジェンナは放課後の空き教室でそう叫んだのだった。
きちんと謝罪ができたのか様子を見に来たレイクリードは、その叫びを聞いて「もう生徒がほとんど帰っていてよかったな……」と目頭を押さえた。
岩石令嬢テオジェンナが小石ちゃんにふさわしい可愛い子をみつけるのが先か、腹黒小石ことルクリュスがテオジェンナの頑なな思い込みをぶち壊すのが先か。
戦いはまだ、始まったばかりである。
第一話・完




